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【エヴァ感想】1〜2話

新世紀エヴァンゲリオンという作品をもう一回全部見て感想を書こうと思った。

最近いくつかのアニメを見たのだけれども、漫画で大友克洋に対する「大友以前・大友以後」があるならば、アニメでの「エヴァ以前・エヴァ以後」があると言っていいような気がしたからだ。

ということで地上波のテレビアニメシリーズから旧劇場版、新劇場版まで全部見て感想を書いていこうと思う。

オープニング

死ぬほど聞いた残酷な天使のテーゼ。このムービーのパロディも当時沢山見た記憶がある。サブリミナル的にぱぱぱぱっと短い映像が連続するような手法は当時は斬新だったように思う。

1話 使徒、襲来

冒頭からミサトさんの谷間の写真。中学生に何を送っているんだ…。と、思うが、当時は特に違和感は無かった。見た当時私も中学生であんまり深く考えなかったからか、おおらかな時代だったからか。

背景美術のクオリティが高い気がする。街中の信号機の汚れ具合とか、メカがかっこいい。襲来する使徒に対して日本の戦略自衛隊(だっけ?)の指揮官が指令を出しているが、兵器にはUNの文字。どういう指揮系統になっているのだろう。

貞本義行のキャラデザは手足が長くてよい。冬月先生のアゴが長い。1話~5話くらいの作画はなんかくどい、古くさいと個人的には感じてしまう。絵としてのクオリティは高いのだと思うが、物語中盤以降のあっさりとした作画のほうが好みではある。

物語的な演出もあると思うのだけど、戦略自衛隊の偉い人たちが「碇くん、君なら勝てるのかね?」などと敵が攻めてきてから悠長に言っているのも気になる。使徒迎撃のための第三新東京市を設計した段階でネルフと戦略自衛隊は有事の対処方法について事前に協議していていないのだろうか。

戦況表示などの各種画面のUIはとても素晴らしい。1秒にも満たないような画面などにもかなり気合いの入った作り込みを感じる。私はエヴァの中で一番好きなものは何か、と問われたら画面のデザインを挙げると思う。仕様されているフォントや目盛りなどはいかにも実際にありそうなデザインであるが、表示されているものは未知で何がなんだか分からない。異星人の作ったUIのように感じる。西側兵器のオタクをやっていた人が初めて東側兵器を知った時、みたいな…。わかりにくい例えだが。

赤城リツコ初登場シーンは水着だった。後にも先にも水着姿はこのシーンだけだった気がする。なんで研究畑の博士が危険そうな潜水作業をしているのか謎だ。謎だと書いたけれどもまあ、お色気を出したかったのだろう。昔のアニメはこういうお色気シーンが多かった。

1話はいきなり怪獣のような何かが都市に攻めてきて、よくわからん親子も出てきて、よくわからん女二人が親子の子供の方を無理矢理でかいロボットに乗せようとする。そんな話になっている。前提の説明を放棄して見せ場を先頭に持ってくるというのはゼロ知識で見るときはどう感じるのだろうか。少なくとも2020年代にこのアニメを放映したら意味の分からん1話、という評価を受けそうだ。

シンジは一度は搭乗を拒否するものの、怪我を負っている綾波を見てやっぱワシが乗らねばなるまい、という気持ちになり搭乗を決める。エヴァ初号機の発進シーンはかなりメカの設定が細かく決められていて見所の一つだ。現実的には兵器というのは人型である必要がなく、合理性がないと常々思っているが、エヴァの場合はその人型のデカい兵器に戦闘をさせるということに対して付随する種々の機械がエクスキューズを入れているように思う。どうしても人型でなければならなかったのならば、こうしたサポートする機械装置が必要だろうと、そういう設計意図を感じるのである。

ちなみに、エヴァが人型であるのは人間では制御出来ない事情がある。後々明かされる。

2話 見知らぬ、天井

前回の続き、使徒と対峙したところから始まる。リツコは「歩くことだけ考えて」とシンジに伝え、シンジはエヴァを動かしてみせ、一歩だけ歩を進める。それでもネルフ職員はすごい!!うごいた!!と騒然とする。エヴァンゲリオンを少し動かせるだけでも相当にすごいことである、という演出である。しかし、二歩、三歩と歩こうとするとエヴァは転んで倒れてしまう。

