anopara

【質問#222】やり直せない過去の後悔を忘れたい

※この投稿は2022年6月10日に投稿されたものを加筆修正して再掲したものです。

質問・悩み相談の回答です。

質問

有理さん、初めまして。 長年anoparaを愛読しておりますが、相談をするのは初めてです。 私は現在30歳の女ですが、長年ずっと後悔といいますか、自分の中で消化出来ずに苦しんでいることがあります。 こうして相談しようといざ文章にしてみると自分がなんて小さい人間なのだろうと自己嫌悪の気持ちでいっぱいになりますが、 今まで周りに言えなかったことなので、吐き出してみようかと思います。

「忘れたい過去の後悔」とは、高校受験のことです。

当時私は偏差値は58~63の間をウロウロし、内申点もそこそこの中の上?上の下?くらいの成績でした。 猛烈に行きたい志望校があったわけでもないのですが、そろそろ私立の滑り止めはどこにするか決めるか~なんて呑気に考えていたところ、親から「どうせ私立を(滑り止めに)受験したところで通わせる金はないから、公立一本で受験しろ」と言われました。

公立高校を落ちれば、いわゆる二次募集…定員割れを起こしているような高校(もちろん、その中にも素敵な学校もあるかもしれませんが)に行くことになりますし、当時中学3年生ですから、「公立高校に滑り止め無しで受験して不合格に=人生の終わり」というような極端に狭い世界観に生きています。結局、私は自分の普段の実力からしたらよほどのことがなければ落ちないであろうレベルの公立高校を受験し、何とか高校生活をスタートさせることになります。

しかし「私は本当はこんな高校に来たくなかった」という気持ちにとらわれてしまい、事あるごとに、やれ「田舎者だらけの学校(実際ド田舎で本当に周辺には何の娯楽もありませんでした)」だの「行事やら部活やらの勉学以外のことばかり教員ぐるみでやたら一生懸命でキモイ」だの「先生の教え方が下手、どうせ先生たちも大した大学出てないんだ(※当然根拠なし)」だの、学校に対する不満や罵りをひたすら心の中で唱えている根暗な生徒として3年間過ごしました。

結局、四年制大学に普通受験で進学する人は極端に少ない環境で(生徒の殆どが専門学校か世間の大半が知らないような四年制大学への推薦入学でした)、孤独感に耐えたり、勉強してない周りに対する八つ当たりを抑える自信がなく、3年生になってからは出席日数だけ足りるようにしてほとんどの時間は予備校や図書館で過ごしました。体育祭の練習や文化祭の準備に参加しなかったことを咎められたことは今思い出しても腹が立ちます…笑

さて、今思えば、確かに公立高校と私立高校では学費にかなりの差がありますし、実際に私立なんて通わせられないよ、という親の言い分は理解できるのです。ですが、30になった今でも「あの時私立の滑り止めがある安心感の中で、もう少し上の高校に受験出来ていたら?そして合格していたら?」という気持ちが拭えないのです。もっと自分を肯定しながら生きてこられたんじゃないか、と思ってしまうのです。

「履歴書に書く学歴の出身高校が恥ずかしい」みたいなちっぽけな自尊心が傷つくこともなかったし、高校時代に付き合ったが今なお私にトラウマを植え付けた最低なクソ彼氏との出会いもなかったことに出来ます(これは冗談ですが笑)、これから先の人生をずっと支えてくれるような言葉をくれる恩師との出会いもあったのかなあ、など、半分漫画みたいな出来事が私にも起こったんじゃないか、ああそれに引き換え自分の実際に過ごした暗黒の高校3年間…!などと考えてしまいます。

こんな私が過去を忘れ去るのは、もはや無理なのでしょうか?

