【エヴァ感想】3~7話
3話 鳴らない、電話
冒頭のシンジの訓練シーン。
「しかし、あんな経験をしたあとでよく乗る気になりましたね」 「言われたことには従うのがあの子の処世術じゃないかしら」
という会話がなされる。冷静に考えれば酷い人たちだと思う。本人の意向をまともに確かめもせず連れてきて中学生を危険作業に従事させる。その人でないとエヴァは動かないからと。冷徹にシンジをエヴァを動かすためのパーツの一部だと明確に断ずるのは碇ゲンドウであり、碇ゲンドウはシンジの父親だからこそその冷酷さが際立っている。ただ、ゲンドウ以外もやっていることは大差無いのではないかと思う。
もちろん、シンジという中学生を乗せて戦わせねば人類に未来が無いのだからそうさせるのは当たり前ではあろうが、もう少し大切に扱ってあげても良いのではないかと思う。なんせ、使徒に唯一打ち勝てる兵器が動作するために直列で関わるシステム構成要素であるのだから。ただ、シンジ自体はあまり好かれるタイプではない。言われることには従うが、愛嬌はない。愛されるキャラクターではない。それが3話の中心となるテーマではなかろうか。
中学校でシンジはクラスの女子に「あのロボットのパイロットはシンジくんでしょう」と問われ、そうだと答えてしまう。このあたりもいかにも中学生っぽい。一応、秘密兵器である割にはセキュリティがザルな気もするが…。
なお、この教室のシーンで綾波レイが包帯ぐるぐる巻きで頬杖をつきながら外を見ているシーンがあるが、これは私の性癖ですね。昔からなぜか怪我をしている人が好きだった。
ちなみに庵野秀明は、実父の片足が事故で失われて無かったことから「僕にとって人間というものはどこか欠けているほうが良いと思った」と述べている。綾波レイはどこかが欠損しているわけではないが、作中を通していつもどこか怪我をしている。また、後に明らかになるが綾波レイには人間として備わっているであろうものがいくつか失われている。
クラスメイトでいうと私は相田ケンスケが一番好きかもしれない。ミリタリーオタクとしてのシンパシーもあるが、ドライな現実主義者でもあるような気がしており、そこが好きだ。一見すると軽くてお調子者のような感じもするのだが。
鈴原トウジに「お前のせいで妹が怪我した」と殴られたシンジ。そして二つ目の使徒がやってくる。
このエピソードで私が中学生当時に見て良いなと思ったのは住民がシェルターに避難するシーンがあることだ。私にとっては怪獣が攻めてきて住民が右往左往して被害を受ける、という描写があるのはすごくリアリティを感じるのだ。作品としてそういう描写がある有名な作品としては「ゴジラ」をはじめ、特撮系の何かで色々あるとは思うんだけれども、私には馴染みが無い。多分、見たら面白いと感じてハマるのだろうなと思うが、2026年に見るのはちょっと億劫でもある。
シェルターに避難したケンスケはトウジに「シンジが俺たちを守ったのにトウジはシンジを殴ったりして。あいつがエヴァに乗らないと言ったら俺たちみんな死ぬぞ。トウジにはあいつの戦いを見守る義務があるんじゃないのか」と言う。その真意はミリタリーオタクとしてのケンスケがエヴァの戦闘を見たい、ということなのだろうが、しかし、このセリフも本心であるのではないかと思う。
ツチノコみたいな使徒に対しエヴァはライフル(がでっかくなったような兵器)をフルオートでぶっぱなすが、いまいち効果が薄い。作中を通じて銃器は敵に対して効果があったためしがほとんど無いが、あれはどういう思想で作られた兵器なのだろうか。一方で肩の防護板のようなものから飛び出してくるプログレッシブ・ナイフは大活躍で使徒(を初めとする敵)を何度か屠っている。
戦闘を見るためにシェルターを脱出したトウジとケンスケはエヴァと使徒の戦闘のど真ん中に巻き込まれてしまい、仕方なく二人をエヴァの操縦席たるエントリー・プラグ内に避難させる。ここは見る度にどうやってプラグに登ったのだろう?と不思議に思う。操縦席は高さ10メートルはあろう位置に細い円筒が飛び出している、というような構造であって、どう考えてもたどり着くのが困難に見える。この点、漫画版や新劇場版では梯子が降りてくるような描写があった。ただ、それでもだいぶ乗り込むのはしんどいと思うが…。
