隠れ日記

ダウンしてたときに書いた日記のようなもの。
2022年3月16日。


一人悪がいると周りは連携しやすいなと思う。その意味でロシアはわかりやすかった。ロシアという巨悪が顕在化したので周りは一致団結しつつある。経済的には今は株価はだだ下がり、原料は全部価格上昇という感じでとにかくキツイ世の中になっているが、いずれ巨悪を打倒して新しい世界がやってくると信じている。そんなに人間は弱くない。意思決定が遅い人たちがわんさか居るが、決定さえすればあとは早い。時間の問題だと思う。

下っ端に苦労をさせる組織は国であろうと会社であろうと業界であろうといずれ崩壊する。全員が幸せになる方法を(そんなものが無いと知ってもなお)模索しつづける組織がいずれ勝利するはずだ。と思う。

その点で言えばミャンマーなども未だ心配だ。世界はロシアとウクライナにしか目が行ってないが、ミャンマーもどうなることか。ミャンマーだけじゃない、他にもまだまだいっぱいある。


すごく幸せな夢を見た。自分は高校生で、高校のときに付き合っていた彼女と一緒に学校の周りを歩いていた。彼女は笑っていた。夢の中で「彼女」に相当する人が出てきたときはだいたい相手は怒っていたりすることが多かったが、今日は笑っていた。その時の彼女は定期的に夢に出てくる。

一応書いておくが、別にその時の彼女が今でも好きだとかいうわけではない。その時の状況が好きだったんだろうと思う。若くて、あんまり悩みもなくて、新しくできた彼女のことをどう喜ばせようか、というそれだけに注力していればそれで良かったから。今でも家族に対して同じことはできるはずだが、何故か夢に何度も出てくる。別に今不幸せなわけではない。あの頃に戻りたいと願望があるから夢に出てくるわけでもない。と、理解している。ただ、夢は夢だ。具体的な光景が自分の現在の生活状況とリンクするわけでもない。


綾波派vsアスカ派を真剣に考えたら婚期が遅れるのも納得した

この記事を見返してたら

なんかショートカットってあんまり好きじゃないんだよな。例えば私の世代で人気だったショートカットというと広末涼子が思い浮かび、広末女史はめちゃくちゃ可愛いと人気であったのですが、私は広末涼子の何が良いのかさっぱり分からなかった。

と書いてました。でもよく考えたら妻氏がショートカットで広末涼子と同い年でした。

でもまあ、妻氏も男の人のヒゲが好き!とか、細い男子が好き!とか言っていて、私はヒゲ脱毛をした上、熊のような体型(とよく言われる)なので、まあそんなもんだと思う。


ウクライナ情勢が気になるのでTwitterをどうしても見てしまうが、Twitter民の文章力と感覚は本当、どうかしてると思う。

自分が興味をもってフォローしているアカウントは当然まともなことを話す人たちなので(実際どうかという話は置いといて、この人の考えはおかしいな、と思った人はそもそもフォローしないのはごく当たり前)気づかないんだけど、伸びてるツイートにぶら下がってるリプライとかをみると狂気の沙汰だと思う。世間の一般ピープルってここまで話が伝わらないのか?と絶望的な考えになる。


ちょっと前に八王子警察署が「飼い主が出てくるのを2〜3日待つ」と保護した猫をその日のうちに近くの河川敷に逃してしまったというニュースを見た。なんでそんなことをしたのか理解不能だが、その後飼い主が現れたものの猫は逃したあと。保護団体が探していたが1ヶ月ほどたって河川敷で死んでいるのが見つかったという続報が流れた。

今日、ペット、特に犬猫は人間に準ずる扱いを受けている。動物愛護法でも犬猫に関しては特別にそれを指して述べている条文がいくつもある。

犬猫が人間に準ずる扱いを受けているというのは、私が思うに社会の中で広く合意が取れているとは思うものの、しかしその程度にはかなり個人差があると思う。

猫の飼い主としては、我々が感ずる猫に対する命の重さみたいなものをわかってもらおうとは特に思わないが(わかってほしいが飼わないとその気持ちは理解できないと思っているので)、一方で同じ飼い主にはもうちょっと大事に考えてやってほしいと思うことも多い。特に猫を飼っている年寄りは容易に飼い猫を外に出すが、今どきはこの習慣はやめたほうが良いのではないかと強く思う。今回の件で飼い主の落ち度があったかどうかは別にして。結局の所、愛玩動物が幸せに生きてほしかったら、第一にその飼い主あるいは管理者がしっかりと世話をせねばなるまい。


Twitter、ウクライナを調べる、雑音が入る、ほんとしょーもねーなと思う。

10年だか20年だか昔に「インターネット実名義務化」とかいうバカみたいな法案(法案まで達してない)が議論されたけど、あのときに議論してたおっさんの気持ちがちょっとわかったよ。今でもバカみたいだとは思うけど、気持ちは理解した。拝承。


日記のことでいろんな方面より心配であるというお言葉を頂き、ありがたいと思うとともに、自分がかまってちゃんみたいで嫌だなとも思う。実はそんなに深刻じゃない、すべてが面倒くさくなっただけなので大丈夫です。仕事もちゃんとやってます。(ちゃんとやってないじゃん、と言われるかもしれないけど)

そんなに深刻ではないです。

と、今ここで書いても意味ないんだけどな。


Springbootのお気持ちをお察しして忖度してあげる仕事をしている。SpringBootいつかぶっ殺す


2022年3月17日

また楽しい夢を見た。詳細は覚えてないが、なんとなく楽しかったのは覚えている。夏のような日差しの下、過ごしやすい気温だった。


最近はゲームのサントラを聞きながら仕事をすることが多い。聖剣伝説とかファイナル・ファンタジーとかそういう昔のレトロゲームだ。

大抵のゲームは幸せな状態で終わるから良い。世界に平和が戻ってそこで終わるから。その後で共通の敵を失った国同士が戦ったり、仕事をなくした主人公がいっときは世間に持ち上げられて幸せな日々を暮らしたものの次第にくすぶっていきだめになる姿を見なくてもよい。


眠るときにはいつも抗ヒスタミン剤を飲んでいる。市販の睡眠改善薬の成分が抗ヒスタミン剤だったので、同じ成分が入っている安い錠剤を買って飲んでいる。飲まなくても寝れるのだが、飲んだほうがより深く寝れる。眠って次の瞬間には朝になっている。こういう感覚は久しく味わってなかった。一時期は夜中に5回も6回も起きていたが、この錠剤を飲むと起きてもせいぜい1回になる。


昨日の夜は地震があった。3.11のときのように、長くゆっくりと船のように揺れる地震で気持ちが悪くなった。

私は今まで災害らしい災害を経験したことが無い。不思議だ


首が痛い。不完全な肉体を捨てて機械の体を得たい


電子レンジがだめになった。こないだはオーブンがだめになって買い替えた。電子レンジはSANYO製のやつで、結婚した年、2010年ごろに買ったはずだ。結婚した当時に買ったものが続々と製品寿命を迎えていく。

子供を載せれる電動アシスト自転車ももうだめになった。鍵が回らない、ホイールが歪んでいる、リムが削れてブレーキパッドがもう交換できない、など。これも4月になったら新しいのを買わねばなるまい。

金がかかる。金がないと生きていけない。


顔面けいれん発生、疲れている。顔面けいれん、首の痛み、ドライアイ、手首の腱鞘炎のような痛み、不眠、頭痛、どれか一個はかならず症状がある


整体に通うことにした。高い…。お値段がめちゃくちゃ高い…。が、この近辺では断トツで評価も高い。

相場を調べたがこんなもんらしい。整体って高いんだな。みんなこんなの言ってるの?やばいね


ウクライナ情勢は膠着状態のようだ。開戦前は(ひどい方の想定で)ドニエプル川東岸あたりまで掌握するのでは、と言われていたが。素人目には多方面から攻勢をかけすぎて結局戦略目標を達成できなかったように見える。ロシア軍は「弱いものいじめ」は慣れていたものの正規軍と戦った経験が少ないからなめていたのだろう、という見方が専門家の中では多い。

キエフでの深刻な市街戦は避けれられているものの、民間施設の爆撃、砲撃が開始されマリウポリでは現地メディア発表で民間人3000人が死傷とある。3000人。戦争で3000人が死んだという状況を我々は想像できない。阪神・淡路大震災の死者数が6.3千人であるから、そのくらいの規模感であると想定すればよいだろうか。しかし地震が瞬間的で終わるのと比して戦争では継続的に破壊が進むという大きな違いがある。違いはそれだけではないが、人やものが壊れていくという点のみに着目すればそんな感じだろうか。

国連発表だとウクライナでの民間人死者はいまのところ980人くらい、みたいな数字を見かけたので3000人という数字が正しいかどうかは分からない。ただ、マリウポリ分の死者数でカウントされていないものはまだあるだろう。

ロシアは北方領土でのビザ無し交流などを中止。平和条約交渉も停止。まあ、ロシアがそうすることはわかってて制裁したのだから「おはようございます」と挨拶したら「おはようございます」と挨拶が返ってきたようなものだろう。特に意味は無い。北方領土はどうやったって返ってこないのだから(それでも返せと言い続けることが大切だと理解している)。

ウクライナはキエフ北西で反抗に出ているとの話。突出した部隊を予備の機甲兵力と自動車化歩兵で叩くらしい。

ジャベリンがいくつあろうとロシアの進軍は止められないだろうという見方が多かったが、しかし実際耐えていて部分反攻に出てるとは…。

補給部隊の車列を攻撃できなかった理由は大規模に叩いてしまうと別の方法をロシアに考えられてしまうからだという話を見かけた。別の方法で補給を改善されて面倒なことになってしまうよりも、もうちょっとで前線にたどり着くという状態で遅滞・嫌がらせしてたほうが有利だということだろうか。うーん、どうなんだろう…。攻撃しなかったことの説明にはなるが、実際にはロシア軍が無能であるという確信がないとそういう判断は取れない気がする。

ロシア軍は複数の軍管区が並列に侵攻しているものの、全軍を統制する指揮官が見当たらないとのこと。なるほど

戦後、ウクライナは兵器をロシアから購入できなくなるわけで、どうするのだろうか?西側の装備を買うのだろうか?という話があった。そうなるのだろうか。買うだけじゃない、訓練も運用も全部やり直しになるから、兵科によっては軍を一から作るのに近いくらいの金が必要になるのではないだろうか。それは言いすぎだろうか。どうかな。

インドもロシアから兵器を買っているという事情があるというのも含まれているのだろう、正面切ってロシアを批判しようとはしていない。

日本は戦闘機開発を続けてはいるが、純国産戦闘機はF-1以降正式化された機種はない。ウクライナやインドを見ていると、やはり自国の兵器産業を維持するのは政治的にも重要なことだと思う。

ずっと前に知人が「自衛隊なんていらない。金の無駄、自衛隊は解体すればいい」などと言っていた。中学生がそんなことを言うのならばまだわかるが、彼はそのとき22歳だった。いまでも同じ考えでいるのだろうか。


雪が降って電力受給状態が逼迫し、「東電が推し進めたオール電化住宅だとこういうときに困るから考えものである。オール電化で安くするということはリスク余裕分を削ってるということに考えが至らないからこうなる」などと知ったふうな顔をしてるアホをみてまた怒りが湧き健康が害された。インターネットやめろ。

きょうび、ガスや石油のみによって運用できる暖房設備や家電がどれくらいあるんですかね?ほとんどの設備は電気が無いと動かないんじゃないでしょうか。ガス給湯設備だってガス暖房エアコンだってFF式石油暖房だってファンヒーターだって電気は要るでしょう。据え付けの家電で停電時も動くのは乾電池で着火するタイプのガスコンロくらいじゃないですかね。停電時であっても据え付けのガスコンロが使える!!ってそんなに便利ですか?