ちなみに今現在は結婚しており、主人と私共にそこそこ普通の年収、ごく普通の人生を送っている自覚はありますが、どうしても自分の中での高校のステータスを汚点に思ってしまうのです。 今考えてもどうにもならない「自分が本来行きたい高校に通えた自分」を妄想して、今の自分をみじめに思う人生を終わりにしたいと思っています。何かいい心がけはないでしょうか?こんな質問で申し訳ございません。よろしくお願いいたします。

(補足:ちなみに私には上に出来の良い兄弟がおり、上は高校受験の時に私立の滑り止めを受けさせてもらっています。もし同じ条件で高校受験していたらそんなに引きずっていないのかもしれませんが、やはりこのことが「(兄弟に比べて)私は親から期待されてなかった、愛されてなかった」という思考になってしまい、親のことを恨んでしまっている状態です。)

回答

私も質問者様と似たような経験をしており、何度も思い返すことがあります。

当時私は偏差値は58~63の間をウロウロし、内申点もそこそこの中の上?上の下?くらいの成績でした。 猛烈に行きたい志望校があったわけでもないのですが、そろそろ私立の滑り止めはどこにするか決めるか~なんて呑気に考えていたところ、親から「どうせ私立を(滑り止めに)受験したところで通わせる金はないから、公立一本で受験しろ」と言われました。

私は中学、高校と成績はそこまで良くなかったですが、中学の時にパソコンに触れてから(NEC PC-9821 Xa13というパソコンでした)、私は将来の職業としてはパソコンを扱う以外の職種は想像できなかったのです。パソコンが得意で好きだったからというのが第一の理由ではあったんですが、もう一つ自分は決定的に人付き合いには向いていないので客商売はできないだろうという危機感があったというのも大きいです。

なので、大学に行きたい。大学には行けなくとも少なくとも商業高校などに通ってパソコンの勉強はしたいというのが本音でした。ただ、「金がない」と四六時中言っている親に相談することはしにくかったです。高校に関しても、

「塾に行ってもうちょっと勉強して、といい学校に行きたい」

と相談しましたが、対する母親の返事は

「塾に行かないと高校に行けないならZ高校にいけ」

というものでした。Z高校とは地元で「名前を書けば入れる」という噂の高校です。偏差値が低く入学しやすいから必ずしもアウト、という訳でもないですが、私はその言葉になかなかショックを受けました。ショックを受けたのでそういうエピソードを盛り込んだ20万字程度の長編小説まで書いてしまいました。こちらで買えます。挿絵も入っていて、田舎の高校生が青春するジュブナイル小説でありながら、中盤移行は世界の崩壊に巻き込まれていく過程と、そこからのポストアポカリプスを生きくぬくSF小説でもあります。(ダイレクトマーケティング)。

当時中学3年生ですから、「公立高校に滑り止め無しで受験して不合格に=人生の終わり」というような極端に狭い世界観に生きています。

仕方がないことと思います。

結局、私は自分の普段の実力からしたらよほどのことがなければ落ちないであろうレベルの公立高校を受験し、何とか高校生活をスタートさせることになります。

お気持ち大変良く分かります。

「先生の教え方が下手、どうせ先生たちも大した大学出てないんだ(※当然根拠なし)」だの、学校に対する不満や罵りをひたすら心の中で唱えている根暗な生徒として3年間過ごしました。

余談ですが、私が通っていた高校の先生はセンター試験の問題の解説が出来なくてショックを受けました。まあ、そういう学校もあります。

結局、四年制大学に普通受験で進学する人は極端に少ない環境で(生徒の殆どが専門学校か世間の大半が知らないような四年制大学への推薦入学でした)、孤独感に耐えたり、勉強してない周りに対する八つ当たりを抑える自信がなく、3年生になってからは出席日数だけ足りるようにしてほとんどの時間は予備校や図書館で過ごしました。

