Kくんのお話

思い出話。オチはない。どっかで言ったり書いたりしたかも。

中学、高校とKくんという友達がいた。私は特別仲が良いというわけでもなかったが、友達の友達だったという感じで、一緒に居る友達グループに存在していた。

今思うとなぜ中高生のときはあんなに友達グループでつるんでいたのだろうと不思議に思う。友達グループに所属していなければ精神が耐えられなかったのか、それとも自然とそうなっていたのか、そのあたりはもう記憶が無い。

Kくんは野球部だった。基本的に物静かで自分から積極的に前に出ていくタイプではなかったが、話を振られるとぱっと面白い一言を言える人だったので人気者の一人であったと思う。クラスの人気者グループの一員ではあったような気がする。他人の悪口を言ったりするようなところもなく、裏表もなく、カラッとしていて元気が良い人だった。

ちょっと話が変わるが、やはり他人の悪口を言わない、ということは人付き合いで非常に重要だと思う。他人の悪口を言う人は子供でも大人でもたくさん居るが、いじめっ子気質であるか、または根暗で卑屈で極端に自己評価が低いかどちらかだ。どちらも付き合っていて非常に疲れるタイプだ。いじめっ子タイプはやっぱり大人になってからもいじめっ子的な行動をすることが多く、自分のグループで堀を固めていってそれ以外の人を仮想敵に見立てて排除したいという意思をよく感じる。他人の批判可能なポイントを常に探していてそれを見つけると仲間内で「普通はそんなことしないよね〜」あるいは「みんなはこうするよね〜こうしてないのあの人だけだよね〜」と陰口を叩く。それに乗ってくる人だけを仲間と認識し、陰口を叩くのが嫌いな人を少しずつ排除していく。

一方で根暗で卑屈なタイプは自己評価も低いので世間からは一歩引いて謙遜した態度を取るのだろう…と思いきや、仲良くなって深い話をすると驚くほどに他人の批判をしがちである。職場で飲み会ではしゃいでいる連中は馬鹿だとか、若くして結婚して子供を作り鬼キャンベタ車高Kカーに乗ってるあいつはアホだとか、創作作品やその二次創作についてもなんの自信に基づいているのかわからないがびっくりするほど良いとか悪いとか弁舌を振るう。こだわりが強くて「結婚するならば処女でないといけない」とか、「自分の前に付き合っている人が居たらダメ」だとか無茶苦茶な要求をする人も居る。男性だとそうだが女性だと自分はポチャでブスでメガネだけどそれでも大丈夫な爽やかイケメンが希望です。太ってるおじさんですか?すみません、私はちょっと…などと言い、「自分が劣っているのは自覚しているがこんな私を許してくれる王子様募集中です」と端的にそういうことを言ったりする。

ちょっと話がそれてきたな。ちなみに私はどちらかと言うと根暗で卑屈で文句を言うタイプだ。でもKくんはいじめっ子でもなければ根暗でもなかった。爽やか野球部で面白くてたぶんモテた。かと言ってクラス一番の人気者ポストを独占という感じでもないので、そのちょうどいい感じ、みたいなのが男女問わず好感を集めていたように思う。人間、優れすぎていても反感を買いますしね。

高校生の時、Kくんを含めた5人か6人位、裏の芝生の上で弁当を食っていた。

そこで唐突にR女史の話がでた。私はRが大嫌いだった。Rとは小中と一緒であったが典型的ないじめっ子気質であって、何かと仮想敵を仕立てて仲間内で文句を言い合っていた。今思うに、このグループを結束させるために仮想敵を仕立てて、その人を批判するという行動自体は人間の基本的な社会活動の一つであって、数人のグループから国家間の外交でも同じような構図が見られる。と、書くと前者と後者を一にするのはどうなのか、特に後者はもっぱら実利的な関係に基づいているではないかと言われそうだが、いやしかし、国家間紛争が実利で動かないというのは我々は今年2月末に目にしたばかりですし、共通した価値観をイデオロギーと呼びそれに基づいた陣営を構築するのと、仲の良い友達グループが集まって特定の人をいじめるというのはそんなに違いがありますかね?と思う。まあ別にそれを議論したいわけじゃないからどっちでも良いんだけど。

Rも常に仲の良いお友達を両脇に抱えて陰口を叩くタイプだった。ではなぜ陰口を叩いていると分かるのかと言うと私が小学生の時に言われたからだ。

「いつもこっちをチラチラ見てるでしょ!気持ち悪い!見ないでよ!」

R女史はそう言った。見てねぇよ。見てみてみてみて見てねぇよ。アホか?誓って言うが、マジで私はR女史のことをチラ見していたということはない。そのときはその他に好意を寄せている女子が居たので、まあ、そっちの方は見てたかもしらんが、R女史はそもそも気が強くてすぐ怒るイメージがあるので近寄りたくなかった。そんな人をチラ見するわけない。

