綾波派vsアスカ派を真剣に考えたら婚期が遅れるのも納得した
これはシン・エヴァンゲリオン劇場版が公開される前、2019年12月3日に書かれた過去日記を再掲したものです。
何言ってるか分かんねーと思うけど、ちょっとずつ説明を試みるね。よろしかったらおつきあいください。
中学生の時、「新世紀エヴァンゲリオン」がかなり流行った。流行ったと言っても仲間内で10人以下くらいで見て面白くなーい?と喋ってるだけだったが。そう言えばあの頃は宮崎勤の事件があったころほどではないにせよ、アニメを見てるという偏見はまだ根強かったように思う。というか、我々の世代(80年台生まれ)は未だにちょっとそういうのあるよね。ない?別に自分は当時からあんまり気にしてなかったけど。
エヴァンゲリオンに興味を持ったのは確か、少年マガジンで巻頭カラー10Pくらい使って盛大に特集を組んでいたからだったと記憶している。で、これなんか面白そうだよなと言った所、誰だったかが友達の一人がすでにのめり込んでいて「ふしぎの海のナディアを作った監督の次回作だ」みたいな話をしていた。ふしぎの海のナディアって何だよと問うと、BSでやってただろと言われた。そんな事言われても私の家は地上波しか映らなかったし、民放は3局しかなかった。それでもマシになったほうで、小学3年生までは2局(日テレ系、フジ系)しかなかったのだ。それに加えてテレ朝系が受信できるとなって大いに湧いた記憶がある。そんな状態なのになんでこの友達(Iくん)はBSまで写っていたのか、謎だ。当時最速のISDN回線も引いてたしな。
で、それは置いといて。
エヴァンゲリオンの再放送がやるから見ようぜ!!録画しようぜ!!とかいう話になり、毎週録画して見直してみんなで感想や作品の解釈などについて喋っていた。
しばらくすると我々は「エヴァンゲリオンに登場するキャラクターのうち誰と付き合うか」という議論に熱中するようになった。思春期男子の特性より当然の成り行きであった。
ちなみにもし、現代のようにスマホで検索すれば何でも出てくる世界であったならばそもそもこういう議論自体が行われなかったのではないかと考えている。民放が3つしか映らない、パソコンもインターネットも普及したばかりの黎明期で使える中学生なんてほとんど居ない、アニメを見たけりゃVHSで録画しろ、テープがなけりゃ上書き3倍録画しろという時代であったから議論するものが集ったのだと思う。今だったら、ガチな解説・考察サイトから「エヴァンゲリオン新作の隠された真相とは?涙が止まらない…」みたいなクソみたいな記事まで山ほどヒットするが、当時は原典(アニメ)しかなかった。情報が与えられないから自分で考えるのが癖だったんだろう。
大袈裟に言うと私が思うに、これは一つの宗教だったと思う。原典をどのように解釈するかという派閥争いである。
その中で一番何が尊いのかという、もっぱら個人の好みによるところに優劣を付けて相手を説き伏せようと努力する中学生男子の群れがそこにはあったのだ。なんかすごい臭そうで気色悪い。でもともかく、我々の中学生時代の一時期はそういうものであった。
そこでの議論は残念ながらあまり覚えていないが、やはり綾波レイ派が多かったように思う。物語のヒロインであり、主人公である碇シンジ少年がレイの心を少しずつ解きほぐしていき、最後にはシンジを守るために自らの死と引き換えに敵を殲滅するという悲劇のヒロインである。可哀想である。可愛い子が可哀想な目にあっている。可愛い子が可哀想な目にあっているので男としては守ってあげたい。と、そのような発想に至るのであると思う。
続いて人気だったのはやはりアスカだろうと思う。というか、基本的に議論は綾波レイ派かアスカ派かで二分される傾向がある。見た目も言動も地味なレイに比べてアスカはやっぱりドイツ生まれで舶来の美女みたいな派手さと華やかさがあるからね。オレンジ色だし。
それに加えて、アスカも同じく可哀想アピールも抑えている。物語上では優秀なパイロットとして登場するが、異国の地で慣れない環境というのもあってか思うように自分の能力を発揮できず、シンジ・レイに遅れを取るような場面も目立ち、最終的には精神的に崩壊してしまうという救いの無い可哀想さが全面に押し出されている。ただ、最後まで綺麗なままで自爆したレイと違ってアスカの場合は病的に精神を汚染されていき駄目になっていく姿を救いもなく淡々と見せられる表現が多いように思うので、ただ単に生意気な女が心身ともに駄目になっていくというなんか淀んだ気持ちを想起させる流れになっているようにも思う。まあそういう姿が良いと思う人も居るのかもしれないが、その気持ちの源泉を突き止める行為は何かパンドラの箱を開けるような暗澹とした感情が生まれるので触らずに放置しておきたいと思う。
