【質問#224】恋愛の話が苦手
質問・悩み相談の回答です。
質問
有理さん、こんにちは。今回相談させていただきたいのは恋愛(ができないこと)に関することで、有理さんはご家庭を持っていらっしゃるのでこういう質問をするのもどうかと思ったのですが、よろしければ答えていただけると嬉しいです。
私は現在23歳の女ですが、他人に恋愛感情を持ったことがなく、したがって誰かと交際した経験もありません。恋愛したいとか結婚したいという気持ちもありません。 両親には「私があなた方に孫の顔を見せられる可能性は極めて低い」ということは伝えてあり、「まあ、別にいいんじゃない」という反応だったので、身内から圧をかけられている状況ではないです。
しかし、SNSで流れてくる結婚報告とか惚気投稿、それに対する肯定的な反応の数々を見ると「恋愛に成功している我々のみが本当の幸福を掴んでおり、創作や読書といったせせこましい趣味に生きがいを見出しているお前の幸福など偽物である」と言われている気がして苦しくなります。 誤解のないよう言っておくと、私はリア充全員死ね、既婚者全員死ねと思ってるわけではないです。変にテンションが高くない日常投稿なら大丈夫で、子供の話とかはむしろ好きな方です(有理さんの娘さんの話もかわいくて好きです)。幸せでしょ感が強い投稿だけ本当に苦手で、そういう投稿が多い人はブロックしてしまいます。 本当に苦しいのは惚気の内容そのものというより「恋愛は素晴らしいものである→それを祝福できない人間は性格が歪んでいる」という図式の方かもしれません。子供の頃から付き合いがある従姉に彼氏ができた時とか同棲することになった時とかは、ああ良かったなぁと思えたのですが、それ以外の人に対してはそういう風に思えません。 あまり他人に関心が持てずリアルの友人は一人もいないので、まあ実際歪んでるのかもしれませんが…
前置きが長くなりましたが、アドバイスをいただきたいのは、こういう惚気とか恋愛最高!みたいな空気に直面した時にいちいち動揺しなくて済むにはどうしたらいいのか、ということです。すごくしょうもないことですみません。
回答
本件は「SNSで恋愛・結婚の話を聞く」というところがポイントなのかなと思いました。 質問者様がこのような感情に至るのは性格が歪んでいるからではなく、人間ならば誰しもがこういった思考に陥るのは仕方がないのではないとも思います。
まずは恋愛・結婚に限らない、より一般化した話をさせて下さい。 昨今はSNSが発達したこともあって、惚気などその類の話が沢山見えるようになりましたね。
例えばSNSでは以下のような自己顕示欲、虚栄心の発露の結果が観測できますね。
- 彼氏・彼女・旦那・妻の素晴らしさアピール
- 惚気
- 資産・家・車・バイク・カメラなどの高額な財産・資産・消費財を所有しているアピール
- おしゃれないい飯を食っているアピール
- 綺麗な観光地での自撮り
- より深い知識を持っているというマウント
- 著名人と知り合いであるというアピール
- 流行る前からその対象のことを知っていたという報告
こうした話は程度の差はあると思いますが、大抵の人にとっては、快・不快で二分するならば不快のほうに位置する話と思います。 なぜ不快に感じるのでしょうか?つまるところ、これらはようするに自慢話であるということに尽きます。
人間は自慢話を不快に感じる生き物です。その理由は単純にマウンティングという行為全般が不快だからでしょう。
他者との会話や交流が楽しいと感じるためにはいくつか条件があります。その最も重要なものはお互いにリスペクトがあり、対等な関係であることです。
例えば会社のすごく偉い人と話したり、仲良くない先輩と話したりするのってそんなに気持ちい事では無いですよね。相手がいくら紳士的な対応をしていても、ある程度の緊張は残ると思います。その原因は、対等な関係では無いからです。
逆に言うと、話やすい上司や先輩というのも存在するとは思いますが、そういう人はたいてい対等な立ち位置で会話できるように工夫してくれているか、もしくは仲が良くて実質的に関係性に格差が生じていないかどちらかであると思います。
つまり、生き物は格差を感じさせる相手は嫌だと本能的に感じるものです。全ての生き物はもともと同種族で競争してきたので、本能的に勝てる相手かどうか、というのを頭の中で計算してしまうのだと思います。
そしてマウンティングというのはまさにその対等な関係、お互いに対するリスペクトに真っ向から対抗する行為であって、ここに不快感を感じるのは致し方ないのです。
一方でマウンティングをする側は気持ちが良いです。これもまた競争本能に依拠する自然な感情であると思います。弱いものいじめが蔓延ったり、ゴシップで楽しめるというのもマウンティングしたい、優位に立ちたいという気持ちが根底にはあると思います。
