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コミカベル誕生までの経緯

この文章は「コミカベルってこういうものです」ということを説明するものでは なく 、単に記録と読み物として楽しんでいただくために書きました。

同じ事を何度も書いたり話したりすることがあったのでまとめておきたいという意図もあります。

創作前夜

「コミカベル」に関わる記憶の中で私の一番古いものは『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のノベライズでした。この本が正式に何というタイトルだったのかもう覚えていません。おそらく1997~8年くらいに読んだと思います。

中学で読書感想文を書かねばならず、本が大嫌いだった私は渋々で適当な本を見繕って読んでいたのですが、友だちがこち亀のノベライズの読書感想文を書いていてずるい!!ほぼ漫画じゃん!!と思った記憶があります。すこし見せて貰いましたが、「小説がある程度続いたあと、10ページに1枚くらいの頻度で突然原作こち亀の一ページが差し込まれる」という形態でした。なので、描かれているエピソードは原作準拠のストーリーでそれをそのまま小説にした、という形態です。

漫画が差し込まれる前の数ページの文章に対応する漫画が差し込まれており、読書体験としては「文字情報で見た後、同じ流れを漫画でも見る」みたいなものでした。

私がそれを読んだ当時の感想としては「漫画の方が面白い」でした。ただ、こういう本の形態は珍しかったので何となく記憶には残っていました。

それから高校生になっていわゆる「テキスト系サイト」というもの(ブログみたいなもの)や、2chのオカルト板にハマっていて、自分でもテキスト系サイトを開いて文章を書いていました。日常の話を面白おかしく書くみたいな感じです。

そんなときにオカルト板で当時見かけたのが「夢日記をつけると狂う」という話で、子供の頃からオカルト好きだった私は「じゃあ夢日記でも付けて狂ってみるか~」と夢日記を付けるのを始めたところ、どんどん壮大なストーリーを見るようになっていき、これは何らかの形でお話として世間に発表できるようにしたいと思い始めました。

その時考えていたのは漫画、アニメ、映画、ゲーム、小説のいずれかでした。ただ、アニメや映画は個人での製作は無理なので早々に検討対象から脱落。当時からパソコンが得意だったのでゲームを作る能力はあると思っていたのですが、当時のゲームというのは個人が開発して多数のひとに遊んで貰うという仕組みが無かったのでゲームも脱落。すると、漫画と小説ということになります。ただ、小説は根っからの本嫌いだったので漫画しかないかな……という思いでした。

「小学生の時よく絵を描いてたから世間の平均以上は画力があるやろ」という雑な思い込みで大学に入ってからは漫画を書いてみてはいました。お絵かき掲示板で全部手書きで描くようなスタイルでした。ただ、それでもかなり大変な作業であり、色々な事情があって描く暇がなく止めてしまいました。

創作活動の開始

私が本格的に創作活動を始めたのは実は30代を過ぎてから、37~8歳とかそのくらいじゃないかなと思います。普通の人よりもかなり遅いと思います。そこに至るまでにテキスト系サイト、ブログとずっと自分で文章を書くということはやっていました。その内容は製品やサービスのレビューだったり自分の考えについての表明だったり日常的な話題だったりなどで、特に創作というものはなかったです。

ブログなどの文章を褒められる機会は結構多かったので調子に乗った私は「これで小説もいけるんじゃね?」と思い、初めて本を作ったのが2022年の11月でした。

私の人生哲学、行動指針みたいなものがいくつかありまして、それは「鶏口牛後」だったり「世間の人と同じ事はやらない」だったりします。自分はスペシャリストではなくゼネラリストであって、どの分野でもトップには立てないがどの分野でも赤点は取らない、みたいなところが強みだと考えていました。

なので、漫画とか小説というジャンルにおいて正面から技術力と創作力とセンスで殴り合う正規軍の正面衝突みたいな戦い方は避ける傾向にあり、代わりにゲリラ戦というか山に籠もって地の利を利用して局所的に高地を占領するみたいな戦い方を好み、また、スキル的にもそちらの方が向いていると思っています。