あとの候補としては葛城ミサトがいる。ちなみに調べてみたらこの人は86年生まれ29歳という設定であった。そうか、葛城ミサトは私とほぼ同い年だったのか…。たった今Wikipediaで知った。29歳にもなって中学生男子連れ込んで生活するとかちょっと常人の発想ではないよな、と思う。
殆どが綾波派、アスカ派だったのだがミサトさんを強固に主張するのがYくんだった。Yくんは下ネタで僕らを笑わしていた野球部の友達だった。下ネタとエロいことで脳内の98%が占められているような、どのクラスにも一人は必ず居るタイプの少年。それがYくん。Yくんは熱烈なミサトさん推しで、「お前、選ぶって言ったらミサトさんしか居ないだろ…」と真顔で何度も主張していたのが思い出深い。私は全然理解できなかった。今振り返ると何のことはない、Yくんはちょっとだけ、僕らよりも大人だったのだろうと思う。
主要なキャラは以上ですかね?と書くとなんかお叱りが飛んできそうな気がしますがとりあえず置いときます。
で、当時私はどの派閥に属していたのか。いまいち記憶がない。決められなかったんだと思う。
うっすら覚えているのは、私は綾波レイは無いな、と思っていた。単純にショートカットがあんまり好きじゃなかったのである。「エヴァンゲリオンは宗教」みたいなことを書いておきながらほんと軽い調子で申し訳ないが、これはそうとしか思えない。ショートカットがあんまり好きじゃなかった。男性諸君だったら理解していただけると思うが、女性的な「アイコン」って割と大事で、だから髪が長いという「アイコン」は異性を意識させる上で重要な要素だったように思う。もっとも、ショートカット好きな男性もたくさん居るわけで、そういうひとたちは分かりやすい「アイコン」がなくても女性を女性として認識できる、もしくは他の部位にフェチがある、みたいな話だと思うな。
あともう一個は他の女性キャラが旧日本海軍の空母の名前であるのに綾波だけ駆逐艦だからである。この理由をオタクに語らせると長くなるのでオタクは引っ込んどけ、と釘を差しておく。ともかく、私は当時からミリオタで「沈黙の艦隊」を読み続ける少年だった。なのでなんか駆逐艦って弱そうだよな、と思ってた。以上。
私はアスカもあんまり好きじゃなかった。容姿はともかく、なんかああいうズバズバ思ったことを言う人ってあんまり好きじゃないよな。トラブルメーカーだし。と思ってた。あとはアスカの可哀想な感じってなんかガチの児童虐待みたいなものを想起させてちょっと怖くなってくるんだよね。ああいう人が近くに居たらまず恋愛対象になどはならない気がする。
ミサトさんも無いな、と思ってた。というかミサトさんを推しているのは件のY君だけだった。
当時中学生だった私にとって29歳というのは、めちゃ大人、だった。20歳ですでに大人という感覚が強かったし。中学生と20歳なんて5歳かそこらしか違わないんだけど、少なくとも私は20歳ってめちゃ大人で自分とは歴然たる差がある世代だと思っていたし、29歳はもう大人を通り越してもうオバハンに片足を突っ込んでると思ってた。今振り返ると中学生も20歳も等しくキッズだと思うし、キッザニアにでも通っとけとも思うし、29歳はオバハンではなくめちゃ若い、20代ってだけで大卒直後って感じだよな、と思うが。
そういうわけで、私は決められなかったように記憶している。
ただ、その些細な出来事に答えられなかったということが私の心に釘を打ち付け、いつまでも忘れられない問いを叫んでいる。
「エヴァンゲリオンのキャラクターの中で付き合うとしたら誰が良いか?」
この問は事あるたびに思い出された。そしてそのたびに私は思い悩んだ。一体、誰が良いんだろう…。
