【質問#222】やり直せない過去の後悔を忘れたい

質問・悩み相談の回答です。

質問

withpopさん、初めまして。
長年anoparaを愛読しておりますが、相談をするのは初めてです。
私は現在30歳の女ですが、長年ずっと後悔といいますか、自分の中で消化出来ずに苦しんでいることがあります。
こうして相談しようといざ文章にしてみると自分がなんて小さい人間なのだろうと自己嫌悪の気持ちでいっぱいになりますが、
今まで周りに言えなかったことなので、吐き出してみようかと思います。

「忘れたい過去の後悔」とは、高校受験のことです。

当時私は偏差値は58~63の間をウロウロし、内申点もそこそこの中の上?上の下?くらいの成績でした。
猛烈に行きたい志望校があったわけでもないのですが、そろそろ私立の滑り止めはどこにするか決めるか~なんて呑気に考えていたところ、親から「どうせ私立を(滑り止めに)受験したところで通わせる金はないから、公立一本で受験しろ」と言われました。

公立高校を落ちれば、いわゆる二次募集…定員割れを起こしているような高校(もちろん、その中にも素敵な学校もあるかもしれませんが)に行くことになりますし、当時中学3年生ですから、「公立高校に滑り止め無しで受験して不合格に=人生の終わり」というような極端に狭い世界観に生きています。結局、私は自分の普段の実力からしたらよほどのことがなければ落ちないであろうレベルの公立高校を受験し、何とか高校生活をスタートさせることになります。

しかし「私は本当はこんな高校に来たくなかった」という気持ちにとらわれてしまい、事あるごとに、やれ「田舎者だらけの学校(実際ド田舎で本当に周辺には何の娯楽もありませんでした)」だの「行事やら部活やらの勉学以外のことばかり教員ぐるみでやたら一生懸命でキモイ」だの「先生の教え方が下手、どうせ先生たちも大した大学出てないんだ(※当然根拠なし)」だの、学校に対する不満や罵りをひたすら心の中で唱えている根暗な生徒として3年間過ごしました。

結局、四年制大学に普通受験で進学する人は極端に少ない環境で(生徒の殆どが専門学校か世間の大半が知らないような四年制大学への推薦入学でした)、孤独感に耐えたり、勉強してない周りに対する八つ当たりを抑える自信がなく、3年生になってからは出席日数だけ足りるようにしてほとんどの時間は予備校や図書館で過ごしました。体育祭の練習や文化祭の準備に参加しなかったことを咎められたことは今思い出しても腹が立ちます…笑

さて、今思えば、確かに公立高校と私立高校では学費にかなりの差がありますし、実際に私立なんて通わせられないよ、という親の言い分は理解できるのです。ですが、30になった今でも「あの時私立の滑り止めがある安心感の中で、もう少し上の高校に受験出来ていたら?そして合格していたら?」という気持ちが拭えないのです。もっと自分を肯定しながら生きてこられたんじゃないか、と思ってしまうのです。

「履歴書に書く学歴の出身高校が恥ずかしい」みたいなちっぽけな自尊心が傷つくこともなかったし、高校時代に付き合ったが今なお私にトラウマを植え付けた最低なクソ彼氏との出会いもなかったことに出来ます(これは冗談ですが笑)、これから先の人生をずっと支えてくれるような言葉をくれる恩師との出会いもあったのかなあ、など、半分漫画みたいな出来事が私にも起こったんじゃないか、ああそれに引き換え自分の実際に過ごした暗黒の高校3年間…!などと考えてしまいます。

こんな私が過去を忘れ去るのは、もはや無理なのでしょうか?
ちなみに今現在は結婚しており、主人と私共にそこそこ普通の年収、ごく普通の人生を送っている自覚はありますが、どうしても自分の中での高校のステータスを汚点に思ってしまうのです。
今考えてもどうにもならない「自分が本来行きたい高校に通えた自分」を妄想して、今の自分をみじめに思う人生を終わりにしたいと思っています。何かいい心がけはないでしょうか?こんな質問で申し訳ございません。よろしくお願いいたします。

(補足:ちなみに私には上に出来の良い兄弟がおり、上は高校受験の時に私立の滑り止めを受けさせてもらっています。もし同じ条件で高校受験していたらそんなに引きずっていないのかもしれませんが、やはりこのことが「(兄弟に比べて)私は親から期待されてなかった、愛されてなかった」という思考になってしまい、親のことを恨んでしまっている状態です。)

回答

女性読者よりご質問を頂いてしまいました。私は学生時代ぜんぜんモテなかったので未だに女性からメール(メッセージ)を頂くと緊張します。

ご質問拝見しました。なんかこういう話を私も何度も書いてきました。最近も書きました。

Kくんのお話

もしかしたら質問者様もお読みになったかもしれませんが(それでこういうご質問を送って頂いたのかもしれませんが)、せっかくなので(?)私の経験も改めて書いてみますね。