問題はこういうよちよち歩きを敵の眼前で行っているということである。せめて地下格納庫などで多少練習をすればよかったのではないかと思うが…。アニメにマジレスするのもあれだが、こうした少数のパイロットしか適合しない、そもそも動作しない可能性が大きいような兵器に巨額の予算をかけるという決定がなされること自体が非現実的だと思う。エヴァの世界では第3新東京市そのものが決戦用の都市として建設されている。

敵が第3新東京市を目指してやってくる合理的な説明が必要だし、エヴァでしか使徒を退治できないという合理的な説明も必要なはずだが、それらすべての理由を知っているのはネルフの中でも碇ゲンドウらごく少数の人間である、という設定だ。ただ、人を動かすにはストーリーが必要なことは間違いない。表向きこうなっているのだ、というエクスキューズがもっとしっかりしているとリアリティがあってよかったと思うが、まあ、地上波アニメ制作でそこまで作り込むのは合理的ではないだろう。それに、不完全な兵器であるエヴァに対する第三者からの批判というのも度々作中では登場するのでそのあたりも含めると違和感はそこまで強くない。

さて、転んだエヴァは使徒につかまりあっさりと腕を折られてしまう。このとき、

「エヴァの防御システムは?」 「シルフル(?)作動しません」 「フィールド、無展開!」

といったセリフが登場し、初めて見る人にとってはちんぷんかんぷんな話だろうと思う。ただし、こういう手法は私はかなり好きだ。作品というのはあまりにも読者の理解を助けることを優先し続けると途端につまらなくなる。わからないことを放置したまま読者を振り回すくらいの作品のほうが個人的には好きだ。士郎政宗や弐瓶勉の作風もそんな感じであると思う。

エヴァとの戦闘シーンはスキップされ、物語はシンジが病室で目覚めたところから再開する。使徒はおそらく倒されたのだろう、というシーンが続き、その後ゼーレと人類補完計画の名前が登場する。本作のキーとなる。

その後続く第3新東京市の復旧工事などのシーンでは建築看板が一瞬写ったりするが、ここなども見てみると「誘導兵器システムビル(甲-H型)建築主 第3新東京市施設課 建築第一班」などと書いておりいちいち細かい。こうした現実の世界でよく見るようなものを差し込む手法もかなり興味深く、少ない手数で一気にリアリティが高まると思う。

私がアニメや漫画で一番重視するのはリアリティである。ただし、それは「魔法や異能力者など現実的にありえない存在を登場させるな」という意味ではなく、「その物語を信じれる没入感があってほしい」という意味である。そしてその没入感は我々が暮らしている現実とのつながりを感じさせることで比較的容易に生み出すことができる、と考えている。この点で私は中世ファンタジーよりも近未来SFのほうがより容易に没入感を生み出せるはずだ、と考えている。逆に言えば中世ファンタジーが成立するためには前提知識を必要とする。すなわち、魔法、エルフ、ドワーフ、ゴブリン、そういったよくあるファンタジー作品に出てくる要素への理解を暗黙的に要求している。

このシーンでエヴァが使用する重火器や銃弾ベルトなどが背景に登場するが、いずれも作画クオリティは非常に高いと思う。やはりエヴァンゲリオンの見どころというのはメカだなと感じる。何気ない輸送用の車両やビル、設備などもいちいち説得力があるように感じるのである。ただ、兵器としてリアリティがあるかどうかはやはりちょっと疑問だ。重火器や銃弾ベルトは人間が使うようなものを単に巨大化したようなデザインとなっている。銃弾のサイズは人間よりも大きい。

