小説の書き方 「光の速度」
補足
本記事の趣旨は私が小説の書き方を教えてやろうというものではなくて、私はこう書いてるので参考になればいいな、あるいは何かフィードバックをもらえると良いな(コメント欄は無いのでTwitterかMisskeyなどで)という意図で書いてます。
私は私の小説の書き方を公開することに価値は無いと思っていたんだけど、それを決めるのは私ではないし、書かないよりは書いたほうがなにか成長につながるかも、という期待を込めて。
あとは、私の小説を読んでたまに「こういうのを書けるようになりたい〜」みたいに言う人がいる(ありがたい)ので、そういう方々のことも意識している。
まあ御託は置いといて書いてみよう。
今回の題材は「光の速度」である。8500字位の小説だ。Misskey.artというコミュニティの内輪ネタなので例としてはあまり適切ではないが、直近で書いたのがこれで記憶がまだ新しいのでこれを題材とする。
この小説はThe Art server on Jupiter system 2223の続編という形ではあるが、こちらは読んでいなくても一応理解はできると思う。細かいネタはわからないと思うけれども、物語の本筋には影響がない。「タイムライン」という言葉だけは知っている必要があると思うけど。わからない人は、昔ながらのネット上の掲示板だと思っていただければ良い。
なお、本記事は読者のみなさんが上記の小説を一読した前提で書いている。であるから上の小説を読んだあと、この長い記事を読む…となると、3万字弱読まないといけないことになる。それはしんどいと思うのだけど、その分かなり詳細に書いているとは思うのでご容赦願いたい。
ということで、思いついたことをつらつらと書いてみよう。
今回のタイトルは「光の速度」だったけど、これは正直失敗した。良いのが思い浮かばなかった。タイトルは先に思いつくこともあれば、後で考えることもある。変えることもあれば変えないこともある。私の場合はタイトルをどうしても英語で考えがちだ。できれば日本語で考えたいと思っているのだけど、考えるとどうしても英語になってしまう。英語のほうがかっこいい、みたいな浅はかな考えがあるのだと思う。直したいところだ。1作めのタイトル、”The Art server on Jupiter system 2223” というタイトルはすぐに決めた。これはまあまあ気に入っている。
私がMisskey.artの内輪ネタを考えるにあたって、舞台はSF世界を選んだ。私はSFを好むがそれは単に私が理系の人間だからというだけではなくて、SFというジャンルのほうが自由度が高いと考えているからだ。SFというジャンルは基礎の世界観からすべて自分で一から構築する必要がある。もちろん、ゼロから考えることをせずに現代社会をそのまま当てはめても良いし、古代を当てはめても良い。そうすると考えるところは少なくなる。そういう自由度の高さがSFの良さの一つだと考えている。
今回は、レトロ感のある未来というのを始めに想定した。
私が信念のように感じている死生観というか、世界観というか、そういうものがまずあって、それは「歴史は繰り返す」ということである。今社会で起きている出来事は過去(10年前、100年前、1000年前、100億年前)にも宇宙のどこかで絶対起きているし、未来方向においても今起きたことは将来に宇宙のどこかで必ず起きるだろう、と思っている。
例えば、私が死んだら宇宙の何処かで絶対同じような生き物が生まれるだろうし、そいつは私と同じようなことをやってるだろうと思う。もちろん、未来や過去じゃなくて現在においても似たような人は居るだろう。
そういうふうに、生き物や出来事や歴史は色んな場所で似たようなことが起きうる、と私は信じている。なぜならば、宇宙というのはそれほどまでに広く、数多の星々が存在するからだ。もちろん、宇宙の何処かには人類以外の知的生命体、簡単に言えば宇宙人も存在するだろう。これは完全に科学的な議論で、宇宙物理学者、宇宙生物学者は宇宙に知的生命体が居ると思っているからこそ、宇宙から飛来する電波を受信して解析を進めている。
話を「レトロ感のある未来」に戻す。以上のような考えがあるため、未来には今私達がレトロだと感じるような世界が再び訪れるだろうし、SFで大幅な時制の変化を取り扱う場合はそういう共通要素を入れるべきだと考えている。SFの世界であっても昭和感や平成感は醸し出して良いし、そうする科学的合理性があるとも思う。特に私は昭和平成が好きなので、入れたいという動機もある。
以上の、もっぱら個人的な好みの理由で小説の舞台はレトロ感のある未来と設定した。
