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優位錯覚、掃除機は吸引力の話、画像生成AIの話

優位錯覚

能登の地震を期に「限界集落は復興を諦めて移住させたほうがいいんじゃないか」みたいな話が出ているのをXで見かけた。

住むところを強制的に変更されるというのは転勤族の方々の体験談を聞けば相当に辛いことであることが分かるし、だからこそ新卒で就活をする学生は転勤がある会社を避けたがる。しかしたとえそういった話を聞かなくても自分の体験に照らし合わせればどういうことか推察できそうなものだとは思う。そろそろ引っ越ししてぇな〜と気になる街を電車で行って調べて物件を決めるのとはわけが違う。今住んでいるところが震災に見舞われ、何ら利害関係を有しない第三者が安全でぬくぬくとした場所から「諦めて移住したら?」と言っているのを想像して頂きたい。

居住移転の自由は憲法22条にて職業選択の自由と並んで保証されている権利であって民主主義の根幹に関わるものであるが、それを軽々しく「限界集落は維持が困難だから」という程度の理由で疎かにしていいとは思えないし、ましてや関係の無い第三者がSNSでテキトーな論を流すのは害しか無いと個人的には思う。

また、限界集落の維持問題に関しては領土保全にも絡むと考えている。この意識は(方法はさておき)ロシアを見習ってほしいと思う。例えばロシアは北方領土に居住する住民に金銭的支援を行っている。ウクライナで拉致した人々をシベリアなどの僻地に住まわせるという噂も聞く。領土を守るためにそこに国民が住んでいるという実績が重要であることをよく理解している。国家がお金を支払って限界集落を住民に維持してもらうモチベーションだってあるということを指摘したい。

なによりもこの手の話で私が一番腹立たしいのが、「言及している議論において自分が優位に立っていると誤認している」ということである。これを優位錯覚、と自分の中で名前を付けている。(本来ならば錯覚という言葉よりも誤認という言葉のほうが適切だと思うが、優良誤認という言葉がすでにあるので紛らわしい)

限界集落は災害が起きたらもう復興を放棄して都市部に移り住めば良い、などと軽々しく言っているのはまず間違いなく当事者ではないだろう。当事者で同じことを思っていればもう少し違う文面になるはず、と考えている。おそらくは都市部に住んでいる人間ではないかと思っている。自分が「強制的に移住を求められることはない」もしくは「自分がすでに強制的に移住を求められるような場所に住んでいない」という自覚がないとああいった無責任な発言は出てこないと思うんだな。

しかしたとえ東京都心であったとしても、別にその他の地域に比べて災害リスクは特段小さいというわけでもないだろうし、例えば地球温暖化の海面上昇や南海トラフ巨大地震発生により東京都湾岸エリアが津波被害を受けた上に地盤沈下および浸水するとかいう事態は発生しうる。その時に「あなたの湾岸タワマンという資産は諦めて下さい。政府は被害地域に住み続ける住民に対して特にサポートしないので他の地域に移り住んで下さい」とか言われた時に彼らがそれを飲み、財産を諦めて粛々と住み慣れない土地に移住するならば言ってもいいと思う。でも言わないでしょう?顔真っ赤にして怒り狂って自分が持ってた水没したスーパーカーまで保証してもらおうとするよ。

あるいは、災害でなくとももっと個人的な理由で意にそぐわない転職を行い、住み慣れたオシャレでハイクラスでエグゼクティブでプレミアムな東京都心を離れて田んぼしか無い地方に行くということもあるかも知れない。けれども、どれもこれもそんなことは考えもしないで言っているのだろうと思う。なぜならば、やっぱり文面には飲み屋で酔っ払いがでかい声でがなっているような無責任さが現れているからだ。

自分が強制移住を要求されることは無いと錯覚しつつ、他人には強制移住すれば?みたいなことを平気で言う。これが私が指摘している優位錯覚である。

その他にも世の中に優位錯覚はよく目にする。

例えば車に「ドライブレコーダー録画中」などというステッカーを貼りながら速度超過、赤信号無視、一時停止不停止、スマホやテレビ画面を注視するなどの安全運転義務違反するなどという車をよく目にするが、あれも「私は運転がうまいので私が違反をしたり事故原因を作ることは無い」という驕りがあるんじゃないかと思えてならない。事故が起きた時に自分が不利になる証拠が記録されるとも思わなければ、「赤信号になってほんのちょっと過ぎたくらいならセーフでみんなやってるからこれは実質違反ではない」などという都合の良いことを思っているんだと思う。知らんけど。

最近はあまり聞かないが、一時期は生活保護を受けている人を叩くような風潮もインターネット上ではよく目にした。病気や障害で仕事ができなくなって生活に困窮する可能性は誰でもあるのに、自分が支払った大した額でもない税金が生活保護の受給者に流れることばかりを気にしている。浅ましいことだと思う。