トウジとケンスケはシンジが恐怖と戦い苦しみながら使徒との死闘を繰り広げていることを目の当たりにし、使徒に腹を貫かれつつもシンジはプログレッシブ・ナイフで使徒を倒す。
4話 雨、逃げ出した後
4話は正直、エヴァ全編を通して一番嫌いなエピソードかもしれない…。中学生当時でエヴァンゲリオンを見ていたときも、碇シンジというキャラクターはずっとグズグズとしていて愛想がなく、見ていてイライラする人間であった。そんなシンジが家出してあちこち彷徨くという流れが鳴音となる。
新世紀エヴァンゲリオンというアニメの当初のコンセプトは、こういう悪い意味で中学生らしい、ずっとグズグズしていていじけていて、自分の意思をはっきりさせないような誰からも愛されないようなキャラクターが成長していくという物語だったのかもしれない。いや、本当は最初から最後までそういうコンセプトで一貫しているのかもしれない。ただ、私はそうはどうも解釈できない。ほとんどのエヴァファンは碇シンジというキャラクターに振り回されながら作品を視聴している、という構図が正しいのではないかとも思う。
繁華街や映画館のシーンではどこかで聞いたことのあるネルフメンバーの声が沢山聞こえてきて、これ本当になんなんだろうと思う。ネルフの面々がキャッチしてるような絵面が浮かんできて本当に違和感がある。前にも書いたがエキストラ声優を用意するのって当時は何か難しい事情があったんだろうか?
ミサトは「シンジが戻ってこないならそれはそれでいいのかも」と大変無責任な事を言う。何度も書くが、エヴァンゲリオンは使徒殲滅のための唯一と呼べる兵器で、パイロットはその兵器システムを動かすために必須の構成要素である。シンジが戻らないならそれでOK、というのは、使徒との戦いを放棄しているに等しいと感じる。
ただ、ミサトがそう思う理由としては、前回の戦闘の後で命令に従わなかったシンジを咎めたところシンジは「別にいいじゃないですか。勝ったんだから。別に死んでも良いですよ。どうせ僕しか乗る人居ないんでしょ。乗りますよ」などと舐めた口をきく。こんなことを言われたら私ならば感情でグーで殴って追放すると思う。ミサトは我慢強かった。
そしてシンジに終始イライラさせられる第四話で唯一の良心とも言えるのがケンスケの存在だと思う。ケンスケは一人で野宿して戦争ごっこをしていた時にシンジと偶然出会い、一緒にメシを食って話をする。ケンスケは「あんなロボットを自由に操縦できて羨ましい」と率直にシンジに伝える。シンジはそれに対して「お母さんが心配するよ」と言うと、「俺に母親は居ない、シンジと同じだよ」と明るい調子で言う。
ケンスケはシンジがここで放浪している経緯についても何となく察しはついているだろうが、特にその点については何も触れようとはしない。ただ、自分の気持ちを述べていつも通り振る舞うだけだ。ケンスケは中学生の割にずいぶんと大人じみていると思う。
朝方になりテントにネルフ職員がやってきたときも、特にケンスケは抵抗しない。シンジが職員に連行されるのをただ見ているだけだった。後にトウジに「なんで見ているだけだったんだ」と咎められたときも「向こうはネルフの保安局でプロだし、勝てない喧嘩するやつは馬鹿なの」と言っている。こういうあたりも私がケンスケを好きな理由の一つだ。
家出から連行されて帰ってきたシンジは相変わらず「僕は乗りたくないけれども怪我をしている綾波一人に押し付けられるわけがない、どうせ僕が乗るしか無いんだから」とグチグチと投げやりな答えをする。それに対してミサトは「いい加減にしなさい、人の気持ちがどうとか関係ないでしょう?乗りたくないならここを出て行きなさい、あんたみたいな気持ちで乗られるの、迷惑よ」と告げて去って行く。まったく仰るとおりだと思う。シンジが大事なパイロットだとしてもコイツと付き合っていくのはだいぶしんどいことと思う。
