何故お前の人生はつまらないのか

タイトルは煽りです。釣られたお前が悪い。つまんねー人生送ってるからだ。こら。

私は昔から「人生が楽しそうだね」「趣味が沢山あっていいね」と言われることが多かったように思います。うーんそうかな、普通に欲が多いだけな気がするな…という気持ちなんですが、しかし周りの人を見ていると「人生がつまらない」「何もしたくない」「毎日職場と家との往復でつまらない」みたいな人たちがたまにいるんですね。一方で私は仕事がキツくてしんどいと思うことはあれど、人生がつまらないと思ったことは多分無く、むしろやりたいことがありすぎていつも時間がないので何か初めてはほったらかし、後になって再開するみたいな「積み趣味」みたいなものが常に沢山あって「やることがない」「暇過ぎる」と思うことは無いです。病院など待ち時間がある程度見込まれるイベントが発生したとしても、本とか読めば一瞬で時間が過ぎますし(待つのが嫌いではあるので待たないに越したことはないが)。

というわけでもしかして自分は人生の暇つぶしとか趣味を見つけるのが平均よりも得意なのではないか?と最近思うようになり、それで上から目線で煽ったタイトルをつければまたバズんねぇかな、まあバズっても何か良いことがあるわけでもないしバズらんでもいいけど。という安直な考えでこの記事を書いてみます。人生とかに悩んじゃうキッズたちは酔っぱらいの意見ですが読んでみてね。くっそ酔っぱらいながら書いてます。よろしくお願いしますわ。

全般的な思い

私が普段生活している中で、「そういう人生はつまらないのでは?」と思ったときや、「趣味がなくて人生がつまらないんだよねー」と言われて会話したときなどに思ったことを色々まとめてみたいと思います。

ざっくりと考えると、おそらく人生を楽しめない人はとても合理的な考えを普段からしてらっしゃるのかな、と思うことがあり、その辺りが関係してるんじゃないかなーと思っているので具体例を挙げて書きながら考えをまとめてみるね。考えながら書くので結局ボツになる可能性もありますが、この記事がこうしてあなたに読まれているということは私の試みが成功した後だと思います。私が去った後だと思います。いや去ってはないです。私はここにいます。

「何者かになりたい」

【質問#204】将来について迷走中という質問が来て以前回答しましたが、だいたいこの頃から考え続けています。考え続けているのでこの質問の回答はもしかしたら不完全なのかも知れません。

この質問は端折ってまとめると、

「ジョブズみたいにならなきゃ何か発明しなきゃ有名にならなきゃでもだるい寝たいしんどい」
今の私はこんな感じです。もはや現代病の一つではないでしょうか?

(中略)私は昔から続けてきたものなど一つもありません。中途半端に手を出して大した成果も出せず辞めてしまった物がほとんどです。今好きなことは少々、今後やってみたいことは山ほどありますが、恐らくこれもこれまで同様続かないのではないかとあまり自分に期待していません。
その今好きなことや、昔好きだったことをもっと深く掘り下げてみることも可能だとは思いますが、「こんなの極めて何になるのか?」「もっと高度なことしなきゃいけないんじゃないのか?」「今の俺はこれで満足するのか?」と、どこか冷めた目で見てしまう自分がいます。更には、自分が今好きだと感じていることも、「好きだと思い込ませていること」なのか、「本当に好きなこと」なのか判断ができなくなってしまいました。

(中略)最近では生涯の武器となる「何か」を探してお酒の本、技術の本、歴史の本、語学の本などを買い漁り、ああでもない、こうでもないと積み上げてしまう日々が続いています。まさに迷走していると感じる瞬間でした。

(中略)薄々感づいてはいましたが、恐らくもう私には今から頑張ってイチローやマーク・ザッカーバーグのようになることは無理なんでしょうね。昔から自分で問題を見つけて考えて解決してきた習慣のある人に敵うはずがないんです。それに彼らの成功は、私とは違ってすごい地位に登り詰めるために努力してきたのではなく、純粋な知識欲、楽しみの末の結果だと思います。何に興味があるかすらわからない私なんかただのゴミです。昔はこんな変な考えしていなかったはずなのに、どこで何を間違えたんでしょうね。