で、その後取り巻きの女子がこう言った。

「あーあ、言っちゃった」

その一言が忘れられず、今でも思い出してくっそ腹がたつ。「言っちゃった」ってなんやねんお前。お前ら今日俺にそーやって言う前から「チラチラ見てるよね」って陰口を言い合ってたんか?おお?舐めんなよクソハゲ。特にハゲてねぇけど。でもハゲてほしいわ。あーもう思い出してまたムカついてきた。クソだなこいつら。特にR女史なんかは昔から綺麗で可愛かったので、結婚したあとも今頃美魔女みたいになって恋愛気質が抜けず浮気とかしてるんだろうなと思う。スマホでマッチングアプリをやりながら「イケメン以外連絡しないでほしいよね」とかお抱えのお友達とカフェーとかで言い合っているに違いない。ムカつくよな。人一倍早く老いればいいのに。と、私も根暗で卑屈で自己評価が低いのでこうして今もR女史の悪口をブログに書いております。

R女史とは大人になってから一度再会したことがあった。地元でバーベキューをやろうと呼ばれたのだった。私は昔のことは一旦忘れてみんなニコニコ楽しもうよと頑張って肉を焼いたり火起こしを頑張ったりした。その時私はすでに結婚していたので嫁さんも連れて行ったところ、R女史は嫁さんに対して「もしかして妊娠してますか?お腹大きい」と言った。別に妊娠していなかった。R女史は私の嫁さんの腹の大きさだけ指摘した。私は笑った。そんな会だった。終わってから人づてに聞いたがR女史は「つまんなかったね。もう二度とやんない」などと言っていたそうだ。理由は知らん。知りたくもない。そら、普段仲良くしてない旧友が集まったのだから気心のしれた友達だけで集まるのとは勝手が違うだろうが、それは前者と後者が違うというそれだけの話であるので、それで普段会わない人たちとの会合がつまらんとかいうなら一生仲間内で籠もって世間に出てくんなや、俺がムカつくから、と思う。

で、大幅に話がそれたが、高校のときに飯を食っててR女史の話が出たわけですわ。だから私は言った。あいつ嫌いだわ。あいつの名前を聞きたくないと。
そしたら一人が「えっ、なんでそんなことを言うんだよ!」と反応してきたので私は件の小学生の時の一件を説明し、あいつは基本いじめっ子やぞ。という話をした。そしたら一言、友達に言われたんですが。

「お前、Kの彼女のことそんな悪く言うなよ!」

って。

あ、そうなんだ…。KとR付き合ってるのか…。なんかごめん…。ごめんK…。私は平謝りした。Kの彼女のことを悪くってごめんって。R女史はでも早く毛髪が抜け落ちて老いていけばいいと思ってるけど、Kの彼女だということを知らなくてゴメンね。という謝罪だった。(でも今考えたけどこれ謝罪要るかな?)

私は人間があまり好きではないので誰と誰が付き合っているとかいう話も全然しらなかった。興味がなかったから。だから事前情報としてKとRが付き合っているということを知っていればこういう事故は防げたと思うんだけど。まあもうどうしようもなかった。Kは「うん、いいよ」とそれだけ言った。本当は許してねぇけど、という気持ちと、自分の彼女を真正面から批判された戸惑いとが二つ入り混じってるような声に思えた。

それから1年ほど経って学園祭で映画を作って上映しようという話になり、私が取りまとめたり映像編集したりなどして撮影を始めた。その時もKには出てくれとお願いしていた。Kは前述したとおり人を笑わせるのが上手く、映画の内容としてもその当時流行っていた「最終絶叫計画」という下品な映画を真似てホラー映画のパロディにしようという話になっていたからこの人選は必要だった。

そうして撮影が進み、頑張って編集して映画を上映したところ大ウケ、私の青春時代で数少ない良かったなと心から思える思い出であった。

でも。

上映した後のことだった。そこに居た生徒みんなが爆笑していたのにKだけは真顔で口を手で覆い隠して頬を拭うような動作を繰り返していた。そのときKに言われたのは「なんで俺が写っているシーンを採用したんだ。そういうことはやめろ。めちゃくちゃ冷や汗かいたわ」ということだった。それだけひとりごとのように言ってKはどこかに行ってしまった。

え?なんで?映画撮るよ、映画に出演してくれ、良いよ、というやりとりがあり、実際にカメラの前で演技して撮影したのに、その映像を使ったら怒られるん?よくわかんなかった。

映画を撮り終わったあたりから私はKらとは学校の中でも疎遠になった。私は大学進学を目指して受験勉強をしており学校の中でも受験生は別部屋に隔離されて授業を受けていたのでクラスが違ってしまったようなものだった。だから、物理的に会うことはなかった。その一件があった後あたりからそうしてKとはほとんど話すことが無く、そのまま卒業した。

同窓会かなにかで会ったときは、酔いながら「俺は高校を主席で卒業した」などと自慢気に言っていたのが記憶に残っている。これも私はちょっと驚いたと言うか違和感を感じたというか。まず、前述したとおりKはあまり前に出ていこうとするタイプではなかったのでそうやって自分の成果をアピールしたことがなかったから、というのが一点。もう一点はそもそも我々が通っていた高校では成績をアピールするような大学ではなかったからだ。名前を書けば入れるというのが世間の評価であって、事実そのとおりであった。私の代では私含め4人くらいが4年制の大学に進学したが、在籍する先生が知る限りでは近年で4年制大学への進学実績は無かったということだった。