1作めの ”The Art server on Jupiter system 2223” はそれに則った世界観で小説を書いた。あまり具体的に昭和感、平成感を醸し出す表現は入れなかったと記憶しているが、それでもmisskey.artサーバーの人たちの中には懐かしい感じがすると表現してくれた人が居て、こういうのを見ると書いてる側としてはとても嬉しく思う。
さて、ようやく本論に入る。2作めの「光の速度」だ。
2作めを作るにあたり、世界観は共通にしようとまず思った。これは1作めの世界観が良いと褒められたという経験もあったし、私自身も気に入っているからだ。町田康がインタビューで語っていたんだけど、「まず自分が面白いと思わないとだめ。自分がつまらんなと思ったことは見てる人にも伝わるし、自分が面白いと思ったことは他の人が見てても面白い」らしい。これには私も心から同意する。だから今回も、良かったと思う1作めの世界観を引きずり、しかし登場人物はすべてすげ替えることにした。最終的に5つくらい書いてこの舞台の群像劇のような形に仕上がればいいな、と思う。そんな暇があるかどうかわからないが。
1作目は少年の夏休みアドベンチャーみたいなものをイメージしたので2作目はもうちょっと大人な感じに仕立てようと考え、20歳前後のキャラクターを想定し、恋愛を取り扱うものとした。この決定も私の好みによるもので、私は「あんまりうまく行ってない男女」の話を書くのが好きだ。苦手なもの、好きじゃないものを書いても筆が進まないので常に私は好きなものを創作するようにしている。余談だが、うまく行ってるんだか行ってないんだかよくわからない微妙な話としては「THE END OF SUMMER IN THE PARK」というものを書いた。
舞台は木星のガリレオ衛星の一つ、ガニメデだ。最初はエウロパにしようと思ったけど、ホーガンの「星を継ぐもの」(ガニメデと月が主な舞台の話だ)が何となく思い浮かんだのでガニメデとした。人類が木星系を開発し始めた200年後の世界を想定している。ハードSFならばどのような動機で入植が始まり、そこでどのような技術が用いられたのかを詳しく語るところだ。それを私も描きたい気持ちもあるが、バッサリ捨てて世界観の説明は最小限としている。
その理由は
- Misskey.artサーバーの人たちはハードSFを喜ばないだろう
- そこまで書ききるなら少なくとも数ヶ月単位の時間がかかる
- 多少ぼかしても読者は想像によって補完してくれる
というあたりが理由だ。
一旦まとめよう。ここまでで決めたことは以下の通り。
- 舞台は200年後のガニメデ入植地
- 昭和・平成なレトロ感
- うまく行かない男女の恋愛
- Misskey.artサーバーの内輪ネタ
ここからストーリーを練る。まず、「うまく行かない男女の恋愛」には色々な形があると思うが、今回は単純に付き合っていた男女が別れる、みたいな話にしようと考えた。ということは、最初は付き合っていて仲が良いところを描かねばなるまい。というわけで、起承転結は
- 起: 仲の良い男女がいる
- 承: ?
- 転: ?
- 結: 別れる
までは決まった。
起承転結は、最近は必ず考えるようにしている。起承転結の4つくらいで物語を簡潔に説明できるくらい単純化できないと収集がつかなくなるからだ。実際、私がこれまで書いたものの中には収集ついていない作品が色々ある。
というわけで、あとは承と転だ。今回のケースでは、転を考えるのが易しい。仲の良いカップルが別れた、究極的にはそれだけの話なので、なにか別れる原因を作ってあげればよい。と、こう書くと私がひどい人のようだな。まあ、実際架空の人物といえどそういうのを想像しているわけだから実際ひどいのかもしれないね。
別れる原因としては色々思いつくが、今回はMisskey.artサーバー(絵を描く人が大勢居る)の内輪ネタということに着目し、イラストが原因だったと決めた。イラストがどう別れる原因になるのか?それを色々考ええていく。
こういうとき、私はよくセリフから考えることが多い。今回は最後に二人がどのような言葉を言って別れたのかを想像してみる。今回思いついたのは、女のほうから
「私が本当に好きだったのは、あなたの絵だったのかもしれない」
と、言って別れるというものだった。私が好きだったのはあなたの人格ではなくて、あなたの絵だった、という話ですな。これが要するにオチになる。じゃあそこに至るまでのすれ違いにどのようなことがあったのかを想像すると、イラストの世界ではよく「筆を折る」つまり、自分の才能に限界を感じて絵を描くのを止めてしまうという話がよくあるので、それを理由として考えた。
