anopara

文学フリマ福岡11の年齢は?年収は?結婚してるの?調べてみました! → 結果wwwwwww

 

私の葬式なのかと思った。

序論

これは文学フリマ福岡11とその前後での九州旅行のレポートです。

文学フリマ福岡11は2025年10月5日に開催されました。私は10月3日から6日の日程で九州に行きました。というか、その4日間のうちの二日間はほぼ車に乗っているだけです。4日間の間で26時間くらい車を運転していました。

睡眠時間を削って飲み会、車の運転、みたいな旅。なんでこういう予定を組んでしまうんでしょうね。でも楽しかったです。

某所

初日は朝2時に出発しました。朝かこれ?

まだ納車されてから5回くらいしか乗っていない車。スバルのレイバック。とても良い車。何が良い車か、という基準は難しいのだけれども、私は「この車に乗ったらどこにでも行ける」と思える自分の感覚を重視している。それを紐解いていけば、色々理由はあるのだけど。

まだ暗い時間から高速に乗り、徐々に空が明るくなっていくのを眺めながら運転する。

車を運転するのが私の原体験だな、と何となく思う。何の原体験なのか?というのは説明できないが、何となく原体験なのだろうと思う。車を運転している夢をよく見る。だからなのか、早朝から車を運転するのは夢の中であるように錯覚する。暗い道路を明かりを付けた車が泳いでいて、鈍重で青や黄色の明かりを付けたトラックの間を進んでいく。宇宙の中にいるよう。海の中にいるよう。

その日は四国を通ってからフェリーに乗り、九州に上陸してからまたしばらく走り、ホテルについてすぐに予約した居酒屋へと向かった。いつか会うとは思っていたものの、こんなに早く会えるとは思っていなかった方とお会いする。楽しくて結構な量の酒を飲んでしまった。会話の内容は、一般的にはあまり愉快ではないものも多かったが、しかし楽しかったという記憶しかない。これはよく考えてみると不思議だ。楽しく話すという体験には、実は話題の内容はあまり関係なくて、全ては伝え方、話し方でどうとでも変わるのかもしれないなと思う。

また会いましょうと約束して別れる。この時間が私は一番安心するかもしれない。約束しておけばいつかまた会える。当選発表前の宝くじのようなものかもしれない。私はいつも私と会って遊んでくれる人にありがとうと思っている。私は何もないただのおじさんで、ただのおじさんに会って飲みに行ってくれるというのはありがたいことなのだ。

帰り、ホテルまでの道があまりよく分かっておらず、教えて頂いたタクシー会社も「タクシーが足りず配車できない」と断られてしまいふらふらしていたのだけど、ちょうど空車のタクシーが近くを通り過ぎて捕まえることができ、タクシーで帰った。ワンメーターですぐ着いてしまった。ごめんね。

ホテルはむやみにゴージャスな部屋だった。でもこれが一番安かった。一人なのにツイン。

ホテルの広い部屋が好きだ。まあ、狭い部屋よりは広い部屋のほうが大方良いと思われるが…。本当であればもう一泊してこの部屋で酒をゆっくり飲んだりしたいな、とも思う。また来たときのお楽しみといたしましょう。

大雨

2日目。ラーメンを食ったり温泉に入ったりよく分からない観光地に行って人に揉まれるなどしてよく分からない時間を過ごした。

午後になると九州一帯では凄まじい雨が降った。高速道路を走っていたが前方10メートルくらいしか視界がなく、40 ~ 50km/h で走っている車が多くて(制限速度が50km/hまで下がってた)追突の危険性が高くて怖かった。バックフォグが付いてる車でよかったなと思った。正しいバックフォグの使い方。

SAで止まったときに撮影。写真で撮るとなかなか伝わらないが、本当にひどい雨だった。車を降りてSAの建物の中まで傘を差して行くだけでびしょびしょになる。今回の旅程を考えると、このSAで通りもんを買うのが最も都合がよいため、やむなくびしょびしょになったわけである。