私も質問者様と似たような経験をしており、何度も思い返すことがあります。後悔という点に絞って経緯を書いてみます。書いてみたら予想以上に長くなってしまったので別記事にしようかなと思いましたが、悩みつつここに記しておきます。(水平線で囲っているので読み飛ばしてもOKです)


中学の時に私は親友よりパソコンの使い方を教えてもらい、彼の助力もあって家にパソコン一式を揃えることができました。1998年?1999年?くらいのことでした。その当時はインターネットはまだ電話回線を利用しており、インターネットにつないでいる間は電話代がずっとかかっていて、当然電話も使えず親に怒られるという代物でした。

最初はインターネットにすらつながらないパソコンで私は自分のホームページを作って自分一人だけが見て楽しんでいました。中学校で自分のホームページを作ってみようとHTMLを書かせる授業があったんですが、その時は自分が家で作ったCGアニメーションとかイラストとかをフロッピーディスク10枚くらいに分割して書き込んで学校に持っていってみんなに見せた記憶があります。

いつかそれをネット上に公開したいと思っていて、それが叶ったのは2年後くらいのことでした。インターネットにつながるようになると瞬く間に私はインターネットの虜になり、せっせと自分のホームページを作り出し始めました。一番最初に自分のホームページ上で反応を貰ったのは一番最初のホームページを閉じるときで、そのときに「面白くてこのサイトをずっと見てたので残念です」とのことでした。今でも覚えています。

その頃の私の生活はずーっとパソコンと一緒であって、ハードオフで買ってきたオーディオアンプで当時流行っていたインディーズロックバンドを流しながら自分のホームページを作るということを無限にやっていられました。ふと今気づいたのですが、ちょうど今こうしてこの文章を書いている自分もずっとパソコンの前に座って当時曲をハードオフで買ってきたアンプで聞きながらブログを更新しているのでなんかもう、変わらないですね。生活が。

そういうわけだったので私は将来の職業としてはパソコンを扱う以外の職種は想像できず、最低でも電気・電子関係に勤めたいな(これも好きだったので)と考えていました。パソコンが得意で好きだったからというのが第一の理由ではあったんですが、もう一つ自分は決定的に人付き合いには向いていないので客商売はできないだろうという危機感があったというのも大きいです。特性を考えても希望を考えても専門職しか無いだろうなと。

なので本当であれば大学に行きたかったのですが、「金がない」と四六時中言っている親には相談することもできなかったです。子供の頃から金が無いと言う話は嫌と言うほど聞いてきました。

私がお年玉で3000円の熱帯魚用フィルターを買うときもすごく嫌がられたのが記憶に残っています。そんなものを買うのか?もっと賢い使い方をしろ、とか、そんなことを言われた気がします。もっと小さい頃は1000円かそこらのミニカー(農業用トラクター)が欲しくてたまらなかったのですが、それを買ってもらうまでに1年かかりました。夏に欲しい!と言ったところ来年の誕生日に買ってあげる、と言われ、誕生日が来てから買って欲しい!と再度ねだり、その数カ月後に買ってもらいました。

その割に、兄には熱帯魚用の水槽も一式買ってあげるし、CDもCDプレイヤーもウォークマンもディスクマンもファミコンもプレステも望むものほとんどすべてを買い与えていました。私が子供の頃は自宅にファミコンがあるという事実を長らく知りませんでした。兄が独占して遊んでいました。親が兄に甘いのはとある理由があるのですが、まあその理由を知っても私は未だに許せるようなものではないな、と思っています。

そういうわけで私の親は私には金をかけたくないという感情を常日頃から出していましたから、大学や専門学校は無理であって、最低限、高校は工業高校に行って多少なりとも専門的な教育を受けたい、という算段をして母親に「将来は専門的な職業に就きたいのでそっち方面の勉強ができるA高校に是っっ非入りたい。したがって成績アップの実績がたくさんあるこの塾に行かせてくれ」と相談したところ、「塾に行かなきゃA高校に行けないんだったらB高校に行け!!!」と一喝されたのでした。

B高校というのは名前を書けば入れると言われる学校で、事実、地域で中卒を防ぐためのセーフティネット的な学校として機能しているところでした。中学校三年生で負の数の概念が分からず苦労している保健室登校の女の子が当時同級生でいましたが、彼女も5教科で120点程度の成績でしたがしっかり入学していました。この子とは私は小学から一緒だったのですが、今思うと何らかの学習障害があったんじゃないかと思うのですが、そういった子供に対するケアも大して行われなかった時代・地域でしたし、とにかく高卒として押し上げるという役割がやっぱり地域住民からも望まれていたんだと思います。