時代が移り代わり、みんな大人になった。Yくんは今や航空自衛隊に所属して機体整備を行う2人の子育てをする父親である。「ナディアがBSでやってる」と教えてくれた友達は一部上場企業の営業マンとして活躍し、彼もまた結婚して子供を産み育てている。うまく録画できなかった第3話をダビングしてくれた友達とは家も近かったが、めっきり疎遠になってしまい、風のうわさでは栃木かどこかで結婚して住んでいると聞く。成人式で会った時、すでに髪はかなり薄くなっていたがいまはどうなっていることだろう。
私も結婚して二人の娘が生まれた。二人の娘は太鼓の達人にハマり、ハードオフで買ったWiiとブックオフで買った「太鼓の達人Wii 超ごうか版」をプレイしながら「残酷な天使のテーゼ」をオペラ歌手のように声を張って熱唱するようになった。娘達はそれが新世紀エヴァンゲリオンというアニメの主題歌であるとも知らないし、ましてやその父親が中学生の時に「どのキャラクターと付き合うか」を議論していたなどとは未来永劫知ることもないだろう。
そんなエヴァンゲリオンでしたが、やる気があるんだか無いんだかわからない庵野監督がぽつぽつとエヴァンゲリオンを新しい映画4部作として作り直し始め、最近ようやくそれの4作目が作られてるという話を聞くようになった。
そうやって太鼓の達人で娘が残酷な天使のテーゼを熱唱する度、またはTwitterで庵野監督の嫁氏やその他関係者による「最後のエヴァに取り掛かってる」という主旨のツイートを目にする度、私の心には幾度と無く同じ問いが残響のように響くのである。
「エヴァンゲリオンのキャラクターの中で付き合うとしたら誰が良いか?」
一体、誰が良いんだろう…。
実はこの問いに答えようと、何度かブログの記事として書き上げようとしたことはある。しかしもうおっさんになってしまった今、そんなことを真面目に考えるのは端的に馬鹿馬鹿しいのである。だから考えては辞め、考えては辞めを繰り返していたのであった。馬鹿馬鹿しいことに時間をかけて文字にするのは更に馬鹿馬鹿しい。そしてその気持ちが何時まで経っても心の釘を抜き落とすことなく、がっちりとホールドさせているのである。
だから、今度こそは誰にすべきか結論を出そうと思います。この文章をあなたが読んでいるということは、この試みが成功裏に終わったということになります。
よーし、考えていこうや。まず、綾波レイ。
綾波レイは…。ショートカットなのがちょっと…。
真面目に考えると言った矢先にショートカットなのが…とか言うのはどうなんだって話なんですが、これはもうしょうがないですね。幼少の頃より根付いた異性のタイプというのはこれ容易には修正不可能です。なんかショートカットってあんまり好きじゃないんだよな。例えば私の世代で人気だったショートカットというと広末涼子が思い浮かび、広末女史はめちゃくちゃ可愛いと人気であったのですが、私は広末涼子の何が良いのかさっぱり分からなかった。ちなみに妻氏にも髪はなるべく長いほうが良いよ、と伝えるのですが、「長いとうざい」「暑い」とバッサバッサと切るので残念です。
余談ですがもう少し説明を加えると、「ショートカットでない」というのは、可能ならばという程度の条件でそこまで強くないです。より強い条件としては「前髪がある」「笑った時に歯茎が出ない」の二つがあります。前者は私自身は気づきませんでしたが妻氏からの指摘で判明しました。だから、家でたまに妻氏は「パパは前髪がある女の子が好きだからねー」とテレビを見るなどしている時に言うことがあるのですが、それを聞いた長女が近所の真ん中分けの同級生に「パパはXXちゃんのことを好きじゃないと思うよ。前髪無いから」と言い、XXちゃんがショックを受けてXXちゃんのママに報告、XXちゃんのママが妻氏に報告、妻氏から私に報告が来るという事案が発生しており、なんかこういう好みを公言するのも良くないよなと思う。こういう記事書いておきながら、だけど。
ちなみにXXちゃんは毎日長女を送り出す時に顔を合わせるので、ちょっと居心地が悪く、かと言って私が「XXちゃんは前髪が無くても好きだよ」とは言えないのである。なぜならばそれが新たな事案になるからである。
こういう事が発生する度私に人間関係は早すぎるしつらすぎるのであって、私は貝になりたい、と思う。人間関係が嫌いな私に恋愛を語る資格も無く、従ってエヴァンゲリオンのキャラクターで誰が良いとか良し悪しを判定することもやりたくない…。のだがそうやって横道に話が逸れてると何時まで経っても終わらないのでさっさと書き進める。