高速を降りると市内が結構な箇所で冠水していて車を走らせるのにも苦労する状況。そこで適さん、お肉ミートさんというハピネス姥捨山メンバーともう一人の友達、総勢四人で一緒に飲みに行くという約束をしていた。しかし電車があちこちで止まっていて適さん、お肉さんがたどり着けない。そこで車で途中駅まで迎えに行ったりなどした。

結局、1時間遅れくらいだったが全員が集まることが出来た。ハピネス姥捨山のメンバー全員でいつか対面することがあるとは思っていたけれど、こんなにすぐに来るとは思わなかった。そこで初めて夏のホラー特集本を渡し、ようやくここで作者全員に紙の本が渡ったわけです。よかった。お肉さんとは作業通話でよくお話はしており、なんだか初めて会ったような気がしなかった。まあ、何度も話しているのでそういうものだろうとは思うのですが。

お肉さんは電車で帰らなければならないので、車で途中駅まで迎えに行って飲みはじめたはいいものの、私は酒を飲んじゃってるしこのまま電車が動かなかったらどうしようかと不安でしたが、すぐに少しずつ電車が動き始めて一安心。

串焼きをくった。うまかった。

お店の中でこのメンバーがなぜここに居るの?と考えると非日常感があって面白かった。住んでいる距離が離れていて、普通に生活していたら絶対に会うことがなかった四人。巡り巡ってなぜか九州で飲んでいる。串焼きを食っている。

この場に私がいて良いのだろうか、と何となく思う所もある。昔から常に、この場に私が居ない方がみんな幸せなのではないかと思う癖がある。それも裏返すと会って遊んでくれる人たちみんなにありがとうという気持ちになっているように思う。

二件目はバーに行った。タバコが吸えてよかった。東京だとタバコ吸えるバーなんて無ぇなと思っていたのだけど、つい二日前くらいに職場のすぐ近くでタバコが吸えるバーに出会った。それと同じように、すぐ近くにあるけど見落としている物って沢山あるんだろうな、と思う。

適さんの吸ってるタバコがチョコの匂いだった。JOKERだったはず。私はチョコ系の匂いがするタバコが好きだ。昔はFRONTIERというのを吸っていた。どこでも手に入る銘柄。でも販売終了になった。

JOKERを吸ってみようかなと思ったのですが、なんか真似されたと思われたら嫌なので(この場合の嫌というのは、私が嫌なのではなくて適さんが不快になる可能性を回避したいという意図です)なんか別のを探してみます。いや、適さんが吸ってて良いなと思って私もそれを吸うのは紛れもなく真似なのですが。多分、真似て吸っても適さんは「別にいいんじゃないですか」と言ってくれると思うけれども。なんかどんどん言い訳がましくなってきたので止めます。

ちなみに適さん側の視点での旅行記はこちら

バーではマティーニを頼む率が高い。MR. ROBOTというドラマに出てくる MR. ROBOTという人物がニューヨークのバーで「マティーニはちびちびと味わって飲め」と連れに言い聞かせながら飲んでいるシーンがあって、あれがかっこいいなと思ったから。かっこよさでマティーニを飲んでいる。

マティーニにはオリーブが入っている。オリーブも好きなので良い。欲を言えばもっとデカいオリーブを入れて欲しいと思うのだけど、マティーニにでかいオリーブが入っていたらなんだか梅干しサワーみたいな見栄えになるからやらないのかもしれない。グラスもなんだか特別だし、存在がすでにかっこつけている酒だと思う。

ソルティドッグも好きなので飲んだ。東北民なのでしょっぱいものが好きであるため。

基本、酒は何でも飲む。飲めない酒はおそらく無いと思う。消毒用のエタノールはさすがに飲んだことが無い。

文学フリマ福岡

会場まで車で行った。楽だった。

モーニングも食べに行った。やや胃もたれしてたけど、ウィンナーとトーストと目玉焼きが付いてるメニューの絵面があまりにも正しきモーニングだったのでこれを食べた。うまかった。クリームが乗ってる抹茶ラテも飲んだ。これもうまかった。ゆっくり食事してもまだ余裕がある時間だった。