私は母親にそんなB高校に行けと言われた瞬間にすべてが嫌になり、じゃあもういいやと思ってB高校に進学しました。塾に行かずに勉強してもよかったんですけれども、この人は私の将来に関わることですら金を惜しむのだから、多分電車やバスに乗って遠くの学校に通ったらそれも通学費がかかるから嫌だとか言うんだろうな、などと思うともうそれ以上を考えたくなかったんです。当時は中学生でしたからね。

高校に入学したときの気持ちは暗い気持ちが半分、仲の良い友達が多かったのでそれが嬉しかったのが半分という感じでした。ただ、将来を考えるとやはり絶望でした。

1年生のときに進路希望調査を書くにあたり、私の望むコンピュータ関連企業への入社実績があるかどうかを調べたんですが、まあ当然無いんですよね。7割くらいが就職、3割くらいが進学という感じでした。7割の就職先は地元の電子部品工場とかスーパーとか蕎麦屋とかそんな感じで、電子部品工場が地元では一番の給与を支払ってくれる会社でした。そこに入れるのは成績優秀者だけでしたね。確か、入学時の成績は10位以内くらいだったとは思うのですが入学後すぐにやる気が無くなって1年の半ばには中盤以下くらいになってたと思いますから私にはそれも無理でした。進学はというと美容師系の専門学校とか医療系の短大がほとんどでした。

その頃、地元で子を持つ大人たちが決まり文句のように言っていたのが女は看護婦に、男は公務員に、という話でした。まだ看護師って言ってなかった時代です。うちの親も私には公務員に、最低でも件の電子部品工場に就職してほしかったのだと思われますが、当時は平成大不況で氷河期世代が就職に苦労しまくっている時期でしたから公務員なんて夢のまた夢みたいな感じでした。

じゃあ私は?どうすりゃいいの?と絶望を感じてたわけです。

高校生活に関しても皆全般的にやる気が無く、半数くらいが帰宅部だったように思います。私も当然ながら帰宅部でした。理系科目が好きだったので科学部に体験入部したところ、活動内容が「夕方にやっているポケモンをテレビで見る」という内容だったので入部を諦め、あとはそのままです。友達の中では悪いこと(飲酒、喫煙、無免許運転、喧嘩)をやったやつが偉い、童貞を捨てたやつが偉い、彼女が居るやつが偉い、悪そなやつはだいたい友達のやつが偉い、ケータイの電話帳登録件数が多いほうが偉い、女子だとすでに高校卒業して働いてるカセンパイのカレシが学校まで走るラブホテルと言われたS-MXで迎えに来てくれるのが偉い、みたいな価値観でした。タバコを吸った連中が木造の駅舎の壁に空いた穴(多分それも誰かが殴って開けたもの)に火のついた吸い殻を押し込め、むちゃくちゃ怒られたこともありました。喧嘩して某が何針縫った、入院した、みたいな武勇伝もよく聞きました。私も飲酒喫煙はしましたが、それ以外はおとなしくしていて学級委員長とか生徒会とかやってました。

卒業してから一番嫌だったのが、中学卒業時代の友達に会ったときに言葉の節々から「お前よりは頭の良い高校を出たぞ」あるいは「お前よりは頭が良かったぞ」みたいなマウントを感じたことでしたね。それらの言葉や態度は未だに忘れません。

なんやかんやあって私はそういう高校からでもギリギリで地方の大学に入りコンピュータ及び電気電子を勉強することができたのですが、その大学というのも欲を言えばもうちょっと名の通った大学を出たかったなというのはありますし、だからもっと言えば高校も進学校に行けばよかったなと思うこともあります。

という後悔をもうすぐ40歳になるのに未だに思い出すことがあり、多分一生思い出すのだろうなと思います。


以上が私の体験ですが、まあ色んな所で何度も書いたとおり全部既出の話になってしまったと思います。というか、それでも何度も書いてしまうくらい、私も忘れられないんでしょう。

という気分になったところでもう一度質問者様の文章を読んでみたいと思います。

公立高校を落ちれば、いわゆる二次募集…定員割れを起こしているような高校(もちろん、その中にも素敵な学校もあるかもしれませんが)に行くことになりますし、当時中学3年生ですから、「公立高校に滑り止め無しで受験して不合格に=人生の終わり」というような極端に狭い世界観に生きています。

「極端に狭い世界観」と書かれておりますが、特に10代ではそういう気持ちになるのは普通だと思います。私も、今考えれば高校を浪人して入ったとかいう人も全く見ないわけではなく聞いたことはありますし、もう大人になると1〜2年どこかで留年や浪人があるのは当たり前のことなんですがそれはやっぱり大人の価値観ですよね。10代の一年は相対的に大人よりもずっと大きいですから。

事あるごとに、やれ「田舎者だらけの学校(実際ド田舎で本当に周辺には何の娯楽もありませんでした)」だの「行事やら部活やらの勉学以外のことばかり教員ぐるみでやたら一生懸命でキモイ」だの「先生の教え方が下手、どうせ先生たちも大した大学出てないんだ(※当然根拠なし)」だの、学校に対する不満や罵りをひたすら心の中で唱えている根暗な生徒として3年間過ごしました。