ショートカットはとりあえず置いといたとしても、綾波レイはなんか付き合ってたらかなり気を使って疲れそうだな、と思う。映画でも「お肉嫌いだから食べれない」とか言ってましたよね。ああいう好みもそうだし、何を提案しても反応が薄いので何を好んでいるのか、何が嫌いなのかを判断するのに時間がかかり、そういう諸々で気疲れしそう…と思ってしまう。だからとりあえず綾波レイは無しかなー。
新作の映画の方の話だけど、碇ゲンドウを誘ってメシくおうぜとか言ってたでしょ。ああいう「仲が悪い人たちの関係をよくさせよう」って第三者が能動的に動くのもちょっと苦手なんですよね…。
では次に…と書こうとしてここで面倒な事実に気づいた。中学校のときには居なかったキャラクターが1人増えてるのである。
名前すら覚えてないのでわざわざググったが、真希波・マリ・イラストリアスというらしい。正確に言うと作戦オペレーター的な人でも女性が一人増えてるのだけどこれも含めると大変なことになるので見なかったことにしておく。
で、彼女を今回の問いに含めるべきかどうかというのはちょっと悩んだ。が、ちょっと考えた結果、これは除外で良いと思う。私はこの人、どちらかというと嫌いなのである。
私は語尾に「にゃ」とか付ける人が嫌いだ。ああいう感じで無理やりテンションを高めたり、真面目な場面でふざけた歌を歌ったりする人が好きじゃないのである。
これも理由を探ると話が長くなるが説明する。こういうプロセスが心の中に刺さった釘を除去するのに大事だからね。
その昔、小学生だったときに同級生だった女の子にA子というのが居た。そのA子が、こんな感じで語尾に「にゃ」を付けたり、真面目な時にふざけた歌を歌ったり、無理やりテンションを高めたりする人だった。オルゴールを聞きながら教室の隅で体育座りをして、首をかしげながらそれを聞き入ってる、みたいな奇行もよく行っていた。
後になって噂で聞いた話によると、A子の家庭は特殊で、母親が今でいうガチの腐女子だったらしく、子供であるA子にも小学生のうちからいかがわしい同人誌を買い与えて読ませていたということだった。父親もそういう系統だとかなんとかかんとか。なんかサラブレッドのクロスブリードで英才教育みたいな感じですね。よく分からんけど。個人的には趣味がどうであろうとその人の勝ってだろうけど小学生にいかがわしい内容のものを読ませるのはちょっと違うよなぁと思った。
まぁ、種々の奇行はそういう理由なんだろうなと思います。大人になった今は正気を取り戻し、所謂黒歴史みたいなもんだと本人は苛まれているのかも知れません。
ともかく、A子は終始そんな感じで不思議ちゃんを演じるので会話があまり成り立たないし、どこか人を見下した言動も多かった(本人は不思議ちゃんを演じているのかもしれないが、私の目には人を小馬鹿にしている、見下しているように見えた)ので私はA子の事は嫌いだった。
そしてA子の奇行がこのマリ女史とそっくりで、見る度苦痛を感じるのだ。だからこういうふざけた喋り方の人は無いな、と思う。
次。アスカはどうか。性格が基本勝ち気で明るいのは良いと思う。実際付き合ってみたところを想像しても、こう強気な女の子が自分を引っ張っていってくれるのも悪くないのかも知らん、とも思う。しかしながら、ガチの議論になった時に私は徹底的に相手を論破して泣かせてしまったり、感情で来られると大人気なくブチ切れてしまったりしそうなので性格的には合わない気がする。
あとこれも似たような経験が何度かある。会社の研修で通称「姉御」とあだ名されている後輩の女性社員とグループになり作業かなにかに取り組んだことがあるが、とても苦痛だった。その人は上司だろうと先輩だろうと思ったことをズバズバ言うタイプだから「姉御」と呼ばれていた。目上の人に物怖じせずに意見を言うのは良いことだと思うが、しかし姉御女史の物言いは何ら論理的なものではなく、「私がそう思うからそう」という根拠のない自信に基づくものだった。だから研修上の議論で衝突しても「普通に考えたらこう」などという理由で直観的かつ周囲の同意も得ず勝手に物事を進めてるので、研修だから良かったもののこの人と一緒に仕事はできんな、とおもった。周囲が姉御とか言うから勘違いしてるんだろうな。「私サバサバしてるから」みたいに自称してるやつにこのタイプが多い。サバサバしてるんじゃなくて単に自分勝手でそれを制しようとしないし、周囲も注意するどころかヨイショするから永遠に勘違いのフィードフォワードループになるわけである。