このように、「よくある話」をネタとして入れ込むことに私は躊躇はない。よくある話を入れることは共感性を高めて物語を面白くさせる。特定の作品だけを意識しすぎなければ、ネタかぶりだのパクリだのといった印象にはならず、ちゃんと最終的にはオリジナリティが出る。そう思っている。
というわけで、筆を折った理由とは何なのか?を考えてみると、それは自分の才能に限界を感じたということが思いついた。では何がきっかけだったかというと、そこにヒロイン、主人公の彼女を絡めようと思った。つまり、このカップルは二人共絵描きだったが、女のほうが上手くて男のほうが下手くそだった。自分の彼女で愛する存在でありながらでも、絵については嫉妬していた。そういう設定を思いついた。この設定は私の思いつきだが、これも探せばどこかでネタかぶりしているとは思う。
以上を踏まえてもう一度起承転結にまとめよう。
- 起: カップルが居る。二人は仲が良くて幸せ。二人共イラストを描いている。
- 承: でも、主人公(男)は彼女に愛情を感じながらも同時に嫉妬心を感じている。
- 転: 主人公の男が才能に見切りを付けて筆を折る。
- 結: 「私が本当に好きだったのは、あなたの絵だった」と言って別れる。
となる。だいたいこれでストーリーが出来上がった。あとは、ガニメデに居るという設定や、Misskey.artサーバーの内輪ネタを散りばめていけばよい。
続いて私が考えたのは、一番最初の文章だ。
一番最初の文章は、キャッチーなものにしたかった。読んだ人が「えっ、なになに?どういうこと?」と続きを読みたくなるものではなくてはならない。なぜならば、この小説はMisskey.artに投稿する事を前提としているからだ。最初の文章がつまらなかったら読む人はガクッと減ってしまうだろう。Misskeyの仕様の話になるが、Misskeyでは長い文章は自動的に畳まれ、自動で表示されるのは最初の4行くらいになる。ここで面白そうだな、という印象を伝えなくてはならない。
どうしようかな…と考えてふと思いついたのは、
「ねえ、知ってる?秒速5センチメートル。桜の花びらが落ちる速度」
というセリフだ。新海誠監督の秒速5センチメートルである。ちょうど木星が登場するから思いついたのだ…と書いていて思い出したが、「秒速5センチメートル」は確か遠距離恋愛の男女がうまく行かない話で(1回見たんだけど詳細を覚えていない…)、木星が登場するのは「ほしのこえ」だったかもしれない…とWikipediaを調べたら、どうも「ほしのこえ」にも木星は登場しないようだ。しかも「ほしのこえ」は見たことが無い。
というわけでだいぶ記憶がおぼろげだが、とにかく思いついたのはそのセリフだった。
ただ、これをそのまま使っても何も面白くないし、このようなキャッチーなセリフをそのまま使用するのは流石にネタかぶりを通り越してパクリになる。そこで再び思いついたのは、
「知ってる?秒速2センチメートルなんだって。artサーバーのLTL(ローカルタイムライン。そのサーバー内の投稿が一覧で出てくる画面)が流れる速度。秒速2センチメートル」
というセリフだった。ここまでやれば笑えるパロディになると思った。ただ、同人誌として製本までするような小説であれば私もこういうことはしない(さすがにもうちょっと真面目に書きたい)が、いわゆる「Misskey文学」のような形で公開するならばこのくらい軽薄なほうがむしろ良いと判断してそうすることにした。
このセリフを思いついた瞬間は自分でも笑った。もはや出落ちに近い。が、ここから出落ちにならないように続けて読者を作品の世界に引き込まないといけない。
出落ちのパロディを作品として意味のあるものに仕上げるために、冒頭の上のセリフを伏線として、最後に対をなすシーンを入れたかった。
そこでまた考える。2センチメートルという数字に根拠はなく、私が適当に思いついた数字だ。ハードSFではないから、そこの正しさまでは求めない。に、しても、理系としては数字が出てくるとその根拠を無意識に求めてしまう。Misskeyはどのサーバーも夜は混雑し、明け方はほとんど人が居ない。だから時間によってもタイムラインが流れていく速度というのは異なっているから、秒速何cmといった数字はあまり意味が無いと思っている。平均を出すにしてもばらつきが大きく、時間帯を絞って語るべきだ…
と、ばか真面目に考えていたところで着想したのが、
「ヒロインは秒速2センチメートルと言っていたが、主人公が改めて測ってみるとそれよりもずっと早かった。ヒロインが想定していたタイムラインの速度は人がまばらでゆっくり流れるタイムライン。例えるならばカフェで会話しているようなタイムライン。一方で主人公が考えていたのはたくさん人が居て数多の話題が飛び交うパーティみたいな華やかなタイムラインというすれ違いがあった」