私は質問者様の通っていた高校を全然知りませんが、「田舎者だらけの学校」、「勉学以外のことばかり一生懸命」、「教え方が下手」というのも事実である(少なくとも誇張はあるかもしれないが嘘ではない)んでしょう。だからこそ、不満が余計に積もっていったのだと思います。

これを見ていて私も思い出しましたが、私の高校ではセンター試験の問題を解けない先生が結構いました。だから勉強も教えてもらいようが無いんですよね。

こういうのを紐解いていくと、やっぱり都市部と田舎での教育格差というのは根強くあるような気がします。と、書くと、いや田舎から良い大学に進学する人もおるやろ、独学でセンター高得点取れる人もおるやろ、今だったらYouTubeとかスタサプとかでなんぼでも自習できるやろ。という精神論に近い反例を出されて反論されそうですが、いやそれは反論になってないんだって。勉強しようと思ったときに勉強ができる環境がないよりはあったほうがマシ、というところ自体が格差だろって話をしてますよ。もっと言うとそれ以前の段階として、周囲の大人も含めて田舎の暮らしに慣れきって多様性を認めない人が多く、そういう家庭で育った子どもたちばかりで構成されるがためにそもそも勉強に対する意識の差もあったりして、漠然と「親もこの地で生まれ育ってそこまで不自由なく暮らしてるんだからそれはそれでええやろ」という方向に価値観を誘導されがちです。そのながれが意図したものかどうかは置いといて、ね。

こういう人って意外と居るんですよ。もちろん粗暴な言い方をする人は少なくて優しく言う人が多いので気づきにくいんですが、あなたが言っていることを突き詰めていくとつまり地元を捨てて外に出ていき、良い大学を出て高い給与を得たいという人生をよろしくないと言っているのと同義だよね?って言いたくなることがある。

「田舎でも大学に通わず幸せに暮らしていけるんだからそれでええやろ」はそれはそれで正解だから良いんですが、問題なのは「いや俺は田舎を出ていい学校通って専門的な仕事をしたいわ」って思った子供が出てきたときに対応できる余地があまりない、なんなら「いやいや、みんな田舎で幸せに暮らしとるやろ?おお?俺達を不幸せと言うんか?馬鹿にしとるんか?」という変な方向に議論を持っていき、生まれ育った田舎に落ち着き車高を低くしてマフラー4本出しにした型落ちのステップワゴンなどで幼稚園送迎し、休日はヤンチャなお友達とバーベキュウなどをするという価値観を是として押し付けようとする、そういう押し付けが良くないかな、って思うんですよ。しつこいですが型落ちステップワゴンマフラー四本出しがアウトと言っているのではなくて(個人的には整備不良でアウトで良いと思うけど)、それを暗黙のうちに是としてその価値観に従わない人を「分かってない」とか「お高く止まってる」とかいうふうに否定的な論調で言うっていうところが良くないと思うわ。ごめん、ちょっと私怨が入ってきたのでやめます。

結局、四年制大学に普通受験で進学する人は極端に少ない環境で(生徒の殆どが専門学校か世間の大半が知らないような四年制大学への推薦入学でした)、孤独感に耐えたり、勉強してない周りに対する八つ当たりを抑える自信がなく、3年生になってからは出席日数だけ足りるようにしてほとんどの時間は予備校や図書館で過ごしました。

私などは予備校に行けたり四年生大学への推薦枠があっただけ羨ましいと思ってしまいます。特に予備校は大学に行きたいと思っている人たちが集まる空間ですからね。そういう空間に身を置いて雰囲気を感じ取るというのがすごく重要だと思います。前述した「勉強に対する意識の差」というのがこれで、都会と田舎の決定的な違いと言っていいような気がします。しつこく繰り返しますが、別に良い大学をでて大企業に勤めるという人生が唯一無二の正解であるとは私は決して思いませんが、しかし、大学に行って専門的な教育を受けるという可能性を残しておくためには、なるたけこの意識の部分を維持しておくことが必要なんですよね。

(補足:ちなみに私には上に出来の良い兄弟がおり、上は高校受験の時に私立の滑り止めを受けさせてもらっています。もし同じ条件で高校受験していたらそんなに引きずっていないのかもしれませんが、やはりこのことが「(兄弟に比べて)私は親から期待されてなかった、愛されてなかった」という思考になってしまい、親のことを恨んでしまっている状態です。)

田舎 vs 都会 の議論とは別に、この問題も普遍的に存在していると思います。

私もすでに述べたように兄弟格差は感じていました。兄はお高い専門学校に進学し授業料と家賃の他に仕送りまでしていましたが、私のときはあまり援助は無かったです。妹も初めての女子だったからか、昔からかなり甘く育てられてきたような記憶があります。私の希望は子供の頃からだいたい聞き入れられて来ませんでした。恨みというはっきりした感情ではないですが、なんか恵まれなかったというモヤモヤはいまだにあります。