そういうわけでこの小説も「表紙、小説、挿絵全部私が作りました」というのを売りにしていました。

この頃から「絵と文」という言葉を活動の中心に据えました。私は絵と文章の両方をやり、それが融合された状態を理想型とする、ということを漠然と考えていました。ただ、その理想型がなんなのかはまだはっきりとしたイメージが無かったです。せいぜい挿絵付きの小説、グラフィックノベルというものを想像していました。

今改めて見ると挿絵は本文とは全く関係ないものもあり、かなりちぐはぐな印象を受けます。おそらく「絵も文も見てほしい」という気持ちがあってその当時描いていた絵の中で気に入ったものを適当に載せていたんだと思います。

二冊目の本はより一般的な「挿絵付きの小説」だったと思います。

B6で350ページもある本でした。挿絵は7枚くらい入っていたと思います。

縦書きの辛さ

元々本嫌いだった私に取って、実は縦書きというのはあまり好きではないフォーマットでした。

本が抵抗なく読めるようになってからも好んで読んでいたのはSF小説であり、数字と単位、アルファベットが出てくるようなシーンでは単純に縦書きの本というのは読みにくいものでもありました。

さらに、私はインターネットネイティブな世代なので、私が読んでいた文章というのは圧倒的に横書きが多かったというのもあります。

それに加えて技術書や工学系の教科書は横書きが当たり前ですし、卒論も修論も横書きのTeXで仕上げました。そういった経験もあり、むしろ私にとっては小説であっても横書きの方が見やすい、書きやすいフォーマットでした。

ただ、これは少数派だと思います。ほとんどの人は小説で横書きというとむしろネガティブな印象を持つ人が多いのではないでしょうか。私がよく言われたのは「横書きだとケータイ小説っぽくてクオリティが低いんだろうなと思ってしまう」ということでした。

初めて私が作った横書きの本というのは「絵と文」という本です。これはその名の通り、私が絵と文にこだわる理由をつらつらと描き重ねていくエッセイとなっています。

これは Vivliostyle という組版ソフトを使用して作りました。

もともとはTeXを使って本を作っていたのですが、TeXのコマンドを駆使するのがあまりにも辛く、Markdownで書きたくなって移行した次第でした。ただ、当時は縦書きのフォーマットだと期待通り動作しなかったり、そもそもCSSで縦書き組版を行うための知見が私に欠けていたり、フォントのいくつかのグリフが対応していなかったりなどなどの問題があってここで横書きをすることを決意しました。

横書きでの製作は私に取っては本当に楽でした。アルファベットやアラビア数字を自然と記すことができ、横書きならば組版の設定も大幅に楽になりました。

その後、WYSIWYGな環境で編集を行いたいと思い、Affinity Publisherで本を作ったこともありました。

Affinityシリーズは縦書きに対応していません。縦書きの本を作るならばその時点でAffinityは選択肢から外れてしまいます。その時、私はAdobe CCを契約していたので InDesign も使うことは出来たのですが、Adobe製品に嫌気が差していたのと大して使わないのにあの金額を払い続けるのがバカバカしくて、Adobeを使うのはなるべく避けようと考えていました。

と、まあ「縦書きをやめると組版ソフト・組版ツールの選択の自由度が大幅に増し、難易度は下がる」というのが個人的な体験として記憶に強く残っているというのは確実に言えるかなと思います。

漫画

この頃から漫画に挑戦し始めました。『キョンシーに優しく』は初めて作った漫画で、半分が漫画、もう半分が小説という構成です。後付けでこれもコミカベルである、ということにしています。

漫画のほうはセリフ無しでストーリーが進み、たまにモノローグが入るような形態です。前半の漫画はすこし謎めいた終わり方になっていますが、後半の小説を読むと意味が分かるという仕掛けになっています。後半の小説はWikipediaのような文体で発生した事件や歴史を淡々と紹介するようなものでした。

ちなみにこれはコミティアの出張編集部に持っていった(前半の漫画部分だけ見て貰った)のですが「そもそも評価不能である」「こんなものは漫画じゃない」「漫画にはルールがある。作者が好き勝手に漫画という原理を作っても読者はついていけない」「特にこのモノローグは同人作家は本当に好んでよくやるけどコマの外に文章があるなんて文法は漫画には存在しない」などと酷評されました。

