anopara

はじめまして

いやー、ここまで長かったな。長かったよ。何が長かったって?ブログを再開させるまで、が、長かった。

はじめましてという体で再度ご挨拶いたしましょう。

私です。有理まことと申すものです。以前はwithpopという名前で活動していました。その前はncという名前で活動していましたが、これを知る人はもうこのサイトを見ていないでしょう。みんなインターネットの荒波に巻き込まれて死んだよ。

1999年ごろ、中学生の時に個人サイトを立ち上げてから現在まで、途切れがちな時期もありましたがずっとブログやテキストサイトの類を運営していました。このサイトはおそらくは10代目くらいになると思います。

このブログの名前はanopara(あのぱら)です。先代のブログの名前もanoparaです。本当は変えたかったんですが、ドメインを取り直すのが面倒&タイトルを考えるのも面倒なのでこのままにしました。anoparaとはなにか?特に意味はありません。本当はあるんだけど書くのが面倒くさいので書きません。いつか書くかもしれません。

本日の記事は、どちらかというと以前まで私のブログを読んでくれていた方々を意識して書いています。なので、本当にはじめましての人にとっては面白くない内容になるかもしれませんが、まあ、読んで頂けたら幸いです。

さて。この前のブログの「anopara」は家造りとか車選びとかIT関連の記事とか生活の知恵とかガジェットレビューとかそういうのが多かったです。

Twitterもよくやってました。ニュースとか炎上ネタを見て、これの正しい理解はこうだよね、とかいちいち小言を言ってました。本質情報を突いとるやろ?わし。みたいなツイートをいっぱいしてました。

そんである時思ったんです。人生つまんねぇなと。

私は合理性を追い求めてしまう性格です。すべての選択と行動と意思決定には理由があって然るべきだと思っていました。現代国家に生きるということは法律というルールと行政制度によって暗黙的な契約を結び、あとは好き勝手生きてくださいというだけの話であって、その中で個人の幸福を最大化すればいいと思っていたのです。

だから私はそうしました。なるべく損をしないように行動し、なるべくお金が貯まるようにして行動し、いい感じの時に家を建て住宅ローンを組み、いい感じの時に結婚して子供を授かりました。あらゆる点で、その時点でのベストな選択と決断をしてきたと思います。あれですよ、あれ。映画トレインスポッティングの冒頭で、テレビを選べ、住宅ローンを選べ、CDプレイヤーを選べ、結婚を選べ友達を選べ、人生を選べ。みたいに言うでしょう?正しい選択をすれば正しく生きられる、みたいな、ね。

ちなみにこの、映画に出てくる「人生を選べ」が何だったのかと言うと、80年代くらいのイギリスではヘロイン(麻薬)が流行ってたのでそれを止めさせようと国家のキャンペーンで「Choose Life」(人生を選べ)みたいな広告キャンペーを打って更生プログラムを提供してたらしいんですね。それで主人公のレントンらは「俺らは人生を選ぶのなんてまっぴらゴメンだ」とヘロインをやりまくって堕落していくという映画だったわけですな。それでも最後には色々あって大金を手にして、テレビを選べ、CDプレイヤーを選べ、友達を選べ、住宅ローンを選べ、生命保険を選べ…。そう、アンタと同じさ。て言って終わるストーリーになっとるわけです。くだらない世間に最終的には迎合していく、みたいな皮肉ともとれる終わり方だったと解釈しています。

