anopara

TAMAコミでの気づきなど

まず最初に書いておくけど、この記事は創作をしている人にとってかなり不快に思う内容もあると思う。

私は創作とは自由に行うべき行為であると思うし、自由であるという実態もすでに伴っていると感じる。そして創作に正解はない。それを大前提にしたうえで読んで貰いたいと思う。

あなたと違う考えも数多あると思うが、別に同意する必要は無い。正解は無いのだから。ただ、人間の頭は唯一の正解を求めることに特化してしまっている。

そしてこの記事の第一の目的は私に取ってのメモ書きだ。私に取っては当たり前の事しか書いてないけど、いつも忘れるので書いておく。あなたにとっては当たり前でないかもしれない。

いい商品は売れる

やるべきことが分からなくなってきたら「いい商品(=作品)を作る」ということに立ち返るのが良いと思った。

おそらく、「いい作品であることと売れることは相関があるだろう」ということまでは言っていいんじゃないかという所感がある。

こう書くと「売れなくてもいい作品はたくさんある」「売れている作品が全ていい作品というわけじゃない」という反論を受けそうだが、私は売れる作品といい作品が等しい存在だと言ってないので注意してほしい。おそらく相関があるだろう、である。ここでいう相関とはそのまま統計的な用語における相関である。

相関があるならば、自分の作品についての客観的な評価を推定するために売上が利用できそうだ。

しかしながら売上と相関があるのは「いい作品かどうか」だけではない。他にも売上と相関のある要素はある。売上を追い求めるのが自分のやりたいことならばそういう手法を用いることができるが、おそらく創作をしている人のマジョリティはそうではないと感じている。

まとめると、「作品の良し悪しは売上から推定できる」「ただし売上はチーティングのようなことが可能で、追い求めすぎると自分自身を騙す結果に繋がりがち」となる。

ある程度売れてリアクションをもらわないと厳しい

「売れなくてもいい作品はたくさんある」「売れている作品が全ていい作品というわけじゃない」、これは多くの人が同意できると思うが、かといって何か創作的な商品を作って販売している人ならば、何も売れないこと、何もリアクションがもらえないことは精神的にしんどくなる。

作品が売れないことが直接作品の質が低い証拠になるわけではないが、だからといって1冊も本が売れないこと、1つも感想をもらえないことを耐え続けることができる人間は少数だと思われる。

マーケは大事

作品の質に関わらずある程度の売上はないと創作活動を続けること自体が困難になる(厳密に言うならば全員がそうではない)ならば、ここで活用したいのはSNSマーケであるとおもう。

マーケが成功すると売上に寄与できる。SNSマーケはいい作品を作ることをある程度サボれる。

ただ、それに不快感を持つ人はおそらく少なくないとも思う。しかし、創作活動のモチベーションを底上げするためのコスパの良さを考えると選択肢の一つとしていいということだ。

別にマーケを頑張ることは不正ではない。SNSを一切やらず、いい作品を作って一種類の本だけ売り場にドンと置いておく頑固一徹のラーメン屋みたいなスタイルで口コミで本が売れていくのは気持ちよさを感じるが、それをよしとするならばマーケで売上をあげることもまたスタイルの違いとして認められるべきと思う。

全工程でセミプロ品質を求められるシビアな世界

ではなぜマーケを頑張ることが嫌われがちかというと、この潮流が継続すると個人での創作活動が行き詰まるのではないか、という危機感が前提にあると思われる。

本を書いてイベントで売るというのは究極のDIYだと私は思っている。企画、制作、編集、校正、デザイン、装丁、調達、在庫管理、マーケ、セールス、経理、その全部を自分でやらなくてはならない。全作業を自分でやる必要はないが、少なくとも自分が責任を持つ必要がある。

本来人手をかけてこれらの作業を分担しているのに、作家が全ての作業を高品質に進めないといけないとしたら素人が本を売って買ってもらう、という行為は成り立たなくなる、ということだろう。

その懸念は私も理解出来るものの、私にとってはこのシビアな世界がたまらなく快感でもある。鈍重で鈍い出版社のフレームワークをすべてジャンプして軽いフットワークで短期間に作品をリリースし、出版社ができないことをする。各工程の品質を上げればあげるほど成果が増す。これはすごく刺激的で楽しい行為だと私は思う。

