スピリチュアルおばば or 老害じじい

こんな図を書いてみました。

人間、年を取ると丸くなるという話を見かけて、うう〜んそれはこういうことじゃござあせんか?とノリで書いてみた。

この図は何か?これは人間の論理的思考能力と人間の共感性の2つに着目して性格がどのように変遷し、どのように落ち着くかという分類を私が勝手に示したものである。左脳と右脳、どちらが優勢かに着目した分類、と言っても良いかもしれない。まあ私が勝手に決めたんだから右脳も左脳もクソもないんだけど。

「期」と書いてしまったが、これは状態を経由して進化していくものでは無いので、「期」という命名はまずかったなと思う。遷移した先の状態、という程度に考えてほしい。

幼少期

幼少期と書いたけれども特に幼少期に限らない。これが初期状態なんじゃないかと思う。

右も左も分からず、周囲のなんとなく正しそうな人、例えば保護者や大人、偉い人、目上の人、上司、怖い人、強い人、そういう人になんとなく追従して「この人が正しいからこの人について行こう」という思考回路を持つ人。これ、現代でも結構居るよね。某という偉い人、優れている人、有名な人がこう言っていたからこれは正しいんだ。と盲目的に信じてしまう人。自分の思考が一切介在しない。

自分の能力が不足しているときは他人の脳みそを借りた方が良い場合も確かにある。けれども、常にそういう発想で行動する人を結構見かける。「SNSの陰謀論にハマってしまった実家の母親」みたいな話をたまに耳にするが、それがこういう状態なんじゃないかと。他人の言っていることが正しいか否かをその人の地位、職業、肩書、SNSのフォロワー数とかでしか判断できないような人たち。

ひろゆき期

幼少期で右往左往しているうち、自分でも学習してある程度自分の中での知識を統合して組み立てて論理的帰結を自分で導き出せるような人がひろゆき期、に突入する。ひろゆきというのはあのひろゆきだ。この時期の人は自分の考えで導き出した論理的な帰結がそれが論理的な帰結であるからというもっぱらそれのみに依存して過剰な自信を構成する傾向がある。まるでひろゆきが「論破する」みたいに。

ITエンジニアの成長曲線として「全然わからん」→「完全にわかった」→「なんにもわからん」→「ちょっとできる」という自己評価を経ることがよくネタで言われるが、このちょっと物事を理解して「完全にわかった」ような気になっているのがこのあたりだ。20代〜30代くらいにこういう人が多い。

こういう人たちの一番の問題は先に書いたとおり自信過剰な点である。確かに論理的な帰結であるんだけれどもその論理を構成するための前提条件になっている自分が手にいれた情報が限定的であったり、時に誤情報であるということを考慮していない。ただ私が論理的に考えた結果だから間違ってない、と考え、論理的な帰結は常に正義であって、皆がそれに従うべきであり、それに従わないのは理解力がないからだという傲慢な考えに陥りがちである。

こういった人たちは特に社会や国家、会社組織や自分の上司に対しての不平不満を饒舌に述べる傾向がある。語彙が豊富で難しい語句を好んで使い、また、平易な文章よりもあえて難解な文章を好む。一方で自分自信への反省はあまりなく、言い訳も上手い。論理的展開が上手なために自分自信が上手くやれてないことに対する言い訳もどんどん上手くなる。こういう人たちが自分の駄目なところを見つけてそれを改善しようとすることは殆どない。ひたすら、保守的な上司が、古いやり方をする会社が、多様性を認めない国家が、悪いとうそぶく。自分が悪いとは一切言わない。悪いのは上司だ、会社だ、国家だ、社会だと語るのがすごく上手い。