そうじゃなくてガスや石油のみによって運用できる暖房器具や調理器具を災害時のために準備しろという話だったら、オール電化・電気ガス併用住宅問わず当てはまる話である。

あと、また原発を稼働させろとかいう話が盛り上がっている。

原発はそんなに簡単に動かない。政府が動かせ!って命令して、じゃ、エンジンかけますね〜ってスイッチ入れれば制御棒パウワー全開!!!!マックス臨界!!ブオオオオオン!みたいにタービンが回り始めるわけではない。

そもそもみんな勘違いしていると思うが、現在、原発を動かしてはいけないという法的根拠はなく、日本政府からも原発を動かさないでくださいという依頼をしているわけではない。実際、現時点で動いている原子炉はある。たしか4基くらいはあったはずだ。そういうわけで、岸田っちが国会で「原発を動かしてください」と鶴の一声を言ったところで直ちに何かが変わるわけではない。

現在原発が動いていない理由は様々あるが、まずは原子力規制委員会による新しい基準の安全審査が完了していないということがあるだろう。もう私は原発の仕事からは離れてだいぶたつので現場のことは知らないが、報道を見る限りはそういうことらしい。審査が進んでいないとか、あるいは新基準に適合した工事に時間がかかっているとか、活断層があるか否かで議論が紛糾しているとか、そういう諸々の事情がある。

これら安全のための審査をすべてすっ飛ばして政治判断で「じゃあ明日から動かしましょう」となっても、これもまた難しい。原子炉は長らく止まっているので相応の検査はしなくてはならない。通常動いているときであっても定期検査は数ヶ月(2〜4ヶ月くらい?)かかる。定期検査とは言っているものの、現場作業は大規模な「工事」である。チェックリストにチェック入れてはいOK〜みたいな話ではない。数多の業者が入って事務所を構えて毎朝KYTをやって毎日作業を行う、文字通り、紛れもない「工事」なのである。工事の工期はそんなに簡単に短縮できない。しかも、事前に入念に準備をした定期検査であっても、数ヶ月単位の工程になるのだ。

その安全のための最低限の検査もすっとばして、すぐに動かすとしてもこれもまた難しい。もはや原子炉に関わる技術者も運転員も業界をどんどん離れているからだ。いま、政治的判断ですべての原子炉を動かすとなっても人員が確保できないだろう。電力会社でも運転員に経験を積ませる機会が3.11以降なかったから運転できる人員もどんどん減っているというニュースを見た。

これが漫画とかアニメとかだったら、敵が攻めてきて「調整中の新型機は投入できるか?」「3時間で間に合わせますよ!」とか言ってヘルメットかぶった作業員がああだこうだ作業したら敵が攻めてくるまでに間に合ってびゅーんと飛び出てばったばったとなぎ倒す、みたいなものになるんだけどね。現実はそうはいかない。審査をすっ飛ばし、検査をすっ飛ばし、不慣れな運転員で原発を運転していて、たとえば一次配管から蒸気がちょっと漏れて放射線モニタリングポストでも線量上昇しました、みたいになったときに責任を取るのは誰だろうか?少なくとも「原発を早く動かせ」って大合唱した国民は絶対に責任を取らないよね。絶対に責任取らない人たちの言うことを電力会社の社員が聞かなくてはならない、なぜならば国民が電気代上昇して困ってるんですよ、という論理も私はおかしいと思うんだよな。

ともかく、もうどうしようもないことだが、原子炉を安全に運転し続けるためには一時的にでも原子炉を止めるべきではなかったと個人的には思う。つまり、新しい安全審査基準への適合は運転しつつ進めていくべきだったと思う。


ロシア軍が補給で難儀しているのが現代の正規軍にあるまじき失敗のように語られているシーンを度々見るが、そもそも現代では一国のみで戦争を継続できる国は無いと言われている。アメリカであっても例外ではない。


インターネットはクソ。何故ならばインターネットに参加している人類がクソであるから。


これは何度も書こうと思って消してきたんだけど、やっぱり書いてみる。簡単に。

私の回りでは(というかIT系エンジニアが?)Macを使っている人が多い。Macが良いという話は度々聞かされるが、私はあんまり好きじゃない。

その理由は細かくあればたくさんあるし、私自身、説明できないものもたくさんある。

その中でおそらく最大の理由だろうな、と思われるものを挙げるならば、「Appleに全部依存するほどにAppleという会社を信用できない」ということである。

これはAppleが特に信用できないということではなくて、コンピュータ周りをなにか一社に完全に依存したくないということである。仕事や実生活で非常に大事な道具を一社に丸投げできるほど、人であれ企業であれ、なにか一つのものを信用できないということである。

Appleで作られているMacは、当然であるがAppleによって製造されている。Appleが設計したCPUでAppleが設計したOSが動き、Appleが設計したAppStoreで配布されAppleが審査したアプリケーションを動かす。全部がAppleだ。

細かいことを言えばAppleのM1 CPUはARMのIPを買ってカスタマイズしたものだし、搭載されているモジュールやディスクリート部品などなどは他のメーカーから買っているものもたくさんあるだろう。詳しく知らないがソフトウェアの開発をある程度外注したりとかもしているのかもしれない。しかし、そのあたりを含めてAppleのさじ加減ですべてが決まっておりユーザーに選択権が無いという観点では大した違いではない。

Apple製品を使う一つのメリットとして、全部Appleで揃えれば間違いがない、ということを教えてくれた人がいた。私は逆の考えをする。一社に依存するのは危険だと思う。重ねて言うが、それがAppleだからじゃない。AppleであれMicrosoftであれIBMであれ、なにか一社にすべてを依存したくないのである。

AppleがARMに切り替えたときにx86を使い続けたいユーザーはどうすればいいのだろう。Touch Barが実装されたときにファンクションキーとEscキーを多用していたユーザーはどうすればいいのだろう。私は自分が使うコンピュータについてはそれなりにこだわりがある。私の気に入らないハードウェア・ソフトウェアは使いたくない。であるから、ハードもソフトも選択可能な自由が確保されていないと使う気がしない。

じゃあサブでAppleを使えば良いのでは?と思われる方もいるかもしれない。Appleと一般的なPCを二台持ちすれば失うものは無い。

でも私の場合は、その位置にWindowsがいる。

私はWindowsを使いやすいと思っていない。好きか嫌いかで言えば、嫌いだ。しかしながら、WindowsはなんでもできてしまうOSではある。大抵のソフトウェアやハードウェアはWindowsに対応している。何か困ったらWindowsを使えば、うんざりすることが多いものの、なんとかなってしまう。だから、LinuxでできないことはWindowsでやっている。

「うんざりするが何でもできてしまうから、サブでWindowsを使う」というポジションにいるWindowsをMac OSに乗り換える動機も私には無かった。ぶっちゃけ、Windowsから乗り換えてもいいと思えなかった。

以上を読むと「この人はMacを食わず嫌いしているだけではないか…」と思われるかもしれない。私は一応、何年かはMacを仕事で使った。それでもなお、サブにあたるWindowsのポジションをMacで置き換えたいな、とは思わなかった。

で、以上のような文面を書いては消し、書いては消しを繰り返してきた理由って、書いたところで誰も幸せにならないばかりか、不快感を抱かせるからなんですよね。

みんな「OSやマシンは好みがあるから、人それぞれ良いと思ったものを使えばよろしい」とか口では言ってるけど、絶対自分のオキニのOSとかマシンとかCPUが最高だと思ってるでしょ?そんなもんだよ。人間って。思っててなお、「人それぞれ、みんなちがってみんないい」みたいなことを笑顔の表情を作って喋ってんのは理性で制御してるからだよ。そんなときに、「Linuxを使っているが、私にとってMacとWindowsは目くそ鼻くそ」という趣旨の文章を書くとMac使いはみんな怒るんだよ。怒ってるけど怒ってないふりして「ワイはクレバーな人間だから」みたいに冷静ではあるんだけど、「なんか一言言ってやらんと気がすまない」というところまでは制御できないのでなんか一言言ってくる人が多いんだ。私もその一人だからよくわかる。だから書かなかった。でも書いた。


定期的に見かけるが、地方に発電所を建ててそこで発電した電力を使っている東京近郊住民がムカつく、という言。

その主語が東京住民とか首都圏の住民だとか言ってるのが俺はムカつくんだよな。醜い文句を言っているやつが居るのであればその人間を指して言えばいいのに、俺を包含する主語で言うな。ムカつくから。

俺は東電管内だからという理由で東京に住んでるわけでもないし、俺が希望して柏崎や福島に原発を作ったわけでもねぇからな。知らねぇよボケ。


太陽光が駄目だった、アカンかったという言を多数見かけるが、太陽光発電に関する評価をするときには一律によかった、だめだったと言い切らないよう注意したいところであると思う。

駄目なところとして挙げられる筆頭は土砂崩れ等の事故を誘発させるようなずさんな工事がまかり通ってしまったところ。

これは直接的には工事の許可に関する問題であって太陽光発電そのものに関する問題ではない。太陽光が山の斜面に設置されたおかげで土砂崩れが発生してしまった要因の背景には太陽光に関する諸々の補助制度が関与しているが、直接的には土砂崩れが発生する可能性を考慮して建設工事を不許可にできなかった行政側の問題であるとおもう。土砂崩れの危険性が発生するならばその工事の許可申請を行政側で却下すればよかったのだ。

