文学フリマ しんどい
もうすぐ文学フリマだ。しんどい。
毎回毎回、即売会イベントに申し込む度に思う。しんどい選択をしてしまったと。私にとって即売会はしんどい。人が多いため。私は人が多いところが本当に嫌いで、発狂してトンプソン銃を腰だめで抱えて四方八方に乱射したくなるのを我慢している。人間が多いとみんなイライラする。しんどい。とてもしんどい。家畜やペットの過密飼育は虐待であって、過酷な飼育環境下に置かれたペットは自傷行為を始めたりもする。人間も生き物なのだから同じだ。
私はトンプソン銃があったら小脇に抱えて会場を走り回るだろうし、銃も乱射すると思う。その銃口の先にまだ年端もいかぬキッズ(ここで言うキッズは20歳未満を指す)が居たら引き金を引くことはできないので、結局自分に向けて発砲するだろう。自傷行為を始める動物たちも同じ気持ちに違いない。本当は誰も傷つけたくないのだ。だから誰かを傷つける代わりに自分を傷つけてしまう。
もう一つしんどいのが締め切りだ。締め切りは本当にしんどい。予定通りの工程で進むことはまず無い。仕事をしながら創作を続けることは半分狂ってることだと思う。我々は狂いながら創作を進めている、とも思う。実際、私は漫画で笑ってる女子高生を描くときは同じ顔になってにやけながら女子高生を描いているし、女子高生だと思っているし、一方で怒り狂ってるおっさんを描くときは般若の顔で描いている。
そうやって出来上がった作品が何ちゃら文学賞とかなんちゃら新人賞とかいう名誉ある賞を毎回受賞し、読んだ人は泣いて作者を「天才だ!」と褒め称え、街に出ればサインをねだられるようになるのだったらまだやる価値はあるかも知れないが全然そんなことはない。だから普通の人が文学だの漫画だのをやるのは私は狂ってると思うな。
もうちょっと真面目な話をしよう。ここで言う狂ってるというのはより正確な表現をするならば、「珍しい人」くらいは言ってもいいだろうと思う。
文学フリマだのコミティアだのに行けば創作をやっている人が山のように集積していてどこを向いても漫画、小説、イラスト、短歌、はわわわわわわわ、みたいになるが、ああいうイベント、ないし、ああいうイベントに出ている人たちが集積してくっついているSNS上のつながり、が、日常基準で言えば非常に特殊なのであって、普通は創作をやらない。とまでは言って良いでしょう。と言っている。私が。
ほんならなんでそんな特殊なことをするのん?という話になると思うが、これは私に言わせればそもそもが人間というのは個々人の人生を丹念に紐解いていくとどの人も一定程度の特殊性を持つ、というのが私の意見だ。つまり特殊であるが、何かの点で特殊なものは誰しもが持っているということ、それが私の持論である。
それが人間社会の多様性の一つであって、生物多様性を目的として自然保護することが大事ならば、人間社会においての個人主義もこれもまた大事なことだと私は考えておる。だから、創作という特殊性(そして他のありとあらゆる特殊性)は私は守るべき価値があると思うし、人間って素晴らしい、人間!ラブ!みたいに割と思っているよ。
私が創作という特殊性を持った理由や背景というのは、結果的にあれが原体験だったね。みたいなものはいくつか述べることができるものの、しかしそのどれもが結果論じみていて、本当のところは私にも分からない。私は面白いと思うからやっている。それだけだ。
だから、あんまり売れようが売れまいが関係ないとも思っている。
もちろん、売り上げは追求するし、良い作品を作ろうという努力はする。でもそれは「遊びで牧歌的に創作をやってればそれでいい」だとつまらないから、やろうと思えばプロでも通用するよね。みたいなところを目指したいという、趣味性を追求した先にある凝り性、みたいなそんな感じだ。だから私は本気で遊びをやっている、と思う。