というオチだ。これならば当初、掴みとして配置しただけと思うであろう冒頭のセリフが最後に意外性として効いてきて良いとおもったので、このアイディアを採用するとした。
もう一度まとめると、
- 入: 「知ってる?秒速2センチメートル。ArtのLTLが流れる速度」
- 起: カップルが居る。二人は仲が良くて幸せ。二人共イラストを描いている。
- 承: でも、主人公(男)は彼女に愛情を感じながらも同時に嫉妬心を感じている。
- 転: 主人公の男が才能に見切りを付けて筆を折る。
- 結: 「私が本当に好きだったのは、あなたの絵だった」と言って別れる。
- 出: 「あいつと俺は同じArtサーバーでも見ているところが違ったんだ。最初から俺達はすれ違っていたんだ」
となる。入・出というのは私が勝手に考えた言葉だ。ストーリーはなるたけシンプルにしておくべきだとおもうので、あまり付け足すべきではないとは思う。ともかく、出が出来たことで、結と出がつながった。俺達はすれ違っていた。あいつが見ていたのは俺の絵だった。俺じゃなかった。その根拠はArtサーバーのLTLが流れる流速の認識の違いだ。と、ここまでつながった。良かったね。
あと弱いところはどこだろうか。私は「転結」をもうちょっと掘り下げたいと思った。
男女が別れるにはなにかエモいイベントが必要だ。何が良いだろうか。ここでは、ガニメデの入植基地であるという設定を活かし、彼女のほうがどこか他の星に旅立ってしまうということを考えた。他の星、というのはどこでも良いのだが、ここでは地球とした。そのほうが登場人物の行動に合理性を持たせやすいからだ。
1作めでは、200年後のガニメデの入植基地上に、200年前のMisskey.artサーバーを復活させたというのが話の骨子になっている。だから、2作めはそのMisskey.artサーバーとそれが存在した時代のアートに陶酔する彼女がその発祥地である地球に行きたがる、という方向性で決めた。
そこまで決めたところでまたさらに思いついたのは、彼女がふらっと決めて旅立つよりは、主人公を誘ってみるが主人公は同意せずにそこで決定的に別れを悟る、という流れがあったほうが二人の感情の動きがわかりやすいな、と思ったのでそのようにした。では、彼女が地球に行こうと思ったのになぜ主人公はガニメデに残ろうとしたのか?それはもちろんそこに至るまでに彼女の才能に嫉妬して筆を折ったからだが、同時に就職を決めてしまっていた、ということにしようか。
イラストを描いている人たちの間では、とにかく商業作品を作るのが一つのゴールだ、と考えている人が多いために、職業としての絵描きを諦めて普通に就職するというのはこれも一つエモさに繋がるだろうと思う。
またまとめよう。
- 入: 「知ってる?秒速2センチメートル。ArtのLTLが流れる速度」
- 起: カップルが居る。二人は仲が良くて幸せ。二人共イラストを描いている。
- 承: 主人公(男)は彼女に愛情を感じながらも同時に嫉妬心を感じている。
- 転: 主人公の男が才能に見切りを付けて筆を折けて就職する。一方で彼女の方は地球に行って絵で食っていこうとする。彼女は主人公を誘うが、主人公はすでに見切りを付けて就職しているので、行けないと断る。
- 結: 「私が本当に好きだったのは、あなたの絵だった」と言って別れる。彼女は地球に行ってしまい、主人公はガニメデに残る。
- 出: 「あいつと俺は同じArtサーバーでも見ているところが違ったんだ。最初から俺達はすれ違っていたんだ」
となる。
ちなみに、このあたりまで作るまで、私はあまりメモをとっていない。ここまで考えた時点で残っていたメモは、以下のようなものだった。(GitHubで履歴管理しているので記録が残っている)小説で書きたい部分だけざっくり記しただけの代物だ。
「知ってる?秒速2センチメートルなんだって」 「えっ、何?」 「artサーバーのLTLが流れる速度。秒速2センチメートル」
オンライン200人だったら、カフェの会話。オンライン300人だったら、盛り上がってる飲み会。 それじゃあ、オンライン400人超えたら?それはもう、立食パーティかな。1000人超えたら?漆黒フェスだね。
暗黒フェスで見つけたのが佳苗で、それからお互いartサーバー住民で顔見知りだったなんて奇跡が、付き合い始めたきっかけだった。 それを思い出す
絵はどうするの?もう描かないの? そっか。仕方ないかもね
ねえ、二人で地球に行って、アーティストにならない?