本を作って売るのは何よりも楽しいし嬉しい。イベントに来てくれた人が本を買ってくれるというのはこれ本当にすごいことで、すごく大げさな言い方をすればこれは 局所的には 出版社、プロに勝ったと言っていいとすら思っている。だってその人はその日、本屋に行って出版社が出した本を見て買うという選択肢もあったはずなのに素人が書いた本を売るイベントにわざわざ足を運び、素人が書いた本を買ってくれたのだから。(その点で私の本を買ってくれた人には本当に感謝している)

しかし、私が覚えている限りでは私のように考える人には会ったことがなく、マーケは疎ましい、やりたくないと思う人のほうが多いようだ。私がよく聞くのは

  • イベントの売上はSNSの宣伝で決まるようになった
  • SNSのフォロー数で売上が決まるようになった
  • 作品の良さではなくて事前の認知戦で売上が決まるようになった
  • 新規開拓してくれる人が減り既存フォロワーの商品を回収する目的が主となった
  • 入場者が全出店者をじっくり見て回れる規模ではなくなった
  • 綺麗な表紙が付いていなければ買ってもらえなくなった

というような内容だ。

これらはいずれも現状認識として正しいと思う。私も心から同意する。素人が本を作って売るという活動が成熟してきたため読者の側も無意識のうちに要求レベルが上がり、セミプロ品質を求められるようになったのではないか。作家が本来やるべきことではないことを求められているというのもまた正しい見方だろう。

全行程を楽しめる背景

一方で、既に述べたように私は全工程が楽しく刺激的だと基本的には思う。この認識が生まれるのか。考察してみると以下のような背景があると思う。

  1. DIYをすることが目的なので全工程が楽しい
  2. 本業で生活基盤が整っているので安全圏から楽しむことが出来る
  3. 承認欲求を売り上げや好意的な感想に依存していない
  4. そもそも同人誌の販売イベントを特別視していない

1.は、私はそもそも作家ではなくてDIYerとして戦っている、ということである。DIYでやることそれ自体に楽しみを感じるので本来は分業されているべき全行程を進めるのに躊躇や苦痛を伴わない。余談だが、実際にDIYerだと思っていて、昔から車やバイクをいじったり、ウッドデッキを作ったり、棚を作ったり、電子工作したりした。このブログもCMSのレベルから自作している。

2.については書いてあるとおり。たまに「売り上げが立たないと次の本が出ません」なんて話も聞くが、私にはそこまではお金に困ってないし、従ってそういう焦りもない。そう書くと反感を買いそうだが、しかし事実でもある。

3.についても反感を買いそうだ。でも事実だから仕方ない。私は売り上げが経つこと、好意的な感想をもらうことに依存していない。さすがにイベントに出て一冊も売れないレベルだと落ち込むし、普段の私を見てたら「いや、売り上げで一喜一憂しとるやんけ」と言われそうだが、それが創作を止めたくなるほどには影響することが無い、ということだ。

4.はニュアンスが難しいかもしれない。

私はそもそも、同人誌やZINEといったものを売る現場ないしイベントと町中の本屋という場に区別はないと考えている。だから、前述したように局所的には出版社に買った、などと大口を叩いている。

イベントだから、本屋だからという特別なことは消費行動においては大差無く、全ては一つの自由市場であって、売り場に付いている名前や題目が異なっているという違いしかない、と思っている。

消費者はその日、本屋に行って本を買うこともできるし、TAMAコミに行って本を買うこともできる。ヨドバシカメラでドライヤーを買ってもいいし、すき家で三種のチーズ牛丼を食ってもいい。消費せずにおとなしく家で何度も見た漫画を読み直しても良い。その中で商品を売る側が他の人たちに消費行動をどう促していくかという大規模なテーマがあって、すべてはそれを起点に分化しているという認識だ。

だからこそ規模の大小に関わらず出店者は品質を追求してもよい。そして、各工程の品質をあげるほどに売上が伴っていくのもまた市場原理である。

だから、「昔は宣伝戦が必要になるイベントじゃなかった」「表紙でジャケ買いするようなイベントじゃなかった」という話を見ても、それは実態としてそうであった、というだけで市場の仕組みや消費行動の力学は昔から今まで一貫して同じではないのか、と思う。