また、この本ではないのですが別の漫画を褒めて頂いて一時期担当編集さんと熱心にネームのやりとりをしていた時期もあったのですが、それも結局は連載会議(というものがあるらしい)で「漫画力が無い」などと酷評され、そもそも漫画を作る経験値、能力値が不足しているので商売にはならないみたいに言われたこともあります。

そんな感じで、私の経験上は漫画ではまったく上手くいかないのだけれどもそのほかでは仕事に繋がったという対照的な経験があり、やはり私は純粋な漫画を描くというのは向いてないなと思うようになりました。

こうして今までの人生経験を振り返ってみても、やはり絵や漫画を褒められた経験よりも文章を褒められた経験の方が圧倒的に多いので、私が勝負すべき主戦場は絵や漫画ではなく文章であって、絵はストーリーを説明する付帯物として考えてあまり熱心に関わらない方が良いなと考えています。

ただ、絵を描くということは面白いのでついついやってしまうんですよね。

横書きへの愛着と漫画への思い

『キョンシーに優しく』は漫画と文章が融合した本であり、活動初期より掲げていた「絵と文」の両方が一連のストーリーとして一体化している本ではありました。ただ、個人的には改善点が多いと考えていました。

一番の課題は「絵と文の相乗効果が無い」ということです。「前半が漫画、後半が小説」という形態だとただ同じテーマの漫画と小説がある本、というだけという印象になってしまい、要するに二冊の本が一冊に合体した以上の意味を感じられなかったのです。

それと同時に一つの執着として残ったのは漫画への思いです。何本か漫画を描いたことで、私は漫画を描くことそのものに対する魅力に取り憑かれてしまったのです。その起源は前述したように高校まで遡ります。

なので、一時期は漫画だけでやっても良いんじゃないかとも思いました。別に商業出版を目指しているわけではないので、私が好きなように漫画を描いていればいいのではないかと。でも、やはり「文」も遡れば中学生から続けてきた活動です。文章を書くのはもはや好きとか習慣だとかいう話を超越して、私の人生の一部を構成しています。

もう一点、相反する気持ちですが漫画を描き続けるのは意思があっても不可能だな、とも思いました。単純に漫画を作るための製作工数が大きすぎて働きながら製作するのは本当に辛いのです。何本か描きましたが、こんなことを続けていたらいつか死ぬと本気で思うようになりました。

ここで思い出したのは中学生の頃に読んだ『こち亀』のノベライズです。文章があり、漫画があった。けれども、『こち亀』のノベライズに関しては小説と漫画が効果的に繋がってはいなかったと思いました。小説があって、同じシーンを再演する漫画のページがある。既に読んだ情景を漫画で確認する、みたいな読書体験となっていてこれはイマイチだなと感じたわけです。

ならば、小説と漫画がシームレスに繋がれば良いのでは?そうすれば文章も絵も表現できる上に漫画(の簡易版のようなもの)も無理なく書き続けられるのでは?そう考えました。

つまり、小説→漫画→小説→漫画 と繰り返されていて、その漫画はそこまでに読んだ情景を単に再演したり別の角度で説明したりする役割では無く、漫画と小説両者が説明しているシーンは排他的である、という構成です。この絵と文がシームレスに繋がる読書体験というのは私の理想に近いのではないか。そこで comicalized novel 略してコミカベル、とこれを呼ぼうと決めました。

ただ、後に comicalized というのは和製英語であると知り、単に comic + novel で comicovel とした上で読み方は「コミカベル」である、としました。

コミカベルとして設計した最初の本

まずこれを実験的に取り組んでみる本として、『夕焼けは星空』を製作することとしました。これは2200年代の地球と木星系を描いたSF短編集です。それ以前に同様のテーマの『夕焼けとほしぞら』という本を以前製作しており、当初は『夕焼けとほしぞら 2』として作る予定だった本ですが、『夕焼けとほしぞら』は完売後再販するつもりがなかったので、その内容を取り込み新しいエピソードを追加した上で新しい本として販売しようと考えた次第です。その形態は先に説明したように『こち亀』ノベライズの改良版として設計しました。