体育祭の練習や文化祭の準備に参加しなかったことを咎められたことは今思い出しても腹が立ちます…笑

これは私もトラウマを思い出しました。体育祭は本当に嫌で、始まる半年前から胃が痛くなったのを覚えています。めちゃくちゃ本気になってハッスルしまくって審判に食って掛かる人とか居るんですよね。なんでそんなに本気になれるのかさっぱりわかりません。私のスポーツ嫌いが決定的に根付いたのがこれで、今でも水泳とか長距離走とかの個人種目を除く体育競技はテレビで見かけるのも嫌です。

さて、今思えば、確かに公立高校と私立高校では学費にかなりの差がありますし、実際に私立なんて通わせられないよ、という親の言い分は理解できるのです。

これはそのとおりだと思います。これも教育格差の是正という点で行政がなんとかすべきこととは思っていたのですが、最近は私立も無償化されたので良かったですね。まあ高校を卒業した我々には直接関係が無いことではありますが。

30になった今でも「あの時私立の滑り止めがある安心感の中で、もう少し上の高校に受験出来ていたら?そして合格していたら?」という気持ちが拭えないのです。もっと自分を肯定しながら生きてこられたんじゃないか、と思ってしまうのです。

こう考えてしまうのも仕方ないと思います。私もそうなので。私なんか気持ちが拭えないばかりか、高校の負の歴史を綴った小説まで書いてしまいました。

「履歴書に書く学歴の出身高校が恥ずかしい」みたいなちっぽけな自尊心が傷つくこともなかったし、高校時代に付き合ったが今なお私にトラウマを植え付けた最低なクソ彼氏との出会いもなかったことに出来ます(これは冗談ですが笑)、これから先の人生をずっと支えてくれるような言葉をくれる恩師との出会いもあったのかなあ、など、半分漫画みたいな出来事が私にも起こったんじゃないか、ああそれに引き換え自分の実際に過ごした暗黒の高校3年間…!などと考えてしまいます。

そもそも人間は過去を振り返り、あのとき別の道をたどっていたらこのような別の人生をたどっていたのではないか?というifを考えてしまいがちです。過去の経験を振り返って次に活かそうと無意識に行動しているのだとおもうのでそれ自体は悪いことではないと思いますが、それが苦痛になることも多いというわけですね。

こんな私が過去を忘れ去るのは、もはや無理なのでしょうか?

無理なんじゃないかと思います。少なくとも、過去の後悔を思い出しては落ち込み悩んでしまう人は世間にたくさん居る、とまでは言い切れます。読売新聞の「人生案内」コーナーでは、「過去の人生の過ちや選択の失敗を思い出しては、あのときこうすればよかったと後悔してしまう」という趣旨の質問が定番のジャンルとして確立しています。

繰り返しになりますが、内容は違えど人間には後悔というものが必ず存在し、それを振り返ってはくよくよと落ち込んでしまうのだろう、それが人間なのだろうと思います。たまに「私は絶対に後悔したくないから」と自由奔放な生活をする人がおり、ああいった人は公言している通り後悔は無いのかなとも思いますが、「絶対に後悔したくない」という意思が強いほど、それは過去に強い後悔があったので繰り返したくない、ということなのでやっぱりみんな結局後悔があるんだと思います。

ちなみに今現在は結婚しており、主人と私共にそこそこ普通の年収、ごく普通の人生を送っている自覚はありますが、どうしても自分の中での高校のステータスを汚点に思ってしまうのです。
今考えてもどうにもならない「自分が本来行きたい高校に通えた自分」を妄想して、今の自分をみじめに思う人生を終わりにしたいと思っています。何かいい心がけはないでしょうか?こんな質問で申し訳ございません。よろしくお願いいたします。

ということで以後、参考までに私が考えている心がけを書いてみたいと思います。

今が幸せだから後悔している

まずいつも思うのがこれですね。

前述したとおり、人間が後悔するというのはごくごく普通の心理反応です。なぜ普通と言い切れるまでにこのような行動が頻繁に見られるのかと言うと、それはやはり前述したとおり、過去の経験を振り返って次に活かそうと無意識に行動する人間の一種の防衛本能みたいなものだと考えています。

そして、過去発生した、今ではもうどうすることもできない過ちを考えているというのは、つまり、現在特に対処しなければならない緊急の課題が無いということでもあります。

今なにか具体的な不安があればそれを第一に考えてしまうはずです。変更することの出来ない過去のことを思い出してしまうのは今が幸せだと思っている証と捉えることも出来ると、そういうことですね。

