【夢日記】東北の闇とまぐわぐつかむり
2016年5月23日に書いた夢の話です。
どうも体育の授業を受けているらしい。私は校庭の端にあるテニスコートの脇に座っている。テニスコートというのは名ばかりで、凹凸の激しい踏みしめた地面の上に白線で枠を書いただけの代物だ。全部で3面あって、それぞれに審判が付いている。審判は皆可愛い女の子だ。審判だけこんなに可愛い子が揃うわけがない。あからさまに顔採用している。日本の大企業と同じだ。
そのテニスコートの一面で、高校時代の友達であるTとNがテニスラケットを片手に持ってサッカーをしている。その光景を見た審判の女の子がよく笑う。その笑い方も心の底から笑っているのではなくて、なんだか「私かわいいでしょ」という感じの笑い方だ。自分で自分が可愛いというのを認識しており、その可愛いさという棍棒を持ってして男心を殴りにかかってるかのような笑い方。
私はこういう笑い方が嫌いだ。たとえ世の男性すべてがこの偽りの笑いに騙されようと、私は騙されまいと思っている。みよ、あの目を。あんなに笑い声を上げているのに目は笑ってない。わかるだろ。あれが一番可愛く見える目だからそれを崩そうとしないんだ。
今日は蒸し暑いが耐えられないという程でもない。ただ埃っぽい。湿度が高いのに土埃が立っているというのが不思議な気がするのだけど、そういう日もあるのかも知れん。日は埃っぽい大気のなかで傾きはじめている。4時か5時くらいだろうか。
というわけで、元来運動が嫌いというか、一人で体を動かすのは嫌いじゃないけどスポーツで人と交わるのが大嫌いという根っからの人嫌いでコミュニケーション能力皆無である私は周辺を散歩することとした。
校庭のすぐ裏は畑になっていた。こんなところに畑があっただろうか。パイプハウスがいくつか立ち並び、ビニールシートに空いた穴から野菜がところどころに伸びている。しかしどれもこれも放棄されて自生しているだけのように見える。もう1年余りは人の手が入っていないのではないだろうか。
放棄されていると知り、どうせ持ち主は現れないだろうと私はどんどん無遠慮になり、畑の奥へと進んだ。奥へ進むほど雑草が通路に満ちていたが、しかし明らかに日常的に人が通っていると思われる雑草の茂っていない道筋が一本だけあり、私はそこを歩き続けた。歩き続けるうちにあっという間に暗くなってしまった。日は傾き、もはや少し寒い。この一体が日陰になっており元々気温が低いというのもあるだろう。たどってきた道筋は最後にパイプハウスの中につながっている。パイプハウスの中だったら多少暖かいだろうと思い、入ることとした。
パイプハウスの中は陽の光が弱く、かなり暗かった。入った瞬間、心臓が止まりそうになった。パイプハウスの中には見るからに異質な雰囲気を放つボロボロの小屋があった。きっと、2〜3人はここで殺されているだろう、そんな予感がする雰囲気の小屋だ。
暗くて細部が判別できないものの、しかし屋根と外壁の痛み具合は相当なものだ。目を凝らして小屋を見ると、小屋というよりも家に近かった。入り口はガラスが付いた引き戸になっており、その奥には障子が見える。屋根は瓦だった。
これは物置として使ってる古い小屋だろうかと始めは思った。しかし、障子や瓦屋根は単に物置として以上の役割を感じさせる。そして定期的に人が訪れていると思しき道。それがヒントになっていたのかもしれないが、そのとき私はそこまで思いが巡らなかった。薄気味悪さと同等以上に大きい好奇心に背中を押されて、私は障子の前まで進んでいた。
中から光が漏れている。その光というのが不思議で、どう見ても陽の光のような色合いであった。また、これも陽の光と同じように影が平行に伸びている。しかし家の外は薄暗く、どう考えてもそのような光が差し込む余地は無い。物理的におかしいのである。
そして障子の向こうに何か動く影がある。障子に空いた穴から除いてみると、そこは座敷であり、大きなこたつと古い本が散らばっているのが見えた。そして、明らかに人の寝息が聞こえる。人が住んでいるのだ。
ドキドキしながら、次は家の外から部屋側に回った。雨戸の隙間から室内の様子を覗くと、大したものは見えなかった。
ただ、壁があって、相撲の番付表に書いているような書体の文字で
「まぐわぐつかむり」
とだけ書かれた紙が貼られてあった。
次の瞬間、女の笑い声と「食べられないかもね」という声が聞こえた。気づかれたか?と私は焦って逃げようとすると、縁側に書道用の半紙が落ちているのを見つけた。なにか書かれている。それを片手に掴んで私は逃げた。逃げながら考えた。あの縁側もそういえばおかしかった。西日が強くあたっていて、半紙があるところだけ照らされていたような。