そう指摘すると多分彼らは「本当に必要な人が受給するのは問題ない。私は不正受給している人が多いことを指摘している」などと言うのだろう。だとしたら批判の矛先は認定を判断したケースワーカーや市役所職員に向いていないとおかしいはずで、その背景には「俺は働いてるのにずるい」みたいな安易な考えもあるのだろうし、自分が生活保護を受けることはないから支給要件が厳しくなっても困るとは思っていないのだろう。こういう人は平気で「2型糖尿病患者には健保非適用にしろ」とかいう主張もする。自分が糖尿病になるとは思っていない(以下略)。

その他の優位錯覚としては、

  • 強国に攻められるのは仕方がない
  • 各種自己責任論

などがある。

ウクライナとロシアの間で戦争が起こったときも「強国が脅してきた時に反抗するからやられるのだ」みたいな意見が沢山あった。同じように中国が日本を脅してきたときにはいくばかの領土を引き渡せば良いとでも思っているのだろうか。あるいは、日本は中国よりも強いから脅しに屈する必要はないとでも思っているのだろうか。

自己責任論に関しては昔から継続的にある。海外にいてテロなどに巻き込まれた人たちに対し「外務省が渡航情報を出しているのに自ら行ったのだから国が助ける必要はない」などというのがその典型である。自分は海外旅行先で政府や現地大使館のお世話になることが無いとおもっているのだろう。そういう人たちは海外旅行をする時に渡航情報を逐次確認しているのだろうか。渡航情報を一通り読めば、安易に「自己責任だから」なんて言葉は出てこないと思う。ひいては、海外の邦人を日本国がどのような扱いをするかを見ている人の目が国内外にあり、それが日本という国家の信用にも関わる問題であるということも理解できては居ないのだろう。

掃除機は吸引力

Electroluxのエルゴピラードという掃除機を使っていたのだが、これが壊れてしまった。リチウムイオンバッテリが交換できないので、バッテリが消耗したら自分で交換するか(たぶん18650のセルをスポット溶接して交換すれば良いのだろう)、諦めて新しいものを買うか…と思っていた所、ブラシ部分のモーターが壊れてしまった。回すと大きな異音がする。おそらく軸受周辺が破損したのではないかと思う。ブラシ部分のローラーも使い始めて半年くらいで壊れてしまい、あまり耐久力がなかったな…と残念に思う。気に入っていた掃除機だったのだが。でも、3〜4年くらいは毎日使ったのでまあこんなものかな、とも思う。

色々検索して、結局アイリスオーヤマのi10(型番:SBD-91P-T)の掃除機を買った。公式サイトの通販で2.3万円だった。

求める条件としては、

  • コードレスである(必須)
  • スティック掃除機
  • 紙パック式
  • 吸引力が強い(必須)
  • 自立する
  • ヘッドにLEDライトがある(必須ではない)
  • 自走式である(必須ではない)

であった。ちなみに、昔ながらの紙パック式掃除機も持っており、二台体制で運用することが前提となっている。

この掃除機はヘッドにLEDがある、という部分を除いてすべての条件を満たす。特に私が良いと思ったのは吸引力が非常に強いということで、吸込仕事率はなんと210Wである。バッテリ電圧は29.5V。アイリス史上最強の吸引力という謳い文句だが、おそらく市場でも最強か最強に近い水準ではないだろうか。私が探した限りでは、コードレス掃除機においてこの吸込み仕事率を超える掃除機は見つからなかった。

吸込仕事率とはその名の通り吸込み能力の仕事率であって、この値が大きいほど吸込む力が強力であると考えて良い。掃除機の性能はまず第一にこの吸込仕事率に現れると個人的には思う。この性能が最も高いのが昔ながらの紙パック式掃除機であって、吸込仕事率500〜600W程度の商品が一般的だ。

私はすでに述べたように紙パック式の掃除機とスティック式のコードレス掃除機の二台で運用しているが、両者の違いは非常に大きい。同じ人が同じように掃除しても、明らかに紙パック式掃除機のほうが圧倒的にゴミが取れる。細かいゴミが取れると裸足で歩いた時の感触や、その後ゴミが貯まっていくまでの時間も変わってくるからとても気持ちが良い。紙パック式掃除機のヘッドを交換したりなどしてさらなる工夫も試みたが、やはり吸込仕事率の高さが掃除機としての能力と深く結びついているというのが実感だ。

ただ、コードレス掃除機は一般的に吸込仕事率が小さい。紙パック式が500〜600W程度のところ、コードレス掃除機は100W以下が一般的だ。有名なダイソンもターボモードで100〜130W程度のようだ。ここまで書けば、アイリスオーヤマのi10が吸い込仕事率210Wであるという数字を見た時の私の興奮を理解して頂けるのではないだろうか。