こちらも結果的に私の経験と似ているなと思いました。私の高校では一人だけ「自分が四年制大学に10人の生徒を送り出す」と燃えていた先生が居て、その先生が主体的に動いき、結果、私はギリギリの成績でなんとか四年制大学に入学することができました。ずっと図書館で勉強していました。学校祭や体育祭の準備は特別に免除してもらっていました。私の代では四年制大学に進学した人が合計3人だったのですが、先生たちの記憶の中では「この高校から四年制大学に進学した人は居ない」そうでした。まあ、そういう学校だったということです。決して自慢できるような学歴ではないです。

大学に行くということを親に説明して説得するときは、奨学金をかなりの額活用するという条件で呑んでもらいました。奨学金の返済はなんやかんやあって2箇所から借りていて返すのも大変でしたが、あと数年立てば終わるような頃合いです。

(補足:ちなみに私には上に出来の良い兄弟がおり、上は高校受験の時に私立の滑り止めを受けさせてもらっています。もし同じ条件で高校受験していたらそんなに引きずっていないのかもしれませんが、やはりこのことが「(兄弟に比べて)私は親から期待されてなかった、愛されてなかった」という思考になってしまい、親のことを恨んでしまっている状態です。)

こちらに関してもお気持ちよく分かります。

我が家も考慮すべき特殊な事情があったのですが、しかし事実だけを示すならば、私の兄は専門学校に進学して仕送りも十分な額を貰っていました。進学に関して両親が反対していることも見たことが無かったです。妹に関してもそうでした。妹はきょうだいの中で初めての女の子ということで昔から可愛がられていましたから、本当は色々あったのかもしれませんが、私の目線で見れば私が感じていたような悩みを妹が感じたことは無いのだろうなと思います。そして、こういった対応の差に子供が傷つくというのも分かりました。

「履歴書に書く学歴の出身高校が恥ずかしい」みたいなちっぽけな自尊心が傷つくこともなかった

こちらに関しては、私は自分の学歴が恥ずかしいとは思ったことがないものの(自分にしてはあの状況からよくやったと思っている)、大人になってから中学卒業時代の友達に会ったとき、言葉の節々から「お前よりは頭の良い高校を出たぞ」あるいは「お前よりは頭が良かったぞ」みたいなマウントを感じたことでしたね。それらの言葉や態度は未だに忘れません。

さて、今思えば、確かに公立高校と私立高校では学費にかなりの差がありますし、実際に私立なんて通わせられないよ、という親の言い分は理解できるのです。

これはそのとおりだと思います。現在進行系で私はこういった悩みを感じることもあります。教育格差の是正という点で行政がなんとかすべきこととは思っていたのですが、最近は高校教育の無償化が進んだのでそこは良かったかなと思います。一方で大学への資金注入がどんどん渋くなっていることは気にかかりますが…。

30になった今でも「あの時私立の滑り止めがある安心感の中で、もう少し上の高校に受験出来ていたら?そして合格していたら?」という気持ちが拭えないのです。もっと自分を肯定しながら生きてこられたんじゃないか、と思ってしまうのです。

こう考えてしまうのも仕方ないと思います。私も、あのとき別の岐路を進んでいたら…と思うことはあります。

人間は過去を振り返り、あのとき別の道をたどっていたらこのような別の人生をたどっていたのではないか?というifを考えてしまいがちです。過去の経験を振り返って次に活かそうと無意識に行動しているのだとおもうのでそれ自体は悪いことではないと思いますが、それが苦痛になることも多いというわけです。

さて、このあたりから核心に入ります。

こんな私が過去を忘れ去るのは、もはや無理なのでしょうか?