シンジがネルフを去り電車で帰るとき、駅で待っていたケンスケとトウジと出会う。トウジは殴ったのは申し訳なかったから俺の事も殴れ、と言う。シンジは躊躇するが結局は本気で殴り、殴った後背景のネルフ保安局職員がニヤニヤと笑っている。こういう細かいところが好きだ。今のアニメはこういう表現が少なくなったような気がする。1回見ただけでは見逃してしまうかもしれないような細かいところがあるとファンとしては嬉しい。
結局、シンジは自分の行動が過ちだったことに気づき、電車には乗らず駅のホームに残る。そして、同じく追いだしたのは間違いだったと考え直したミサトが迎えに来て一件落着という終わり方だ。ただ、正直私はここでシンジが帰っていった方が良かったとすら思う。改めて見ると私は碇シンジのことがだいぶ嫌いだな…。主人公であるのだが…。
5話 レイ、心のむこうに
5話と6話はテレビアニメシリーズの中でもかなり完成度の高いエピソードだと思う。新劇場版1作目のクライマックスはこの辺りの話が中心となっている。この辺りで要するに庵野監督は「ゴジラ」みたいなことをやりたかったのだろうと思う。国家規模の作戦で凶悪な敵を打ち倒すというのはまさに「ゴジラ」でもあり、そのまま庵野監督の「シン・ゴジラ」にも引き継がれていると思う。
私はたとえエンターテイメント作品であろうと、そこには一定程度の社会的責任が伴うと思う。一応は世に出す作品なのだから最低限の道徳観念その他は兼ね揃えておきましょうや…という。ただ、時々そういった社会的責任が薄らぐことがあり、そうした瞬間はクリエイターの本当の良さが光ると思う。宮崎駿の「紅の豚」とかね。5話と6話、そして「シン・ゴジラ」が庵野秀明にとってのそうした瞬間であるかどうかは不明だが、少なくとも私は同種の方向性を感じる。
5話の始まりはいままでイマイチ謎だったレイに焦点が当たる。綾波レイは初回登場時から全身に包帯が巻かれた姿で登場し、なぜそのような大けがを負ったのかは分からなかったが、その理由が5話冒頭で明らかにされる。そして、怪我を負った一件にはシンジの父親である碇ゲンドウも深く関わっていた、ということだった。
シンジがネルフに来る前のこと。綾波レイが登場する零号機は実験中に暴走し、操縦席(エントリープラグ)が脱出してしまい、プラグは実験室内の天井に衝突した後床にたたきつけられた。零号機に窓越しに殴られても微動だにしなかったゲンドウは綾波レイが負傷すると一目散に走って行き、プラグのドアを開けて安否を確認する。このとき、プラグを射出するための化学ロケットのようなもので熱を持っていたのか、ドアを開放するレバーは高温になっており、ここでゲンドウは手を火傷し以後白い手袋を付けるようになる。そうしているということはおそらくはかなり深い火傷だったのだろう。
なぜゲンドウが綾波レイに対してここまで固執するのかはこの時点では不明であり、続くシーンでもミサトが綾波レイに対して「過去の経歴は全て末梢済み」と書類を読み上げている。綾波レイの怪我の原因については明らかになったが、その他については何も明らかにされない。
使徒についても何も明らかになっておらず、体が粒子と波によって構成されているらしいこと、遺伝子の構造が人間と酷似していること、謎の動力源によりエネルギーを得ていることなどが淡々と語られる。
続いて私生活においても綾波レイは謎に満ちていて、1年生のときに転校してきてからほとんど誰とも喋らない学校生活を送っていることがトウジとケンスケから語られる。にもかかわらず、ネルフ本部内において綾波レイと碇ゲンドウが笑顔で会話している所をシンジは目撃する。誰にも心を開かない綾波レイと、実の息子であるシンジに冷たく当たる碇ゲンドウの二人はどうも仲が良さそうである。怪しい。こういうわけである。
続く一家団欒のシーンではペンペンにもカレーとビール(エビス)が用意されている。今のアニメではこういうシーンもアウトな気がする。動物に刺激物やアルコールを与えるのは動物虐待の一つであるから。単に無茶苦茶なミサトの生活を示す演出の一つではあるのだが。
余談だが、中学生当時の私にとって周囲の大人が飲んでいたビールというのはアサヒかキリン、たまにサッポロだったのでエビスってなんだ!?ととても気になっていた。うちの実家で飲んでいたのはアサヒであった。大人になった今も飲むのはアサヒがメインで妻の実家ではキリン、たまにサッポロという感じだ。