最近だと少子化によって次々に公立高校は合併したり無くなったりしている中、私の出身校だけはしっかりと残っている。交通の便も良くないのに。その理由は「どこにも行けない落ちこぼれのために必要なんだろう。あのA高校がなけりゃここらへんは中卒ばっかりになる」などとうちの母親は言っていた。あなたの子供はその落ちこぼれのA高校の出身だ。中学生の時に電気・電子・情報系の勉強がしたくて大学進学を視野に入れてもうちょっといい学校に行きたい、だから塾にいかせてくれと母親に言ったところ、「塾に行かなきゃならねぇんだったらA高校に行け!」と一蹴された。そういう諸々もうちの母親は忘れている。

そんなA高校を主席で卒業したというのを酔っ払ってKは言っていた。主席で卒業してどうなるのか。一応、あの高校の卒業生は成績順で地元の電子部品工場に就職できた。地元ではその工場の給与が地域の中では抜群によく、安泰した進路だとされていた。その後、不況のあおりをうけて工場は閉鎖、従業員は隣県の系列工場までバスで通うようになり、地元で一番の給与を支払っていた工場はキノコ工場になったと聞いたが、本当にキノコを栽培していたのかどうかは知らない。また、Kがその工場に勤めていたのかは私は知らないし、もっと言うとKが高校卒業後地元に残ったのかそれとも県外に出ていったのかも知らない。

私は大学進学が決まった時点で、そういうのはもうどうでも良くなってしまっていた。大学進学が決まったことで生まれ育ったこの街を出ていって、そしてもう二度と戻ってこないということを理解していた。言葉ではっきりと認知していたわけではなく、今振り返ったらそうだったのだろうなと思う。
ただ、別に地元に残る生き方が惨めだとか劣ってるとか言うつもりは毛頭ない。その工場で働いている知人は何人か居て、みんな立派に社会人をしている。地元ではちゃんと経済が回っている。経済を回している人たちがいる。子育てしている人たちがいる。そういう人たちには負の感情はまったくなく、むしろ私が残して去っていった地元を守ってくれているような気がしていて、尊敬の念もある。

私は地元が好きだし、よく帰省している。ただ、その郷土愛の気持ちと、街を包み込んでいるような漠然とした殻のようなものを打ち破って外に出るという経験はやっぱり重要なのだろうなと思う。しつこいが、これは田舎を捨てて東京に出てきて住んでるという優越感ではなくて、地元というのが世界のどの位置にあるかわかった、ということだと理解している。

それにその地元が好きだという気持ちも、徐々に薄れてきている。新型コロナが流行り始めたころ地元では感染者が出た家に石を投げ、まだ中学生の子供を路上でおっさんが怒鳴り散らすなどしていたらしい。地元紙はその家族が娘の学校関係の用事で隣県の都市部まで自家用車で送迎し、父親が都市部を歩いていて感染したという話を批判がちな文面で報道した。当時も今も、その報道は不要だったと思う。

そういう諸々があって、Kが「俺は主席で卒業した」というのも、昔だったら片腹痛いとか思ってたかもしれないが、今は単に墓標のように私の記憶の中で存在するだけとなっていて、たまに思い出すのみだ。Kが主席で卒業したのは意味のあることだったかもしれない。しかし、もしかしたら自分とKの立場は入れ替わっていたかもしれないと思うと途端に恐怖が襲ってくる。

いや、そう書き切るには色々前提が必要になる。Kが「主席で卒業した」と嘯きながら地元で小ぢんまりと暮らしている姿を想像している。しかし私はKのその後を知らないので、もしかしたら今現在私の近所に住んでいるという可能性もゼロではない。そして地元で小ぢんまりと暮らしていたとしても、前述したように私はそうやって同じように暮らしている人間を尊敬の念もある、と書いたではないか。そのあたりを考えるとよくわからなくなってくる。地元に残って暮らすのは嫌なことであって、それをあえてやっているから尊敬の念が生まれるのだ、という結局は上から目線の物言いなのかもしれない。

とりあえず一般論としてまとめてみよう。

よく色んな人から「田舎は閉鎖的だから嫌だ」という話を聞いていたが、私自身あまりそういう感覚はなかった。別に他所から来た人を冷遇してたことも無いし、田舎の変な風習みたいなものもなかった。ただ、そういう目に見える排他的かつ保守的な風習や文化だけを指して閉鎖的と称しているのではないのだろうな、と最近は思う。

もちろん、私がそれを知らないだけで実際は面倒くさい風習がある、という可能性もあるだろう。私は高校生で地元を離れたのだから、社会人として地元に住んでいたわけではない。私が体感していたのは周囲の大人が子供に対する応対だけだ。ただ、それでも。もし私が地元に住み続けて大人になってもなお田舎特有の不条理を体験しせずに幸せに過ごしていたのだとしても。それはそれで恐ろしいことなのかもしれないなと思う。老害的な考えかもしれんけど、そういう感覚はネットや書籍からの知識で理解するのはすごく難しいのではないか。