無理なんじゃないかと思います。

少なくとも、過去の後悔を思い出しては落ち込み悩んでしまう人は世間にたくさん居る、とまでは言い切れます。

読売新聞の「人生案内」コーナーでは、「過去の人生の過ちや選択の失敗を思い出しては、あのときこうすればよかったと後悔してしまう」という趣旨の質問が定番のジャンルとして確立しています。

人間には後悔というものが必ず存在し、それを振り返ってはくよくよと落ち込んでしまうというのは人間の性質なんじゃないかと思います。過去を振り返って「こうすればよかった」と存在しないifを思考実験するのは、平たく言えば反省というものであって、反省が必要なのは今後の人生にその反省を活かそうとするからだと思っています。つまり、この行為自体は未来をより良くするために人間に備わっている機能の一部なんじゃないかと個人的には考えています。

ちなみに今現在は結婚しており、主人と私共にそこそこ普通の年収、ごく普通の人生を送っている自覚はありますが、どうしても自分の中での高校のステータスを汚点に思ってしまうのです。 今考えてもどうにもならない「自分が本来行きたい高校に通えた自分」を妄想して、今の自分をみじめに思う人生を終わりにしたいと思っています。何かいい心がけはないでしょうか?こんな質問で申し訳ございません。よろしくお願いいたします。

というわけで、もう少し踏み込んで具体的な心がけなどを列挙してみたいと思います。といっても、私が時々考えているようなものですが。

後悔は幸せなことの裏返し

まずいつも思うのは、「今が幸せだから後悔している」ということですね。

前述したとおり、人間が後悔するというのはごくごく普通の心理反応です。そして、過去発生した、今ではもうどうすることもできない過ちを考えているというのは、つまり、現在特に対処しなければならない緊急の課題が無いということとの裏返しでもあります。今なにか具体的な不安があればそれを第一に考えてしまうはずです。

なのに変更することの出来ない過去のことを思い出してしまうのは、今が幸せで安全だと思っている証である、であるからこそ脳みその思考リソースに余剰があるので、過去の反省をしてしまうのではないかと。そういうことですね。過去を後悔できるのは今が幸せだからだ、と考えるとちょっと気が楽になるかもしれません。

子供のために頑張る

お子さんが居るかどうか(居なかった場合、これから子供を産む意思があるかどうか)は質問文からはわからないのですが、もしいらっしゃる、あるいは将来的にできる予定である、ということであれば、過去の後悔を自分の子育てに活かすと言う方向で建設的な考え方ができると思います。

私の経験に関してもきょうだいで差を付けたりされて嫌だったと言う経験や、親があまり子供の進路について積極的に関与してくれなかった、教育費用をケチられた、みたいな恨みつらみは自分の子供に対してはそうしないようにと意識することでちょっと心が楽になる気がします。

マウントレースから離脱する

ちょっと私が気になったのが「出身高校を履歴書に書くこと自体が恥ずかしい」という点ですね。

現代人であればみんな、程度の差こそあれど「学歴マウント」的な気持ちが存在してしまうのかと思います。これも人間に備わっている本能的な昨日の一つで、自らの能力を推定して勝てない戦を避けて勝てるところを取りに行くというのを本能的に査定してしまうのではないかと考えています。

どうせ先生たちも大した大学出てないんだ

という記述からは、少なくとも学歴、学校の名前に対するこだわりを感じますし、そもそも今回の質問の主旨である「高校選びを失敗したことが忘れられない」というエピソード自体もそれを補強します。

いずれにせよマウント合戦というのは厄介なもので、「学歴がしょぼい」とか「学歴マウントは嫌だ」などと学歴についての優劣に意識をフォーカスする時点で実はマウント合戦トーナメントに参加してしまっているんですよね。そうする行為自体が自他のの肩書や学歴や所有物や年収などといった属性に一定程度の価値があると認めてしまっているわけですから。そしてそれは現代社会に置いて一定程度の正しさを発揮するので、なおややこしいことになります。

マウント合戦で精神的な疲弊から逃れるのには、「気にしない」しかないです。「いい学校を出ていれば」というifを考えてしまいがちですが、しかし実際問題、いい学校に行ってもさらに上位の学歴の人に嫉妬する世界が待っているのです。マウントというのはどこまで行っても切りがないんですよ。上には上が居ますから。