で、まあ、そういう正しさみたいなのが実際の人生でもよく語られるわけですよ。正しく間違いのない人生を生きましょう、みたいなね。正しく保険に加入し、正しく普通自動車に乗りましょう、みたいな、ね。なに?軽自動車やバイクは事故の危険性が高いだろ?クレバーな人間は普通車に乗りますよ。おっと、ここで言う普通車というのはコンパクトカーではなくてBMW5シリーズやメルセデスEクラス以上のことを言いますよ。だからおやめなさい、バイクなんて。軽自動車なんて。ファミリーカーなんて。ええっ、なに?いい年こいてそんなにちっちゃな会社で係長やってるんですか?ちゃんとした学歴とちゃんとした資格をとって、銀座や大手町にある誰でも知ってる大きな会社に勤めないとだめですよ。大人だったら大人らしい腕時計とスーツをしないとちゃらんぽらんな人に見えますよ。最近アツいのは豊洲ですね。住・職・遊近接。これが一番クレバーな選択ですわ。住宅バブルはまだまだ進むのでパワーカップルの夫婦でクレバーに不動産を転がしましょうや。ふるさと納税すらやっていないって?ふるさと納税はメリットしか無い制度ですよ。絶対やるべきです。ほんで大人で構成される大人の付き合いをしましょうね。サイゼリアうめ〜とか言うのはTwitterでだけ許されるネタで現実でやったら引かれるだけですよ(苦笑)。ま、既婚者は色々あるでしょうし、たまにはハメを外すことも大事でしょうな。既婚者向け合コンとかマッチングアプリとかいかが?みんなやってますよ。手軽なのはパパ活ですかね?で、東京で梅毒が流行る、とかね。

気づいたら上記のような情報しかもう自分の周りに流れてこなくなったんだ。そんで、「しょーもなっ」って思ったんです。良い学歴と良い会社に勤めても結局は青春時代のコンプレックスを引きずっていて、いい年こいても女の話しか出来ない人を見て私は心底嫌悪感を覚えました。Twitter他のネット上でそういう情報ばっかりに触れ、すべてが嫌になったのです。合理性を突き詰めていった先には何もありませんでした。虚無でした。IT系でのし上がっていった人らが結局シモの話題で叩かれるのを見てると、この人たちがどんだけ熱意を持ってビジネスに打ち込んでいっても結局性欲には勝てなかったんかな、なんて思いました。虚無だな、って。

一方でこないだ、サイゼリアで氷結の缶酎ハイが頼めることを知り、オーダーしたら本当に缶のままドカッと出てきてびっくりするとともにめちゃくちゃテンションが上がって、その場に居た友達みんなで笑ったのですが、ああいった経験が何歳になってもシンプルに楽しめることが私にとっての人生の豊かさだとおもった。そしてこれは金持ちムーヴメントに対するアンチテーゼというわけではないのです。高級店もあってファミレスもあって、この世にはありとあらゆる楽しみがあって、それらをピュアな心で他人と比較すること無く楽しめる、これが経験と人生の豊かさなんだなって。そう思ったんだ。そのためには、他人がどれだけ稼いでるとか何処に住んでるとかどういう肩書を持ってるとかフォロワーが何人であるとか、全然関係なかった。当たり前のことなんだけど、意外と気づかないもんだった。

まあ、以上の話は私がこじらせ過ぎなところもあるとは思います。皆がみんなそんなに性格が悪くはないでしょう。アホではないでしょう。でも、Twitterに居るとそれが世界のすべてのように思えてきたことも事実であって。中学校や高校のときは、友達と遊んでいてクラスの中でわいわいしてて放課後に遊んだり部活やったりすることが世界の全てだったでしょう?あれと同じ現象が、SNSや限られたニュースサイトの読者層で発生していると思うんだな。

先代のanoparaは、お得情報とか損しないための合理性の情報とかが結構掲載されていました。おそらくは、「損しないオトクでクレバーな人生」みたいなのを目指す人たちにウケが良かったんだと思います、私が言うのもあれですが結構なアクセス数はありました。でも、そういう記事が多くなってしまってそれも嫌になっていました。

先代ブログには広告があり、広告費が付きました。一時期は結構な広告費がもらえました。その時は「海外の新車情報を集めてきて翻訳して日本語の記事にする」みたいなことをやってましたね。そういうことをやっていったら「文章を書く」ということが一気につまらなくなっていました。そうして最終的に、面白くもなんともない広告に自分のブログページが囲まれたとき、こんなものをインターネット上に残しておきたくないと思うようになり、サクッと消したという流れになります。

広告は害悪でした。広告を貼って小銭を得たよりも失った楽しみのほうが大きかったです。広告が付いていると、Google Adsenseの規約に違反しないことがコンテンツの条件となり、これは非常に面白くなく、そういったことがあってブログの更新頻度はどんどん落ちていきました。

そんな中で私がここ数年で一番興奮アンド熱中したことがあります。それは小説とイラストです。私は20歳くらいのときに絵を描くのを一旦止めてしまい、そこから15年ほど創作活動らしい活動をしていませんでしたが、数年前に唐突にそういうことをやりたくなって再開しました。そしたらめちゃくちゃ楽しかったんですね、これが。