SNSではその緩やかな匿名性も相まって、自己顕示欲、虚栄心に基づいた自慢・マウンティングが蔓延りがちです。
マウンティングするのは気持ちよいがされるのは嫌だということを社会性がある人は理解しているため、理性で自制心が効きます。しかしSNSで匿名であれば自制心は弱まる上に、嘘や誇張をしやすい環境が整っているため、マウンティングや自慢が蔓延るという状態になっていると思います。
こういう自慢全般に関して我々がどういう心持ちでいればいいのか。
まずは、不快な気持ちそのものは本能的なものでこれが生じるのは仕方がないことを受け入れることが肝心と思います。
その上で、結局自慢するような人は大したことない人たちだと観察によって明らかにすることも大事だと思います。
所詮、自分の気持ちよさのために相手に不快にさせる人たちです。そういう人たちはどういうコミュニティに属しても嫌がられるでしょう。
冒頭に挙げたような自慢・マウンティングを大別すると、
- パートナー・人脈の自慢
- 資産・財産・地位の自慢
- 知識・見識・経験によるマウンティング
という感じになるかなと思います。
恋愛の話に関しては特に誇張も多くなりますし、どの話も自慢している人自身の価値や業績ではなく、結局は相手がすばらしいという話に帰結する内容だと思います。つまり、話していることが誇張なく正しかったとしても、それは他人の人格や行動のよさの話なので、その人自身の業績や価値ではないのです。
おそらくは「そのようなすばらしい人を捕まえた私に価値がある」と暗黙的に言いたいのでしょうけれども、SNSでパートナーの自慢をしてマウントしている時点で、自分自身には誇れるべきところがないからそうしている、とも言えます。そもそも相手を不快にして自分が気持ちよくなるような行為をしているわけですから人格的にも優れているとは言いがたいでしょう。
残り二点については詳細に書くと長くなるので割愛しますが、基本的な構造は同じです。金を稼いでいること・資産があることがその人の能力の証明にはならないですし、ネットで見かける知識マウントも結局は雑学・豆知識レベルで聞きかじった内容を偉そうに語っているだけなので本人が高い専門性を持っていることを示しません。
こうした自慢が嫌だ、見たくないと思う背景にはそもそもこうした話が不快であることに加えて「その人の業績・価値を認められない自分の心が狭いのだ」という自己嫌悪に陥るというダブルパンチが影響しがちです。
しかし、そもそもこうした話で自慢話を語る人は大したことがないのでその人の業績・価値を認められないという自己嫌悪に陥る必要は無いと言うことです。褒め称えたり認めるべき業績・価値がそもそもないのです。
では、本当に褒め称えたり、その人自身の価値や素晴らしさを認めるような話とはどういうものでしょうか。私が思いつくものを挙げてみます。
例えばスポーツ選手が自らの努力で偉業を成し遂げたとか、経営者がその手腕を発揮して会社を成長させているとか、人と比べて大きなハンデを背負っているがそれをはね除け一定の成果を出したとか、あるいは人柄が良くてみんなに好かれているとか、毎日歩道を綺麗にしているボランティアとか、普通に仕事をしていたけれども国が他国からの侵略を受けて銃を持って戦っている人とか、そこで傷ついた人たちを助ける医師団とか、誰もやりたくないけれども誰かがやらなくてはならない業務を巻き取ってくれる同僚とか、もしくはあなたに優しくしてくれた友だちの行動とか、そういうことが私は本当に自慢できること・賞賛するに値することだと思いますね。
こうしたものはその行動・能力が本人に依拠しています。例えこれらの実績を本人がアピールする場面があったとしても、「マウンティング」という行為とは一線を画し、素直にその業績を褒めることが出来ると思うのですがいかがでしょうか。でも、そういう人たちって大抵は自慢しないんですよね。こういった姿がなお、心から尊敬できると思います。
以上、ここまで話してきたことを踏まえて配偶者・恋人自慢をしている人のことを考えてあげましょう。
ご質問の内容は
惚気とか恋愛最高!みたいな空気に直面した時にいちいち動揺しなくて済むにはどうしたらいいのか
ということでした。
私はリア充全員死ね、既婚者全員死ねと思ってるわけではないです。変にテンションが高くない日常投稿なら大丈夫で
と書かれており、また、
幸せでしょ感が強い投稿だけ本当に苦手
とも書かれています。
既に述べたようにSNSでは空虚な自慢・マウンティングが蔓延りがちですが、そのような投稿に不快感を抱くのは生き物として当然であると思います。