みたいな内容でして、それに対する私の回答はざっくり言えば「何者かになりたいってのは端的に言えばちやほやされたいってことだろ。そのための努力もしたくないなら諦めろ。あまえんな。ちゃんと適当にがんばれ」という内容でした。

でもね、ちやほやされたいって所は今考えると間違いでそう思ってないかも知らんな、と考えを改め始めたのです。本人に聞けば良いんだけど聞く方法が無いからね。

なぜそう思ったかと言うと、ちやほやされたいから「何者か」になりたいんじゃなくて、人生に意味を求めているから「何者か」になる必要性があったと考えているのでは?と推測したんです。ここが今回の記事で一番注目すべきところだな。意味。合理性。あるべき姿。そういったもの。

あのね、もうおっさんになってからこんな事を言うのも非常に恥ずかしいんですが、しかし我慢して言いますとね、いい?言っていい?言っていい?いい?いいすか?言いますよ?

人生に意味って無いんですよ。知ってた?

こういう言い方は下品で嫌いなんですが、しかし的確なので言うと、ほとんどすべての子供ってパパママがいっときの感情の高ぶりによって後先をあんまり考えず作られたんですよね。みんな結婚したら子供作るよね、みたいな感じでね。だから元々意味なんて無いんですよ。その中で特に意味が無かった子どもたちが社会の役割の中で たまたま 意味があるようなポストに居て意味のあるようなことをしているように 見えている だけなんですよね。

もうちょっと追記しますと、これはひどい話ではなくていい話ですよ。特にスポーツ選手の子供とかに多いですが、両親がこういう子供に育てたいとか具体的な目標を決めて子作りすると子供が不幸になる率は高まりますからね。プロ野球選手にしたいんだったら女の子が生まれたら残念だねって話になる。子供が生まれてきて男だから女だから残念だったね、ってこれかなり残酷な話ですわ。あとはこういう職業に就かせたいね、って望んで教育してたらその子供の人生の選択肢を狭めることになるよね。

子供が生まれた意味なんて無いし、あるなんて断言してるのはスピリチュアルなんとかで金を稼ぎたい人たちだけだし、 生まれた意味が無いほうが幸せなんですよ。 でもここは諸説あるだろうから私はあくまでもそう思うって話にとどめておいてな。わかったね?

あなたが生まれてきたことに特に理由は無いんですよ。言い換えると全ての人間の人生というのは波とか岩が転がってくみたいな感じですね。あなたの両親が出会ったあたりからそれは始まって、自然の摂理、具体的には殆ど電磁気学的な力によってドミノみたいにずーっと動的に人間が流れ続けてきたというだけなんですよ。そこに「いや、岩が転がっている、波が押し寄せているのはこういう意味があるはずだ」と意味を無理やり見出すのは、いやあ、私に言わせてみればそれはロマンチストですな。けっこうけっこう。よろしい。しかしロマンチストはそれを口説き文句に応用・昇華するなどくらいでしか使い勝手は無いよな。

だからジョブズやイーロン・マスクやビル・ゲイツが何か特殊な願掛けなどによって誕生した天才児だったかというとそんな事は無いんですわ。「何者か」とかいう表現がそもそも嫌いなんですが、しかし「何者か」であるひとを何らかの業界の有名人でちやほやされてる人と定義しますと、その「何者か」になれる人もごく一部で、しかも努力だけでなく運とかも必要なんですよね。だから例えばジョブズに入る魂がアフガンの子供に入ったら絶対iPadは出来てなかったですよ。人生は頑張りも関わってきますが確率論的に記述したほうが都合がよい現象も沢山あります。だからくじ引きに近いので諦めろといいたいんじゃなくて、つまりはやっぱり人生ってのは意味が無く、意味があるとしたらそれは後々重要なポスト、存在になった(つまり何者かになれた)人に対して結果的に言及できるという程度なんじゃないかな。