この本は2026年の4月ごろに発売される予定でしたが、結果的には10月に販売されることとなりました。

その間に二つの印象的なことがありました。

一つは Sergio Toppi という漫画家の Saint-Acheul, 17 ; Comme un ours en furie ; Myetzko という本に触れたこと(何と読むのか分かりません)。いわゆるバンド・デシネの一つです。バンド・デシネというもの自体私は初めて触れたのですが、圧倒的に緻密に描き込まれた絵と自由なコマ割は日本の漫画にはないものであり新鮮さを覚えました。イタリア語なので私は読めないのですが、それでもなお登場人物の表情により戦場の狂気と恐怖が一目見ただけで伝わってくる、非常に説得力のあるものでした。

このとき思いだしたのは出張編集部での体験です。あの時私は自分の本を見せて「これは漫画ではない」と言われましたが、おそらくToppiのバンド・デシネも日本の漫画基準では読みにくく分かりにくく、暗く、登場人物が分かりにくく商品にならないという評価を受けるんじゃないかと思いました。偉そうなことを言いますが、出張編集部で言われたことが心底馬鹿馬鹿しく感じたのです。

もっとも、「コミティアの出張編集部に持っていく」という行為の前提には「日本での商業出版がその延長線上にある」という暗黙的な共通認識があります。私は日本の漫画の編集部に持っていったのですから、日本の商業漫画の基準で評価されるのは当然のことです。その点でその時言われた言葉は妥当な指摘であると今でも考えておりますが、しかし、感覚的には前述のようなことを思ったのも正直な感想です。

その結果、そもそも『こち亀』のノベライズの改良、という点にこだわらなくても良いのではという気持ちを持ちました。そもそもその考えに至った背景としては、「世間でそのようなフォーマットが現在流行っていないにせよ、過去に商業出版された経緯はある」というある種の既存の実績を踏襲したいという気持ちもあったからです。でも、世界中にはいろんな本があるんだから日本の漫画の商慣習やロジックにこだわる必要は無いと思ったのです。

そしてもう一つの印象的だったこと。この時期に私は別の活動をしていて、私が考えたストーリーを何らかの形で他の人に伝える必要がありました。その時はとにかく製作時間が確保するのに苦労していたのですが、しかし頭の中にあるアイディアはどうにか伝えたいと考えていました。

その時、ストーリーを伝えるフォーマットは先方から特に指定されていなかったので、私がとにかく作業を高速に進めるために取った方法は「横書きの Google ドキュメントにストーリーとその説明のイラストを交互に入れる」というものでした。そしてそのイラストはそれまで漫画を熱心に描いていたこともあって、意識せずともコマ枠の中に収まるような形態になっていました。

この作業が一段落してからしばらく経ち、『夕焼けは星空』の製作に戻ったとき。頭の中にあった点と点が一気に線となって結びつきました。

  • 漫画を描きたい
  • 絵と文章をシームレスに結合したい
  • 『こち亀』の漫画と小説が交互にやってくる形式
  • Toppiの左開きのバンド・デシネ
  • 直近で実施した「Google ドキュメントにストーリーと絵を交互に入れていく」方法
  • 横書きの文章に対する気楽さと信頼(技術書や卒論などによる)
  • 組版ソフトにおける横書きの気楽さ