そわそわして落ち着かなかった。イベントの前はいつもそんなに緊張することはないが、今回は何故か緊張していた。その理由を自分の中で分析した。すると、今回は配置が島の端でかなり恵まれた条件となっており、これで売れないことが恐ろしいようであった。

「お前、この一番ええ席で売れなかったら、お前アホやで」と頭の中の浜田雅功が笑っていた。私の頭の中にはいつも浜田雅功がいて関西弁を喋っている。

文学フリマ福岡は設営にかけれる時間が1時間しかなかった。十分な時間であるけれども、のんびりしているとすぐに終わってしまう時間。今回は席を二つ用意していなかったので、適さんと私が交代で店番をすることを決め、開場。

以降、いろんな方がうちのブースに来てくれたのですが、ブログで名前を出して良いという許可を取ってないので全部仮名で表記する。

最初に来てくれたのはAさん。Aさんも出店者側での参加だった。今回の文学フリマ福岡で唯一、出店者側で存じ上げている方。

ちなみに文学フリマではサークル参加とは言わない。出店者である。東京の文学フリマで開場時、スタッフに「これはサークル参加の列ですか?」と聞いたら「そうです 出店者 の列ですね~」と語気強めで言われたことがある。

文学フリマには思想がある。来ている人たちにも何となく思想がある。思想というとネット上では結構ネガティブな意味で使われがちだとは思う。ちゃんと言うならば、「信念」とか、もしくは単に「理由」「動機」みたいなものかもしれない。その一つが「サークル参加とは呼ばない」、ということなのだろうと思う。なんとなくその思いは分かる。

コミティアには自由があり、文学フリマには秩序がある、と個人的には思っている。コミティアは自由だけどその分色々あるし、文学フリマは秩序がある分快適だとも思う。これは傾向としてそう感じる、というだけであって、同じような事はどちらでも発生するし、どちらが良いとか悪いとかいう話では無いです。

たとえばコミティアではブース内に居る人数は制限されていませんが、文学フリマは申込時にブース内に居て良い人の数が指定されています。なのではちゃめちゃにブース内が狭いということが無くて快適。そういう違いがある。

話を戻す。Aさんはわざわざお土産を持ってきてくれていた。私は気が利かないので一切お土産は持ってこなかった。貰ってからお土産を持ってくれば良かったな…といつも思う。気の利かない男である。

あとでAさんのブースにも訪れた、Aさんは私のために無料配布の短編小説を取っておいてくれていた。嬉しかった。福岡の話であった。福岡の地名が出てきて、おそらくモデルになったお店(食堂)があるのだろう、ということを予期させるお昼ご飯の話。最近聞いた九州にとあるドーナツ屋さんが再上陸するという話。その土地で行われたイベントに即した本があるというのはとても良いなと思った。

TAMAコミで八王子アンソロジーを出したいとおっしゃっている方がいて、もしそういうことがあれば私も何か書きたいなと思う。八王子税務署を全裸の中年男性が占拠して軍事衝突するみたいな話を書きたい。そんなこと言ったら私の参加がNGになるかもしれませんが、それでもよければ参加させていただきたく、何卒ご検討のほどよろしくお願いいたします。

つづいてBさんがいらっしゃった。Bさんは事前に行きます!と言ってくださっていた方。よく一緒に遊ぶ方。前回は8月に東京で遊んだのだった。色々なお土産を頂いた上に持っていない本全部を買って頂いて大変恐縮でした。ありがとうございます。いつも馬肉

続いていらっしゃったCさん。Cさんは近くに住んでいることは知っていたものの、それでもおそらくは1時間前後は少なくともかかる距離であったし、Cさんもイベントに行きます、ということは言っていなかったので純粋にサプライズであった。Cさんは名乗らずこっそり買って去って行くつもりだったそうだけど、私が一瞬で気づいてしまった。Bさん・Cさんと私は互いに全員が面識があるのでその場でだいぶ話が盛り上がった。Cさんにもお手紙とお土産を頂いた。ありがとうございます。

そのほか、いろんな人が記憶に残っている。一回、私の本をじっくり読んで「会場回ってから考えます!」と去って行った高校生の子。あとでまた戻ってきて買ってくれた。私の本は単価を高めに設定しているので、学割とかあっても良いかもしれない、と思う。