あと、紙パック式であるというのも非常にありがたい。ダイソンの登場により掃除機の多くはサイクロン式に移行してしまったが、冷静に考えるとサイクロン式のメリットというのはあまり無いように感じる。紙パック式の偉大なところはゴミを蓄えるバッグがフィルターを兼ねていてゴミ捨ての都度フィルター交換できるという点である。この点、サイクロン式はフィルター自体のメンテナンスが必要でありこれが結構面倒くさい。フィルターの目詰まりを防止するためにゴミはこまめにすてないといけないし、フィルターを掃除するのに別の掃除機が必要だ。フィルターは新品に交換しても当初の性能はあまり維持できず、1ヶ月も経たないうちに「吸引力が下がったな」となる。

ホコリを吸うマシンなのだから、どのような方式であれフィルタが目詰まりするのは回避できない。だからフィルタの交換は受け入れなければならないコストだったはずだ。それを、サイクロン式だから紙パックの交換が不要というのは「吸引力が多少下がっても多少は我慢してくれ。紙パックよりは吸引力が下がりにくいから」と言っているのと同義だと思う。しかも、従来の紙パック式については吸引仕事率が500〜600Wと大きいので、ゴミが沢山詰まってもその吸引力は大差ないのではないか、という気がする。吸引力が下がったらコストの安い紙パックを買って交換すればいいだけである。

まあそんなこんなでi10が届いて早速、今日の朝に使ってみた。流石に昔ながらの有線の紙パック掃除機とまではいかないものの、これまで使っていたエルゴピラードと比べても明らかに吸い込能力が強い。「自動」設定で必要十分な吸引力が得られ、強モードではこれは本当にコードレスかと思うほどの吸引力を発揮してくれる。さらにゴミの検出量に応じて吸引力を自動調整してくれる機能もちゃんと付いている。あとは、静電気モップが付いてきて、これを掃除機で簡単に掃除できる仕組みになっているのもありがたい。また、このモップが掃除機本体に格納できるようになっているのもさらにありがたい。掃除機をかけていて、掃除機をかけられないような箇所のホコリが気になり静電モップが欲しいなと思うことは多々ある。

しばらく使ったら改めて記事を書くかも知れない。

画像生成AIについて

画像(イラスト)生成AIはもう自分の中で解決とマークされた話題であって、もう語ることがない。ただ、自分の中で解決されたので語ることがないんだよねーという話はしたかったので書いてみる。

前提を書いてみる。

  1. 世論や法整備は私の意志とは関係なく進む。
  2. 私は趣味で創作をしていて利害関係が薄い。

1に関しては「SNSで声を上げることで流れは変わる!!」という元気100倍アンパンマンみたいな方々もおられるが、私としてはそもそも声を上げて政治活動をするのはだるいと思っているし、私一人の声(みんなの声じゃなくてあくまでも私一人の声)のパウワーが議論に影響することはほぼ無いというのが正しい認識だと思っている。

2に関してもこのとおりだ。特に異論を挟む余地も無いだろう。

となると、あとの議論は完全に世の中でおまかせでよく、私は「生成AIなんてなんもわかりませ〜ん、な〜んも考えてませ〜ん」と馬鹿のふりをしておけば少なくとも失点にはならず、その一方で生成AIの活用に関する情報は逐次追って技術を触っておき、もし世の中が「生成AI最高!!生成AIだいすき!!」という議論に収れんしたら、しれっと「ほんと、生成AIってとってもキュートなの!!」とか言って私も使い始めればよく、一方で世の中が「生成AIって最悪だよな。滅び地獄の業火に焼かれるべし」という議論に収れんしたならば、私も「生成AIってほんとクソだよな」とか言って夕飯にステーキを食べて温かい布団でぐっすり寝ると健康になるのである。

だから私は生成AIを定期的に触ったり色んな情報を集めながらも、それはそれとして、自分で自分の絵を描いているというのが最も合理的な戦略となる。自分の利害関係に着目した時に問題は驚くほど簡単になるのである。

いやいや、SNSから辿れるリンクのブログで書いてたら意味ないやんけ。というのはまっとうな指摘であるが、そもそも脊髄反射的に「AIは悪です!!!」とか言ってくる人はこのような長い文章を読むことは無いから問題ないのである。一方でこのブログを読んだ上で私の文意を理解し、お前の考えはおかしいとわざわざ言ってくる人であれば、それは真摯に聞くべきご意見であろうと思う。それは私にとっての利益になるかどうかはわからないが、少なくとも不利益にはならない。だからやっぱり問題ないのである。

そういうわけで私の中に積み重なったタスクの内、画像生成AIについては「解決」のマークが付いており、少なくとも「どうあるべきか?」という議論は何も気にしていない。

新型コロナに関する一連のパニックについても同様だった。トイレットペーパーが一時的に無くなったときはやや困ったが、そこからはマスクをしてうがい手洗いを行い、ワクチンや治療薬の開発を待つという以外にやることがないから、PCR検査がどうだの、RNAワクチンがどうだのという話は私には直接影響しなかったから特に何も言うことはなかった。

以上になります。ご査収ください。

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