もう一度書きますと、まず人間は失敗しないように考えて行動できる生き物なので、すぐに対処しなければならない問題、不安、そういった物があればまずそれをどうしようかと考え気に病むようにできています。もしそれが無いならば、過去の失敗を深堀して次に同様の事態が発生したときに正しい選択ができるよう過去の反省とifを考えることによって思考実験を繰り返すのではないか、という私の仮説です。仮説と書きましたけどこれを検証するのは難しいので検証する気も無いですし、まあ合ってるだろうと私は思っています。

生活に苦労せず、結婚しており、なにか対処が迫られている不安の種もない。これは幸せな状態であって、そんなときに人間が防衛的な本能によって過去をほじくり返してしまうのは幸せの裏返しであると。そういうことですね。

過去を後悔できるのは今が幸せだからだ、と考えるとちょっと気が楽になるかもしれません。

子供のために今頑張る

お子さんが居るかどうか(居なかった場合、これから子供を産む意思があるかどうか)は質問文からはわからないのですが、もしいらっしゃる、あるいは将来的にできる予定である、ということであれば、過去の後悔を自分の子育てに活かすと言う方向で建設的な考え方ができると思います。

私の経験に関してもきょうだいで差を付けたりされて嫌だったと言う経験や、親があまり子供の進路について積極的に関与してくれなかった、教育費用をケチられた、みたいな恨みつらみは自分の子供に対してはそうしないようにと意識することでちょっと心が楽になる気がします。

マウントレースから離脱する

ちょっと私が気になったのが「出身高校を履歴書に書くこと自体が恥ずかしい」という点ですね。

私は出身高校を履歴書に書くことが恥ずかしいと思ったことは全く無かったです。なぜならば、関東で就職活動をしていて今関東に住んでいるので東北のど田舎の高校の名前なんて誰も知らないからです。また、評価される学歴は大学・大学院の欄だろうとも思っているからです。

ここからは推測になるので間違っていたら申し訳ないのですが、質問者様は今も地元にお住まいなのでしょうか。質問文を見ると高校卒業後にどうなったのかということは書かれていませんが、予備校に通っていた事などの記述からおそらくは何らかの学校に進学したのではないかと思われます。とすると、最終学歴が高校でもないのになお高校の名前にこだわってしまうというのは、その名前からどういう高校なのかということを理解できる人が周りに居るということであって、それはつまり地元にお住まいだからなのかな、と思いました。

とすると、間違っていたら大変申し訳ないのですが、もしかしたら質問者様の心の中には「学歴マウント」的な気持ちが存在するのかな、と思ってしまいます。そうでなくとも、高校のときの

どうせ先生たちも大した大学出てないんだ

という記述からは、少なくとも学歴、学校の名前に対するこだわりを感じますし、そもそも今回の質問の主旨である「高校選びを失敗したことが忘れられない」というエピソード自体もそれを補強します。

質問者様がマウントを感じることがあったとしてもそれはマウントを「受ける」側としてのつらい経験だったのかもしれませんが、どちらにせよマウント合戦というのは厄介なもので、「マウント取られたからムカつく」と思っている時点で実はマウント合戦トーナメントに参加してしまっているんですよね。マウントを取られた、と思うこと自体が相手の肩書や学歴や所有物や年収などといった属性に一定程度の価値があると認めてしまっているわけですから。

マウントというのはどこまで行っても切りがないんですよ。世間には上には上が居ますから。

例えば住んでいる地域をもってしても、関東に住んでる連中は地方をバカにしてマウント取ってる人がいっぱいいますが関東の中でも埼玉なのか東京なのか神奈川なのか千葉なのかで小競り合いがありますし、東京の中でもどこの地域に住んでるのが偉いとか偉くないとかあり、なんならタワーマンションの中でも居住階によって偉いとか偉くないとかいうマウントがありますよね。

生活に関しても、旅行に行ったら行ったでそれがディズニーランドなのか、沖縄なのか、ハワイなのか、北欧なのかみたいな地域でまたマウントみたいなのがありますよね。持っている車に関してもそうでしょう。軽なのか普通車なのか高級車なのか。高級車だったらそれが600万円クラスなのか1000万クラスなのか。鉄道オタクの中でも「小さいカメラのやつはでかいカメラの連中に場所を譲れ」とか言ってくる人が居るらしいですね。

学歴も同じで、国公立大学に入れば旧帝大に入ったやつにマウントをとられ、旧帝大に入れば海外の名の通った大学の出身者にマウントを取られるんですよ。昔、京大出身と東大出身の二人が「東大卒は使えないやつが多い」「京大卒は考え方が堅い」とか文句を言い合ってたのを見たことがありますからね。

そういや、今日はTwitterで経産省を辞めようとしている人に対して人事部が「民間に転職したら経産省の後輩に頭を下げに来ることになる、それがお前だ」などと言ってきたとかいう話も見かけました。

くだらないでしょ?面白くないでしょ?みんな、第三者の視点に立てばそうやって冷静に判断できるんですよ。でも、自分のことになると人間って無意識にそのマウント合戦に乗ってしまいがちなんですよ。それもまた人間の本能なんでしょう。羽を広げて威嚇する鳥とか、猫が唸って喧嘩してるのと同じですね。