シンジは新しいIDカードを届けるために綾波レイのマンションを尋ね、なんやかんやあって全裸の綾波を押し倒しておっぱいを触ることになる。そうはならんやろ、と思うが昔のアニメや漫画の定番のシーンの一つではあった。これも時代か。
全裸を見られておっぱいを触られた綾波レイはなにも動じることなくシンジをまるで存在しないかのような調子で振る舞い家を出る。そしてシンジはとぼとぼと後をついていき、ネルフ本部内で父親である碇ゲンドウについて話をする。
「あなた、碇指令の子供でしょ?信じられないの?お父さんの仕事が」
綾波がそうシンジに尋ねて「当たり前だよ、あんな父親なんて!」とシンジが答えると綾波レイはシンジに向き直ってビンタを食らわせ、何も言わず去って行く。こうしてカジュアルに暴力に訴えるのも昔のアニメっぽさがある。改めて見るとやはり古いアニメだな…。
「綾波レイは感情がないキャラクターである」という印象が強いが、碇ゲンドウとは笑顔で話すし、ゲンドウのことをシンジが悪く言うと怒ってビンタを食らわすし、ちゃんと感情はあるのだな、と思う。人間関係の興味の向き先が碇ゲンドウたった一人に向けられているという点でとても奇異な行動ではあるが、感情がないわけではない。
続いてはエヴァンゲリオン零号機の再起動実験のシーン。ここで、神経接続を開始するという主旨のセリフがあったあと、英単語の羅列が流れる画面が数秒流れる。何となくここを調べていってみた。左側はおそらく sensory neuron (感覚ニューロン)、真ん中は motor neuron(運動ニューロン)、右側は proto neuronと書かれている。エヴァンゲリオン零号機はプロトタイプであるという設定だが、右側がつまりエヴァンゲリオンのニューロンということになるのだろうか。
細かい英単語はそれぞれ体の部位や骨の名前を示しているようだが、一つだけ「MITOCHONDRIA」という表記があった。ミトコンドリア。なぜかここだけ細胞内小器官である。人間であれば全ての細胞に内在するもので、エネルギー産生を行っている。ここを接続するというのは意味が分からない。その下には「FARANDOLAE」という単語があり、これは調べたところ『五次元世界のぼうけん』という児童向けのSF小説の中でミトコンドリアの中に知性をもった生物の名前としてFARANDOLAEという単語が登場したらしい。へーーーーーなるほど。
エヴァンゲリオンはこうしたマニアックなネタが多いのだが、これは初めて知った。ググってもエヴァンゲリオンの文脈の中でのFARANDOLAEという話は出てこなかった。
そして本エピソードの終わりでは菱形形状の使徒が登場し、初号機は登場と同時に正確に胸を使徒のビームによって攻撃されて危機的状況になる、というところで5話は終了する。
6話 決戦、第3新東京市
前回の続きから。シンジとエヴァ初号機はいきなりビームの直撃を受けて即時退却。このとき心臓マッサージされている旨の説明があるので心停止?心室細動?しているようだ。操縦席から取り出されたシンジは鼻血を出している。
続いて情報収集のシーン。ここで独12式自走臼砲なる兵器が出てくる。形が臼砲なだけで列車に搭載する形式のレーザー砲のように見える。そして牽引車が付随している。つまり臼砲でもないし自走もしていない。なんだこれは…。しかしこれのデザインはかっこいい。画面を止めてよく見ると履帯のようなものが見えるから本当は自走もできるのかもしれない。
使徒は一定距離内の外敵を「かりゅうしほう」で攻撃すると言っている。「かりゅうしほう」は「荷電粒子砲」の略だろうか。何らかの電荷を帯びた粒子を発射する砲。使徒内部の模式図でも何かが回転するような表示がなされていたので、サイクロトロンのようなものではないかと思われる。
使徒はネルフ本部直上に到達してそのままトンネルを掘るシールドマシンのようなもので地面を掘り直接攻撃を仕掛けようとするつもりのようだ。残された時間はたった14時間。
