anopara

推しイラストレータ、楽しみの話

日記のようなものだ。

推しイラストレータ

某所で書いたのだけどここでも書いてみる。

大友昇平

大友克洋の息子さん。ひと目見たら誰しもが息を呑む迫力。ボールペン画が中心。 父は息子に絵を教えることをせず、息子も父の影響を受けないようにと意識したが、結局父の影響が出てるとの本人談(wikipedia情報)。大友克洋の比較的初期の作品を見れば確かに画風やモチーフは似ているようにも思う。 が、作品を見れば父親がどう、と語る必要など皆無だということがよく分かる。このかっこよさと迫力は唯一無二だと思う。この絵で描かれたモチーフに感動できる文化圏に住んでいて良かったとすら思う。

Unomoralez

ロシア?かその周辺の国の人。ジャンル的には比較的高解像度なドット絵ということになるのだろうか。80年代後半〜90年代前半くらいのペイントソフトで描かれたような画風。Instagramアカウントにたまに制作過程を載せているんだけど、ずいぶんと古いペイントソフトを使っていた(昔のMSペイントよりも古く見える、詳細不明)

作品からは不気味、悪夢といった言葉が連想されるが、氏の作品が凄いのはそこに作為的な感情を一切感じないところ。たいてい、怖い絵、グロい絵などはそうさせようとする作者の意図を感じてしまうが、氏の作品はあたかもその世界がもともとそこに会ったような自然なものに仕上がっていると個人的には思っており、だからこそ不気味、悪夢の感じに説得力が与えられているのだと思う。

Simon Stalenhag

スウェーデンの人。レトロな感じのSFを描く。90年代によくあったような家電製品やパソコンをベースにしたパラレルワールド的な世界を描いている。

風景の中にいきなり現れる異様なメカや構造物は、それ自体のデザインが特に不気味であるというわけではないのに、なにか言い表せないようなぞわぞわした感情が湧き上がってくる。日常の中で感じる根源的な不安とか恐怖といったものを間接的に上手く突いているように思う。

画集はそれぞれ短編小説が付随しており、これもまた90年代のパソコン、インターネットなどに触れてきた人間にはすごく刺さると思う。

Amazon primeで「Tales from the loop」というドラマもあり、このドラマも映像が非常に美しいので必見。

楽しみの話

これは自戒のためにも書いておく。

自分含め、多くの人は楽しいことが向こうからやってくるのを待っている節があると思う。日常生活の中でサプライズが起きて人生が楽しくなるのを期待してしまってるのではないか。そんなふうに思うことが多い。

多くの人は日々が楽しくない、仕事とごく僅かな休日の繰り返しで人生が終わってしまうと嘆く。それはそういう生活をしているからであって、積極的に楽しくなることを自ら行動していかなければ楽しくはならない、という単純な話であるとは思っている。しかしこれがなかなか出来ない。なぜなんだろうか。

例えば、私は2週間ほどまえに大学の友達と一緒に池袋で飲んだ。これがすごく面白かった。でも、行く前は池袋は遠いし(八王子からdoor-to-doorで2時間弱かかる)行きたくないなぁ…と思ってた。

でも行ってみたらもうこの世の終わりかと思うほどに楽しくて、男10人で集まって俺達今も昔もズッ友だよな!!!みたいな感じになった。4年間くらいお互い会ってなかったくせにね。

これが1年に1回くらい会ってたらすくなくとも4倍楽しい思い出があっただろうなと思う。でもこれが出来ない。飲もうぜ!って人を誘って居酒屋を予約するという行為が。億劫になってしまうんだなぁ。

都心に出るときは必ずカメラを持っていく。FUJIFILMのX100Fというやつだ。そんなにいいカメラではなく、ちょっと小洒落たコンパクトカメラだ…と書きたかったが、現在中古で20万円弱もするらしい。私が買ったときはほとんど新品のような中古を買って、せいぜい8万円かそこらだったと思う。