マウントレースに参加したら最後、あとはそのジャンルでトップを取らない限りはずっと劣等感と付き合っていくことになります。それから逃れるにはマウントを取る・取られるという価値観を捨て去って、心を無にする必要があります。これは非常に難しいことなのですが、そうするしかありません。人間の理性で本能を抑えてマウント合戦レースから退場するしかありません。

※なお、念の為書きますが質問者様がそういうマウントレースに絶賛参加中でマウント棒で周囲の知人をしばき倒しているという理解で居るわけではなくて、この話は私が単にそう思って行動しているという意味です。

嫌なことをバネに頑張る

上記のマウントの話と関連しますが、私は何かと他人から舐められることが多かったように思います。

争いは嫌いだったので(誰でも嫌いだとは思いますが)、当時は舐められているという事実に気づいていないバカのフリをして精神を防衛していました。明らかに下に見られているな、という言動があったとしてもあはは、僕バカだからよくわかんないじょー、みたいなに振る舞ってました。実際にそう言っていたわけではないですが、端的に言えばそんな感じですね。

今考えるとそうしていた自分にも、舐めた態度を取った相手にも非常に怒りが湧きます。何発かぶん殴ってやればよかったですね。子供の頃ならバットなどの道具を使わなければ傷害事件にならなかったと思うので。いや、うそです。傷害事件になりますね。よそ行き用の言葉でもう一回改めて説明しますと、「悪ければ傷害事件になる、良くても親が泣きながら相手方の子供に謝っている姿を見た後に親と先生から死ぬほど怒られる」という程度のリスク・マイナスで将来的に何度も思い出さずに済むならば殴ったほうが良かったな、と思うということです。いやこれでもあんまりフォローになってないですね。

ともかく今はもう大人なのでそういうことはもちろんやろうとも思ってないわけですが、しかし実際その当時のことや、卒業後に地元で再開して飲んだときに相手が見せたあの舐め腐った態度などを思い出すといてもたっても居られなくなります。それらのことにはもちろん、私がB高校というオツムがよろしくない系の高校に通っていたという点でのマウント、も含まれているわけです。

だからどうにかして復讐したいな、と思ってました。そして考えたのが「あいつらよりは幸せになってやろう」ということでしたね。ネットでもよく見る話なんですが。

20代のうちはそういう行動方針で仕事を頑張り、結婚してからは子育ても頑張り、車を買い家を買い、人並みの生活を早くに手に入れようともがいていました。その結果実際に幸せになりましたね。結婚して子供が居て住むところがあって生活に困らない収入がある。こういう実績を積み重ねていくことでだいぶ当時の友達に抱いていた劣等感は払拭できました。

ただ、これも結局それもマウントの取り返しではあるので注意する必要はあります。例えば結婚して子供が居るから幸せ、ということは逆に言えば独身では不幸せ、結婚していても子供が居なければ不幸せ、というマウント取りにつながってしまいがちです。だから私は意識的に「独身であろうと結婚してようと本人が幸せだと思っていることが大事、人間はみんなないものねだりをしてしまうもの」と言い聞かせるようにしてバランスを取っています。

それより辛かったことを思い出す

質問者様は高校を妥協して選んでしまったという以外に、それよりもずっとつらい経験は無かったでしょうか。もしあれば、それを思い出すことで「あのときに比べたら高校もまだマシだったな」と思い直すことができると思います。

例えば私は中学校のときにバスケット部に所属しており(本当は美術部に入りたかったのに周囲からやれ、と半ば強制された)、さらに部活を辞めようとすると「男らしくない」「半端者だ」「未熟者だ」「やる気がない」などと先生や先輩などから詰められて辞められなかったという部活動の闇あるあるな環境にあったわけですが、あのときはもう死ぬほど辛かったんですよね。部活動がつらすぎて中学校時代の思い出が半分くらい吹っ飛んでいます。

もう一点、大学に進学した後に私はかなり苦労しました。進学校出身じゃないし取っていた科目は文系だったので基礎がわからないんですよね。2年生になったときに留年しかけて、解析学、物理学実験、線形代数、電磁気学などなどの数々の単位を全部残さず取らないとならないという状況に追い詰められ、そのときは本気で留年したら死のうと思ってました。なんで留年したら死ぬのか上手く説明できないですが、多分当時は母親に頭を下げるのが嫌だったんだと思います。母親に留年したからすまんがもう一年長くなるので許して下さい、ということが屈辱で屈辱でならず、そんなことをするんだったら死のうと思ってたんだと思います。たぶん。その時は2ヶ月くらい前から入念に準備して最後の1週間は毎日24時間を五分刻みくらいのスケジュールで勉強しまくってなんとか留年せずに済んだのですが、すごく辛かったです。感覚的には受験勉強の10倍くらいのパウワーで勉強したと思います。