だから直近1年位はそちらの方面に注力していたのですが、やはりブログ(というか文章を書くという行為)を書くことも止めたくはなく、しかしそのためにはあのクソブログをどうにかまともなものにせねばならない…という気持ちばかりが膨れ上がったまま、ブログそのものは放置してしまっていました。それを少しずつまともなものに仕上げていき、こうして公開できたという次第です。

このブログでやりたいことは、シンプルに言えば「文章を書く楽しみを取り戻す」、これが全てですね。

で、やることはそれで迷いは無かったんですけど、使う名前には葛藤がありました。小説とイラストという創作の世界に生きる「有理まこと」と今までブログを続けてきた「withpop」という2つの人格を分けたままにするのか、それとも統合するのか、です。

私の中では創作の世界に今日ここに書いたような、パパ活だのマッチングだのという汚い言葉を入れたくないという気持ちは少なからずありました。なぜか?創作をする人の日常や思考があまりにも透けて見えると面白くないんじゃないかと思ったんです。

だから、極端な話で言えば活動した当初は既婚者であるということも隠していました。なんか、子持ちという属性の人が創作をしてたら面白くないんじゃないかと思ったんですね。上手くは言えないですが、結婚して子供がいて、となるとなんかこう安定している感があるじゃないですか。そういう「当たり前」…というと今の時代では語弊があるから当たり前ではないんだけど、何ていうんだろうなぁ…。順風満帆で概ね問題なく人生を歩んできた人に創作なんてできるんか?という疑問と言うか思い込みと言うか、そういうものもありました。(いや私の人生も色々ありましたけどね、でもそう見られてるんじゃないかという危惧です)

そういうわけで、綺麗な人格である「有理まこと」と、汚い話を織り込んだ「withpop」を分けたままにしたほうが良いんじゃないかと。

でも、最終的な決断は一緒くたにする、というものでした。「有理まこと」という名前を使っていきます。

そうした理由は3つあります。

  • 実名に近い(というかほぼ実名)名前で活動したい。多少は自分が書いた文章と自分の行動に責任感を持ちたいという気持ちがある。つまり、面白くないことを面白くないよねって書くんじゃなくて、楽しいコンテンツを描いていきたい
  • どちらかというと今は創作を頑張りたい
  • 両方の人格を使い分けるほど要領がよくない

という辺りです。特に最後ですかね。私には嘘はつけません。嘘を一回つくとそれを取り繕うために別の嘘をつく必要があり、どんどん整合性を取るために色んなことを考える必要が出てきます。ネット上で2つの人格を使い分けるのは厳密に言えば嘘をつくという行為とは違いますが、しかし私にとっては同じようなものでした。使い分けたら、ある話題についてこっちの人格で書いて良いのか?だめなのか?を判定しないといけないですね?そういう行為も私にとっては「嘘」に近いと思ったのです。

さて、そういうわけでブログを再開させていきます。

今後の本ブログでの活動内容ですが、

  • 質問コーナー(以前のブログで人生相談とかをやってた。かなりの数に答えたのでいつか本にしたい。このブログでも引き続きやる)
  • ただの日記
  • 写真を載せる

などをやっていこうかなと思ってます。ゆるーい、本来の個人ブログの楽しみを取り戻す感じで難しいことを考えずにやりたいですね。

その上で今検討しているのは、Pixiv FANBOXみたいな有料のブログを作るというものです。今、私はネット上の活動のために月5〜6千円を支払っているのですが、これをもうちょっと圧縮したいのです。ですから、月額200〜300円くらいの安いプランで

  • ブログ記事を先行で読めます
  • 今書いている小説をリアルタイムで読めます
  • ブログ記事として公開するにはやや際どいような内容のものも限定公開します

という内容を提供していけたらな、と思います。売上はこのサイトの維持費、および私が管理しているPremis.oneサーバー (Misskey)の維持費にしようかなと思ってます。

最初の記事としてはこんな感じでしょうか。あんまり面白くないような感じになってしまいましたが、今後なるたけ面白くしていきたいとおもっているのでよろしくおねがいします。

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