旅行に行ったら行ったでそれがディズニーランドなのか、沖縄なのか、ハワイなのか、北欧なのかみたいな地域でまたマウントみたいなのがあります。車を見れば軽なのか普通車なのか高級車なのかでマウントの取り合いがあります。高級車のカテゴリでもそれが600万円クラスなのか1000万クラスなのか3000万円クラスなのかでマウントの取り合いがあります。鉄道オタクの中でも「小さいカメラのやつはでかいカメラの連中に場所を譲れ」とか言ってくる人が居るらしいですよ。

念の為書きますが、上記は質問者様がそういうひねくれた性格であると指摘したいわけではなくて世の中一般がそうなので無為なマウント競争から降りて自分の人生を幸せにすることに注目したほうがいいよね、という戦略と反例を示したかったという趣旨です。要するにこれは今回のご質問を完璧に解決するかもしれない指針ですね。まあ、言うは易し、ではありますが。

嫌なことをバネに頑張る

上記のマウントの話と関連しますが、私は何かと他人からなめられることが多かったように思います。

争いは嫌いだったので(誰でも嫌いだとは思いますが)、当時は舐められているという事実に気づいていないバカのフリをして精神を防衛していました。明らかに下に見られているな、という言動があったとしてもあはは、僕バカだからよくわかんないじょー、みたいなに振る舞ってました。実際にそう言っていたわけではないですが、端的に言えばそんな感じですね。

今考えるとそうしていた自分にも、舐めた態度を取った相手にも非常に怒りが湧きます。何発かぶん殴ってやればよかったですね。今はもう大人なのでそういうことはもちろんやろうとも思ってないわけですが、しかし実際その当時のことや、卒業後に地元で再開して飲んだときに相手が見せたあの舐め腐った態度などを思い出すといてもたっても居られなくなります。

だからどうにかして復讐したいな、と思ってました。そして考えたのが「あいつらよりは幸せになってやろう」ということでしたね。

20代のうちはそういう行動方針で仕事を頑張り、結婚してからは子育ても頑張り、人並みの生活を早くに手に入れようともがいていました。その結果、実際に彼らより幸せになったように思います。だいぶ当時の友達に抱いていた劣等感は払拭できました。

ただ、これも結局それもマウントの取り返しではあるので注意する必要はあります。例えば結婚して子供が居て子育てしているから幸せ、ということは逆に言えば独身では不幸せ、結婚していても子供が居なければ不幸せ、というマウント取りにつながってしまいがちです。だから私は意識的に「独身であろうと結婚してようと本人が幸せだと思っていることが大事、人間はみんなないものねだりをしてしまうもの」と言い聞かせるようにしてバランスを取っています。

それより辛かったことを思い出す

質問者様は高校を妥協して選んでしまったという以外に、それよりもずっとつらい経験は無かったでしょうか。もしあれば、それを思い出すことで「あのときに比べたら高校もまだマシだったな」と思い直すことができると思います。

例えば私は中学校のときにバスケット部に所属しており(本当は美術部に入りたかったのに周囲からやれ、と半ば強制された)、さらに部活を辞めようとすると「男らしくない」「半端者だ」「未熟者だ」「やる気がない」などと先生や先輩などから詰められて辞められなかったという部活動の闇あるある環境にあったわけですが、あのときはもう死ぬほど辛かったんですよね。部活動がつらすぎて中学校時代の思い出が半分くらい吹っ飛んでいて思い出せません。

もう一点、大学に進学した後に私はかなり苦労しました。通っていた高校は進学校出身じゃなければ科目も文系だったので、理系大学に進学しても基礎がわからないんですよね。2年生になったときに留年しかけて、解析学、物理学実験、線形代数、電磁気学などなどの数々の単位を全部残さず取らないとならないという状況に追い詰められ、そのときは本気で留年したら死のうと思ってました。