つまりFIT制度、太陽光パネルに対する市町村の補助金などなどとセットで設置工事の許可手続きをもっと厳格にすべきであったと私は思う。じゃあ具体的に法整備が必要になるのか、それとも市町村レベルで対応可能な話なのか、とかいうあたりは知らない。あるいは、事前に土砂崩れが学術的に予測不可能であったということならば、これは人類の知恵がまだ及んでいなかったという話になるので(そんなことは無いと思うが…)、次回からはちゃんと審査しましょうね、ということになる。

続いては再生可能エネルギー割賦金の負担が不公平であるという話。(ここで急に書くのが面倒になったのでやめる)

箇条書きで書きたかったことの要約を書いておこう。

  • 再生可能エネルギー割賦金の負担が不公平
  • 最適な発電割合という議論をおろそかにして民主党が政治的判断で進めてしまい、その後の自民党もそれを追認してしまった
  • 結果、太陽光発電の設備容量は爆発的に増え、欧州に近いレベルにまで太陽光は普及した
  • ただお金をかけた割に安定した電力供給は実現できなかった
  • 民主党は脱原発をアピールするためにFIT制度を始めたと思われるが、もともと太陽光のみで原発を代替することは不可能だと当時から批判はなされていたのだから当然
  • 「原子力ルネッサンス」以降、発電の問題を棚上げして10年に渡って放置し続けてきた政治の責任であると思う。民主党・自民党どちらも悪い
  • かと言って他の政党が政権を取っていたならば今日の日本で安定して廉価なエネルギーが得られていたという予想もしがたい。総じてクソ

ゼレンスキー大統領の演説は誰に宛てたものであるかよくわかった。国会議員に話しかけているのではなく、日本国民に話しかけている。日本国民が自発的に広告塔になるように仕向けている。

演説に先立って、ウクライナのシンクタンクが日本についての分析を進めていた。

要約すると、

  • 日本がウクライナに行った具体的な支援として自衛隊装備の供与、人道支援、融資、避難民受け入れ、楽天からの寄付(日本最大額)を挙げている
  • 日本は1945年以降、直接的な軍事支援をしたことがなかった。ウクライナに自衛隊の防弾ジャケットが届いたのは戦後初の試み
  • 2014年クリミア危機のとき、安倍総理はG7と歩調を合わせず、ロシアへの制裁や直接批判を避けた
  • 日本はアジアで先陣を切ってロシアに対する制裁を推し進めた
  • 日本の民間経済でもロシア離れは進んでいる

となっている。演説の内容はこれをベースにしたように思える。

つまり、ウクライナとしては日本からの直接的な軍事支援は望めない(大戦以降、武器の供与すらない)ということはわかった上で、現状の規模のウクライナ支援とロシアへの制裁が継続されることを第一目標と考えているのではないだろうか。ついでに、あわよくばアジア勢が日本の態度に続いてほしい、くらいの願望もあるかもしれない。クリミア危機のときにG7と歩調を合わせなかった日本への怒りはこらえて、今回は今の所、日本から引き出せるほぼ最大の支援と行動は引き出せているのだから、これを維持しようということなのだろう。そのためにはウクライナ支持という今の世論を固めておきたい。原発や核兵器、地下鉄サリン事件、震災という一般市民の心に刻み込まれたものを引き合いに出すのは明らかに議員ではなく国民に向けてのメッセージだ。現状の世論が圧倒的にウクライナ支持である状態を維持させたいのだろう。

早速、SNSでは勝手にウクライナの広告塔になってくれた人が「林外相が演説の最中にあくびをしていた」などと叩きまくっている。まあ、他国の長が演説しているときにあくびするのはアカンかったのかもしれないが、あの演説に感化されてわけのわからないことや身の丈に合ってないようなことを言ったり始めたりするような人間が現代の日本にはいっぱい居るので、少なくともそういう人が外相でなくてよかった、と思った。それに比べたらあくびくらいはまぁねぇ。良いことだとは思わないけど、別に叩きまくるほどのことでは無いんじゃないかと個人的には思ってます。

むしろ、現政権はロシア・ウクライナ戦争ではできる範囲でちゃんとやってるんじゃないですかね。岸田総理も検討するだけでなんにもしないとか言ってましたが、ウクライナ対応ではちゃんとロシア制裁とウクライナ援助をやってるじゃないですか。それだけで日本は十分じゃないですかね。それがウクライナですごく効果的かどうかはわからないですけど。

私が少し驚いたのは、ウクライナというのはやはりロシアではなくて西側の国で民主主義国家なのだな、ということであった。考えてみれば当たり前のことであるが、国を動かすにはまずは世論を操作するというのがよくわかっていると思う。ロシアや中国のやり方とは違うな、と。それがよくわかったので良かった。


戦車不要論がまた盛り上がっているようだが、実際に戦車なんていらないだろと言っている人をほとんど見たことがない。間違いを正す側が過剰に反応しているというところもあるのだと思う。

戦車不要論とは「歩兵にもたせる対戦車携行兵器で戦車がやられるんなら戦車いらないじゃんwww」という昔から(古くは第二次大戦以前から)ある議論である。その論は間違いである。今日の軍隊において「対戦車携行兵器で戦車が破壊されるから戦車いらないじゃんwww」という理由で戦車を廃した軍隊が無い、というのが戦車不要論が間違いであることを端的に示していると思う。「戦車は対戦車ミサイルにやられるからいらない」というじゃんけんみたいな単純な理由で戦車ができたりなくなったりしない。

それを理解するのに軍事的な専門知識は多分いらない。ちょっと説明を試みてみよう。

戦争というのは攻め込む側と守る側が居ますね。守る側は攻め込まれることが分かっているのだから、敵の砲弾や銃弾を避けれるように防御陣地を構築しておきますね。鉄筋コンクリートで固めたトーチカや塹壕は第一次世界大戦当時から現代に至るまで使用されます。あとは森や丘、谷などの天然の地形を利用したりもするわけですね。そこで敵を待ち受け、射程範囲に十分敵軍が侵入したところでぶっ放すわけです。

一方で攻める側は守る側がそうした陣地を用意して待ち構えていることを事前に想定しているので、なるべく安全に攻撃をしようと考えますね。相手側は強固に構築された陣地からミサイルだの砲弾だの銃弾だのをさんざんに投射してくるということが事前に予測できるのだから、誰だって分厚い装甲に守られた箱の中でなるたけ安全に進みたいですよね。その上で敵を打ち負かすためのでっかい砲もあると良いですよね。で、砲を打つのは装甲に守られた車内からできるとさらに良いですよね。それが戦車です。

守る側の視点にもう一回戻りましょう。自陣地に機関銃や小銃を構えた兵士がいくらいても、相手が頑丈な装甲に守られた戦車で突撃してくるのであればもうちょっと強力な兵器が必要になりますね。それはなんでしょうか。色々ありますが、一つは同じく戦車で対抗するということが考えられます。もし航空戦力が豊富ならば戦闘ヘリから対戦車ミサイルをぶっ放すとかもありうるでしょう。戦車が無くとも、装甲車、歩兵戦闘車に対戦車ミサイルが搭載されている場合もあります。でもそういう兵器がなかったり、十分な数揃えられなかったら?そういう場合のために、対戦車携行ミサイルというのが登場しました。人間が運べる程度の重量であって、発火すれば自動的に相手の戦車めがけて飛んでいく。そういう兵器ですね。こういう兵器で対抗する場合もあります。その中でも世界一高性能なのがジャベリンというやつです。米国のベンチャー起業が開発しました。1発2000万円ほど、トリガー一回で建売住宅が飛んでいくイメージです。(これに対して「建売住宅2000万てwwwwどんな物件だよwwww」とか思った人は気づかないうちに人の粗を探す病気にかかっています。インターネット性誤謬捜索症というやつで、他人の粗を定期的に接種しないと精神が死ぬ病気です。治療法はインターネットを止めることのみです)

ただ、発射するのは人間ですから生身の体を晒して攻撃せねばなりませんね。戦車は安全な装甲の中から砲を打つことができますが。となると、どう対戦車携行ミサイルを使いますか?必然的に待ち伏せ戦略になりますね。遮蔽物に身を隠し、戦車が現れたところで即座にミサイルを打ち込んで撤退するのです。ミサイルを担いで戦車を探し回ってウロウロしていたら戦車に逆にやられてしまいます。戦車だってただ一方的にやられたくはないですから、赤外線カメラだのなんだので人間の動きを常に捜索し、ミサイルをうつ兆候があれば即座に相手方陣地めがけて砲を打ち込みますし、もしミサイルが飛んできたら飛んできた方向に即座に砲弾を打ち込みます。(※ジャベリンは撃ったあとかってにミサイルが目標まで飛んでいってくれますが、他のミサイルは着弾するまで敵戦車を手動で照準し続けねばならないものも多いので、ミサイルを打たれても撃った敵兵を即座に始末したり、あるいは攻撃できなくとも付近に着弾させて照準を妨害できればミサイルを回避できる可能性が上がる)

つまり、対戦車携行ミサイルは守る側で待ち伏せ戦術に特化した兵器であると言えます。これを手で運んで相手方陣地に攻め込むという用途には明らかに不適だということがわかると思います。「相手側の陣地めがけてミサイルを打ち込むのは有効では?」と思う方も要るでしょうが、そういった用途により適した迫撃砲やグレネードランチャー、野砲(榴弾砲)といった兵器があります。これらは対戦車ミサイルに比べればずっと安くて、かつ効果的です。対戦車ミサイルは装甲を貫くのに特化した弾頭を装備しているので、辺り一帯に破片を撒き散らすような榴弾砲と比べると歩兵陣地を制圧する能力は低いのです。

というわけで、攻め込む場合を考えるとやはり戦車が要るのです。「対戦車兵器が待ち構えているから戦車は役に立たない、おれは歩いて行くぞ!」って対戦車ミサイル、対戦車ロケット砲を持って生身の体を積極的に晒す人がいます?いませんね。たとえ戦車にとって脅威になる兵器があったとしても、少しでも頑丈な装甲で身を守ってでかい砲を撃ちまくりたいですね。そう思いませんか?私は思う。どこの軍隊でもきっとみんなそう思ってるので戦車を持ってるし、歩兵だって丸腰じゃ嫌だから今日日は歩兵戦闘車という素人からみたら戦車と大差ないようなごつい乗り物で移動したり戦闘したりしますし、歩兵戦闘車が行き渡らなくてもせめて装甲車には乗りたいよね、ってなる。

いやいや、高速のサービスエリアに自衛隊が幌付きのトラックとか止めてたりするじゃん!装甲車以外で移動してるじゃん!と思われるかもしれないが、そりゃ、軍隊だって常に砲弾が飛び交ってる中を移動するわけじゃないですからね。前線と後方を移動したり物資などを運ぶのに全部装甲車をつかってたら燃料だって食うし、数も揃えられないでしょう。平時の移動なんかはまさに見ての通り、普通のトラックのほうが使い勝手良いわけだし。