私、あなたの絵好きだったよ
ごめん、一緒に行かなくて
いいよ。大きな話だから。それに、 私は…。私も、好きだったのは君の絵が好きだったのかもしれない。
就職して別れる もう一度artサーバーを覗いてみる。あの娘はもういない。 話題が次々移ろっていく秒速2センチメートルのLTLで、40分の時差では会話に参加できるはずもない。
測ってみる。今は秒速で10cmも進んでいた。あのときの五倍の速度。 秒速で2cmだったら、それは深夜のLTLだった。
俺は秒速で流れていくパーティしか見ていなかったけど、 あのとき佳苗が見ていたのは深夜のLTLだった。
たった二人で会話しているような、LTL。 あの時からもう、僕らはすれ違っていたんだ
このメモを作るまでにかかった時間は2週間ほどだろうか。もちろん、2週間ずっと考えていたわけではない。ジョギングをしているとき、風呂に入っているとき、トイレに入っている時に少しずつネタを考えては、上のメモ帳に少しずつ書き足していった。
ここまできて、ようやくキャラクターの設定を考える。
小説の書き方には、キャラクターを入念に作り上げてそのキャラクターがどう動くかで話を作っていくキャラクター・オリエンテッドな作り方と、事件や世界設定があって、それにキャラクターが巻き込まれていくというイベント・オリエンテッドな作り方と大雑把に二種類あるのではないか、と思っている。私は後者の方だ。
インターネット上で見かける創作というと、よくキャラクターの名前や通っている学校や、身長、年齢、正確、外観の特徴…みたいなものを語るのをよく見るが、私はそういうやり方を好まない。キャラクターの背丈や名前がストーリーに影響するとは思えないのだ(絶対ないとは言わない。実際、こないだ背丈と名前がストーリーに影響する話を書いた)。
だた、それは正しさの話ではなくてあくまでもやり方の話だから、キャラクターに肉付けしていったほうが想像しやすいのであればもちろんそうしたほうが良い。私がここで言いたいのは、キャラクターを考えるのが苦手ならばそれは後回しにしても小説は書けるはずだ、ということである。
今回、キャラクター設定は正直どうでもいいと思っていた。細かい描写には関係してくるが、上記のストーリーを構築するのに必要な主人公たちの属性というのはせいぜい二人共絵を描くのが好き、という程度で、どのような正確であっても上記のストーリーは書けると思ったからだ。
主人公は自分自身の考えや行動をベースとした。私の書く小説の殆どは、私がそこに居るつもりで書いている。これが主人公の行動などを想像するのに最も都合が良く、リアリティがあるからだ。町田康の影響というのもある。町田康がそう語ったことは無いとおもうが、町田康の小説もどれも主人公の行動や考え方が一貫して似通ってあり、おそらくはご自身の考えや性格を反映させたのだろうということが伺える。私は知見を持ち合わせていないが、おそらくこういった書き方はごく当たり前に行われているはずだと確信している。
彼女の方は、こないだ書いた絵である以下の女の子を想定して設定に流用した。
高校のときのジャージを着て平気で出歩いたりする。元気が良くて好きなことには熱中して取り組む。人懐っこくで誰でもすぐ仲良くなる。遠慮がない。そういう感じを想像して、この一枚のイラストからこの人だったらどういうセリフを言い、どういう振る舞いをするだろうかというのをシミュレーションする。こういう時に一枚絵だけでもあるとかなり想像の助けになる。
二人の名前は「早勢」と「秋鹿」に決めた。これは以前書いた小説「THE END OF SUMMER IN THE PARK」からの流用である。私はよく小説の登場人物の名前を使いまわす。Wikipediaを見るとスターシステムなるものがあって、自分の作品に登場するキャラクターを一種の演者とみなし…みたいなことが書いてあるが、私はこの説明文があまり好きではない。その延長線上に「実は私の作品は世界観がすべて共通しているんですよ」みたいな裏設定に繋がりがちなような気がして、私はこれがあまり好きではないからだ。これはもっぱら私の好みのはなしであって、これも良し悪しというのは無い。
私が名前を流用する理由は単に考えるのが面倒だからだ。キャラクター設定も考えるのが面倒だから流用することがある。それをスターシステムと呼ぶのであればそれでも良いと思うが、それは見る側の論理であって作る側の事情とはあまり関係ないのではないか、とは思う。ただ、その一方でそれを起点として読者が楽しんでくれるのであれば、そう解釈してもらうことになんら抵抗はないとも思う。と、書くと偉そうな物言いになってきたと感じるのでここらで止めとく。
名前に関しては、「秋鹿」という名前は字面と言葉の響きが気に入っている。あいか、と読む。実際にそのような名字がある。秋の鹿、という絵面が良いなと思う。珍しい名字一覧、みたいなサイトで探して発見した。早勢、もそうだと記憶しているが、こっちは正直思い入れはない。秋鹿を入れるなら早勢もしゃーないから入れてやるか、という程度の気持ちだ。
