それでも僕らは書き/描き続ける
この記事は「小説を書く人のエッセイ Advent Calender 2024」の5日目です。
こんにちは。私は有理というものです。だいたいのSNSでyuri9000seriesとか有理まこととかで検索すれば出てくると思います。いろんな事をやっています。本業はIT系のエンジニアをやっています。
今日はエッセイということで、久しぶりに自分が漠然と思っていることをつらつらと書いていきたいと思います。思ったことをそのまま書いてみるので不快なところもあるかもしれないですが、そのときはすみません。あんまり悪いと思ってないけど。
絵か文か
私は「絵と文」をキャッチコピーにして活動しています。
私が絵と文を書き始めたのは高校生の時に遡る。当時の私は夢日記を付けていた。夢日記とはその日見た夢を日記に付けておく、それだけのものだ。私は元々夢が好きだったし、そのときハマってきた2chのオカルト板で「夢日記を付けると発狂する」と書かれていたから、じゃあ試してみようと始めたという理由もあった。結局精神が狂うことは無かったが、睡眠時間を削って創作を続けているので見方によっては狂ったのかもしれないとも思う。この文章も公開する前日の22時、飲み会の後に書いている。
話を夢日記に戻そう。ほとんどの夢は断片的で意味がほとんど無いようなものだったけど、時々映画のようなストーリー性に富んだ夢を見ることがあった。そのうちに、いつかこれをどんな形でも良いから作品にしてみんなに見てもらいたいと思うようになった。それは創作をしたいというよりも、「面白い作品を見たからみんなに勧めたい」という動機に近かったと思う。これが私の創作の原体験だ。今でもその夢日記ノートは手元に置いてある。
でも、どうやってそれを伝えるかは難しかった。高校生当時の私が考えたのは、映画、漫画、アニメ、小説、ゲーム。その中のどれかになるかな、というものだった。映画やアニメ、ゲームは作るのが大変だから、漫画か小説で書こうと思った。(当時はゲームと言えばコンソール機だったし、素人が作ったゲームを幅広い層に届ける方法は無かった)
小説は、書ける気が全くしなかった。そもそも小説というものを読んだことが無かったし、もちろん書いたこともなかった。ダイヤルアップでインターネット接続していた中学生時代から今で言うブログみたいなものは書いていたけれど、それは小説ではない。
そういうわけで、最初は消去法的に漫画にしようと決めたのだった。絵だったら何となく描けるだろうという根拠のない自信(今思うとこれが大事だった)があって、当時は自分の個人ホームページを作ってお絵かき掲示板を設置してずっと絵を描いていたし。実際、当時漫画をいくつか描いたのだけど、いわゆる黒歴史という扱いとなっている。漫画の方はあまりにも描くのが大変ということでいったんはやめてしまった。
その後、運命的な出会いがあった。町田康である。私が生まれて初めて読んだ小説が氏の著書、「けものがれ、俺らの猿と」であった。
町田康はもともと「INU」というパンクロックバンドで町田町蔵という名義でボーカルをしていた。町田町蔵は知っていたが、町田康を知ったのは後になってからだった。「けものがれ、俺らの猿と」は映画化されていて、そこに当時好きだった右翼芸人の鳥肌実が出演していたのも小説を読んだきっかけだった。
「けものがれ、俺らの猿と」はどうだったか?とんでもない本であった。私は本を読んで腹を抱えて笑った。私にとって小説とは「教科書に載ってるあまり面白くもない文章」という認識であった。それが、腹を抱えて笑えるような小説に触れて小説ってこんなに自由で良いんだと思った。その後、町田康は「きれぎれ」芥川賞を受賞したが、そのときの私の正直な感想も「あんな文体で小説を書いて芥川賞を取れるのだったら、私も書いた文章を小説と言って発表して良いな」という大変に不躾なものであった。
もともと、漫画はあまりにも制作コストがかかるものであったから、それなりにボリュームがある話を書こうと思ったら必然的に小説で書くしかないという事情もあって、そのあたりから創作の軸足は絵から文章に移っていくことになった。
私が小説を書いたきっかけとはそういうものであって、元々小説が好きだったわけでもないし、小説を読みあさっていたわけでもない。今でも有名な作家の著書を読んだことがなければ名前も知らなかったりする。SFが好きだが私が読んだSF小説は10本の指で収まってしまうだろう。そんな私が小説を書いて良いのだろうか、と思うことはある。けれども、それを止める理由を思いつかなかったという消極的な理由で現在も小説を書いている。