ロシアにとって日本は隣国であるからウクライナと比べても攻めやすい、などという記事を見た。Twitterでもたびたび、ロシアが北海道に攻めてくるかも、などと騒ぎ、退役した自衛官が北海道での上陸戦は大変な事態になると語る記事がいくつか見られる。

アホか。

冷戦期のソ連ならまだしも、現在のロシア軍に海を超えて大規模な戦闘を行う能力はそもそもない。陸続きのウクライナですら補給で苦しんでるのに、日本海・オホーツク海の制海権・制空権を確保して継続的に物資を輸送する能力はない。橋頭堡(最初に上陸して後続部隊の足がかりとなる拠点)の確保すら困難なのではないか。

というか、そもそも現代において海外で大規模な戦争を継続することはたとえアメリカであっても一国では無理である。だから、あるのか無いのか分からない大量破壊兵器を求めて始まったイラク戦争だって米国単独で始めるわけにはいかなかったし、その後の占領統治時期も日本を含め数多の国の支援を必要とした。

そういう背景があって最近の自衛隊ではミサイル防衛や島嶼防衛作戦を重視する一方、北海道に配備する戦車は削られている。ロシアが海を渡って大規模な軍隊を北海道に上陸させるというリスクは下がっている(大規模上陸作戦を行うための装備を揃えたり、それを敢行する意思を見せるような行動を行っていない)からだ。ちなみに北方領土でもたびたび軍事演習を行っているが、駐留している部隊は防衛任務を主とした部隊であり、演習の内容も水陸両用戦を想定したものではない

もし日本が外国からの攻撃を受けることがあるとすればどんな可能性が考えられるだろうか。例えばよく議論されるものとしては中国が尖閣諸島その他日本の離島に対して強襲揚陸艦などによって上陸部隊を送り込むかもしれない、という想定がある。それが現代の日本に対する軍事的な脅威でハイリスクであるとされる事態である。ロシアから大規模上陸を受けるようなリスクは少なくとも中国が離島に上陸するリスクよりも低い、とは言えるだろう。

「でもでもだって、ウクライナだってその「軍事の専門家」なる人がありえない!と思っていたことをプーチンが決定してるからこんなことになってるじゃないか!!!プーチンが軍事評論家の予想の斜め上を行って日本に攻め込んでくる可能性はゼロじゃない!!」と言われるかもしれない。

日本でプーチンが発狂して同じことを(日本への全土侵攻)を行ったらどうなるだろうか?ウクライナと日本で完全に状況が異なるのは、ロシアは同じ軍量をそもそも日本に展開できないということである。隣国ではあるが国境を接しているわけではないから。つまり、海を渡らないといけないから。空軍でも海軍でも最新鋭の装備を有している日本にウクライナで展開しているのと同じ量の軍隊を陸揚げできるわけがない。その上さらに日本側には米国が出張ってくる。上陸戦というのは多くの人が想定しているよりもずっと難しい戦いだ。

もしロシアがウクライナに対して行った戦争と同様の軍量で日本で戦うとなったら、日本がわざわざ北海道の港湾施設をロシア軍に半年かそこら貸してあげて、平和的にロシアの戦闘車両を何千両も陸揚げして、さらに土地を貸して陣地構築させてあげたあとで、「じゃ、始めよっか」と戦争を始めるという流れでないとウクライナと同等規模の陸上戦を始めることはできないんじゃないかと個人的には思う。たとえそこまで譲ってあげたとしても補給が続くわけがないから数日でロシア軍の継戦能力は喪失し、引き上げることもできず、まるごと日本の捕虜になるしかない。

そもそもウクライナに関しても、軍事評論家が想定できなかったことが起こっているわけではなく、想定していたパターンの中で最悪に近いような状態で戦争が始まり、その後も現代の正規軍とは思えないような失態や政治的判断が次々明らかになっているから軍事評論家や防衛関連の研究者の方々は驚いているわけである。しかしながら多くの人は「専門家の想定が外れてプーチンがウクライナに侵攻した」と誤解しているように見える。そして付け加えるならば、常識とはかけ離れたことをやっているから、今ロシアはウクライナで痛い目にあってる。常識から外れた奇策で大きな戦果を得るというのはアニメや漫画の世界の話であって、現実の戦争でそういうことがたくさんあるわけではない。

では、ロシアが上陸戦を行わず、核ミサイルを含む弾道ミサイルを大量に日本に打ち込んできたとしたらどうなるだろうか。そもそもそのような事態になっているとしたら、世界的な核戦争になっていて日本だけでなく世界が荒廃するだろうからあまり考える意味は無いかもしれない。(流石のプーチンも核抑止戦略はまだ頭の中にあるように見える)日本を屈服できたところであまりロシアにとっての旨味はないから。

余談だが、これに対して世界地図を反対にしてみれば中露に対して日本が覆いかぶさっていて太平洋進出の邪魔になっているのがわかるだろう!みたいな話が度々出てくるが、中国からはそもそも太平洋に進出し放題だし、ロシアに関しても北方方面から普通に抜けられるのであまり意味がわからない。北方領土も支配しているし。

それでもなお、ロシアが核を含む弾道ミサイルを日本に打ち込んできたら?そのときのためにイージス艦が常時待機している。ロシア、中国、北朝鮮あたりが弾道ミサイルを日本に打ち込んできてもイージス艦がそれを迎撃することになっている。それで撃ち漏らしたとき、首都圏や軍事基地など要所の防衛ではPAC-3で撃ち落とすことになっている(要所、であるからごく限られた範囲しか守れない)。それでもうち漏らしたいくつかのミサイルは日本国土に落ちるだろう。敵が攻撃の意図をもって弾道ミサイルのボタンを押した瞬間、そういうことになるのである。これはやはり、入念な準備と相当の上陸用艦艇、航空機、軍艦、水陸両用部隊などなどの準備が事前に必要な上陸作戦と明らかにことなり、ハイリスクである。であるから、ミサイル防衛というのも日本が真剣に考えるべき防衛方針の一つであると思う。

しかしながら、なんですか?自衛隊の超絶雑なグーグルマップ測量のおかげでイージス・アショアはお流れになり、代替案も真面目に議論されてないじゃないですか。

イージス艦は定期的に整備に入るしずっと海上に拘束される海上自衛隊に入りたいという人はなかなか居ないから乗員も足りず、ミサイル防衛の穴が開くという警告がずっとなされている。であるから、地上に迎撃システムを配備するイージスアショアはミサイル防衛戦略上とても大事であった。少なくとも私はミサイル防衛がおろそかになる方がロシア軍よりもずっと怖い。みんな、怖がるところを間違っていると思う。

だから、私が世間に言いたいのは、ロシアが怖いならば「北海道全面攻勢されて北海道がロシア領になっちゃうかも!?」みたいな雑な想定を行うのをまずはやめて、小規模な部隊が離島に上陸するかも、弾道ミサイルを打ち込まれるかも、航空機から巡航ミサイルを打ち込まれるかも、などといった、中露北朝鮮が現実的に実行可能なオプションを調べてそれに対処することが必要なんじゃないですかね?ということなんですよ。

北海道が攻め込まれるかも!!みたいにむやみに不安を煽るのは止して、イージスアショアをもう一回検討しましょうやぁ…などなど、現実的な話をしませんかね?せっかく国民の興味が軍事に向いているのだから。


めっちゃ良い話を思いついたんですよ。これを文章に書いて発表したら、すげー名作になるなぁ…と定期的に思う。

でも書いても結局あんまり読んでもらえないんだよね。キャッチーなタイトル、キャッチーなテーマじゃないと流行らないと思う。なぜか?そもそも「キャッチー」というのは人気が出るダシが生地に練り込んである、という意味があるからだ。人気の小説じゃないと人気じゃない。そういうこと。当たり前だよね。でも自分が書きたいのはたくさんの人が面白かったあ〜!って読んでくれて話題になるようなものじゃなくて、自分の中で自分が最高だと思う小説なんだ。絵でもそう。何にしても、自分の中で最高の作品ができるとこれほど爽快なことって無いんですよね。未だに思い返しては「あのシーン最高だったな…」と自分で思う。そういうのを書いてみる。一応、ネタバレになる。作者による自作品の感想みたいな感じですね。大絶賛します!

猫の校舎

とある夢を見て、それをベースに1日で書き上げた小説らしい。普段、漫画、映画、小説その他を見て泣くことはほどんど無いが、これに関してはめちゃくちゃ泣きながら書いたらしい。

細かいことを言うと、夢をベースにした小説だからかどうにも前後の流れや設定が論理的に結びつかないところがいくつかあって、そこが若干気にかかった。それは夢をベースにした作品という前提の知識があればむしろ楽しめる要素かもしれない。説明が不足していて状況が文章から読み取れないところも多々あったが、読み直せばなんとなく理解できる。おそらく、作者の頭の中ではありありとした光景が想像できていて、それを文章にしているものだから「いちいち書かなくてもわかるよね?」という発想になってしまっているのだろう。しかしながら読者は当然作者と同じ光景を見てはいないのだからもっと配慮が必要である。単純に表現力が無いとも言うことができよう。

導入は最悪だ。「働かなくていい待遇」にある主人公がまちなかで不審者にゲロを吐きかけられるところから始まる。ここで嫌になって読むのを止めてしまう人は多いかもしれない。

4章あたりから「校舎」の秘密が次第に明らかになっていく。この世界の観測できないしくみ。生と死の間で主人公が死者を迎えに行くための役割を担う。まさに死神であるが、作品全体の描写がごくありふれた日常であるがために恐ろしさは感じない。終始、一人称視点で淡々と事態の推移を描写していくながれなので、新米の死神にでもなってしまったような不思議な感覚を覚える。

物語の中心に位置する人物である「神室結衣」は物語中盤でいきなり登場する。主人公と神室結衣の関係性はあまりはっきりとは明かされないまま、初登場が死者となっての登場となる。おそらく全編を通じて作者が描きたかったのはノスタルジーと現実、生と死の融合、というテーマだったのではないかと私は思っている。そうしてみると神室結衣もその一部を成していて、少なくとも作者にとっては中心人物ではないと考えていたのかもしれない(だから主人公と神室結衣との間との関係性の描写がうすいのかもしれない)。しかし本作品のように人間関係と人間同士のやりとり、会話によって物語が進捗していく内容であると、どうしても読者は登場人物の関係性に重点をおいて読み進めてしまうのではないか、と思う。そう考えると、作品の「良さ」はとりあえず置いとくとしても、やはり作者の思いを読者に伝える努力はもう少しすべきだったのでは、と思う。おそらく作者の頭の中には「読者」がおらず、「記録を付けている」という感覚に近いのではないか。