あとは、1年前の文学フリマ福岡で『キョンシーに優しく』を買い、それが面白かったからとまた買ってくれた方。1年間覚えていてくださったのがありがたい。来年も出てくださいよ!と言われた。出ます。

続いてDさんがいらっしゃった。あれ、Dさんだよな?という方を何度か見かけていたがやはりDさんだった。Dさんは前回のコミティア(東京)でお伺いしたのが初対面であった。1分くらいお話ししただけだったので人違いでは無いか?とやや自信がなかった。

Dさんには前回のコミティアでもお土産を頂いていたが、今回もかなり大きなお土産を頂いてしまった。共通の知人から伝言(飲みに行きませんか?というお誘い)を預かっていたのでそれもお伝えする。

閉場1時間前くらいになるとお客さんもまばらになってくるので少し早めに撤収する。

とりあえず車を移動させて駅に戻り、帰りの支度をしているときにDさんが「このまま帰りたくねぇ~!」とSNSに投稿してらしたので、これは打ち上げに誘った方がいいのでは?と思い声をかけ、合流することとなった。あとで適さんに「誘って欲しいのではと解釈するのは違うかも」と言われてしまった。その通りだと思う。反省。

Dさんはブースで私と適さんが話すのを見て、「有理さんがついにキョンシーと話している」と思ったそうだ。適さんは三つ編みでチャイナドレスっぽいデザインの服を着ていた。その発想はなかった。

私の描くキョンシー参考画像。

打ち上げはモツ鍋でした。

今回、ブースに来て頂いた方からなんとにんじんくんのぬいぐるみを頂きました。びっくりした。ま、まさかにんじんくんをぬいぐるみにして頂けるとは…。一生大事にします。墓まで持って行きます。

一応、私も下手くそながらぬいぐるみを作ったことがあるのですが本当に大変だった。この大変な作業をやって頂いたということに大変恐縮すると共に感動します。しかもクオリティがすごく高い…。これがどこかのお店に売られていてもおかしくないし、実際にそこで手に取ったら凄くしっかり作られているな…という感想になります。本当にありがとうございました。

飲み会の最中、前日に会った友人から『赦報』の感想が送られてきていてこれも本当に嬉しかった。飲み会の最中にポチポチとスマホをいじっていて感じ悪かったと思いますがすみません。スマホをポチポチという擬音が正確でもない。ポチポチはガラケーに対してなので、スマホの場合はどうなるだろう。スマホをすべすべ。すべすべして申し訳ありませんでした。

その友人は「小説は読めない」と前に言っていたのですが、それでも読んで貰えた上に、まるで一本の映画を見たかのようだったという感想まで頂け、さらに沢山の質問まで貰い、なんだかもう作者としては最高に嬉しい体験でした。

Dさんは飲み会の最中「お二人に会えて感動して手が震えています」と手を何度も見せてくれた。適さんは「有理さんに対してはこうなる人がたまに居る」と言っていた。そうだったかもしれない。適さんは以前「有理さんにはカリスマ性がある」ということを言ってくれたのを覚えている。「このまま帰りたくない」とSNSで書いている人に「これは誘ってほしいという意味では?」と解釈する、カリスマ性がある迷惑おじが私です。

適さんは帰りの飛行機があるので改札まで見送った。

旅の終わり、別れの概念の写真。私にとって旅の終わりはその土地の友人と別れた瞬間であるような気がする。それはたいてい駅だったりバスターミナルだったりする。それを具現化した写真。

改札を抜けて進んでいく適さんをDさんと二人で見送る。適さんはこういうときに絶対こちらを振り返って手を振ったりしない。なので、「適さんはこういう時、こちらを振り返ったりしないんですよ」と言うと、Dさんは「かっこいいですね」と言っていた。そう思います。適さんはこちらを振り返らなかった。

そのあとでまたDさんと少し飲み直した。

Dさんは、人に対する観察眼というか、感度というか、そういった物がすごく高い方だと感じた。相手が思っていること、考えている事を非常に高い解像度で認識しておられてすごいなと思った。Dさんは私が好きだろうと思われるアニメーションを一つ紹介してくれた。