そんで、一人居なかったところで人間社会ってのはきっとあんまり変わりませんって。アインシュタインが相対性理論の論文を書かなくても後年誰かが書いてたでしょうし、もしかしたら生まれなかった何者かがアインシュタインよりも何十年も前にその論文を書いてたかも知れません。ジョブズが生まれなかったとしてもiPadや現代のスマホみたいなタッチデバイスはいつか別の人の手によって作られていたでしょう。だから、何者かになりたいとかいうしょうもないことを考えることにそもそも意味がない。

漫画「なるたる」に「命は代替がきくから命たりえるんだから」という言葉がありますが、いやー、これはいい言葉ですな。生命っていうのは種が存在して、種が群れることによって生かされている、だから命は代替可能でなければ命たりえない。一方で種でなく単体で強力なパウワーを持った「星の子」(作品中に登場する生命を持たない不思議な生き物。強い)はその意味で命を宿しては居ない、そう私は解釈しています。そしてこれは一つの命が尊く、それが失われるのを悲しむことと矛盾しないんだよな。なぜか?それは各々考えてくれ。思いを説明するのが面倒くさい。

でさ、人生がつまらない、何者かにならなければならないって人は意味があるとおもってる。意味があるから普通に生きてれば何者かになってるはずだ、自分を端的に記述できる著名人になってるはずだ、あるいはそうなりたい、と思うんじゃないかな。いやー、それはどうっかなー、スピリチュアルに片足突っ込んでるかなーと思うんだよね。

特に人間社会ってのはシステムだよ。全ての人間が歯車なんだ。まずそこを認めなければいつまでも「私は特別」みたいな呪いにかかってしまうと思うね。ジョブズも日本の歴代総理大臣もイーロン・マスクもホリエモンもひろゆきも歯車なんだよ。壊れた歯車は代替可能なんだから、代替可能な命は歯車なんだよ。歯車の中でどっちがデカイとか比べたってしゃーねーじゃん。別にデカくて金ピカの歯車の方が、俺はそれでもそっちのほうが良いんだ、って言うならそりゃその人の勝手ですが、その専ら個人の気持ちで自分自身が傷ついてるのは一体どういうことなんだと思う。牙が伸びすぎて頭に刺さって死ぬタイプのイノシシだよそれ。

それより私が思うのは、歯車が噛み合って人間社会という強力なシステムをドライブしている、この凄さを認めろ。僕らはみんな生きている!みんな違ってみんないい!すごい!素晴らしい!なぜこれが分からない?

それを理解して自分の両手両足の届く範囲で出来ることから始める、これが出来るようになってからが本当の人生のスタートとも言えるね。

まず、人生はスタートしないと面白くない。そういうことだね。だからみんな頑張ってね。出来ることから始めれば人生は楽しくなる、と、思う。

合理的に考えるな、頑張るな

人生を楽しんでる人は必ず趣味を持ってます。趣味を持つことが人生の楽しみにつながりますな。たまに、仕事が趣味とかいう変態の方もいらっしゃいますが、それは特殊性癖なので本論では扱わないものとする。

で、趣味とはなんぞや?

趣味

1 仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。「趣味は読書です」「趣味と実益を兼ねる」「多趣味」
2 どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方。好みの傾向。「趣味の悪い飾り付け」「少女趣味」
3 物事のもっている味わい。おもむき。情趣。
「さびた眺望 (ながめ) で、また一種の―が有る」
from デジタル大辞泉(小学館)

らしいです。

定義のとおり、仕事や職業とは関係なく、もっぱら個人が楽しみとしている事柄なわけです。仕事や職業とは関係ないのです。つまり、普通は趣味は金を産まないのです。「趣味と実益を兼ねる」という言葉があることからも分かりますね。趣味というのは本来は実益(金銭を得る、社会のためになること)を伴わない活動です。そして私に言わせれば実益がでてそれがある程度目当てになった段階で、それは仕事であってもはや趣味ではないと思ってます。