ともかく、物語のクライマックスはそうして唐突に始まる。唐突であるが故に読者が感情移入できるかどうかは難しいのではないかと思う。おそらく、主人公らとおなじような日常を過ごしてきてなんとなく同じような感覚が共有できる人であれば、話もまだ理解できるだろう。つまり、学生時代にそれなりに恋愛をしてきて大人になってから別の人と結婚をし、最終的に子供を生み育てたような、アラサー、アラフォー世代のような人たちならば理解は容易かもしれないが、例えば中高生がこれを読んでも本質的な意味はわからないんじゃないかと思う。これを指して「人を選ぶ小説」とも言えるかもしれないが、ただどんな小説であっても大人向けか子供向けか、あるいは男性向けか女性向けか、という程度の大雑把な括りはあるのが普通だとは思うので難しいところだ。

個人的な好みを言うならば、神室結衣が登場してから校舎に連れて行くまでに部分的に存在する抽象的な描写、あれが小説全編を通して良かったと思う。「27枚撮りISO400のフィルム」とか「心と身体が遊離して細分化されて熱を持ったビーム」とかいう言い回し。

特に、日常的な言葉遣いが一貫して続き、スマホやグーグルマップ(という固有名詞は出てこないが)が登場する世界から唐突に一転し、

星が流れ、星空に濡れた草むらをかき分けて進んだ。草木の水滴一つ一つに世界があるのが分かった。一歩進む度に思い出があふれた。思い出は一瞬光り輝いてすぐに消えた。まるで花火のようで、世間は闇であった。

という一文が現れるこの瞬間。もう、この一文を書くために前半部分があったのかな、とすら個人的には思った。作者の想定にハマる人であれば、神室結衣が死ぬに至ってから、そしてこの世に最後を告げるまでの経緯を知れば「なぜ神室さんが死ななくてはならなかったのか」と悲しい気持ちになっているはずだ。これは夢をベースにした話ではあるが、実際に人間というのはそのようにして唐突に死んでいくことも多い。誰しもが老衰によって病院のベッドの上で家族に見守られながら死んでいくわけではない。であるから、死に関しては夢ではなく、端的に現実を表現しているとも思われる。若干、泣かせようとする作者の意図が感じられてうざいが…。

それから最後に至るまではテンポよく物語が進む。最後はそのまま書かれている通り、夢から覚めて終わるという内容であるが、いわゆる夢オチではない。読者も最後には夢から覚めて、現実に戻っていく感覚を味わえるのではないだろうと思う。神室さんも主人公もどこかでうまくやっているだろう、という希望を抱ける終わり方だ。

総じて、良くも悪くも「夢」であったなと思う。日常からかけ離れた舞台でありながら、しかし確実に日常の延長であることを常に意識させられる。主人公は「世間」から逃れたい、「世間」は鬱陶しくて敵対心のこもったものであると思いつつも、結局は世間に戻っていく(しかし、本当に戻れたのかどうかは曖昧なままだ)。そして最後、すべてが夢として消え、現実に爪痕を残す。最後の現実に残された校舎が辿った描写を含め、全体を改めて俯瞰すると複雑で意味深長なように思えるが、それは単に夢であるからテーマが散逸になってしまってまとまりが無い、とも言えるのかもしれない。

悪くは無いが荒さが目立つ作品だった。

ライク・ア・ムービー

前作に引き続き、中盤からがらっと印象が変わっていく作品である。「どんでん返し」と言ってもいいかもしれない。

前半部分は相変わらず、盛り上がりに欠ける内容が続く。私などは「世界の中心で、愛をさけぶ」を思い出した。あれの前半部分を寝ずに鑑賞できる男子はいるのだろうか。

作者の個人的な経験、思い出をベースにしていると思われる描写がいくつも現れるが、これは90年代から2000年初頭に学生時代を過ごしたごく少数の人間にしか伝わらないのではないか。そう考えると前作から引き続き、人を選ぶ小説と言える。特にMS-DOSのコマンドなどを打つシーンや「ちゃんと読み取れるようにCD-Rを等倍で焼いた」などといったあたりの描写で顕著にそれが感じられる。

中盤までの描写は長い。ターゲットにマッチする読者であれば、ケータイだのiモードだのバリ3だの、「あ〜、あった、あった」と思うような懐かしい気持ちになれるとは思う。本作品の特徴として、とにかく実在の固有名詞が大量に登場する。その中には今となっては何を示すのかもはや分からない読者も多数居ると思われるが、これも一人称視点で淡々と進んでいく話であり、説明は一切ない。不親切とまでは思わないものの、分からない読者は端から置き去りにしてしまおうという作者の配慮のなさが相変わらずにじみ出ていると感じる。

前半の主人公は単純な行動原理に基づいて行動している。女にモテたい、それだけである。しかしながら周囲の友達と比しても全くモテない。なんとかモテようと背伸びしてみるものの、いつもすべてが裏目に出てしまう。

後半は荒廃した世界で少年少女がさまよい歩くというよくあるパターンの展開となる。具体的な固有名詞をたくさん登場させているのである程度の臨場感が感じられるが、突然人類が消え去ったというのにさして苦もなく高速道路を移動できるなど(もしそのような状況であったならば、道路上の数多の地点で交通事故が発生し、車での移動は困難なはずだ。ある程度のエクスキューズはあるが、それでも違和感が残る)、あまり現実感を感じさせない部分もある。要所要所で想定されるであろう障害を乗り越えていく描写を書きたいならばちゃんと書ききる、それが書きたいことでないのであれば、バッサリと切る。どちらかに寄せてほしかったなとは思う。

この作品では全体を通じて、いくつか盛り上がる(だろうと作者が想定していると思われる)シーンがあるが、私が一番良いな、と思ったのは宇宙船に乗れず走って逃げてゆくヒロインを主人公が追いかけるところだった。

唐突に感想を書くのがしんどくなってきたのでこれで終わる。以上。


妻氏は大学に合格し来年度から女子大生になる。女子大生の妻氏が誕生した。次女は小学校入学。


夢を見た。見る夢のバリエーションが減ってきた。

大学生のころ住んでいたアパートから引っ越す準備をしている(非常によく見るパターンの一つ)。引っ越しはほぼ完了しているが、一つ大学に返却しないといけないことになっているダイヤル錠が未返却のまま残っており、大学にわざわざ行って返すのは面倒くせぇなあ、どうしようかなと悩む。

敷地の角、見えないところにS13シルビアのマフラーを放置して引っ越した(これは実際にやった、ごめん。でも敷金を返却する素振りも見せなかった不動産屋だからあんまり申し訳ないと思ってない)のだが、あれはなくなっていた。

昔私が乗っていたオンボロのS13シルビアが駐車場に止まっていて、それに友達と二人で乗り込む。友達が運転しているが、めちゃくちゃ運転が下手くそで何度も事故を起こしそうになる。本当は運転がうまいはずだが…。

秋田にあるカー用品店(だがなんでも売っている。ドンキホーテみたいな店)に到着すると、なんと車が一回転してひっくり返ってしまった。なぜかこのシルビアはガルウイングドアになっており、逆さまになったのでドアがあかない。窓を開けてなんとか這い出し、どうやって元に戻そうか二人で考えていた。


結構調子がよかったのだが、また調子を崩した。土日月で駄目になった。今日は3月29日

なんかこう、うわーーーーーーーー!!!ってなる。極限までストレスが溜まった状態にこうなる。ここまで来ると休もうとしてももう休めない。眠ろうとしても眠れない。休もうとしても頭の中が興奮状態になっていて全く休めない。なにか衝動的にきれいに整列している物体をめちゃくちゃにぶっ壊してやりたくなってくる。こうなると復帰まで時間がかかる。むりだもう。

精神病棟のベッドに縛り付けておいてほしい。あるいはスターウォーズでハン・ソロが固められたやつ、ああいう状態にして2〜3日放っておいてほしい。今もキーボードをぶっ壊したくなるのをこらえて書いている。髪の毛が一本顔に触れるだけでブチ切れて髪の毛全部切ってしまいそうになる


絵心ない芸人が面白くてめちゃくちゃ笑ってしまうのだが、一つ思うことがある。

お題が難しすぎる。

あれで笑っている視聴者は多いと思うが、あの人たちよりも上手く絵が描けると言い切れる人は何人居るだろうか。

絵心ある側の芸能人も参加して絵を披露するが、各々得意なお題で絵を描いていたり、明らかに参考資料を見つつ描いたのだろうなと思われるものもあったりして、なんかちょっとな、と思う。


次女がうまく絵を描けないのでちょっとだけ手伝ってあげた。妻の持ってる少女漫画の表紙の絵だ。それを真似て顔の半分だけ描いてあげた。

すごく良かった。ちょっと線を描いただけで体の中から湧き出てくるものがあった。やはり自分は絵が好きなのだな、と思った。最近描けていないが


すごく良いことが書いてあった。

「ロシアもウクライナも両方悪い」は不適切。細谷雄一教授の連続ツイートが「WEBで読める決定版と言える論考」と反響

あらゆる戦争が悪であると述べることは、正しいようでありながらも、20世紀の国際法と国際的規範の歩みを全否定すること。道徳的な高みになって、「あらゆる戦争は悪であってどちらが正しいというわけではない」と論じることは、20世紀の平和への努力を蹂躙すること。

そのとおり。本文中にも書いてあるが、あらゆる戦争が悪であると免責されるなら、日本が日中戦争を始めたのも太平洋戦争を始めたのも「どっちも悪い」で片付いてしまう。ナチス・ドイツによる数々の侵略も「どっちも悪い」になる。

少し前にゼレンスキー大統領が米国の演説で真珠湾攻撃を引き合いに出した件を受け入れられない人が多くてびっくりした。ネット上では昔から「日本は米国にまんまと載せられて戦争に引っ張り出された」とか、「石油を禁輸されたから戦争を初めてエネルギーを獲得するしかなかった」などと言う人があとをたたない。米国の裏工作に乗せられて武力行使をしたのだったら、「騙された!」と言いながら小銃をぶっ放せば戦争が正当化されるということだ。そんなアホな論理はない。「武力による現状変更」、これを正当化させるロジックは何もないのだ。騙されて始められた戦争はOKなのだとしたらロシアがネオナチや核兵器開発の証拠を探して安易に侵攻を開始したのだって正当化される。もちろん、あるはずのない大量破壊兵器を求めて始めたイラク戦争だって正当化される。だから真珠湾攻撃は悪なのだ。もし本当に騙されて、乗せられて始められた戦争だったとしても、騙され、乗せられて武力を行使した側が悪になる。