全然だめだった小説と諦めきれない絵
しばらくはブログで小説を書いて公開するなどしていたけど、あまり芳しい反応はもらえなかった。当時から技術系のブログを書いていてそちらの方面では一定の評価をしてもらえたので比較してしまったのも良くなかったかもしれない。実用的な文書と創作的な創作は全くの別物だった。別物だけど、文章を書くという根底で共通しているからついつい比較してしまう。
また、私は欲張りなために絵もどうしても諦めきれなかった。小説を載せながら絵も細々と描き続けていた。元々凝り性というのもあって、上手く描けない絵を見つめて何が悪いのだろうと分析して少しずつ良くしていくという作業そのものが好きになって、今でも絵を描き続けている。
そして当然の帰結として、再び漫画を描くに至った。前回は黒歴史ということになっているので、周囲には「今回がはじめで描いた漫画である」と説明している。
誰かが言っていたのだけど、漫画というのは芸術の総合格闘技らしい。私もそう思う。一枚絵のイラストを描くのと漫画を描くのは全く違うスキルが要求されるし、小説を書けるからと言って漫画のプロットを書けるわけでもない。ここでも違うスキルが要求される。漫画というのは小説、イラスト、アニメーション、短歌、詩、そういったものと似通っているけれども共通部分はあまり多くはない特殊なスキルを駆使して描かなくてはならない。全てが満遍なく、そこそこ出来ていないといけないように思う。
やっぱり私は凝り性なんだと思う。出来ないけど、やってみたいと思うことがあればやってみる。やってみると当然、うまくいかない。だから上手くいくように頑張り始める。そんなことををしていてここまで来てしまった。
自分で何でもやってみたいと思う私が最終的に創作系の同人誌即売会に突入していったのも自然な流れだった。何でも自分でやってみたい人間だから、企画から制作、編集、装丁、工程管理、マーケティング、セールスすべてを一人でやらなくちゃならない世界は私にとって居心地が良かった。
今は文学フリマ、コミティアで本を売っている。
キョンシーに優しく
一番最近に書いたのは「キョンシーに優しく」という本であった。諸事情あり今年の7月頃からキョンシーを描き続けていた。
子細は長くなるので簡潔に記すが、Wikipediaでキョンシーを調べたときに「キョンシーとは元々、出稼ぎ労働者を故郷に帰すために道士が呪術をかけて死体に歩かせたのがきっかけ(諸説ある)」という趣旨の文章を目にしたことがきっかけだった。
可哀想で可愛いキョンシー。キョンシー泣かないで。キョンシーに優しく。そうした情景が書いているうちに浮かび上がり、点と点が線で結ばれて0次元が1次元に、2次元にと自由度が増していった。あとは書くだけだった。
あまりにもWikipediaのキョンシーのページをみたため、Googleの検索結果に「頻繁にアクセス」と出るようになった。この仕様を初めて知ったときは笑った。
私は来る日も来る日もキョンシーを描き続けたが、そのうちにSNS上で私と関わっている周囲の人たちも次々にキョンシーを描いてキョンシー良いですよね、と言ってくれるようになった。中にはキョンシーの曲を作ってくれた方もいた。いずれもとても嬉しかった。
とある友人が私に言ったのは「有理さんにはカリスマ性があって、有理さんが良いと思ってやっている行動に自然と人が集まってくる」という話だった。これも嬉しかった。嬉しかったので今、自慢話を書きました。
ただ、私としてはその創作の始まりで思い立ったきっかけである、「自分が見た面白いとおもった景色をみんなに見せたい」というそれだけで作っている。私は、実は創作者というよりは鑑賞する側に近しいと考えている。私の作るものは、自分でそれが「良い」と思っているから作っているのだけど、それを人と話すときはいったん私が作ったものであることを忘れた上で「これ良いよね」と語り合いたいのである。あたかもお気に入りの映画について友達と語るように。
キョンシーについてもそうで、私が言いたかったことは単に「キョンシーって可愛いよね」「キョンシーに優しくしてあげて」というその二つだけであった。だから、私以外の人がそれについて語ってくれるのであれば別に私はこの作品を作らなかったと思う。
SFのはなし
私はSFが一番好きなので、自身でもSF作品をいくつか書いている。