一方で、空虚な自慢・マウンティング ではない エピソードである
子供の頃から付き合いがある従姉に彼氏ができた時とか同棲することになった時とかは、ああ良かったなぁと思えた
こちらのほうがよりオーガニックな感情だとも思います。
SNSとは異なり、実際の親族や物理的実態のあるコミュニティではちやほやされたいというバイアスがかかっていない生の現象を見ることができます。その時に「良かった」と思えたのであれば、こちらの感情の方が本来の姿に近いと言ってよいと思います
ですので、
「恋愛は素晴らしいものである→それを祝福できない人間は性格が歪んでいる」という図式
これはそうではないと思います。
素直に祝福できないのは性格が歪んでいるからではないか、と考えてしまうのは仕方がない事です。しかし実際はそうではなく、 素直に祝えない理由は単にそれが「自慢であるから」というケースがほとんど だと私は確信しています。つまり、恋愛・結婚を祝えない性格のゆがみが存在するのではなく、 自慢だから嫌な気持ちになる がより正確な原因だ、ということです。
もしかしたらその背景にはご自身で恋愛感情を持ったことがない、という一種の疎外感がよりその思いを強くさせているかも知れません。しかしながら、結婚して子供がいる私でもパートナー自慢ばかりしている人は面倒くせぇ奴だな、と思うのでシングルでもカップルでもファミリーでも感じることは同じだと思います。
それを踏まえ、心の動揺を抑える為には以下のことを意識するとよいのかな、と思います。
- 恋愛・結婚の話が嫌なのではなくて自慢話だから嫌だと感じていることを意識する
- 自慢話を聞かされたら誰でも嫌な気持ちになるのは当然である
質問者様におかれましては、「祝福出来ないのは自分の性格のせいではないか」という内省的な考えができる時点で、性格が著しく歪んでいるような人ではないとも思います。本当にやべー奴は全部を他人のせいにします。
自慢話は本人が大したことをやっているわけでもないし、相手が嫌なことに気づかず、ないし、分かった上でやっている社会性のない行為で空虚なものである。
これを意識しつつ、心穏やかに好きなように生活をしていただければと思います。
回答は以上ですが、以下は補足です。
恋愛・結婚に関しては虚構・虚栄・誇張が入った話がとにかく多いです。恋愛・結婚とはみんなが言うほどすばらしいものではないというのが私が今まで生きてきた結論です。創作の世界で恋愛とはすばらしいものであるという恋愛至上主義が語られがちなのも、現実がそうでないことの裏返しだと思います。
たとえば、日本で一生の間に一回以上離婚を経験する確率は3割に上ると言われています。そして実際に離婚した人の影にはもっと多数の結婚に不満を持った人たちがいると考えるのが自然です。不満を持つカップルのうち3組に1組が離婚すると仮定したら、9割の人が結婚に不満を持っているという計算になります。これは非常に高い数値に思えますが、正直なところ私の経験(とそこからくる体感)から考えてみても、あり得ない数字ではないように思います。
これは、人間は他人と暮らす・行動することに一定程度の困難が付きまとうという話でもあると考えています。血のつながりがあって一緒に暮らしある程度の環境・常識を共有してきた親兄弟とだって仲良く出来ないケースが数多あるのですから、生まれも育ちも違う赤の他人と一緒に生活したり行動したりするのは本来しんどいものだと思います。生き物には競争本能があり、人間が二人集まればそこに上下関係と政治が生まれますから、仕方の無いことだと思います。
しかし、そうだとすると人間は生殖が行えず滅んでしまいます。なのでそれを克服するための機能が「好き」という恋愛感情であって、これは一時的に競争本能を覆い隠す一種のステータス異常のようなものだと個人的には考えています。「好き」というステータス異常によって生殖に向かわせようとする仕組みである、そう私は考えています。
目的を鑑みると恋愛初期ではハイテンションになりがちなのも説明が付きます。ハイテンションで盲目的にならないと生殖というリスクが伴って大変な行為はできないのです。すると、ハイテンションな状態で繰り出される話も自慢になりがちな上、盲目的で誇張もさらに入りやすいものになるでしょう。ですから、そういう投稿は「羞恥心なく性欲を発露している人がおるな」くらいに考えておくといいのかな、と思います。
あとこれは本当に蛇足で余談ですが、「人間には競争心があるから政治が生まれ、人間が一緒に暮らしていくのは不快感が伴うもの」と私は考えているので、結婚相手は価値観や趣味が合う人ではなくて、寛容で心が広く、広い範囲のことを許容してくれる人が良いと思っています。