ミサトは目標のレンジ外(射程範囲外?)の超長距離からの射撃を作戦として提案する。このとき、「目標のATフィールドを中和せず高エネルギー収束体による一点突破」にて攻撃すると述べている。これはとっても重要な発言であると思う。つまり、「使徒はエヴァンゲリオンでは無いと撃退できない」というわけでもない、のである。ここまで使徒にはATフィールドなるバリアー的な何かが備わっていて、それを破って使徒にダメージを入れるのはATフィールドを中和できる能力をもったエヴァンゲリオンのみ、という説明がなされているが、実際は十分なエネルギーを投入すればATフィールドは破ることが出来る。つまり、ATフィールドも魔法のようなものではなく、物理現象の一種であるように思える。
ここは私はずっと疑問だった。後のエピソードでもエヴァが長距離から弾体やビームで使徒を攻撃するシーンが何度か登場するが、あれで使徒にダメージが入るのならば別にエヴァンゲリオンだけが使徒に打ち勝つことの出来る兵器である、というわけではないと言える。ならば超高出力のレーザーなども十分な戦力になるはずで、子供をロボットに乗せるよりはより人道的であるという決断がなされることはなかったのだろうか。まあ、好意的に物語を解釈するならば、ゼーレと碇ゲンドウにとってはエヴァンゲリオンが自らの裏の目的である「人類保管計画」に必要なのでエヴァンゲリオンのみが使徒に打ち勝てるのだ、というストーリーが大事であったからそのように工作したのだろう、ということは言えると思う。
ミサトが作戦を提案した後、冬月は「MAGIは何と言っている?」と問う。MAGIというのは3つの分散型のAIであって、ネルフの意思決定プロセスである程度の比重があるようだ。昔ならばAIがこうした自然言語の説明によって回答を出すというのは夢物語であったが、現代ではかなり真実味がある。時代がSFに追いついてしまった。
碇ゲンドウは「反対する理由はない。やりたまえ、葛城一尉」と作戦実行を承認する。ミサトは一尉だったのである。一尉というのは旧軍だと大尉にあたり、中隊(130人くらい?4クラス編成の学校1学年くらいと思えば分かりやすいかもしれない)を指揮するくらいの階級である。一尉が作戦の根本を立案するというのはなんか違和感があるがよく分からない。そしてミサトは組織の長である碇ゲンドウの前でも短パンで重要な作戦の報告をしており、なんかちょっと面白い。
作戦で使用する兵器は筑波の研究所にある戦略自衛隊研究所の荷電粒子砲である。この兵器は綾波レイが零号機を動かして持ち上げて運んでいる。これもちょっと違和感があった。零号機が筑波から箱根に走って持っていくのだろうか…。そんなわけでは無いと思う。ただ、取り出したあとでヘリコプターなどで吊り下げて運ぶとしたら、最初からエヴァを展開して運搬させる必要性はなく、全部ヘリコプター(や現場のクレーンなど)で出来そうなオペレーションであるように思う。まあ別にいいんだけど…。
そして、荷電粒子砲に用いるエネルギーは全国の発電所から徴発するらしい。その結果、全国では一時的に全ての地域で停電となる。日本中のエネルギーをシンジが預かって使徒を倒すというのは燃える展開だからそうであるべきなんだけど、元々電力の仕事をしてきた私はインフラが耐えれるわけがないだろう…と思ってしまう。東西の周波数変換にも限度があるし、それぞれの電力系統にもキャパがある。日本中の送電を集中させるような設計余裕はない。それのエクスキューズとして超伝導なんとかみたいなキーワードも出てきてはいるのだが。まあ、そういった専門的な突っ込みをしたくなる程度の作り込みをこうしたアニメで実現出来ているのがすごい、ということは言えると思う。
防御面に関しては「SSTOの断熱板」を盾として使用するという発言がある。SSTOというのは single stage to orbit の略で、単段式のロケットで宇宙まで到達できる宇宙船ということだ。厳密に言うと定義上は宇宙往還機ではないのでSSTOに必ずしも断熱板が必要ということではない。昔は「スペースシャトル」と言っていたような気がするが記憶間違いだったみたいだ…。