例えば戦艦大和の主砲が46cmで、この砲弾は42kmも飛んでいく。この主砲弾のサイズよりも明らかに大きく感じるが、技術が進歩しても物理的な材料の物性というものには限界があるから、このサイズの弾薬を連続的に発射する機構というのは流石になにか無理があるような気がする。いいや、この弾丸は火薬装填された砲弾とは違う仕組みなのだとか、色々と設定でこじつけて考えることはできるとは思うが、個人的にはもっと自由な発想で兵器を考えても良かったんじゃないかと思う。これはやはり私が人形の巨大ロボットというものを嫌っているからかもしれない。ただ、発想として人間が使っている銃器がそのままデカくなったらかっこいいよね、みたいな安易な発想を感じてしまう。

シンジが収容された病院はかなりの大きさの施設であるように感じる。そして人気が殆どない。ネルフ施設はだいたいリミナルスペース的な雰囲気があるようにも思う。この巨大な施設にぽつんと主要キャラクターが歩いている感じ、こういったところも好きな演出の一つだ。

一人で暮らすというシンジに対し、ミサトは一緒に住むように勝手に決めてしまう。これは私が中学生だった当時も変だと思ったけど今見ても相当に変だ。会ったばかりの知らない子供を自分の最もプライベートな空間に常時置いておくという決定を躊躇なくするのはかなり違和感はある。後々語られるミサトの生い立ちを考えると説明は可能かもしれないが…。ただ、90年代の作品の作風としてはこういうひとつ屋根の下で男女が暮らすドタバタコメディみたいなものがたくさんあったので、そういった影響もあるのかもしれない。

ミサトはリツコに電話して「心配しなくても子供に手出したりしないわよ」と言うが、これもかなり気持ち悪いと思う。ただ、エヴァンゲリオンの登場人物はみんなおかしいので整合性は取れているとも思う。いずれにせよ、ミサトはシンジと一緒に住む(そして後にもう一人増える)という、この一家団欒のシーンはエヴァンゲリオンという作品を通じて唯一の「救い」であるように感じる。

コンビニで買い物をするシーンに「こんな街に住んでいられないから疎開する」という趣旨の主婦らしき会話の声だけが聞こえるが、二人の声は綾波レイと惣流アスカラングレーの二人の声優であり、何度聞いてもレイとアスカが会話しているようにしか聞こえない。こういうシーンがちょくちょくあるが、これはちょっと意味がわからない。エキストラの声優すら手配する手間がなかったとも思えないが…。これが面白いとおもったのだろうか。

また、使徒との決戦を意図した都市に一般住民が住んでいるという設定もちょっと奇異だと思う。「誘導兵器ビル」みたいなものが建築看板に書かれ掲示されている都市はいずれ戦場になることは間違いない。そんな街に住みたいと思う人がどれくらいいるだろうか?いざ使徒が登場し戦場になってから「こんな危ない街には住めない」と言い始めるのはどうなんだろう。

ただし、一般住民が住んでいる街を守る姿を描くことや、要塞都市にたくさんの住民が住んでいるという状態はSF作品としては面白さはあるし、ある種「夢がある」とも思う。そうしたかったのだろうとも思うから、これは奇異ではあるものの、これで良いと思う。

その後、街が一望できる山に来たときにミサトの車のナンバーが一瞬映るが「ネ」と書いてある。ネルフ職員だから「ネ」なのだろうか?なんかちょっとアホっぽいが、作風としての一貫性は感じる。

街が一望できる山で第3新東京市に「高層ビルが生えてくる」のをシンジは見る。敵が攻めてきたときに地下に建物を格納して被害を避けるという高層なのだろう。これも建築学的にはかなり無茶な設定であるとは思う。これについては「実際にそのような都市を作ったらいくらかかるか」という試算を行ったような本もあったと記憶している。

はっきり言ってビルが地下に格納された後にまた上にニョキニョキと生えてくるなどというのは荒唐無稽ではあると思うが、それによって考察する本が書かれるなどという動機に結びついていることからもわかる通り、発想としては豊かで大変良いと思う。なんの印象も残らない作品よりも100倍良い。ちょっと本でも書いてやってどれだけ非現実的か説明してやろうか、という人が出てきた時点で作品としては大成功と言ってよいだろう。