石油の禁輸が云々かんぬんというのも、前提を無視しすぎている。石油の禁輸に至るまで日本は満州で張作霖を爆殺して満州鉄道を爆破して、その上「橋で撃たれた」という事案と比して明らかに自衛の範囲を超える侵攻を中国国民党に行って、第二次世界大戦が始まったら仏領インドシナに進駐した。そこまで好き勝手やらかした米国の対抗策が「石油の禁輸」だった。現代社会の感覚で捉えれば、むしろ石油の禁輸措置やハル・ノートの内容など寛大な処置に入るだろう。なのに、「日本は石油を禁輸されたのだから自衛戦争だ」などと言う人がいるが、よくもまー言えるよね。図々しいことこの上ない。

国際法を無視した侵略的な武力攻撃、さらには無差別な一般市民の殺戮は悪であるが、そのような侵略から国民の生命を守るために自衛的措置をとる行動は、合法であり正当な行動である

まったくそのとおり。兵器を使って侵攻してきたらあとできる対抗策は防衛側の武力行使しかない。ロシア砲兵がさんざんにロケット砲を打ち込み、戦車と歩兵戦闘車で進軍してきてなお話し合いが通用するわけがない。そこまできてようやく、武力行使が正当化されるとも言える。攻め込まれて自衛の範囲で武力を行使する、これは合法である。

余談だが、日本でのイジメの現場で「喧嘩両成敗」とかいうのも私は好きではない。日本はなぜか喧嘩両成敗、みたいな考え方が主流のようである。最近だとウィル・スミスが妻をバカにされてビンタしたという事件で、欧米のメディアはウィル・スミスを批判する論調のものが多いのに対して、日本のSNSやメディアはウィル・スミスに同情的だという。個人的にはあの件でもウィル・スミスに同情的になる意味がわからない。戦争での武力による現状変更と同じように、個々人の間での喧嘩であっても先に手を出したほうが悪い。ビンタであっても当たりどころが悪かったり、ビンタした人の筋力によっては後遺症が残ることもある。刑事事件におけるいわゆる正当防衛も認められるのはかなりハードルが高いのはそういうことである。武力は使ったらアカンのである。妻をバカにされたから殴って良いというのは、沖縄で仲間が警官に叩かれたからと警察署を囲んだ事件も良いということになってしまう。

親しい人がバカにされたから、なめられたからといって殴っていいというのはヤンキーの論理でしょう。まあ、古今東西、人類の歴史とは舐められたから殺す、みたいなところが散見されますが…。だから、ウクライナが、ロシアが、日本が、米国が、インターネットが、SNSが、とか言うよりはシンプルに「人間がそもそもクソである」と当ブログでは何度も書いています。今後も書き続けます。インターネットはクソだ!インターネットをやめろ!とか、ロシアがクソだ!戦争をやめろ!とか言ってますけど、元を辿ると人間がクソなんですよ。犬猫のほうが尊いね。

武力を使って良いのは、自分の命、自分の国を守るために仕方なく、しかも必要最低限の範囲で使わなくてはならないのである。そしてその正当性を第三者に対して示し、理解してもらうのはすごーく大変なことである。だからイジメの現場でも殴ったほうが一方的に悪い。たとえ妻をバカにされたとしても殴ったらいかん。たとえ本当っmに自国民が他国で殺戮されていたとしてもそれを解決するために武力行使するはアカンのである。だから、ウクライナに関してもロシア軍を撃退し、そのままロシア領に攻め込んだらその時点で国際社会の理解は得られないであろう。そういうことである。

こういう考えに関しては、日本人は本当に駄目だと思うよ。今回ばかりは「日本人は」、と言わせてもらうよ。

―― ウクライナ侵攻の原因について、れいわ新選組は「米欧主要国がソ連邦崩壊時の約束であるNATO東方拡大せず、を反故にしてきたこと」を挙げています。こうした主張をどう捉えていますか?
これについては、すでに色々なところで書いてきましたが、国際社会での拘束力のある約束は「署名がある明文化された合意」である必要があります。
確かに1990年2月にベイカー米国務長官は、それに近い発言を会議中に発した記録が残っていますが、会議での発言の記録全てが自動的に国際法上の拘束力のある合意にはなりません。
ですので、それをもって「約束を反故にした」というのは、複雑な外交の歴史についてのあまりにも安易で、ロシアにとっての都合の良い歪曲といわざるをえません。

これについても全くそのとおりである。というか、普通の商慣習の考え方であっても、契約書に書いてないことを要求するのはアカンと思いませんか?NATOが東方に拡大してきたのが悪いんだ、約束を破ったのはNATOだから悪いんだとロシアの主張をなぞって言っている人は「契約」をしたことがあるんですか?と煽りでなくて本当に心の底から疑問に感ずる。

たとえ本当に、記録に残らないはっきりとした口約束があったとしても、当時のロシアがそれを最重要視していたのならば明文化された文書として残しておくべきだった。それをやらなかった当時のロシアが悪い、ということにしかならない。ましてや、口約束を反故にされたからという理由は武力行使を一切正当化しない。そんなことを許したらいくらでも正当な開戦事由を作れてしまう。そんなことを許すわけにはいかないのは当たり前でしょう。


ウクライナが迫撃砲で戦車を撃破したとする映像。戦車上部に着弾して火を吹き上げている。「ウクライナでは間接射撃の修正にドローンを使っている」との記載がある。

迫撃砲で戦車が撃破可能なのだろうか?迫撃砲は主に非装甲〜軽装甲の目標に対して行われる。戦車に対しては継続的に砲撃して弾幕を張り行動を阻害するということはできると思うが、撃破は難しい。まず、迫撃砲は条件の良い状況で撃ったとしても数十メートルは散らばる。遠くから撃った場合は数百メートルとなる。戦車の装甲を貫くには砲弾やミサイルを直撃させることが必要だが、この精度で動く戦車に直撃させるのは難しい。しかも迫撃砲弾はほとんどが榴弾(爆発して破片を撒き散らす砲弾)であり、徹甲弾(装甲を貫く仕掛けを施した砲弾)が迫撃砲で運用できるなど聞いたことがない。

ただ、ググってみた所、一応迫撃砲で使う対戦車砲弾を作ってみた国はあるようだ。

http://www.warbirds.jp/ansq/4/D2000153.html

まず 1975 年ドイツ製 Bussard 120mm 対戦車迫撃砲弾。弾頭にレーザー検出装置があり、地上からのレーザー照射によって誘導されます。
続いて 1990 年スウェーデン製 Strix 120mm 対戦車迫撃砲弾。赤外線によって熱目標に誘導されるタイプですが、ミリ波レーダーを積んだ発展型もあるようです。
自衛隊でも使っているという 81mm Merlin はイギリス製で、これはミリ波レーダーを積んだ Fire&Forget タイプです。一発あたりの単価が高く、本国イギリスでは予算の関係で実戦配備が見送られているとか。
アメリカにはボーイングが開発した 120mm FOMP(Fiber Optic Mortar Projectile) と 81mm IPAW(Infantry Percision Attack Weapon)があります。弾頭にカメラが付いており、光ファイバーで弾頭からの映像を射手に送って誘導するシステムです。
どれも弾頭は成形炸薬を使っており、装甲の薄い戦車上部を狙うので MBT 級でも破壊できる、と評価されています。
ただ実戦での戦歴がなく、安いことが取り柄の迫撃砲にこんな高い弾種を揃える必要があるかどうかは議論が分かれているそうです。

ミリ波レーダーだのレーザー照射だの光ファイバーだの、よくもまあ大きな加速度がかかる砲弾にそんなものを搭載したな、と工学部出身者としては思う。第二次世界大戦当時から真空管を積んだ砲弾が打たれていたのだから、技術的に無理では無いんだろうが、あまりにも常識とはかけ離れているので軍事の世界はやっぱりすごいなと思う。

ただ、上記にも書かれているように実践での戦歴が無いとのこと。私も聞いたことがなかった。

スレッドでも迫撃砲ではないという説明がなされている。野砲で打つタイプの砲弾で、Kvitnykというのがあるらしい、レーザーを用いたセミアクティブ誘導で、36km/hまでの移動目標に対応でき、20km離れた場所からA4サイズ程度の範囲に着弾する程度の精度を持っているそう。こんなものがあるのか…。

レーザーを用いたセミアクティブ誘導、ということは、ターゲットに対して砲弾が当たるまでレーザーを当て続ける人(とかドローンとかロボットとか何か)が前進している必要がある。対戦車携行ミサイルとの違いは、歩兵が重い荷物を運ばなくて良い、観測者とは違うところから砲弾が飛んできて噴煙なども上がらないため観測者の生存性が上がる、というあたりだろうか。欠点としては即応性がないということか。前進した観測者が砲撃を要請してから発射し、着弾するまでは10秒かそこらかかるだろうから、その間にレーザーが照射できないところに目標が進んでいって外す、なんてことは起こるかもしれない。値段に関しては対戦車ミサイルから省ける部分はロケットモーター(と航法装置?)で、おそらく一番金がかかっているであろう最終誘導装置は省けないので、少なくとも普通の砲弾のように気軽に撃てる弾というほど安くはならないのではないだろうか。

ただ、もう一度動画を見ると初弾をミスしており、それはほぼ垂直に噴煙が登っており、これを見ると確かに迫撃砲のようにも見える。垂直に噴煙が上がるということは真上から着弾しているということにも思えるので、そう考えるとやはり迫撃砲なのだろうか?という気もする。よくわからん。有識者の人、解説してくれ。


チェルノブイリで塹壕を掘ったロシア兵が急性被爆症状で病院に運び込まれ、その兵士の数はバス7台分だったという話が流れてきている。本当かな…。

急性症状が出るということは相当な高レベル放射性物質があったということになるが、そんなものが地面を掘って出てくるかなぁ、というのは疑問である。

ちゃんと安全管理するならば兵士に線量計を配って管理するだろうが、もちろんあのロシア軍であるからそんなことはしていないだろう。経緯は全く不明だが、本当に放射線の急性症状が出ているならばバス七台分の兵士の中には死ぬ運命にある人も多いと思われ、まあロシアというのはひどい国だな…としか言えない。誰も幸せにならない。幸せになるわけがない戦争。

もっとも、ほとんどの戦争は誰も幸せにならなかったと思うが。戦ってよかった戦争というのは殆どが祖国を防衛できた、防衛側の戦争だろう。つまり、戦争をふっかけられなかったら一番幸せだったという戦争。

補足:ロシア軍の戦車にはNBC防護システムの一つとして線量計が装備されているらしい。使ってなかったということなのか、その装備もなかったのか、運用できなかったのか…。謎