もう一つ、名前について決めているルールがある。小説を書き始めるとまず人物の名前を説明したくなってくるが、これは絶対にやらないようにしている。必要になった時に初めて人物の名前が出てくる、それを徹底している。設定を説明しようと思って書いた文章は往々にしてダサくなりがちだからだ。
ということを踏まえながら、まずは「起」のシーンから書いていく。
ここでは二人が付き合ってるということと、ある程度仲が良いのを描写しなければならない。二人が語っている場所を想像し、昭和・平成好きという点から着想して、ちょっと小汚くて静かな飲み屋で飲んでいる、ということにした。ただ、それを昭和っぽいとか書くわけにもいかない。主人公らはガニメデ生まれガニメデ育ちの人たちだから、ということだけが理由ではない。我々が令和の世にいて「令和っぽい」とは言わないのが一番の理由だ。
昭和という言葉を使わずに昭和感を醸し出すための表現としては、
手ぬぐいで鉢巻きしたおっちゃんが「あいよっ」と威勢のよい返事をしてモチョチョをすぐに焼いてくれる
とか
皿は長年の油が染み込んだ木のカウンターに無遠慮に置かれ
とか
モチョチョ二つにホッピー一瓶、それで中身を三杯、これが俺の揺るがないいつものペースだ
とか
公共通信端末があって、今日も色とりどりの絵文字がブラウン管に映し出されていた
とかいうあたりに現れている。安直な気がするが、高尚で婉曲な表現方法は伝わりにくいのでどちらかというと安直でわかりやすい表現を心がけている。私が想定する読者は純文学が大好き、という人たちではなくて、ライトノベルと純文学の中間あたりに居る人たちだ。純文学、という定義も曖昧なのであまりいい表現ではないとは思うが。もう一つ、小難しい表現を使って頭良さそうに振る舞うことが作品の質を高めるとは私は思えない。どうしても難しい表現を使わなければならない必然性があるなら躊躇なく使うべきだが、平易な言葉で良いならばなるべく平易な言葉を使うべきだと思う。
あと、印象に残っている文章としては、
トップバッターのバンド、"THE BUCHU BOTTERES" のド鉄板ナンバー「神絵師の腕」のイントロのベースラインが大音量でかき鳴らされたところ
という一文だ。これはMisskey.artサーバーに居る「ぶちゅBot」なる謎のBotアカウントが由来で、キスマークがアイコンのこいつは一定期間ごとに「ぶちゅ」「ぶちゅちゅちゅちゅちゅ」などとつぶやくだけの動作をする。その意味不明さがサーバー内では人気を博している…と思う。
「神絵師の腕」というのはMisskey.artサーバー内で度々「神絵師の腕を食うことで自らの画力が向上する」という趣旨の発言をするジョークのことである。だから"THE BUCHU BOTTERES" の「神絵師の腕」というネーミングは個人的にはめちゃくちゃ面白いと思うのだけど、もしかしたら滑ったかもしれない。
後続する秋鹿のセリフ、
「練習を重ねていって、技術だけうまくなって、早勢のエモい感情が無くなっちゃったらさみしいよ。練習なんて止めて、好きな絵だけ描こうよ。早勢が伝えたいことは絵を通して私にちゃんと伝わってるから、もう練習なんて十分だよ。その伝えたいメッセージこそが、絵の魂なんだ。技術だけで魂のこもってない絵なんてつまらないよ」
は、主人公が秋鹿の絵が好きで、秋鹿も主人公の絵が好きで、かつ主人公の絵は一般ウケしなかったが秋鹿には良さが理解できていた、ということを説明するためのセリフである。そういう理由があってこのようなセリフにしたが、私自身は普段から同じことを考えている。上手いだけの絵はつまらない。エモさが絵には必要だ。もちろん、絵だけじゃなく、小説も、写真も、音楽も。あらゆる創作物は伝えたいメッセージ、思い、そういう魂が込められないと意味をなさないと思っている。
と、書くと高尚な言葉に聞こえるが、言い換えれば「自分の好きを表現したほうがエモい」という程度の話だ。
あと、秋鹿が歌う
〽食わず嫌いは 損をするって だから食え 神絵師の腕 何本でも生え変わる 神絵師の腕 だから食え 焼いて食え アメリカみたいなBBQ マヨネーズもかけてあげましょね
という歌は、この小説を書いていた時に聞いていた GOGO!7188 の "食わず嫌い" の歌詞の一節を取っている。「食わず嫌いは 損をするって」のところがそれだ。それに神絵師の腕を食うというネタを混ぜている。
このあたりから、「承」に突入する。主人公はArtサーバーにみんな何でメシを食ってるのかと職業について聞き、将来は自分も普通に就職しなきゃな、という気持ちを少しずつ強めていく。
就職活動を行い、
俺は面接官の前でニコニコな笑顔を作り、「人間の活動領域を広げるために、ガニメデ上のコロニー建設に携わるのが子供の頃からの夢でした」と嘘っぱちな夢を語った。面接官はそれを聞いてやる気のある若者だと満足したように頷いた。私は絵が描くのが好きなんです、なんて話はどの面接でもしなかった。