その後のミサトとシンジの一家団欒シーン、そして温泉ペンギンのペンペンの登場、このあたりが前述したエヴァンゲリオンで本当に少ない幸せな瞬間だと思う。

続くシーンでシンジはカセットテープのようなオーディオプレイヤーで音楽を聞いている。これもとても設定が細かく良くできた小道具だと思う。2015年に磁気テープという存在はかなり古く感じるが、これは父親である碇ゲンドウが不要になって置いていったもの、という設定だ。そしてプレイヤーの筐体には「S-DAT」と書かれている。

DATというのはDigital Audio Tapeの略で、いわゆるカセットテープとは異なりデジタルデータが記録されている。作品が作られた当時でもDATのポータブルオーディオプレイヤーというものは存在していたがあまりメジャーなものではなかった。私の記憶だとDATは音楽制作などで使われるマルチトラックレコーダーなどでよく利用されていたような気がする。S-DATというのはおそらくはそれの後継規格を想定したものだろう。

ただ、エヴァという作品が作られたのが95年で、92年にはMini-Discという光磁気ディスクの規格がすでに存在していた。私が当時見ていても磁気テープというのはかなり古臭いメディアと感じていた記憶がある。当時の最先端は光学ディスクという印象だった。

そこを「あえて」磁気テープを登場させたのではないかと個人的には推察する。当時からすでに磁気テープは古かったし、父親が残していった古いプレイヤーというものを加味してもここで磁気テープを登場させるのは違和感があるけれども、そこであえて登場させたのはこの設定を決めた人が磁気テープを好きだったからじゃないかと、なんとなくそういうことを思う。その気持ちが私にはわかる気がするのだ。

ここまでにリアリティがどうとか色々書いたけれども、やはりこうした理由も合理性もない「好きだから」という気持ちは大事にしたほうが良いと思う。それが作品を裏側から補強する強い土台になったりするような気がするんだな。

2話の終わりはエヴァが使徒を倒すシーンで終わる。シンジは結局まともにエヴァを動かすことはできなかったけれども「暴走」なる現象が発生してロボットのような見た目のエヴァが生き物のように自律的に動き、雄叫びを上げて使徒に飛びかかり、使徒の胸に位置する球体を叩き壊すと使徒は自爆する。

このとき、暴走したエヴァは使徒の胸から飛び出す骨のようなものをもぎ取り、それを使って球体を叩き壊そうとする。その粗雑な行動がよりエヴァが「獣」であることを強く演出している。そしてこれは『2001年宇宙の旅』のオマージュではないかと思う。

『2001年宇宙の旅』の冒頭で人間への進化途中にあったヒトザルは動物の大腿骨と思われる骨を武器として使用することを覚え、草食動物を狩り、敵対するヒトザルの群れを殴り倒して撃退し、競争に打ち勝ち人間への進化を遂げたことが示唆される。

エヴァンゲリオンには『2001年宇宙の旅』のオマージュが多数ある。それぞれ、登場するたびに説明していきたいと思う。

さて、見た目はロボットのようでありながら獣であることを感じさせる謎のエヴァンゲリオンであるが、最後には装甲が破壊されたエヴァの中身は生物のようであることがわかり、より一層不気味なエヴァの存在が際立つことになる。使徒という正体不明の化け物が人類の都市を蹂躙している、そしてそれに対する唯一の対抗兵器であるエヴァンゲリオンもまた同じような正体不明の化け物であることが示唆される。

こうして改めて考えてみると、実はエヴァンゲリオンの一番の魅力は2話までで完璧に説明されているように感じる。これはストーリー展開としてとても大事なことと思う。エンターテイメント作品は初期の段階で視聴者・読者の心を掴まないと後が続かない。最近はその傾向がより顕著で、読者・視聴者を甘やかし過ぎだという意見もあるけれど、エンターテイメントとしては古くからそれが重要な概念だったのだろうなという気もする。ただ、その程度の差は時代によって変わっているということも言えるとは思うが…。

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