次女の保育園の最後の日であった。

長かったと思う。

30代に入ってから細かい記憶が無い。

次女が保育園に入るのと、妻の就職活動と、私の転職活動は重なっていた。八王子は東京の中でも子育てに恵まれた環境であると思われ、求職活動中というステータスでも保育園に入れることができた。ただ、就職活動中はまだ保育園には入っていなかった。

そんなとき、妻の面接と私の面接が重なってしまったことがあった。当時、次女はまだ0歳だった。子供を預けるところがないか探し、子育てサポートという行政の制度?があるのを知った。時間単位で子供を見てくれるやつだ。電話した。少なくとも半年前から予約してもらわないと無理です、予約してマッチングの面接を行い、それからサービススタートとなります、と言われた。駄目だった。

幸い、二人の面接には1時間程度の空きがあった。だから、長女をまず幼稚園に送っていき、それから夫婦で抱っこひもに次女を抱えて都心へ移動、お互いそれぞれ面接をして終わったら子供をパスする。私は嫁さんの面接が終わるのを次女と二人、ファミレスで待っていた。スーツに抱っこひもで子供をあやしながら。

それから、ずっとしんどかった。

このときは楽だったな、と思ったことが無かった。常に何かやらなければならないタスクが積み重なっていた。自分がやりたいことの優先順位は最下位であった。

子供の送り迎えもした。毎日掃除機をかけた。飯も作った。しんどい。

しんどい、しか記憶にない。

私が特別しんどかったのではなくて、そもそも子育てがしんどいのだと思う。

私は27歳で長女が生まれ、次女が31歳のときだったのでまだマシなのだろう。世間には30代後半とか40代になってから子育てをしている人もいる。しんどいことだと思う。

なんでこんなにしんどいことをしているのだろう、と思う。いつまでこのしんどいことを続ければ良いのだろうか、とも思う。

私の今の所の結論は、そもそも生きることがしんどいのである。

子育てが特別しんどいのではなくて、生きていること、それ自体がしんどい。生きるとはしんどいことである。

そして、人間はクソである。人間の性根はクソである。

いわば、肥溜めの中で糞まみれの人間がうごめいてお前はクソだと罵り合い、お前よりは糞が付着していないと五十歩百歩のマウントの取り合いをしている、それが人生だと思う。

それでもなお、私は私の家族や子供、私の親しい友達などには少しでもマシな人生を歩んで貰いたいと思っている。

糞に埋もれた中で稀に見るそういう他人への配慮、あるいはいっとき感じる輝き、そういうものを見つけるのが人生なんだろう。

人生は輝きと幸せに満ちていて、人間は美しいなどと思ってはいけない。世の中の全ては糞であり、糞の中でマシな場所を見つけ、できる限りのことをやっていく、そういう気持ちが大事だな。と、思う。


年代によっても違うのだとは思うが、日本人の中には「過去日本行った侵略戦争を負い目に感じて現代の具体的な行動に影響を及ぼす」という例があるらしい。日本は侵略行為を行ったのだから反省し、ウクライナとロシアの戦争においてもウクライナ頑張れ、ロシア人を撃退しろという論調を改め、ウクライナもロシアも両方を尊重しつつ、今起きている人死にを止めるために侵略者の意見にも耳を貸さねばならぬ、ということだそうだ。

その気持ちは分からないでもない。戦争は悲惨である。調べれば調べるほど戦争の悲惨な事実を目の当たりにする。であるから、悪を定義するならばそれは戦争そのものであって、戦争や人死にを回避するためならばあらゆる方策を取るべきである、という考えなのではないだろうか。

人が死ぬのを回避するためにあらゆる方策を取るべきであるというのは、日本の芸能人でも同様の論調で語る人がいる。いくつかは「侵略戦争に負ける」という事実が何を表すのか無理解であるだけだとは思う。(一方でスポーツの国際試合を見ているがごとき考えでウクライナ頑張れ、と言っている人もいるだろう)

ただ、考え抜いた結果、ロシアの要求を飲んでも早期に停戦すべしという帰結に至った人も少なからずいるのだろう。的を外した考え方かもしれないが、多分、そういう人たちは優しいのだと思う。

これは考えてみれば当たり前の話で、侵略戦争をふっかけられたとき、命を最優先して相手の要求を飲むか、それとも徹底抗戦するか、というのは2つとも常に取りうるオプションとして存在し、どちらが正しくどちらが間違っているとは一概には言えない。命そのものが存在することを良しとするか、それよりもどう生きるかを優先させるべきか。これは考えても答えが容易に見つかるものではない。(ただ、ロシアのような戦争犯罪を公然と行う国家との戦争に限って言えば、降伏したところで命だけは助かるという前提が崩れるだろうという事情はあるかもしれない)

一つ確実に言えることがあるとすれば、それを決める権利があるのは当事者だけである、ということである。

ウクライナとロシアの戦争においては、ウクライナが徹底抗戦するか、それともロシアの要求を飲むか、どちらにするかはウクライナ国民が決めるべきであると思う。部外者がウクライナのためにできることは「さっさと停戦交渉を始めろ」と急かすことではなくて、ウクライナ政府とその国民が望んでいる方向性を汲み取って、その方向にマッチした支援を送ることだと個人的には思う。であるから、徹底抗戦しているウクライナに対する現状の支援としてはまずは直接的な軍隊の派遣、ということになるだろう。しかし種々の事情がそれを許さないので、民主主義国家の多くが武器や防具を供与している。ゼレンスキー大統領は戦争終結後の復興支援を特に日本に対して望んでいると言っていたこともよく考慮されるべきだろう。


日本が過去行った侵略戦争を負い目に感じるという気持ちは私には分からない。大日本帝国陸海軍、関東軍、当時の内閣、そういったものと私自身は何ら関係がないし、現在の国民も同様に関係がない。であるから心置きなく何度も謀略を尽くして日中戦争を始めた関東軍はクソだった、「1年くらいは暴れてみせます」などという雑で曖昧でテキトーで無茶苦茶な見積もりで太平洋の島々に兵隊を送り込み風呂敷を広げに広げて兵隊を餓死・病死・戦死させまくった海軍は無能だった、それらを統制できなかった政府も無能だった、と断ずることができる。

学術的な解釈はひとまず脇においておき、当時の日本と現代の日本が連続的に続いているという考えを国民一人ひとりが持っているということはまあ、郷土愛を醸成するために重要なのだと言われればそうなのかもしれないが、しかし過去の歴史解釈を捻じ曲げて日本が行ったのは侵略戦争ではなかったなどと間違ったことを言い出したり、あるいは逆に日本は侵略戦争を行ったのだから現代においてもそれをしっかりと反省し、身の程をわきまえて発言すべきだなどと考えたりするのはあまりよろしい行動とは思えないんだよね。


サハリン1/2とアークティック2で日本が撤退しない件。エネルギー安全保障上重要なプロジェクトで日本が権益を持っているのを手放すというのはまあ勿体ない話なので続けるという判断は個人的には良いと思う。あとはそれを欧米にどうやって理解してもらうかという話になるだろうか。米国の反応を見るに、クリミア危機以降で日本が親露的な立場を取ってきたことを今回も警戒しているっぽいがどうなるだろうか。

しかし、安倍元総理がやった対露外交というのは何だったのか、さっぱり理解できない。当時からロシアが北方領土を返す訳がないというのは散々識者によって指摘がなされてきた。案の定、北方領土は返ってこなかった。


安倍元総理は総理を引退したのだから思いつきで敵基地攻撃能力がどうとか言うのを止めてほしいし、メディアもいちいち取り上げないでほしい。

それぞれの言葉が何を示すのかいまいちふわっとしていて意味がわからない。議論を開始したいにしてももうすこし具体的に言ってほしい。

軍事的にはそもそも敵基地攻撃能力はあまり意味が無いと言われることが多いように思う。何を対象とした攻撃であるのか。北朝鮮のミサイル発射システムに関しては、TEL(輸送起立発射機)によって発射されるので発射する兆候を察知して巡航ミサイル他で攻撃するのは無理であるとされる。敵国の広い範囲をリアルタイムで監視しなければならないのだから。偵察衛星を持ってしてもリアルタイムの監視は不可能である。(Google Mapがリアルタイムで全世界の映像を配信しているものだと勘違いしている国会議員も居たが)

空港を破壊して航空戦力の発揮を限定させるという戦略はあるかもしれない。ただ、現代の工作機械をもってすれば、というか、第二次世界大戦当時であったとしても、空港の補修というのは比較的短時間でできてしまうと言われている。であれば、敵の空港を破壊して限定的な短時間の航空優勢を得たとして、その後何をするのだろうか?という戦術・戦略とセットで議論されなければ意味がないし、限定的な航空優勢を得たあとで日本が保有する軍事兵器をもって何かできることがあるかと言われると私には思いつかない。

そもそも、空港や貯油施設などの重要な固定軍事施設は当然ながら防空システムも強固になっているだろうから、破壊のためには相当数の巡航ミサイルを駆使する必要があるだろうし、精密爆撃によって破壊するのであれば対象の国まで爆弾を安全に運ぶための制空力・空中給油能力も必要になる。それらを金をかけて揃えたとして、有事の際にすごく役に立つかというとどうなんだろうか。日本の場合はせっかく島国であって海原という強大な天然の防壁があるのだから、それを活用したほうが良いのではないか…という気もする。巡航ミサイルだのそれの発射システムだのを揃える前に、海上自衛隊の待遇を改善して海上自衛官を増やすほうがまだマシではないかと素人考えだが、そう思う。

それに加えて今度は「基地に限定せず中枢」などと言っている。軍事基地に限定しない中枢という言葉からは大都市への攻撃を意味するように思うが、これは破壊することに軍事的な価値はない。現代兵器は破壊力が増しているために国家総力戦になるまえに決着がつくとされているから都市インフラや軍需工場を破壊することは効果が薄い。国民の士気に対する影響に関しても、第二次世界大戦当時の時点で戦略爆撃はあまり意味がないとされていた。

さらにウクライナとロシアの戦争(と他の数多の近代戦)を見ればわかるように、安易な都市とインフラへの攻撃は国際的な批判を招く。非戦闘員への攻撃は国際法違反なのだから当然である。

それでもなお敵基地攻撃能力が重要だと言うのであれば、もうちょっと具体的にどのような能力が必要で、何に対する攻撃をどう使うのかという話を具体的にしてほしい。


yoasobiの歌がめっちゃしんどい。

次女が好きで、よくテレビでYouTubeを流しており、かつ、テレビにAVアンプとスピーカーをつないでいるので高音質かつ大音量で聞かせられる。何度も何度も聞いた。

聞くたびしんどくなる。なぜこれが流行るのかが全くわからない。それは私がおっさんになったからなのか。しんどい。ただただしんどいのだ。

なんか曲がすべて「歌がうまい」「いい曲」「斬新なメロディ」「歌がうまい」「頑張れ頑張れ」みたいな、正の感情のダム決壊、ゴリ押しに次ぐゴリ押し、みたいな感じで聞いていてめちゃくちゃ疲れるんだよな。