そう考えるとアスカも「あんた見てるとイライラする」「この私に命令しようっての」などというセリフが多く、単に感情的・主観的な判断基準によってズバズバ言うタイプなので、私みたいに全てに対して論理と知識体系を要求するタイプとは絶対に合わず、喧嘩になったら大変なことになることが想像される。従ってアスカ氏もちょっと無理だと思う。
であればミサトさんはどうであろうか。ミサトさんは先程、自分の1歳下であることが判明した。同年代である。中学生の時はミサトさんはババアだと思っていたが、もう私もいい年である。同年代であると分かったミサトさんはどうだろうか。
無いと思う。
ミサトさんは中学生に対して胸の谷間を強調した写真を送りつけたり、人類と使徒との決戦を担う兵器を操縦する重要なパイロットを独断で自分の汚い部屋に住まわせるよう強引に調整したり、自分が寂しいからと中学生の手を握って拒絶されたり、作戦開始時刻に遅れて登場したり、映画では中学生に「大人のキス」をしたうえ「帰ってきたら続きをしましょう」などと青少年をたぶらかすなど、社会人としてアウトだろうと思う行動が非常に多い。もっともそれらが作品の演出だというのは理解するが、今回の議論は架空の人物の話であるので、作品全体を通して判断するしか無いのもまた仕方のないことである。だから、どれもこれも実際あったこととして判断するしか無い。Yくんが好きだったミサトさんはそういう人間であったと。ああいう人と一緒に暮らしたら毎日ガチで説教してしまうと思う。無理だ。
あと誰が居たっけ。赤木リツコ博士?金髪が好きじゃないし、クローン人間だからという理由で人間そのものの姿かたちをした綾波シリーズを破壊できる(しかもその裏には男女のいざこざが語られている)というという倫理感は技術者としても研究者としても論外だし、一般常識に照らし合わせてみても到底受け入れられるものではない。事実、この一件が理由で赤木リツコ博士は監禁されるがそれも致し方ないだろう。弁解の余地は無いと思う。 もっと言うとそもそもエヴァンゲリオンの開発自体、死んだ母親の魂みたいなものをコアに宿らせたりと、普通の倫理観・道徳感を持っていたら遂行できるミッションではないのでなんかちょっと感覚が違ってるんだろうなと思う。
最後に残ったのは伊吹マヤですかね。もう一個私の好みを語らせていただくと、私は正面切って活躍が目に見えて活躍している人よりは裏方で頑張ってる人の方が好きというのがあります。例えるならば、クラスのマドンナではなくて学級委員長の方、とかね。いや学級委員長ではないな。部活の副部長、みたいな感じかな。あとは芸能人よりも芸能人のマネージャーや番組スタッフの方が性癖に刺さる、みたいなね。分かる?わかるかな。分かるよねきっと。分かると言いなさい。
それでいうと伊吹女史は裏方派なので好きな方なのですが、作品全体で見るといささかヒステリックな面や潔癖症の気があるのがちょっと気にかかりますね。普通に付き合ってる分には問題ないですが、一旦喧嘩したら物投げてきたり1週間位ずっと怒り続けてたり、「触らないで!!!」とか言って手を払ってきたり、その他、こちらがトラウマになりそうなレベルで拒絶されそう。なんか想像するとしんどい。あと、ショートカットだし…
というわけでやっぱり決められないですね。難しいです。そもそも登場人物に普通の人が居ないんですよね。このアニメ。ちょっとしんどいよな。と思う。
…というわけでここまで書いて私は何か既視感を覚え、それが何かちょっと考えました。そして気づいたんですが。
私のこの態度って、「結婚したい」を連呼しつつ誰かと付き合うことさえ極端に慎重になって婚期を逃してしまっている人たちそのものでは?と。
なーんかテレビや低俗なネット記事等で「結婚できな女&男たち」みたいなのをたまに見るんですが、それでいつもこう思ってるんですよ。「年収だの長男だのなんだのごちゃごちゃ言ってないでとりあえず付き合ってみればどうなん?結局恋愛って人付き合いの特殊なパターンで、かつあらゆる人間って完璧な人は居ないんだから、その完璧じゃない人をお互いに許せて、生活していける人かどうかってのをとりあえず付き合ってみて確かめてみればいいじゃん、それすら怖がってたら何時まで経っても結婚できないでしょ」って。