ここから以下のようなものをコミカベルとして定義しよう、と考えました。

  • 左開き・横書きの本である
  • 漫画のコマと文章がシームレスに繋がる
  • 1ページの中に漫画と文章が混在している

出来上がった『夕焼けは星空』は以下のような感じです。

ただ、出来上がってから思い出したのですが、この形態は実はすでに以前にもエッセイ本にしていたのと大差無いんですよね。以下に再掲します。

色々試行錯誤して最終的に行きついたのは私が「縦書きの組版が難しいから」という理由で横書きに逃げた本とほとんど同じものでした。

『夕焼けは星空』は作り終わったあとで振り返ると反省点や後悔も数多く残っているのですが、それは次のコミカベルを作る時に改善していければな、と考えています。

コミカベルの定義をゆるく

コミカベルという定義を決めたときにいくつかのSNSでこのブログ記事を投稿したのですが、自分が想定した以上の反響がありました。

それを受けてすぐに私はコミカベルの定義をゆるくし、

  • イラストと文章で構成されていること
  • 漫画と文章作品の中間的な読書体験を狙ったもの

としました。横書きであるとかどうとかそういったものは関係なく、作者がこれはコミカベルだと思えばコミカベルで良い、というふうに定義を差し替えました。

なぜかというと、コミカベルという名称自体はセールス・マーケティングのための用語だと思っていたからです。これも以前から問題意識があったのですが、コミティアや文学フリマの場で私が説明するトークスクリプトというのは

「これは挿絵付きの小説なんですよね。私が小説、表紙、挿絵の全てを作ったので表紙と内容の世界観がマッチしていると思ってます。なので表紙を見て気になって頂けたのであれば、中身もきっと気に入って頂けると思いますよ」

というものでした。

これは単純に何度も話すのがしんどいです。一つのイベントで何十人も来るわけですから。だから、上記と同等の情報を「これはコミカベルです」というキーワードで代替したかったわけですね。

と、同時にプレイヤーを増やしたいとも思っていました。私が一人やっているだけなら変わったことをしている人が一人居るだけですが、みんながやれば取り組んでくれるひとは増えていくと思っています(SNSでの初動の反響も考慮すると)。そしたら「コミカベル」というジャンルが受け入れやすくなると思ったのです。

これは私の利益になります。絵と漫画が一体化した本って何?意味が分からないんだけど…。みたいな反応をされるよりは「ああ、コミカベルね。最近よく聞くね」という反応を貰えた方がお得なわけですから。

そのためにはコミカベルの定義を私がいちいち論ずるよりも文章と絵があって作者がコミカベルと思えばコミカベルだし、既存の本もコミカベルだと思えばコミカベルです、というくらいの緩い定義にして参加障壁を極限まで低くするのが良いかなと考えました。

というわけで急遽作ったのがこのコミカベルのLPでした。

そういうわけで

私が一連の流れでSNS上の反応を見て感じたのは、やっぱりみんな文章と絵の両方をやりたいんだ、ということでした。であればそのジャンルがどんどん盛りあがってくれたら嬉しいなと思います。コミカベルという名前は私が考えたものの、前述したようにそれはあくまでもセールス・マーケティングに必要なものだから作ったのであって、結果的に別の呼称が広まるならばそれでも私の目的は達成できるので良いかなと思っています。

一方で、文章と絵の両方をやるプレイヤーが増えなければならない、というのは私の目的を達成する上でマストだと思っています。なので一人でもそういう活動をする人が増えると嬉しいなと思い…。

そして最後にもう一つ。

私は小説と漫画の中間地点にいたので漫画を描く人と小説を書く人、両方の話を聞いてきましたが、小説を書く人からは「絵を描きたい」「絵を描いてくれる人が必要」という話があり、漫画を描く人からは「ストーリーが思いつかない」「誰かのネームや原作があるとありがたい」という話が結構ありました。

小説と漫画、いずれか一方しかやらない人であっても、「コミカベルを作りたい」という名目の元で話を書く人と絵を描く人の分業がアマチュアの世界でも広まると面白いと思いますし、そういうマッチングと交流が生まれることでさらにこのジャンルは活性化するのでそういうこともあったらいいな、と感じます。

ただ、真逆の考えなのですが、私はクリエイターという存在は基本的に個人プレーを好む人たちの集まりで、本当の意味での協力というのは生まれにくいんじゃないかとも思っています。創作というもの自体が本来独善的であるとともにそれが最大の魅力であって、人が増えていくごとに考えがブレて平均的でつまらないものに近づいてしまうのではないか、という仮説を持っています。あくまでも仮説で本当にそうなのかは分からないのですが。

まあとにかく、少しでもコミカベル、絵と文の融合に興味を持って本を作ってくれる人が増えれば良いなとそういう話でした。終わり。

ちなみに、今回の記事で紹介した本は booth にあります。『夕焼けは星空』は10月以降に通販開始予定です。

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