意地悪な言い方をすれば、「宣伝が疎ましい」という話は「宣伝が上手い人は手軽に売れてずるい」という話にも見えるし、「宣伝勝負して抜け駆けするな」という話にも聞こえてしまう。みんなでテスト赤点取ろうぜ!っていうお友達グループから抜けて勉強して一人だけ赤点を免れたら元いた集団から疎まれた、という話にも聞こえる。

宣伝戦やジャケ買いを避けるには

と、ここまで書いてきたが「作家にとって宣伝戦が本質ではない」「本質的でないことに時間を取られると本質が疎かになる」この二つも同意ではある。

わりと極端なことを書いてきたが、実際には私は作家とDIYerの中間に位置しており、どちらかと言えばDIYer寄りな考え方をするというのが正確なところだと思う。つまり、私も宣伝戦を疎ましいと思うこともあればやりたくないと思うこともあるし、作品作りだけやりたいと思う気持ちもある。

だから、実際はマーケをやるか・やらないか、売り上げを追い求めるか・求めないか、宣伝戦を受け入れるか・抵抗するか、という視点はいずれも二者択一ではなくグラデーションが存在するので各々がちょうど良いと思うところで頑張れば良いと思う。

そして、冒頭でSNSマーケはいい作品を作ることをある程度サボれると書いたが、逆にいい作品で読者をぶん殴ることでSNSマーケをある程度サボれるとも思う。いい塩梅の所を探っていくと良いのではなかろうか。

しかし一方で、「宣伝しなくても売れた」という時代に依存してはいけないと思う。私はそういう時代を知らないので的外れなところもあるかもしれないが、おそらくはそうした特性はイベントの規模や市場の成熟度、プレイヤーの能力などによって決まってくるのだと理解している。

もしそうであるならば、それらの構成要素はコントロールすることが非常に難しい。コントロール不可能と言い切っても間違いでは無いと思う。コントロール不可能な要素は何事も受け入れた方が良い。それが出来ないと懐古主義で昔は良かったと愚痴ることしか出来なくなってしまう。

労力を無視すれば、自分で企画して「宣伝しなくても売れる」ような仕掛けを作ることは可能だろう。それは実際のイベントであってもいいし、Web上のメディアであっても良い。ただ、それは作家にとってマーケ以上にやりたくないことではないだろうか。

最も大事なのはブレないこと、自由であること

「あなたの人生は思い通りになる」

を私は座右の銘にしている。私が勝手に作った言葉だ。

スピリチュアルに聞こえるが、まあそうかもしれない。この言葉はどういう意味で使っているかというと、「これをやりたい、このように生きたいという十分な思いとそこから生まれる熱量があれば、それは行動へとつながり、ひいては理想の状態へと変革していく」ということだ。

何事も、まずは意思が大事である。

目的は何なのか?何をしたいのか?というのがブレるとおかしくなる。ここをしつこいほど繰り返し復唱して心に刻み込んだ方が良い。

でないと、マーケをすべきかどうか、商業を目指すべきかどうか、そんな表面的なところの意思決定に悩み躊躇して時間を浪費することもあるだろうし、あるいはイラストや小説を制作する上でYouTubeのショート動画で解説しているような表面的なテクニックに依存して満足してしまったりすることもあるだろう。それらは目的と照らし合わせて本質的だったのだろうか?本質的だと信じて手段を選んだなら成果が伴うだろう。でも、漫然といいと思えるものをつまみ食いするだけならば駅で歩きスマホを見ながらずっと動画を見てるサラリーマンと大差無い。

まずどうしたいか、どうなりたいか、何を作りたいかという目的がある。そして、それを実現するための道具が色々と転がっている。それを使うも自由もあるし、使わない自由もである。自由だけでなく戦略と指標もある。それぞれの要素は二者択一ではなくグラデーションがある。

一方で何が良いか、何が正解かという基準や物差しはなにもない。一般市場と何ら変わらない消費者(母集団がイベントに来ている人、と捉えるとこの前提は少し変わる)を相手にして何をするのかは完全に作り手側に委ねられている。

そんな「何をしてもよい」という状況だからこそ行動はブレがちだし、ブレたときには原初に戻って本当は何をしたかったんだっけ?というのを改めて考え直すのが大事だよね~と思った。おわり。

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