なんで留年したら死ぬのか上手く説明できないですが、多分当時は母親に頭を下げるのが嫌だったんだと思います。母親に留年したからすまんがもう一年長くなるので許して下さい、ということが屈辱で屈辱でならず、そんなことをするんだったら死のうと思ってたんだと思います。たぶん。その時は2ヶ月くらい前から入念に準備して最後の1週間は毎日24時間を五分刻みくらいのスケジュールで勉強しまくってなんとか留年せずに済んだのですが、すごく辛かったです。感覚的には受験勉強の10倍くらいのパウワーで勉強したと思います。

なにか過去のことを思い出してうわーーーーっ!!!ってなったときは、私はまずそんなエピソードを意識的に思い出すことが多いです。すると、「あのときに比べたら流石にマシだな…」という気分になって平静を取り戻すことができます。

今の自分が何をしたら幸せか?を考える

今の自分がさらに幸せになることで過去の辛かったことを忘れる可能性が高くなります。自分が何をしたら楽しいのか?を追求できると人生楽しくなりますね。当たり前の話なんですが、これができない人が多いです。私もそれが下手くそな人の一人です。

なんかこう、楽しむことに気を使っちゃうんですよね。こないだ本ブログの読者の方とかTwitter上の知り合いの方とかと一緒に飲んだのですが、「もっと爆発してはっちゃけている人かと思ったら、会ったら普通の人だった」と言われてしまいましたね。

過去のことを思い出して嫌な気分になる暇もないくらい遊べば人生ってどうも楽しくなるっぽいですね。だからそういうふうにできるといいですね。

昇華する

アンナ・フロイトが提唱した防衛機制には「昇華」というものも含まれています。人間が耐え難い苦痛、受け入れがたい現実に直面したときにそれにどう対処するかという話ですが、「昇華」はその苦痛の大本を文化的な活動に変換することで苦痛を和らげるという精神反応のことですね。

それでいうと私が高校の時のことを思い悩んで悩みすぎて小説にしてしまった、と書きましたが、その行為はまさに昇華だったと思います。書き始めた当時は昔話をするのが好きだったから自然にそうなったのだと思いましたが今改めて考えてみると昇華という意味合いも少なからずあったかなと思います。

同様のことはネット上でもよく目にします。ダイレクトな昇華は幼少期や10代のころの負の体験をエッセイとして表現する、みたいなものですが、その他にも最近良く見るような主人公がイジメられるけど最後にはバチが当たるとか、会社では役立たずとして扱われていて社会のお荷物である自分だけど異世界に転生したらめちゃくちゃ活躍しましたみたいな創作物も昇華の一種かもしれませんね。

質問者様にそういった創作系の趣味があるかどうかはわかりませんが、もしあればそういうことをやっても面白いかもしれません。

許す

最終的に至る境地がここで、これは方法ではなく結果かもしれません。

当時うまくやれなかった自分、あまり援助してくれなかった親、嫌なことをしてきた周囲の知人、先生、そういった諸々を許してあげるという感じですね。

私はここ数年、ようやく許せるような心持ちになってきたように思います。自分の中では数々の嫌な思いが記録としての意味しか持たなくなってきています。当時は舐め腐った態度を取っていた人たちも、もはや私の人生と関わることがない。そういったほとんどの人にはもう会うことがないと思うので、もはや私には関係のない過去の人です。だから「あいつらよりも幸せになろう」とも思わなくなりました。もう、心底どうでもいいのです。

これは自分が大人になっていろんなことを許容できるようなゆとりができたからなのだと思っています。要するに時間が解決するよ、とも言えるかもしれないですね。

しかし、許すことができても忘れることはできないのも事実です。

それでも、今はもう辛くはないです。忘れることだけが唯一の方法ではないですね。考えて考えて考えた結果、別に辛くなくなたっということもあり得ると思います。

以上、なんだかめちゃくちゃ長くなった割に大半が自分語りで全然に参考にならないのでは?と思うんですが、なにかちょっとでも参考になれば幸いでございます。ご査収下さい。

トップページに戻る