色々と好きな話は合ったんだけど、「夕焼けとほしぞら」というSF短編集に収録した一つ「太陽系ヒッチハイク」という作品がぱっと思いつく中では特に好きだと感じた。200年後の未来、人類は木星の衛星系に入植していて、木星系と地球を結ぶ物流船を操縦するパイロットのところに若い女の子が一人ヒッチハイクで地球まで乗せてってくれ、とお願いするところから始まる短編小説だ。
その中で宇宙船を操縦しながらパイロットのおじさんは女の子が歌う
「夕焼けが終わってほしぞらが空に満ちていく」
という歌を聴いて子供の頃の思い出を振り返る。
夕焼けが終わって星空が見えるのは地球の歌だから。ガニメデ生まれガニメデ育ちのおじさんはそんな光景を見たことはなく、朝と夜は衛星ガニメデの地表に建設された人類の入植基地を照らす電照灯のスイッチによって管理されていた。あるとき、入植基地の与圧ドームが事故によって急減圧し、まだ子供だったおじさんは早朝に両親にたたき起こされ、地表を移動できるローバーに乗せられる。多くの入植者の命が失われた災禍であった。おじさんの両親は子供だけは生かしてやろうと送り出した。親父もお袋も死んだもんだと思ってたし、何十時間もガニメデの地表をローバーに揺られて移動するのは恐ろしくて仕方なかった。それは両親と離れたからじゃない。ずっと頭上に浮かんでいて、無言でこちらを見つめてくる木星が恐ろしかったんだ。あのときから、もう宇宙はこりごりだと思ったのに、何の因果か今は星間輸送船のパイロットをしてるんだ。そう、助手席で眠ってしまった女の子を横にして思い出にふけっている。
今考えると、「夕焼けとほしぞら」という本で描きたかった全てがこの小話に詰まっているように感じた。私の作品はそのようにして始まり、終わるものが多い。
あるとき、雷に打たれたかのようにインスピレーションが降ってくる。そこから次々とまるで自分が経験したことを思い出しているかのようにエピソードが思い浮かんでくる。
そうして作り上げた作品は、最終的に「私が作ったストーリー」ではなく、「私が体験したストーリー」となって、こんな大変なことがあったんだよ~と苦労話や身の上話を語るのと同じ調子になってしまう。大げさに言えば、私の小説や作品に登場するものというのは私が作ったものではなくて私が見てきたものであって、空想のものではなく本当にそこにあったものなのだという気持ちが強い。
作家は見てきたものしか作れない
少し話は変わるが、だからこそ私は「作家は見てきたものしか作れない」という説を信じている。定期的にSNSで同様のことを言う人が炎上し、「作家が見てきたものしか作れないなら宇宙を駆けるスペースオペラも作れないし、人を殺すようなサスペンスも殺人犯にしか書けないね」などと批判されるのを見てきた。
私は炎上ネタに興味がないので彼らがどんなことを言っていたのかは知らないし調べようとも思わないが、きっと彼らが言いたいのは人生経験と引き出しの数が多くなければ説得力のある話しか書けない、ということを言いたかったんじゃないだろうかと思う。
であれば私もそれは心から同意する。私はガニメデの地表で事故があって子供を惑星探査用のローバーに押し込んだことはないけれど、私には子供がいるし、昔は子供だったのでそういった場面で各々がどんな気持ちでいるかは想像がつくし、親しい人が死んだときの気持ちの変化だって記憶の中に存在する。
SFだろうとサスペンスだろうと、人間が見て理解できる作品は人間からは離れられないのであって、そこに説得力や実在性を持たせるのは完全にゼロから作り上げたのでは難しく、それまでの経験や引き出しがものをいう。横文字で言えばナラティブを重視する、ということになるかもしれない。
小説だけじゃなくて絵を描くときも私はこれを重視している。美しさやかっこよさを重視するのではなくて、主観的な「好き」という気持ちや、どこかで見たことがあるという説得力を重視する。
以下二つの絵は最近描いたもので、友人から「同級生や友達に居そう」「真面目そうに見えて実はサボるのが上手そう」「付き合うのは早いけど長続きしなそう」みたいな感想をもらった。これもうれしかったし、私がそれをうれしいと思う気持ちに気づいたことで、私が追い求めているのは「作家が体験したことしかかけないもの」だったんだな、とも思った。
創作を続けるモチベーション
この界隈に居ると、絵でも小説でもやめていってしまう人が少なからずいる。自分が追い求める評価軸がぶれてしまったり、売り上げやSNSのエンゲージメント、コミッションの有無や回数といった目に見える数字での評価をもらえなかったりしたことで創作そのものを止めてしまう。
