2022年01月26日の日記 Skeb始めた / 浮気の話

Skebを始めてみました。

https://skeb.jp/@yuuri_macoto

Skebはイラストのみだと思っていたらテキストも納品できるらしいので、テキストを中心にやってみようかなと思います。イラストでも良いですが、まあ、私の絵柄をご理解頂いた上でならば。

Skebを初めて使う人は利用規約をよく読んだ方が良いと思います。要約するとかなりクリエイターに有利になっていて、依頼する側にはあまり権利は無く交渉も出来ないようになっています。送信フォームにも重要事項はチェックボックスがあります。

作った作品に関してはSkebの利用規約の通り、私の方で利用させていただく事がありえます。つまり、依頼に基づき作成した成果物を公開したり販売したりということがありえます。まあ、販売はやらないと思うけど、やる可能性はゼロではないです。それでも良ければ何かあれば依頼してみてください。書ける(描ける)もので私が取り組む時間がその時にあれば、やってみます。

内容ですが、「私をめっちゃ褒めてください」とか「XXXについての話を書いてください」とか「XXXXなんですけどどうすればいいですか?」など何でも良いです。


我が家の女子陣が熱心に「男が浮気して修羅場になってめちゃくちゃになる」という昔からよくあるタイプのバラエティ番組を見ている。

それで妻氏が「パパはこういう番組見るの嫌?」と言われた。

嫌ではない…と思う。別にどうとも思わない。そういうこと(何処かで誰かが浮気する)があったんだなと思う。

が、こういうパターンの番組で絶対に女が悪いというケースは出てこないのでそこがフェアじゃないなと思う。浮気をするのは絶対に男が悪いとミスリードさせそうな気がする。例外的に女が悪いというケースで出てくるのは海外の事例で、一風変わった裁判を行ったとか、誰がどう見ても極端に女が悪いような度が過ぎたケースとかである。日本人のごく平均的な女性が浮気したとかいう内容はほとんど出てこない。これも人種差別的で嫌だなと思う。

ふと思い出したんだけど、昔から素人の行動をいじるタイプの番組ってあったよね。

例えばロンドンブーツがやっていた何とかという番組の「ブラックメール」企画が最悪だと記憶している。それはカップルの彼女の依頼で企画が始まり、彼氏側に「メル友になりましょう」とロンブーあつしが女性であると語って「ブラックメール」を送り浮気を誘発させようとする企画である。当時から思ってたけどこれ最悪だよね。

すでに浮気をしていて懲らしめるというパターンも、エンターテイメントにすべきではないと個人的には思っているが、ましてや現状何の罪もない男に対してブラックメールなるものを送り罪を誘発させようとする企画とかありえなくないすか?

現代ではこういう素人いじりやイジメに近い構図などの企画は悪しき慣習として見られなくなっているが、当時これをやっていたロンブーあつしはTwitterでも知識人ぶって偉そうな論旨ががしがし流れてくる(たいてい同意できない)ので早々にミュートしていた。どうしてもあの人は「素人いじりのイジメっ子」という視点で見てしまうので彼が何を言っていようと不快でしかない。ようするに嫌いなんだと思う。今もう一度見てみたら「大人の小学校校長」と自称し、フォロワーがなんと320万人もいた。

こういう数字を見るたびに私は鬱になっていくのだよな。それがTwitterを止めようと思った理由だった。今も見なけりゃよかったと後悔している。320万人!320万人があの人の言葉を有難がってうんうん頷きながらツイートやYouTubeコンテンツを見ているのだろうか。恐ろしい。本当に世の中は恐ろしい。

ああいう人の言が「フォロワー320万人!ろんぶーあつしのお言葉!」というフォロワー数と共に広まっていく。フォロワー数は権威の数だという論旨を随所で見るが、これは本当に恐ろしいことだと思う。

すべての発言は、それが議論であるときは人格と切り離されて判断されるべきだと思うが、フォロワー数で正しさが判定されてしまったらこんなに恐ろしいことはない。RT数、いいね数が多い発言が正しいと人間は錯覚してく。だから何らかの事件が起こった際に誤った人が犯人だと指摘され、沢山RT、いいねされているからという理由で誤認による被害が広まっていく。本当によくない。これを良くないと言う人は沢山いるが、その中でフォロワー数、RT数、いいね数に権威を全く感じない、という人は果たして何人いるだろうか。

一方で科学的に正しかったり論理的ではあるが、そう解釈するのが難解であったり、あるいは感情的に認めにくい事実は広まりにくい。人々の感情をうまくとらえて同意しやすい発言はたとえそれが不正確であっても広がりやすい。人々の心に受け入れられやすい言葉を放つことに特化した人間が価値のある人間だとみんな錯覚してしまう。だから本質を見誤る。これに対処するには、相手の人格やその他諸々の付随する数字を切り離して、喋っている内容そのものが妥当であるかどうかを自分の頭で都度判断しなくてはならない。

現代人は自分の頭で考えるのが苦手なのである。これははっきりと言える。デジタルネイティブ世代はGoogleで検索して出てきた結果が正解と思っているのだ、などと笑っているおっさんがいるが、そのおっさんもきっとSNSで数百万フォロワーが居るアカウントの言を無条件に、うんうん、そのとおりだにゃ~などと同意してしまっているかもしれない。YouTubeの陰謀論にハマってしまった実家の母親、みたいなツイートも定期的に見かけるが、それを拡散している人も実は大差ないのかもしれない。そう思う。

こうなるとSNSをやることによる害のほうが大きくなる。

フォロワー数やRT数、いいね数、あるいは発信しているアカウントが何であるかでその主張に何らかのバイアスをかけてみてしまうか?というのを考えてほしい。もし何らかのバイアスがかかってしまうなら、SNSはやめた方が良いと思う。私もバイアスがかかっているんだろうな、とは思った。自分でバイアスがかかっているかもしれないと思ったときにはもうすでにバイアスがかかっているのだと思う。自覚できるのはある程度それが進んでからだから。だからSNSは使い方を慎重に選んだ方が良いと思う。

私はTwitterに関しては専門家が 自身の専門領域について話している のを見る、他人の創作物を見る、自身の創作を発信する、この3点に使い方を限ろうと今は考えている。