このカメラの良いところは、「ちゃんと写真を撮れる」カメラだ。私の中でスマホはどんなに綺麗でもちゃんと写真を撮れるカメラでは、無い。あれは写真ではなくて「エモい画像メーカー」だと思っている。だからスマホの写真が駄目だというわけでもなく、私の用途と好みにより従来の写真ではなくては駄目だというこだわりがある。この辺り、詳しく書くと何処まででも語ってしまうので今はよしとこう。でも、いつか書いてみようと思う。

その飲み会は既に書いたように大学の友達が集まった飲み会だった。我々は同じ学び舎で授業を受けていた。同じ研究室でカップ麺を食い、卒論を仕上げていった面々。就職してから何人かと旅行しに行ったこともあった。

全員が東京および埼玉に住んでいるが、そのうちの一人が地元に帰るとのことで集ったわけだ。地元に帰るというから皆、今の仕事を辞して帰るのだろうなあと思っていたところ、フルリモート勤務に移行するのだという。彼なしでは回らないシステムがいくつもあるので会社も手放さないのだそうだ。IT界隈ではこういった話は珍しくない。皆が使う公共性の高いシステムであっても、実は数人の職人じみた人の職人じみたテクニックによって保守運営されているというのはよくあることだ。

飲んだお店は餃子の何とかという店だった。行ってみると餃子の名が店名に入っているものの、沖縄料理の店であった。そしてなんと、紙タバコが吸えたのだった。

後で聞いたところによると、私含め数人が沖縄料理が好き、かつ、タバコを吸うからこの店を選んだとのことで、さらに沖縄料理が好き、かつ、タバコを吸うのは私だけであったので恐縮であった。昨年くらいからストレスが貯まりタバコを吸っている。1日に1本吸うかどうかという割合ではあるが。

ただ、私は紙タバコを持ってこようとして忘れてしまった。したところ、友達が吸っていたのは私と全く同じ銘柄(キャメル、ベリーカプセル、1mg, ベリーカプセル)で、私は結局いつものタバコを吸えたということだった。居酒屋でマスク無しで酒を飲み、沖縄料理を食い、紙タバコを吸って、古い友達と楽しく喋っていて、私はもうこれは世界の終わりだなと思ったのだった。明日世界が終わるとして、精一杯楽しいことをやろうとすれば、こういうことはやることの一つに確実に入るなって。そう思ったのだった。

タバコ吸うときなんか、もう犯罪を起こしているような気持ちになったからね。あんなに美味い酒とタバコはなかった。

一応言い訳をしとくと(何の?)、私は他の人からは喫煙者だとは絶対わからない程度には抑えている。そもそも外でタバコを吸うということがない。だからタバコも持ちあるくという習慣が無かった。

友達で集まって話すのはいつもしょーもない話で、明日になれば何を話していたのかなんて殆ど忘れてしまって、楽しく幸せだった記憶だけが残っている。それで良いのだと思う。

ただ一つ覚えているのは、みんなで旅行に行きたいね、って話だった。休みをみんなで頑張って合わせれば、社会人だろうと所帯持ちだろうと2泊3日くらいの旅行くらいには行けるのではないかと個人的には思う。そら、1歳とか2歳とかの子供が居たらしんどいかもしれんが…。

旅行が駄目なら最低1年に一回でも集まって池袋で飲めばいいじゃんという話にはなるが、やはりそれも億劫で話が進まないのである。そういう背景があるので、飲み会でもなんでも言い出して取りまとめてくれる人が居るというのは心強い。そういう友達は大事にしたい。自分で面倒くせえ〜と日常から一歩を踏み出せない怠惰な自分を引っ張って楽しい世界につれていってくれる人だから。

自分もそういう誰かを引っ張れるような人になりたいな、と思っている。

キーボードを買った

楽しみと言えばもう一つ、 Moonlander というキーボードを買った。台座と合わせるとなかなかの金額になるキーボードだ。これも届いたら感想などを書いてみたい。来週末くらいに届くはずだ。

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