それは私はとても残念だと思うし、商業作家になる、あるいはSNSで有名になる以外のロールモデルの少なさには課題感のようなものを感じる。課題ではなく課題「感」であるのは、こういったことに正解というものは存在しないし、止めるということを含めてその人の決断や人生なのだから口には出せないという諦めでもある。これが例えばパソコンのスペック表を眺めて買うものを決めるといった類いのものであるならば、もう少しはっきりとした言い方もできるとは思うけれども、人生とは家電量販店で買うものではない。
これは自戒でもあるにだけど、人に褒められる、あるいは評価をもらえるということをモチベーションにすることは創作に限らず何でも辛いことだと思う。なぜか?他人の感情や評価は本質的にはコントロール不可能であるからだ。そこは人によって認識のブレが大きいと思うから議論はしたくないのだけど、少なくとも私は「良い作品を作ればみんなが褒めてくれるし商業的にも成功するしそれが自らの評価につながる」とは思わない。そういうケースもあるだろうが、そう言い切ってよいとは思わない。
もちろん、創作表現によって他人の心を少なからず動かしたことに対する素朴な喜びを否定するものではない。他人に褒められてうれしかった。商業的に成功してうれしかった。それは人間であれば誰しもが感ずる感情であると思う。あくまでもここでの話はそれをモチベーションとして創作という趣味を続けるとしんどい、という限定された話である。
一方で私は人に評価されたいという気持ちが創作においてはほとんどない。ここまで述べてきたように、単に自分の「好き」とか「自分の見たことをみんなに伝えたい」というシンプルな気持ちで創作を続けている。他人がどう言おうと自分自身が作品を好きで居れば、あとはどうでも良いのだ。もちろん、「好き」を理解してもらえるのは嬉しい。しかし、自分の中で好きなものが具現化されて他人に伝えることが可能になった段階でほとんど満足してしまう。本の売り上げは気にするが、それは自分の感性が世の中とズレてないかを確認したいという動機が強い。だから、私は人に感想も求めない。感想をもらうともちろん嬉しいことには違いないし、好意的な感想をもらったら創作意欲は向上するが、それが無ければ創作を続けられないといった類いのものではない。私は私が好きなことをしているだけ。
だからみんなこうしろ、と言いたいわけでもない。人それぞれ価値観は違うから。私自身、創作を続けるために上記のような行動に至ったわけではなく、単にもともとそうで、創作のモチベーションで悩むことがなかったからというだけの話だ。
それでも僕らは書き/描き続ける
やっぱり余計なことを書いてぶれてしまった。私が伝えたかったというのはそうした説教じみたことではなく、創作っていいよね。好きなことを形にするって良いよね。ということを確認したいだけだった。
どう?創作って面白くないですか?
私はコミティア、文フリなどの即売会にはサークル参加しかしたことがない。一般参加で行くときっと、「私が居る場所はこっちじゃなくて、あっち(サークル側)だ」と思ってしまうから。
と、書くとストイックで意識が高いように聞こえるかもしれないけど、決してそうじゃない。創作をやってるから偉いと言いたいわけでもない。私は単に創作が好きだからやってる。
あなたがほんの少しでも「作品を作りたい」と思うならば、それをやってみたらきっと面白いから。あなたの「好き」は絶対に誰かの「好き」と共通している。だから、それをやってみたら絶対に楽しい。(そういう思いで合同誌を作ったこともあった)
もし創作をやめたくなったり、目指すところがブレたときには最初の気持ちを思いだしてほしいし、今創作をやってないけどやってみたいと思う気持ちがあったらちょっとでもチャレンジしてほしい。そして鑑賞してくれる人たち一人一人にはありがとうを言いたいです。だから私は書き/描き続けるし、創作の世界に引き入れようと思っています。
なんかまとまりのない文章になってしまいました。文体もですます調とである調が混じってるし。でも私が「好き」だから創作をやっているという気持ちは一貫してたんじゃないかな……と思ってます。「それでも僕らは描き続ける」というのも私が書いた短編小説のタイトルだったりします。ちょうど今回のような気持ちでこの話を書きました。気になったら本を買って頂けると嬉しいですが、買わなくてもここまで読んで頂けただけですごく幸せです。幸せならそれでOKです。
おわり。