趣味というのは特に理由がないけれども私はそれが好きだ、それをやっていると楽しい。そういうものだと思う。

大事なのは、そこに合理性は無いってことなんだよね。

仕事じゃねえんだよな。趣味って。本気で遊ぶのが趣味ですよ。遊びじゃねえけど遊びなんだよ。本気で遊べよ。分かってんのか。

どういうことかと言うと。

バイクが趣味ですって言うと「でもバイクって危険ですよね」とか言われる時があるんですよね。キャンプが趣味って言うと「でもテント立てるのって大変ですよね」とか言われる。料理が趣味って言うと「でも自炊なんて私はやったことないんですよね」と。絵を描くのが趣味って言うと「私は絵心無いんで」。とか。それをしゃべった同じ口で「趣味がいっぱいある人がうらやましいですよ」とか言ってくる時があるんだよね。お客様、大変恐れ入りますが馬鹿の方でいらっしゃいますか?サインお願いしてもよろしいですか?って言いたくなっちゃうよね。

バイクって危険ですよね、そんなんわかって乗ってるっちゅーねん。アホか?キケンに大して得られるメリット、爽快感、満足感、利便性、そうっいったものを天秤にかけてリスクよりもリターンのほうが多いから乗ってるんだよな。もうちょっと雑に言えばバイクって危険とかいう理性的な考えをある程度捨てて馬鹿になって「楽しいいいいいいい!!!」ってなれるから楽しいんであって、「危険です」とか要る?楽しみに合理性って必要?って思うんですわ。

そんな事言うんだったら酒だって体に悪いから飲むなやって話になるでしょ。ゲームだってやってる時間は無意味で金にならないから無駄だって話になるでしょ。結婚だって金がかかるから無駄だし一人で我慢してたほうが金がかからず合理的だし、車だっていらんでしょ、バス電車使えば。旅行だって無駄ですわ。何にも物や資産として残らない。そういう考えを突き詰めて行けば、「今なら墓が半額!!今すぐ死ね!!!」って事になりますよ。生きていくのはコストがかかる、ならば今すぐ死ぬのが楽!!!超合理的!!!ってなりますよ。

要するに合理性ってのは非常につまらん概念なのであって、そのつまらない概念を捨てるのが趣味、そういうことだね。趣味と実益は別なんですよ。分かるね。

同様にして、絵描けるようになりたいけど練習するのがしんどい…。ついついサボっちゃう…とか言う人よく見かけるんですよね。これもまあ色んな意見はあるだろうけど個人的には意味が分からん。お前プロなんか?イラストでメシ食ってくんならそりゃサボんな、練習せいやって感じだけど、趣味なんだから飽きたら止めりゃあ良いんだよな。飽きて一回止めて、またやりたくなったらやるんだよ。趣味なんだからそこでやらなければならないとかいう無駄な義務感を背負ってなんになるんだ。

あとキャンプでテント立てるのって大変ですよねとかいうのもそんな感じかなーって。初めてやれば誰でも大変ですわ。でも慣れれば出来るようになるし、その練習の過程だって楽しいし、仲間と一緒に集まって、あれれ、なんかこの棒一本余っちゃったよー、わかんねぇな、ガハハと酒を飲むのが楽しいんじゃないか。

ちょっと話は逸れるけど、こないだキャンプで人と違うギアを求める人が多いので中古キャンプ用品が値上がり中とかいうニュースも見たんですよね。これもあほちゃう?と思った。ブームに乗っかってる時点で大多数の一般ピープルなんだからそこで個性を見出すな、と思う。すき家に入って席に着いてから「俺はオタクではないのでチー牛は食わないぞ」とか言ってるようなもん。すき家に入った時点で大差ないっちゅーねんと思う。なーにが人と異なるキャンプギア、だ。既成品で大量生産の工業製品の組み合わせでパーソナリティを表現できるとは、安っぽい人間やなって思いますわ。

そういう、難しいとか無駄だとか他人がどうとかいう感情ばかりが先に来てしまって、とりあえずやってみるかーの考えでスタートできない、これもある種、「何者にもなれない」につながるような気がするんだよな。全ての道はローマに通づるみたいな感じで全ての趣味は極めてその分野でプロ級のアマチュアにならんとダメなのか?その道の伝道師にならないとダメなんか?全ての趣味は「何者か」になるための候補なのか?そういう人生ってめちゃくちゃしんどくない?趣味なんだから楽しいところだけつまみ食いして楽しめば良いんだよ。そのつまみ食いの横の広がりが人生を豊かにしていく、そう思うね。

以上です。ご査収下さい。