まだありました。これも大学2年生のときだったのですが、親があんまり仕送りをくれないし、バイトしたら勉強時間が削がれて授業についていけないというので短時間で割のいいバイトを探したところ、某監査法人の巨大Webサイト(全700ページくらい)を一式リプレースするというバイトがありました。1ページ仕上げて500円という単価で今考えると安すぎると思いますが、当時の地方のバイトとしては破格でした。請け負ったのは地元の小さな会社でそのプロジェクトをこなすためにパソコンスクールに通ったママさん連中をバイトで投入し、社員1名、バイト6人くらいで作業を始めたのですがママさん連中が早々に根を上げて結局私と社員の二人でこなすこととなり、なんだかんだあって私は3日間寝ずに働き自作のプログラムなどを組むなどして効率化して500ページ近くを仕上げて24万円くらい稼ぎました。これもすごくしんどかったです。しかもその24万円のうち15万円くらいは学費に消えたのもしんどかったです。残りの金の一部で富士フイルムのF810というデジカメを買ったのですが、これは今も大事に持っています。

なにか過去のことを思い出してうわーーーーっ!!!ってなったときは、私はまずその3つのエピソードを意識的に思い出すことが多いです。すると、「あのときに比べたら流石にマシだな…」という気分になって平静を取り戻すことができます。

今の自分が何をしたら幸せか?を考える

今の自分がさらに幸せになることで過去の辛かったことを忘れる可能性が高くなります。自分が何をしたら楽しいのか?を追求できると人生楽しくなりますね。当たり前の話なんですが、これができない人が多いです。私もそれが下手くそな人の一人です。なんかこう、気を使っちゃうんですよね。こないだ本ブログの読者の方とかTwitter上の知り合いの方とかと一緒に飲んだのですが、「もっと爆発してはっちゃけている人かと思ったら、会ったら普通の人だった」と言われてしまいましたね。

なんか、過去のことを思い出して嫌な気分になる暇もないくらい遊べば人生ってどうも楽しくなるっぽいですね。だからそういうふうにできるといいですね。

すみません、これはアドバイスと言うよりは自分の課題の一つですね。

昇華する

ことがアンナ・フロイトが提唱した防衛機制には「昇華」というものも含まれています。人間が耐え難い苦痛、受け入れがたい現実に直面したときにそれにどう対処するかという話ですが、「昇華」はその苦痛の大本を文化的な活動に変換することで苦痛を和らげるという精神反応のことですね。

それでいうと私が高校の時のことを思い悩んで悩みすぎて小説になってしまった、と書きましたが、その行為はまさに昇華だったと思います。書き始めた当時は昔話をするのが好きだったから自然にそうなったのだと思いましたが今改めて考えてみると昇華という意味合いも少なからずあったかなと思います。

同様のことはネット上でもよく目にします。ダイレクトな昇華は幼少期や10代のころの負の体験をエッセイとして表現する、みたいなものですが、その他にも最近良く見るような主人公がイジメられるけど最後にはバチが当たるとか、会社では役立たずとして扱われていて社会のお荷物である自分だけど異世界に転生したらめちゃくちゃ活躍しましたみたいな創作物も昇華の一種かもしれませんね。

質問者様にそういった創作系の趣味があるかどうかはわかりませんが、もしあればそういうことをやっても面白いかもしれません。

許す

最終的に至る境地がここで、これは方法ではなく結果かもしれません。

当時うまくやれなかった自分、あまり援助してくれなかった親、嫌なことをしてきた周囲の知人、先生、そういった諸々を許してあげるという感じですね。

私はここ数年、ようやく許せるような心持ちになってきたように思います。親への不満は忘れられないですが、しかし当時はそうであったという記録としての意味しか自分のなかでは持たなくなってきています。当時の知人たちも同様です。当時は舐め腐った態度を取っていたが、もはや私の人生と関わることがない、大多数の人にはもう一度も会うことがないと思うので、もはや私には関係のない過去の人です。「あいつらよりも幸せになろう」とも思わなくなりました。もう、心底どうでもいいのです。

当時いろんなことがありましたが、それはいろんな事情や運によって引き起こされた結果が単にそうであったというだけの話なので、あまり細部をほじくり回しても仕方がないかな、とも思ってます。

これは自分が大人になっていろんなことを許容できるようなゆとりができたからなのだと思っています。

しかし、許すことができても忘れることはできないのも事実です。

忘れることができなくても今はもう辛くはないです。

ということは、辛かった過去を「忘れる」ことや「考えなくする」ことが唯一の選択肢ではないということです。考えて考えて考えた結果、別に辛くなくなたっということもあり得ると思います。

以上、なんだかめちゃくちゃ長くなった割に大半が自分語りで全然に参考にならないのでは?と思うんですが、なにかちょっとでも参考になれば幸いでございます。ご査収下さい。