続いて、意識が回復したシンジに綾波が食事を持ってきて作戦の説明をするシーン。ここで出てくる食事もまた『2001年宇宙の旅』のオマージュだ。縦長の容器にペースト状の食べものがいくつか載っている。後述するが、この食事は新劇場版でも登場する。
改造して出来上がったポジトロン・ライフルを見てシンジは「野戦向きじゃない」等と言っているが、なんかこのセリフが当時からシンジがこんなこと言うかな?と違和感があった。
続いて綾波とシンジの着替えシーン。シンジが綺麗に服をたたんでいるのに対して綾波は制服や下着を放り投げている。この対比も良いなと思う。パンツの描写が妙に生々しくて制作陣のこだわりを感じる。
これで死ぬかもしれないね、というシンジに対して綾波は「あなたは死なないわ。私が守るもの」と告げる。作中でもかなり印象に残るセリフだ。
アニメや漫画で女が戦いに出る、という姿は昔から数多く描かれているが、綾波レイに関してはある種の覚悟というか、そういったものを感じる。魔法少女のように女の子らしさを失わずまとったファンシーな戦いではなく、本当に生きるか死ぬかという戦いに女が投入されるのである、という実感が伴っているように思える。『風の谷のナウシカ』にも似たようなものを感じる。
作戦が始まると急造の受電設備および冷却設備が稼働し始め、エネルギーをポジトロン・ライフルに送り始める。受電設備については現地で電力を何らかの方法で蓄電しておく方法が取ったほうが現実的ではないかという気がする。同様の問題はEVの充電設備などでも発生しており、同様の解決方法がとられる場合がある。でも、充電すればOKということであれば停電させなくてもよい、という結論にもなってしまいがちで、すると演出性に欠けるからまあそういうことになったのかもしれない。
さて、ポジトロン・ライフルであるが、これはその名の通りポジトロン(陽電子)を発射する兵器のようだ。作中でも「陽電子流入、順調なり」というオペレーターのセリフがある。陽電子は電子の反粒子なので空気中の分子(酸素や窒素など)にぶつかるとそこで対消滅してエネルギーとガンマ線を放出してしまう。なのでそもそも貯蔵や制御が非常に難しいし、撃った瞬間に射手が放射線被曝してしまう。
使徒を撃滅させるためのエネルギーを届けるということを考えると、なんとなく陽電子を使用するよりも陽子やより重い粒子などを使用した方が良いのかなと思うけれども「ポジトロン」という響きのかっこよさが重要視されたのだと思う。
一発目は使徒の反撃により命中せず、二発目を撃つ前に使徒がもう一度反撃する。そこで「私が守る」と言ったとおり綾波が身を挺して初号機を守ることになる。そして二発目を撃ち、使徒は打ち倒された。
シンジは綾波が搭乗するエントリー・プラグを取り出し、熱をもったドアを無理矢理こじ開けて綾波の安否を確認する。生きていて良かったと泣くシンジに対し綾波は「ごめんなさい、こんな時どんな顔をすればいいか分からないの」と言い、シンジは「笑えば良いと思うよ」と伝える。その姿に綾波は碇ゲンドウの面影を感じて微笑む、という終わり方だ。
こうして見てみると5話、6話は綾波レイという謎めいたキャラクターが中心となっており、ストーリーが完璧な形でまとまっていてとても完成度が高いと思う。単にストーリーを説明するだけのアニメーションに留まっていない。前述したとおり5話、6話あたりが新劇場版1作目のクライマックスとなるのだが、確かに一つの映画として作れるくらいのポテンシャルがあるなと思った。
そして、テレビシリーズにおける単純な完成度というのはここで既にピークに達してしまっているとも思う。
しかしながら私が好きなエヴァというのはそういうことろではない。「ここは盛り上げるよね~」という王道のストーリーにはあんまり興味がない。もっとエヴァの魅力というのは別の所にあると思う。エヴァという作品にハマるかどうかはこの辺りが境目かもしれない。人によっては5話、6話以降は惰性でよくわからない、という評価がなされるのかもしれない。
7話 人の造りしもの
7話は単純に言うと変な回だ。当時はこれは笑って見た方がいいのだろうかと思った。
単純化すると、ずぼらでがさつなミサトをシンジが見直すという回でもあり、エヴァンゲリオン以外の兵器によって使徒を打ち倒すことについての回答がなされる回でもあるような気がする。