しばらく走ってから半紙にかかれている文字を読んだ。なにかの文章が横書きの綺麗な楷書体で記されている。
「とも子を殺したのは私ではない 殺したのはオレンジだとおもう。オレンジは私の中で生まれたが、平成16年の夏から行方がわからない。オレンジが悪いのを知ってもらうために私が殺した。私は殺していない」
と書かれていた。その字はどうも血で書かれているような色合いだ。赤黒くて、所々かさぶたのような塊がこびりついている。私はそれを捨てて家に逃げ帰った。
家に帰って考えを巡らせた。誰が何のためにあの家を作ったのか。誰が住んてるのか。
というかあんなに薄気味悪いところならば地元でも話題になってるかも知れない。ググってみよう。
「X市 パイプハウス 家」
でない。
「オレンジ 殺人 平成16年」
でない。
「まぐわぐつかむり とは」
でてきた。記事がある。
「まぐわぐつかむり」とは、奇形の女性を対象とした売春、もしくは売春宿の俗称。江戸時代からの差別地域だった界隈での売春宿が起源。明治に入ると政府公認の営業を開始して……もともとは家族単位での帰属意識が強く、近親での出産を重ね……という記述がある。
その後は明治初期に出版されたと思しき古い文献の挿絵が多数掲載されているが、おぞましい内容ばかりだった。中には水頭症や無脳症、胞状奇胎と思われる奇形児の挿絵や、荒い白黒写真などもあった。
記事では高度経済成長期に人権意識の高まりを受けて廃れたとあるが、だとしたら1970年ころの話だろうか。
2ch掲示板でも「まぐわぐつかむり」について言及している記述があった。
「というか、まぐわぐは東北の負の遺産って事になってるけど、実際は宮城、山形、秋田の県境の当たりだけだろ。勝手に東北を巻き込んで迷惑なんだけど」
などという発言もある。ということは…。(夢の中では秋田にいる事になっていた)
さらに読み進めると
「このスレでオレンヂちゃん事件知らない奴はにわか」
「2004年の一家殺害ってオレンヂが犯人だろ?近所じゃみんな知ってるよ。県警マジ無能なんだけど」
「いや結局警察だって手が出せないってことでしょ。奴ら、敵と見做したら組織とか関係ねぇもん。ずっと個人攻撃される」
「オレンヂの降臨スレってどれ?」
などという記述。
高度経済成長期に廃れた、ということはまだ当時を知る人間たちは余裕で存命中だろう。当然のことながら当事者たちも。
その他、色々調べてて分かったことをまとめると以下のような理解に至った。
昔、「まぐわぐつかむり」と関わりがあった人々が現代社会に馴染むことが出来なかったであろうというのは想像に固くない。そういった人々はあまりひと目に触れないところに隠れ住んでいたが、そんな中ある殺人事件が起きた。その犯人は、同じ「まぐわぐつかむり」の関係者、オレンジだ。
オレンジ(オレンヂ)は警察には捕まらない。それは、そのコミュニティからの圧力が警察にあるのではないか。我々は世間に干渉しない。静かに暮らす権利を持っている。それを奪うというなら全力で抵抗する、という。つまり、そういう話なのだろうと理解した。
現代日本でそんな事があるとは信じがたいけれど、でも私が見たあの家は何だったのか。あれこそが真実では。いや違う、単に家の中で「まぐわぐつかむり」の文字を見て、「オレンジ」の手紙を見ただけだ。秋田ってのもたまたまだ。この段階で関連付けるのはこじつけだ。
いやしかし、もしあそこで姿を見られていたのならば用心することに越したことはなく、やはり最大限の注意を払うべきでは…。
と、そこで唐突に「ただいまー」という妹の声。同時に、飼っている猫の鈴の音が聞こえる。
しかし少し様子がおかしい。猫が首に付けた鈴の音は必死になって暴れているかの様な激しいものだ。妹になついている猫が抱えあげられて、それで逃げ出そうともがき暴れている姿が目に浮かぶ。
「あははは」
また笑い声と共に二階に上がってくる足音が聞こえた。同時に猫の着地音がする。私は布団を咄嗟に被って様子を伺う。猫はふすまの隙間から身をよじって部屋に入ってきて、同じ布団に飛び込んできた。
妹は結婚して実家を出ている。妹が実家にいるはずが無い。最も、私も家を出ているはずなのだがなぜここに居るのだろう。足音はすぐそばにまで来ている。
そこで目が覚めた。オチはない。
※念の為書いておきますが、全部夢の話です。