そう思えるのは私が仕事である程度上手くやっているからかもしれない。私の本業はITエンジニアで、この分野においては私は根っからの負けず嫌いだった。誰にも負けたくないから、誰かに負けそうになったら死ぬ気で勉強した。だから、今は仕事では充実した職場で働けている。その負けず嫌いが創作で発揮されていればまた違った結果になっただろうと思うが、まあ、例え生まれ変わったとしても私はそうしないと思う。私はがめつくて金、金、金!!!みたいなことを割と連呼する生活を送っており、浪費家でもあるため金がないとやっていけないからだ。
その意味で創作に対して真摯に向き合っている人は尊敬する。具体的に言えばちゃんと芸術や文学を勉強してきた人たちだ。私は趣味だの数字だのといろんな事にまみれながら作品を作っている。
私が創作でやっていることは結局、工学の延長なのである。
SFを題材としてメカを描き、SNSでの反応を見つつ最適化を進める。イベントで各種メトリクスを計測して売り上げ予測を立てる。エモいストーリーとは何か?魅力的なキャラクターとは何か?可愛いとは何か?それら全てを言語化して定義を作り、再現可能な手順を完成させようとする。そういう人間が芸術の世界で大成するとは思えない。
だから私は、創作を続けているし、プロでも通用するように本気で頑張っているのだけど、結局私がやってる事ってズレてるし私が好きなようにしか出来ない、先を思うと不安になるから、今日のところは寝るしか無いね。みたいな電気グルーヴの歌を歌って寝るっていう生活を送っているのだ。
しかしながら逆のことを言うようだけど、それって動機が違っているだけで受け手側の目で見える部分は同じなんじゃ無いかと思う。私は素晴らしい作品を生み出そうと熱心にやっているし、自分が好きなもの、いいと思うものを作ろうと努力はしている。
たとえば、マーケティング戦略としては、まずPVがあって、最終的にコンバージョンに到達する数があり、その間に離脱する数がある。宣伝合戦を勝ち抜いた人が売れるというのはPVを増やせということであって、それは間違っちゃいないんだけど、コンバージョン率を上げても同様の効果が見込める。
コンバージョン率とは何か?それは通しの離脱率の逆数であって、つまり、投稿を見た人のうち、最終的に商品を購入した人の数だ(というか、ここではそう定義しよう)。コンバージョン率を上げる施策は沢山あると思うが、その根幹となるのは作品の質だと私は思っている。
例えば、私のSNSの告知投稿のPV数はイベントによるが最低でも数百、多いと数千というオーダーになる。この数字はSNSの告知投稿の中では低い方だと思うが、しかしそれでも数百から数千回、私の告知投稿は見られているのだ。そこから離脱が始まる。TLの投稿をスルーした人。タップして詳細を見たがそこで止めた人。ブックマークしたがそれで止めた人。実際にブースまで来たが買わなかった人。
それらの離脱率を低下させるために横串でダイレクトに効く施策というのはやっぱり作品の質であって、「良い物を作る」これが結局一番の成果につながる近道だと思う。こういうイベントがある度に「宣伝合戦が始まる」みたいな否定的な投稿を目にする。宣伝を頑張る、つまりPV数を増やすことは戦略の一つであるが、離脱率を下げる、良い作品を作るというのも引き続き売り上げを上げる重要なファクターであって、ここを見失ってはいけないと思う。
というわけで、私は工学の延長、お遊びのような感じで創作をやっているけれども、結果的にそれがすごく好きだし、方法や考え方はどうであれ良い作品を生み出すことに対して執着があると言ってよいと思っている。
と、まあ色々描いたんだけど、一言で言ってしまえば「動機としては邪な気持ちだけど、結果的に出てくる物は本気のもの」と言って良いかもしれないね。
それはそれとして、まあ、やっぱり、イベントはしんどい。創作を続けるのもしんどい。なのに止められない。工学のお遊びが楽しすぎるし、絵を描くこと、文章を書くことも楽しすぎるから。しんどいしんどいと言いながら、私は10年後も同じ事をやっているだろうと思う。