途中のシーンで、南極に落ちた大質量隕石によって20億人が死滅したとされる「セカンドインパクト」なる事件は、実は最初の使徒を南極で発見し、その調査中に発生した原因不明の大爆発であったこと、そしてネルフは次に予想されるサードインパクトを未然に防ぐための組織であるとの重要な説明がなされる。
本エピソードの中心はジェット・アローン(JA)なる使徒に対する新兵器の完成お披露目会にリツコとミサトが呼ばれる、という話である。
ここで、ここまで感じてきた疑問に対する一定の回答がなされる。JAの開発者の主張は
- 電源が遮断されたら5分しか動作しないエヴァよりも実用的
- パイロットを精神汚染させるよりも道徳的
- 制御不能になり暴走するエヴァよりも安全である
- ATフィールドの中和に関しても「時間の問題」と発言し解決の術を示唆
- ネルフの失態によって国連は莫大な追加予算を捻出することとなり、飢餓が広がっている
というものである。これにブチ切れたミサトが更衣室と思しき部屋のロッカーを蹴りまくって破壊している。その際に「どうせうちの利権にあぶれた連中の腹いせでしょ?」とミサト自身が発言している。「うちの利権にあぶれた連中」はすこし曖昧だが、そのまま解釈するとネルフから発注する下請け業者から弾かれた業者、と思われる。ただ、ネルフが保有するエヴァの代替となる兵器を開発したと少なくとも自称していることや、その開発団体がエヴァの代替兵器の開発を行うモチベーションも考慮すると「ネルフが預かっている利権を自分たちも欲しいと思っている団体」というようにも解釈できる気がする。つまり、「うちの利権」ではなくてネルフよりも上位の団体からネルフが得ている権益を貰えなかった団体、ということじゃなかろうか。
どちらであるのかはよく分からないが、しかし重要なこととしては使徒撃退のための兵器開発については利権構造が存在していて、ネルフが一定の利を得ているということまでは確定で言って良さそうだ。
とすると、「使徒は実はエヴァではなくても理論上撃退は可能であり、エヴァの低信頼性を考慮してもエヴァ以外の兵器開発にも予算を割く合理性は存在するが、ネルフは何らかの既得権益を得ていて、JAの開発団体が主張するような合理的な反論をある程度力でねじ伏せることができる」あるいは「そうすることが可能」ということだろう。
これで、なぜエヴァが使徒に対する兵器として唯一の存在なのか、という説明ができると思われる。ATフィールドがあるから、というのは本質的ではないことが6話によって明らかになった。使徒はエヴァではないと撃退できないというわけではないが、ネルフはそういうことにしておきたいし、それは予算獲得以外にも何か理由がありそうだぞ、ということである。
いや、そうではなくて使徒を撃退する唯一の兵器はエヴァであるというのは確定しており、その理由はATフィールドを中和できるのはエヴァだけであるからで、6話で「高エネルギー収束体」がATフィールドを打ち破ったという解釈が誤りである、とも言えるとは思うが。というか、そっちの方が作品全体を見たときの整合性としては綺麗に収まるようにも思う。
続いて一瞬見えるJAの起動画面だが、これはMS-DOSの起動画面がモチーフになっているようだ。一番上に MEMORY CHECK 640TB + 2048TB という文字列が見える。もともと、MS-DOSではここに 640KB + 32000KB のような文字列が表示されていた。もともとMS-DOSがアクセスできるメモリというのはたった640KBしかない、という仕様だった。アクセスできるアドレス空間は1024KBであって、640KB以上の領域はハードウェアIOのための予約領域だった。だから、640KBのメインメモリとそれ以外の直接アクセスは出来ないメモリの容量という形でそのような表記がなされていた。
また、「ジェット・アローン起動用オペレーティングシステム Ver.3.3.16 日本重化学工業共同体、通産省、防衛庁」という表記もある。ここも元々、MS-DOSでは「マイクロソフト MS-DOS Ver.3.3」のような表記となり、続いてNECなどのメーカーの表記がなされていた。