と語るシーン、これは誰しもがこういった経験はするだろう。就職の面接では自分を押し殺していい子に仕立て上げる。その一方で本当にやりたいことはひた隠す。それが社会人なんだと。これは読者の共感を誘うという意図ももちろんあるが、私としては冒頭で述べたとおり、現代起こっていることは200年後のガニメデでも同じことが起きうると信じているからだ。それが私の中の世界観というかポリシーというか、まあそんな感じだ。
そしてクライマックスシーン。秋鹿が早勢に「地球に行こう」と迫るところ。
「でも、選ばれさえすれば地球でずっと絵を描いていられるんだよ?すごくない!?」 秋鹿は子供みたいに無邪気な笑顔で布団の上に馬乗りになってそう叫んでくる。実際、秋鹿は高校の時のジャージを未だに着てるし本当に子供みたいだ。俺は秋鹿の体重に潰されてモチョチョの中身が弾けそう。 「ね、二人で地球に行こうよ!Y2Kの爆心地で、私達二人で絵を描いて地球人たちにガニメデのことを教えてやるんだ!!絶対楽しいよ!!」
この秋鹿の行動は前掲したイラストの女の子を思い浮かべながら考えている。思い浮かべるときはあの絵柄のまま、アニメ映画を見ているような感覚でシーンを想像する。この子だったらどういう行動に出るだろうかと。
ジャージを着て外を出歩くことに躊躇なく、無遠慮なんだから当然、彼氏の部屋には当たり前のように入ってくるし、ハイテンションのままで自分の考えてるアイディアだけ一方的にまくしたてるだろう。秋鹿のここでの喜びは、きっと早勢もこの素敵なアイディアに同意してくれるはずだと信じて疑わないし、信ずるまでもなく同意するのは当たり前だという気持ちになっている。
それに対して早勢、つまり私自身は冷静だ。合理性の人間だ。絵描きなんかよりも楽に稼げる仕事があるんだから、そっちをやればいいじゃないか。仕事をしても絵は描けるんだし。そう思っている。
「地球ったって…。俺、内定承諾しちゃったし。それに、絵描いても全然数字伸びねぇんだもん。リアクションもリノートも。秋鹿とは違うよ」 一瞬、秋鹿の動きが止まる。 「数字を伸ばすために絵を描いてたの?」 秋鹿はそうやって、「おばあちゃんのお耳はなんでそんなに大きいの?」って感じの無垢な目で俺の顔を覗き込んでくる。やめてくれ。そういう目に俺は弱い。 「いや、違うけどさ…。でも、神絵師になるためには伸びる絵が描けなきゃ。俺は秋鹿みたいにはなれないよ」 「どうして?なんでそんな事を言うの?私は早勢の絵、好きだよ。大っ好きだよ」 秋鹿はそうやって布団ごと俺を抱きしめてくる。
早勢の結論はもう決まっている。地球になんて行けるわけがない。だから、それを秋鹿に分かるように説明を試みる。実際、数字見てみろよ。俺の絵、伸びてないだろ?お前は伸びてるけど。俺は無理だよ。そう言う。諦めさせるための方便でもあるが、本心でもある。しかし秋鹿は受け入れない。自分のことしか考えず、自分が楽しいことは早勢も楽しいはずだと信じているから。この子供っぽさと元気の良さが秋鹿のキャラクターを示す一番の特徴なので、それをここでは強調している。
「早勢の絵、好きだよ。大っ好きだよ」そうやって布団ごと俺を抱きしめてくる。これは私の願望だ。私も、だれかにそうやって絵を褒められたい人生だった。まあ、誰しもがそう思うのだろうが。
一方で秋鹿は若干の不安をにじませている。どうしてそんなこと言うの?からの、大好きだよ、という抱きしめは自身が抱いた不安を打ち消すための行動であるとも言える。それを早勢に悟られないように安易に好きという気持ちを表現する。好きといえば相手が受け入れてくれるはず、考えを変えてくれるはず、そう思っている。そこでも秋鹿が純真無垢で無邪気な性格を表している。
しかしながら、残念ながらこれは別れの話だと最初に決めたので、起承転結に従って別れる方向に持っていかないといけない。
「もー無理だよ。二日酔いでいきなりそんな議論ふっかけられても訳わかんねぇよ。一番訳分かんねぇのはその地球に行ってクリエイターになるとかいうその紙だよ。地球で絵を描くとか、本気で思ってんの!?」
「えっ」
秋鹿の攻撃が一瞬で止んで、それで俺はしまった、と思った。
「…そうだよ」
秋鹿は自信なさそうに言った。その秋鹿の顔は、あのとき漆黒フェスの受付で泣きそうになりながらバッグの中を手探りで探してるあのときの顔だった。
「だめかな?」
秋鹿はそう尋ねた。だめじゃない。だめじゃないけど、その道は秋鹿にしか通れない道だよ。俺はそう言いたかったけど、もう声も出なかった。
ここでも秋鹿のキャラクター設定を重視している。秋鹿は好きなことにはすぐに熱中して我を忘れてしまうが、しかし本来はチケットを無くして半べそをかくような二面性をも持ち合わせている。この物語のもう一つの結論は「秋鹿はあんなに元気を周りに振りまいてるけれども、本当は静かなカフェで絵について語り合っていたい、そんな子だった」という気付きなので、そこに対する伏線というか、説得力を持たせるために書いたシーンだとも言える。もちろん、別れを決定的にするシーンだから、二人共ショックを受けなくてはならない事情もある。さらに言えば、「だめじゃないけど、その道は秋鹿にしか通れない道だよ」というのは私の本心でもある。作家として生きていくには「割の良い仕事をしたほうが良い」という小賢しさがあったら駄目かもしれないな、という気持ちが私の中にある。それも私が商業作家を目指していない一つの理由だ。