例えるならば、二郎系ラーメンみたいな感じだと思う。初めて見たときのインパクトは、すげぇ!こんなラーメンが世の中にあるのか!これはもはやラーメンではない、次郎だ!すげぇ!みたいな感じでハマる人はすごくハマるんだけど、一般ピープルはもう一度食ったらもういい、みたいになる料理を毎食出される感じに近い。毎食二郎系ラーメン。例えるならば、ね。たしかに、すげぇ!ハマる!エモい!感じるか?俺のヴァイブス…!みたいな気持ちはわからんでもないんだけど、一回食ったらもう満足することを全部の曲で始めから終わりまで全部それで押し切るからしんどいことこの上ない。

例えるならば、ずーっと「助けてください!!!」って叫んでる「世界の中心で、愛をさけぶ」みたいな感じだと思う。映画の始まりから女が死にそうになってて男が抱きしめて「助けてください!」それが終わったら女が息も絶え絶えに、私はすごくしんどい、死にそう、だけれどもあなたにあえてよかった、あなたに会うために私は生まれてきたのだ、的なことを言う。それをうけて男が「助けてください!!!」って叫ぶ。それに対して女が息も絶え絶えに、もうすぐ死ぬと分かってる私なんかと一緒に居てくれてありがとう、男くんと一緒に居た時間は無意味なんかじゃなかったよ、私は世界一幸せだった、みたいなことを言う。それを受けて男が「助けてください!!!」って叫ぶ。マジ?と思ったところで音楽が始まりカメラが引きで移動していって海原や山などを写し、シーンが切り替わって渋谷や新宿などの雨の中の雑踏などを写し始める。ああ、よかった。ようやく終わった。と思ったらその雨の中、歩行者天国のどまんなかで男が女を抱きしめながら「助けてください!!!」って叫んでる。まだやんの!?って思うんだけど、それがずーっと延々続く。そんな感じ。

例えるならば、めちゃくちゃ演技臭いAV女優みたいな感じだと思う。いくらなんでもそこまで気持ちよくはならないだろ…って感じで笑えてくるみたいな、いや、これはやめときますか。

とりあえずそんな感じです。それを次女が大音量でスピーカーから流して絶叫して歌うのがめちゃくちゃしんどい。


「ウクライナとロシアが戦争を始めた当初、ミリオタ他が感じた絶望感を今一般ピープルが感じているのではないか(こういう言い方は好きではないが、とも書いていた)」という話を見た。そうなのかもしれない。

妻氏はロシア軍が民間人を虐殺していると知って「第二次世界大戦じゃん。現代の戦争でそんなことする軍隊があるの?」とドン引きしていた。

ロシアがシリアとチェチェンで何をやってきたかを知っている人がいれば、ロシアがウクライナでどういう戦い方をするか、開戦前からある程度察しがつくだろう。だから、ある程度知識があれば開戦時点でどんな悲惨な事態になるかというのは想像が付いていた人も多い、というのはまあそうかもしれない。

ただ、やはりミリオタも軍事評論家も専門家も人間であるから、ウクライナでは残虐な戦争犯罪は行わないか、シリアやチェチェンよりは小規模になるかもしれない、という根拠のない願望を持ってしまう。だれしもが戦争になったとしても人がなるべく死なないでほしいと思ってしまう。知識があればあるほど、悲惨さが分かっているのだから、なおそう思うだろう。人間の心をもって平和な国に暮らしていればね。

だから、シリアやチェチェンを知っていたとしても、改めてブチャで住民が何百人虐殺されたという話を聞けばショックを受けるのは当然だとも思う。後ろで手を縛られて後頭部から銃弾を受けた市民が居た、という話を聞いたり、街路に遺体がごろごろと転がって放置されている写真を見たり、そういうものを何度も見聞きしたから慣れてなんとも思わない、という人間はほとんど居ないだろう。


中国人は高圧洗浄機で犬を洗うのか…?

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一人でロードバイク乗ってる人の後ろをバイクで走行しており、前が赤信号だったので追い越さず減速してそのまま停車しようとしたところ、ロードバイクに乗ってる人が手を後ろでグー&パーを繰り返していた。こういうシーンは何度か見たことがある。

自分は知識があったので、これは止まりますよ、のハンドサインだと理解できる。が、公道を走ってるのだから道交法で定められた手信号を示すべきでは、と思う。

道交法では手信号が定められており、方向指示機などが壊れた場合は手信号で周りの車に自車の行動を知らせねばならないとされていて、これは免許取得時に習う内容のはずだ。

たとえ免許を持っていなかったとしても、私は小学校に警察官が来て行う自転車教習などでも習ったし、あとは忘れたがその他数度習う機会はあったと思う。

それすら無かったとしても、道路を走行しているのであれば道路交通法を理解しておくことは当然だと思う。

にもかかわらず、ぐぐってみると「ロードバイクのハンドサインは正解がない!」みたいに解説しているサイトが多々ある。ロードバイク乗りの間でのみ理解できればよいような、細かい「右に寄れ」「左に寄れ」「前にでろ」「障害物あり」などを知らせるサインは好きにすればいいと思う。しかし、一人で道路上を走行していてロードバイク乗り以外に自分の意図を知らせるならば、道交法で決められた手信号を使用すべきだ。これは私の独自見解ではなくて、道交法53条で示されている法律である。

もっとも、自転車にて手信号を行わなかったことによる指導や罰則の適用は私は全く聞いたことがないので、実質的には「やらなくてもいい」ことになっているのかもしれない。ただ、これで事故ったときには手信号を行わなかったことが重視されるケースもあると思われる(たぶん)ので、普段から道交法の手信号をやる癖は自己防衛のためにもやったほうが良いと思う。ちなみに私はやっている。

まあ、自転車に乗ること自体がほとんどなくなったが…


コロナが始まった当初に「私はITエンジニアなので自宅でも仕事ができる。大規模な感染によって仕事ができないと嘆く人がいるが、各種リスクヘッジをしてこず、どこでも働ける職種に就いて居なかった本人の責任だ」などと言っていた人がいて、定期的に思い出して腹が立つ。今でも探し出してぶん殴ってやりたいが、ぶん殴ると刑事事件になるのでこうしてブログで批判するに留める。

この人に関しては、発言した瞬間から「私の夫は光ファイバーを敷設・管理するエンジニアですが、そういう人たちが物理的に現地に行って手を動かしてるからあなたの仕事ができるのでは?」というツッコミが入り、その後も批判の大合唱だった。

世の中のほとんどの人はこうして常識的な考えを持っているのでバカが賢いふりをした言動を発したときに総叩きするという光景を見ることができてよいが(そのSNS上で袋叩きする行為自体が良いかどうかはひとまず置いといて、常識的な考えの人が一定数居るという事実が観測できて良かったという意味)、しかし、私は心が狭いのでバカ一人でも視界に入れたくないんだな。しかもくっそ根に持つのでこうして何年か経っても未だに思い出してムカついてくる。当時から怒りの大きさは全く変わらない。

この発言に対して私が批判を加えるならば、まず、たまたまITエンジニアが対面を伴わなくても良い職種であったから感染症に対して強かっただけであって、その「たまたま」をリスクヘッジとは言わないということだな。単なるラッキーである。これを本当にリスクヘッジと言うならば大規模な感染症が発生することを予測できていたということになるので、預言者として生きたほうがよろしいな。「いやいや、実際にITエンジニアはどこでも仕事できるのだから災害やパンデミックに対して耐性があり、それを事前に知っていたのであればリスクヘッジと言ってよいのでは?」と思った人はもうちょっとよく考えていただきたい。

ITエンジニアなんかはAWSやGitHubで大規模な障害が発生すれば頻繁に「仕事にならない〜」などと文句を言い出す。むしろ少数のサービス、インフラ、製品に集約化された仕事の仕方をしているので災害耐性は弱まってるという見方も可能だ。インターネット(やその他ネットワーク)そのものに関してもこれも電気ガス水道下水道道路鉄道と同じく物理的なインフラの一つであるので、それらに依存するような他の職種と比べて特段低リスクだとは思えない。大規模なインターネット障害はなかなか起きなくても、社内ネットワークや社内のITインフラが止まって仕事ができなくなるということは大抵の人が経験したことがあるはずだ。それらと、ガスや水道が止まって飲食店が営業できなくなったという状況にはそこまで違いがあるとは思えない。そういうことをひっくるめて考えると「ITエンジニアになることは(災害などの)リスクをヘッジしている」などとは私は安易には言えない。

っていうかそれよりなにより、他の業界・職種に敬意を払えないのがまず人間としてアウトだと思う。世界はIT業界だけで動いているのではなくして、1次産業から3次産業に至るまで、数多の人が現場にでて仕事をしている。ITエンジニアだろうと飯を食ってウンコをしてゴミを出し、調子が悪くなったら病院で診てもらうわけで、それらの生命維持にまず数多の人が関わってるんだよね。ツッコミが入ったようにITインフラを整えるために数多の人が現場にでて仕事をしているのも同様である。ITエンジニアはITエンジニアのみの功績によって仕事ができているわけではない。というか、比較的対面での仕事が少ないソフトウェア開発を行うエンジニアであっても、データ持ち出し禁止のクローズドな環境で仕事をしなければならない人もたくさんいるわけだし。

現代社会はそういう数多の人が現場に足を運んで手を動かしているというのをちょっとでも理解してれば、「リスクヘッジだよにゃあ〜」などというアホみたいな発言は出てこないと思うんだよね。

であるから、他の業界・職種に敬意を払わないといけないんだよ。繰り返しになるけど。わかる?敬意を払うのがマナーだからとか、社会人としての礼儀だからとか、そういうつまらない理由で敬意を払えって言ってんじゃないんだよ。すべての労働者(金銭的対価の発生しない家事育児介護、あるいは教育を受ける学生などを含む)は実際に偉いこと、褒められるべきこと、尊敬されるべきことをやってるから、敬意を払って当然だっつう話なんだよ。そういう気持ちが分かってれば、普通は自分以外の人間に対して自然と敬意が湧くもんなんだよ。それがわかんねーんだったらそれを紙に書いてトイレとか風呂の扉に貼り、毎日声に出して読み上げてからTwitterをやれっつうの、ボケが。椅子にふんぞり返って「リスクヘッジできてないやつがアホ」、とかTwitterに書いてるやつが一番非生産的で、かつ、他人を苛つかせて生産効率を下げる足の引っ張るクソ野郎なんだよ。