ちなみに、エヴァンゲリオンシリーズでこうした画面のグラフィックデザインを考えたのは神村靖宏という人であるらしい。新劇場版のインタビューにおいてこの方がデザインを考え、新劇場版でもそれを踏襲したという発言がある。調べると、ガイナックスの最後の代表だったらしい。庵野秀明とは大学時代からの友人であるとも書かれている。しかしそれ以上の情報はいまいち出てこない。87年にNTTに入社とあるので、その辺りの経験が元になっているのではないかという気がする。
JAははっきりと明言されていないが、「制御棒」「リアクター」「冷却水」「減速材」などといったセリフが出てくるので原子炉(おそらく軽水炉)を内蔵したロボットであるようだ。エヴァと同じように人型の外観である。
ここで面白いなと思うのは、明らかに原子炉を搭載しているのに原子炉とか原子力とかいう言葉が出てこないことだ。もしかしたら原子力発電関連の事業者に対する配慮があったのかもしれない。JAは歩行を開始するが結局暴走し荒野と化した東京を歩いて行く。ようするに原子炉が暴走して爆発の危険があるということだ。もしかしたらそんなアニメを放映したら「だから原子力発電は危ない」といわれてしまうかも知れない。それに対する配慮ではないか。
しかし、分かる人には原子炉だと分かる要素を織り込んだ。そういう落とし所だったのではないだろうか。だとしたら、この時代の倫理観というのは「子供に危険作業をさせたり、大人が子供に性的虐待をしたり、気に入らなければ人を殴ったりする」ということよりも核災害の方が重い、ということだったのかもしれない。
さて、それを止めるためにミサトは自らJAに乗り込んで反応炉を停止させようとする。その方法としては「全てのソフトウェアを消去するパスワードを入力する」というものである。これももと原子力関係の技術者としては口を挟みたくなる。核分裂反応というのは制御棒を差し込んだ後も継続的に崩壊熱を除去する必要がある。原子炉を安全に冷温停止させるためには色々な手順が必要だ。それらをすっ飛ばして全てソフトを消去してしまえば暴走も止まってオッケー、というのは楽観的すぎてちょっと笑ってしまう。
しかも、そのソフトを消去するためのパスワードは「希望」とのことで、これもIT技術者としてはあまりにも弱いパスワードでこれも笑ってしまう。子供の考えた合い言葉じゃないんだから…。そしてシンジは荒野をダバダバと走って行くJAの取っ手(?)を掴んで止め、エヴァの手のひらに載せたミサトを侵入させる。このシーンがあまりにもギャグじみていて…。しかも、歩行を止めたらJAから蒸気が噴き出すようになる。考証がそれなりに厳格なアニメと思っていたら急にタイムボカンみたいになったみたいな印象だ。
そして、「希望」というパスワードは結局通らず、ミサトは一か八かだと制御棒のようなものを少しずつ押し込むとJAの反応炉は急減圧しJAは停止した。人間が押して動く制御棒というのも恐ろしい(制御棒は原子炉の反応度を制御するために重要であり、ましてJAは格闘戦を想定したロボットである)のだが。
あと、しつこいが全制御棒を全挿入(スクラムという)したところで原子炉はすぐには止まらないのは既に述べたとおりだ。もしここで急に減圧されたということは、圧力容器もしくは重要な冷却材配管が破壊されたことを意味する。もしスクラムした後に圧力が急に解放されたならば、私ならダッシュで逃げる。
ミサト自身も自分が制御棒を押し込んだからJAを停止出来た、とは思っていないようだ。「奇跡はすでに用意されていた」ということで、その黒幕はネルフであった、というのが本件のオチである。事後、リツコが「葛城一尉の行動以外はすべてシナリオ通りです」と碇ゲンドウに報告をしている。ようするに、ネルフとしてもJAという競合が現れることは容認できない、少なくとも本当の競合相手でなかったとしても「エヴァでなくても使徒撃退は可能」というストーリーにはしたくない、という意図があるのだろう。それは予算獲得であったり、なんだかんだと他にも理由があるのかもしれない。