で、自分が今の歳になって真剣に選ぶ立場として付き合う相手を考えた時、架空の人物とは言え具体的な女性像を提示された上で選べと言われても…。選べない…。これは選べない…。
なぜか。これはやっぱり人生経験を積んでしまったからでしょうね。つまり、「マヤちゃん、喧嘩したら物投げてきそう」「ミサトさん、社会人として常識なさすぎ」「アスカ、一緒に仕事したくないタイプ」などと過去に出会ってきた人物像と照らし合わせて「この人はこういう人だろう」と深く想像してしまうのでしょう。そしてそれはある程度合理的であったりするのが難しいところです。
とある精神科医が「恋愛というのは人間に合理的な判断をできなくする一種の精神病とも言える」という主旨のことを言っていましたが、年を取るほどにそれが理解できます。
現代社会で合理的な考えをしていたら、結婚しないという選択肢にも一定以上の合理性がある。種々のアンケート結果を見ると「一人の時間を奪われたくない」「家族を養うのが経済的につらい」「趣味娯楽に集中したい」などなどが結婚しない理由の上位に入っています。特に現代は独身であることに対して特に偏見が無くなってきたのも拍車をかけていると思います。
ではその合理性を打ち砕いて非合理な結論、もしくは、以前の自分であれば同意できなかった結論に至るために恋愛という精神病が必要なんだろうなと。ある程度人生経験を積んだら、「大好き」みたいなちょっとおかしい精神状態じゃなきゃ赤の他人と一緒に暮らすなんて無理なんだろうなと。
そう考えると晩婚化がどうのこうの、結婚したくてもできない男女がどうのこうのって言ってますけど、実はそんな難しいことではなく、皆に必要だったのは純粋な恋だったのかもしれませんね…。
え?そんなことは分かってるし恋に至るための出会いがねーから問題だって話をしてるんだって?そうですね、そのとおりです。失礼しました。
そういうわけで、私も「あの人は嫌だ」「この人は嫌だ」と文句言って及び腰になるのではなく、ちゃんと今ある選択肢の中から選べっていう話なんだと思います。だから決めます。がんばります。
で、決めました。アスカです。アスカ。僕と付き合ってください!
なぜアスカか?それは彼女が本来の意味でのツンデレである(付き合う前まではキツイ物言いだが付き合った以降はデレデレしてる)可能性が濃厚アブラマシマシカラメと言えます。つまりあのズバズバ言う人を苛つかせる物言いも、付き合ってみたら急激にデレデレへと変化する可能性が高いということですね。なぜそんなことが言えるのかというと、アスカは加持さんが大好きだと始終くっついているシーンなどがよく出てきますね。あれはアスカ自身、幼少時代に親から愛されなかった裏返しであるとか「子供ではなく大人が好みである」という周囲へのアピールであり、かつ「私はあなた達より大人である」という背伸びした主張であると分析も可能ではありますが、しかしそれが全てではないでしょう。心を許した相手にはデレデレするという気がゼロではないと思います。
ただ、作中のアスカの深層心理を描写から察するに彼女は解離性同一性障害の気があり、かつ、幼少期の辛い精神的ショックがあるという生育歴からもそれを強く匂わせています。こういう場合、大人になってからも何らかの精神疾患を発症する可能性は否定できませんが、その当たりは適切なお医者さんにかかって適切に薬を飲んで頂き、間違ってもメンヘラぶってTwitterなどに値だらけの腕の傷をアップロードするなどの行為をしないよう監視するなどのサポートを経ることによって、日常生活に支障をきたさないレベルにまで症状を抑えることも可能です。私は精神病の本を買い漁る程度には精神病に興味があるので、そういうのも悪くはないですね。知らんけど。
あとは結婚したら実家に帰ると称してドイツにしょっちゅう旅行に行き、ソーセージとビールを山ほど飲み食いするというのも良いですね。子供産んだら(本人は絶対に子供は要らないと言ってますが)、なんだかんだでPTAとかでも上手く周囲と付き合って楽しくやってそうな気がする。PTAで活躍するアスカ、良いんじゃないですかね?知らないけど。そういう本描いてみて下さい。じゃ、あとはたのんだ。よろしく。ばい〜。
ちなみにFF8の中で誰と付き合うかを選ぶならばキスティス先生一択、即答です。よろしくお願いします。