アニメーター・漫画家の 久野 遥子 による卒業制作だったそうで、学生のときからこんなものを作れるとは美大とはすごい所だな…と思った。私は美大のことを何も知らない。

そしてそれ以上に、なぜ私がこれを好きになるだろうとDさんが感じたのだろう?というのが不思議だった。好きです。こういうの。

生物、医療、内臓のような、少し気持ち悪かったり怖かったりするんだけどついつい見てしまう、というようなものが凄く好きで、いつか自分でも書いてみたいと思う。その片鱗はこないだの本『ハピネス姥捨山 夏のホラー特集』の『赦報』でちょっと出しました。

そのあとで今度はDさんを見送った。また皆で飲みに行きましょう、と言って別れた。Dさんは最後までこちらを振り返って手を振ってくれた。

そのほか、時系列は前後するけれども他にも色々と嬉しいことがあった。SNSでずっと面白いと思っていた方(ギャグ漫画を描かれている方)が実はブースに来てくれていて、買った本をSNSに載せてくれていた。聞くと、『赦報』を読んで夜寝れなくなったそうで、それも嬉しいと思った。『赦報』は怖がらせようと思って書いた作品だったため。

そんな感じで、振り返ると私にとって嬉しいことばかりの旅だった。

ついついイベントの前後ではそこに適さんが居ることが当然と思ってしまう。今回、適さんは自分が出席するイベントでは無いにもかかわらず九州まで来てくれた。それは私のために来てくれた訳ではなく、お肉さんともう一人の友人に会いたいとか、九州の美味しいものを食べたいからとか、色々な理由が複合された結果ではあるけれども、なんというかそれでも大変ありがたいことだと思ってしまう。

そういう諸々を紐解いていくとなんだかこの旅は私の葬式なんだと思った。なので、BさんCさんがブースに訪れたあたりでもそう言っていたと思う。なんか今日は私の葬式みたいだな、と。意味が分からなかったと思うが、そう口に出さずにはいられなかった。

私はこれでもわきまえている、と思っている。私にはカリスマ性などというものはなく、漫画も小説も、それに取り組んでない人よりは優れているけれども、やっている人のグループの中ですごく秀でている訳ではない。単に年をとったおっさんが漫画や小説を作って売り歩き、飲みに行きましょうと声をかける迷惑カリスマおじ、それが私なのだと思っている。わきまえている、のである。

私の父も「わきまえている」ような人だと感じる。父は昔から寡黙な人だった。飲んで機嫌が良くなるとしゃべり始めるが、その内容は自分の仕事の話や、友人知人の話を淡々と事実として語るという感じだった。自分の実績が、仕事の成果がどうだったという話は一切しなかった。そんな父のことを「高倉健が一番かっこいいと思っているのだ」と母は言っていた。

そんな父が祖父の葬式の時、兄から育てて貰って感謝していると言われた時に「今日は俺の葬式みたいだな」と照れて言っていた。私がこの旅で感じた感覚はそれに等しい。

つまり、父も私も、人に好かれるような人物ではないと自分では思っているし、自分の人生なぞは特に光も無く闇も無く、平凡に始まり終わっていくものだという認識があるのだと思う。だから、自分のために人が集まって自分の話をしてくれるようなことがあるとしたら、それは自分が死んだ後の葬式くらいしかないだろう。そんな思いで出てくる言葉。

それが今回自然に出てきたということは、やはり私は父の子なのだろうと思った。

でも、イベントに出る度に私はそんな気分になる。毎回が私の葬式みたいなものだ。

これに関しては私の能力などはまるきり関係が無く、たまたま、私の周りに本当に才能豊かで面白くて人格的にも素晴らしい人たちがたくさんいた、という以外の理由はないと思う。本当に幸せなことである。

ただこういうことが続くと本当に人間は簡単にうぬぼれてしまうので、思い出は宝箱にしまっておいて鍵をかけて、さっさと次の作品に取りかかりたい。と、思うのである。

トップページに戻る