そしてその批判は的を射ていることもあれば、盛大に外していることもある。勝手に信頼している事前情報や条件が正しいか間違っているかのみに依拠していることが多い。

あるいは、新しい概念を知っているという優位性のみで自分の正当性を主張するような人たちも多い。主にフェミニスト方面にこういう考えの人たちがいる。

話のわかる上司期

ひろゆき期を経つつ、世の中での「正しさ」を定義したり主張したりする難しさを身にしみて感じたり、論理的帰結による正義のみを論拠として人を従わせるのは非常に難しかったり、世の中にいろんな考えの人やいろんな立ち位置の人が居ることを理解し、そして自分自信経験し、積み重ねた経験によって相手の感情やバックグラウンドを想像して思わず共感してしまう人がこれに当たる。

相変わらず論理的に考える思考のクセはあるものの、それだけで正しさになるとか、あるいは「論破する」ということに大した価値が無いことはわかってないので、「ひろゆき」より大人になっている。

自分が導き出した正論や正義は主張するものの、それを無闇矢鱈に押し通そうとはせず、個々人が下した判断や考えをより重視するようになる。

また、時に論理的思考の優先度を下げて感情を優先して共感を駆使して人を動かしたり会話をしたり合意を形成しようとしたりする。

スピリチュアル期

他人への共感力が論理的正しさよりも常に優先するような状態。

相手に対する評価を「いっぱい働いているか」「頑張ってるか」「やる気があるか」「良いやつかどうか」「苦労してるかどうか」などによって推し量ろうとする。あいつは頑張ってるから失敗してももう一度チャンスをやろう、あいつは業績は上げているが楽して仕事しているから駄目だ、などという。

苦労した体験、辛かった体験、しんどかった体験などを特に好み、つらい経験に対して「辛かったね〜」と強い共感を示して関係性を深めていく。「絆」という言葉が大好き。こういった人たちは「いい人」「人格者」という印象を持たれる人もいる。一方で、真逆の「自分が嫌いな人をいじめる」的な人も出てくる。パートのおばちゃんのリーダー気質の人みたいな。

中には共感力、感情表現によって人間を動かすのが得意な人たちも居る。政治家や宗教指導者など。

人に雑務や仕事をお願いするのがうまい。低姿勢ですり寄って相手に「仕方ないなぁ…今回だけですよ」的な感情を想起させやすい。そのためにギブ&テイクも欠かさない。気前が良い。飲み会では威勢よく奢ってあげたりするタイプ。

こういう人たちの周囲に優秀な人材があつまると優れた指導者になり、同じような属性の人格者が集まると幸せな人生となるのかもしれない。

また、このグループには「人の言うことに従う」からここにジャンプしてくる人が一定数いる。自分に自信がなく、人生に絶望している。自分の人生は上手く行かないだろうという諦めの精神を持っていて、この苦痛しか無い人生を少しでも救われるものにするために、救いを求めて共感を求める人たち。同じような属性の人たちが集まって、ひたすらに辛かったことを共感し合う。ひろゆき期、話の分かる上司期を経由していないために自分の中で論理を組み立てるとか仮説を立てて検証するという経験をしていないので自信が欠如していて向上心があまり無い。

面倒くさい町内会会長期

ひろゆき期から人間の心や感情を学ぶことなく、自分の論理展開に絶対的な自信を持ちつつ狭い世界で長の立場を何度も演じてきた人がここに至る。

人の気持ちをまったく理解しない。自分の導き出した結論は完全に正しいと思い込む。当然、他人の話は聞く耳をもたない。常に自分が一番正しい。皆が自分の考えに合わせるべきだと考える。

こういう人たちで特に権力を持たなかった場合、面倒くさいおっさんになる。権力を持ってしまうと老害になる。

なんとか権力を与えないようにして「面倒くさいおっさん」に留めておきたいところだが、概してこういう人らは声がでかい(物理的にも言う頻度も組織内での発言力も)ので、権力が与えられてしまいがちである。

政治家の一部もこういうタイプの人なんだろうなぁと思われるフシの人がちらほらいる。

まとめ

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参考にならなかったという人には特に言うことはありません。明日からまたみんなで頑張りましょう。あ、年末か。頑張らなくてもいいか。餅食ったりカップ麺食べたりしながらのんびりやりましょう。