以上のように、すべての理由が合理性を持ってこのシーンに凝集できたと個人的には思う。この小説はこの別れを決定的に感じさせるこのシーンを書くためだけに存在したと言っても良い、と考えている。私が書いたすべての文章はそうしなければならない理由と合理性がある。理由、合理性、根拠、そういった理系の発想からどうやって人間的な感情をひねり出せるか、そういった点を気にかけながら文章を考えている。
ここまで書いてしまったらあとは消化試合のようなもので、正直私も身が入らなかった。すでに書くことは決まっていて、タイムラインの流れる速度からお互いのすれ違いに気づくということを書くだけだから、あまり悩んだり推敲するところもない。
ただ一つ語るところがあるとすれば、
そのメッセージを最後に、秋鹿はartサーバーから姿を消した。原子力イオンエンジンをふかしてガニメデ周回軌道からホーマン遷移軌道に移り始めた宇宙船は、黒い空を見上げてもどこにいるのかさっぱりわからなかったし、昨今は公共放送でもいちいちシャトルの発着を中継することはしなくなっていた。
この文章である。ここは個人的に気に入っている。
私の好きな漫画で弐瓶勉の「バイオメガ」があり、そこで地球から火星に向かう恋人を見送るシーンで「軌道上から飛び立つ船は地表からは見えなかった」というモノローグがあり、この一文がすごく気に入っていた。
このセリフをそのまま当てはめてもこのシーンは成立する。このくらいであればオマージュとして許される範疇ではあると思う。ただ、私はよほどのことが無い限りそうしたくはなかったし、高校生の頃からずっとハードSFを書きたい、つまり科学考証に耐えうる小説を書きたいと思っていたので、もう少しここに肉付けをして自分の言葉に仕立てたかった。
したがって、「原子力エンジン」で「ガニメデ周回軌道」から「ホーマン遷移軌道」に移るという一文を入れた。200年後の世界では原子力で発生させた電気をエネルギー源とするイオンエンジンは実用化されるだろう。そしてそのような世界にあっても、周回軌道からホーマン遷移軌道を経由して地球に向かうという経路は今と変わらず使用されるだろう。人間が乗るような宇宙船でイオンエンジンの推力で実用的な加速度が出せるかどうかは検証する必要があるが。
なおかつ、こういった単語を読者は知らなくても、なんとなくSF的な雰囲気は感じ取ることができる。分かる人は分かるし、知らなくても雰囲気を感じ取れる要素になる。
「黒い空を見上げてもさっぱりわからない」は、まずガニメデの空は空気がないので黒い(だからコロニーは与圧されていて、星空は光を透過するガラスのような素材越しに空を見ている)という事実の説明とともに、ここが地球ではないということを端的に説明している。そのうえで、反対に「さっぱりわからない」という、口語的な表現をすることで主人公は宇宙船に対する見識が深いわけではなく、普通の一般市民だよという説明で一旦科学の世界から馴染み深い世界に引き戻す。
結びに、「昨今は公共放送でもいちいちシャトルの発着を中継することはしなくなっていた」と説明を入れる。つまり、過去は宇宙船が発着することは珍しく、その都度テレビでも中継していたということだ。現在ではガニメデに地球人が新たに入植してくるから交通は活発になっている。先進的な宇宙船が単なる物流へと変わりつつある未来の姿を示しているというわけだ。
と、ここまで読むと「そこまで理解せなあかんの!?あほくさ、めんどくさ」と思う人も多いと思う。もちろんそういうことではない。私としては、ミニマムでは件の起承転結がArtサーバーの内輪ネタとともに伝わればいいな、と思っている。一方でSFが好きでSFを楽しめる人には深読みできるだけの余地を残しておいた、という意図である。さらに言えば、入口である男女の別れというありふれた話から、SFにちょっとでも良いから興味を持ってもらいたい、という意図も含んでいる。
以上のような私がSFを書いていて伝えたいことすべてが恐縮しているのが、
そのメッセージを最後に、秋鹿はartサーバーから姿を消した。原子力イオンエンジンをふかしてガニメデ周回軌道からホーマン遷移軌道に移り始めた宇宙船は、黒い空を見上げてもどこにいるのかさっぱりわからなかったし、昨今は公共放送でもいちいちシャトルの発着を中継することはしなくなっていた。
という文だった。色々込め過ぎたおかげで、若干くどい表現になってしまったのかもしれないとは反省しているが、しかしそうであっても私はこの文章を入れたかった。
と、いう感じです。
「光の速度」というタイトルについては非常に不満でした。良いのが思いつかなかった…。最後に決めましたが、良いのが思いつかなくてもうこれでいいや、と公開してしまったのでした。
書き始めたら小説が8500字に対して、この記事は約二倍の17000字弱になってしまいました。合わせて3万字弱…。
こんな文章読む人居るのか?と思うのですが、読んで頂けたなら幸いです。MisskeyやTwitterで感想や意見交換などしていただけると大変ありがたいです。