漫画やアニメの模写をして学ぶ(その1)

独自研究です。私は絵を誰かに習ったことは無いのでお話(雑談)として捉えて頂ければ。個人的なメモみたいなもんです。

模写に学ぶ

ふと、自分がアニメや漫画などの作品の模写をしてこなかったことを思い出してやろうと思った。
私が描く絵は元々漫画的であって、目指すところもリアルさの追求ではなくイラストとしてのデフォルメされた魅力である。だから漫画やアニメの絵が嫌いということは全然ない。

じゃあなんでやってこなかったのかというと、一番絵を描いていたと思われる高校〜大学1年生くらいまでの間は描いた絵をインターネットに公開するということを好んで行っていたため(いまもそうだが)。

個人的に描くのと、それをインターネットに公開するのとでは著作権法的に扱いが全然異なってくる。私は意外とこれでも真面目なので、著作権法はなるべく守ろう、リスクは回避しようという立場だったし、今もそうだ。

著作権法的には模写は著作物の複製にあたる。つまり、著作権法上は漫画そのものをスキャンした画像をインターネット上に公開するのと違いがない。ただ、著作権法違反は今の所は親告罪であること、またインターネット上の文化の寛容さ(特に二次創作物の扱い)を見るに、特別模写をアップロードすることが重罪になるとは私は思ってないために、「作者に敬意を払って行動し、怒られたら止めて罰を受ける」という程度までスタンスを変えることにした。
ちなみに模写であろうと二次創作物であろうと、どちらも複製権、翻案権、同一性保持権のいずれをも厳密には侵害していると私は解釈している。例えばTwitterでよく見るコラも全て違法であると考えている。

なお、本記事においても模写を複数掲載するが、これは記事を書く上での必要最小限の引用であるために、これについては問題ないと考えている。

まあそういう固いことをずっと思っていたがために、他人が二次創作活動をしていることに「それは駄目ですよ」なんて寒いことを言うのは決してやらないが、自分はまあリスク回避のために守っておこうという気持ちがあり、それの延長で模写するのもためらっていたという話でした。以上。

以降、本題。

全景

こんな感じで色々描いてみた。

鬼滅の刃(アニメ)

これは子供に買ってあげたパズルの絵柄。漫画の絵とはやはりだいぶ違うと思う。漫画の方の絵はあまり見たこと無いが、もっと線が荒々しく、力強さを感じるように思う。また、本屋などに行って鬼滅の刃のノベライズ本の表紙などを見比べてみても、やはりそれぞれ絵が異なる。こういった商品の絵を誰が描いているのかと言えば、おそらくはアニメーターか、その周辺の人ではないかなと思う。アニメの絵によく似ているので。アニメ制作会社がこういったグッズの絵を描くのを受注してるのかどうかは良くわからない。どうなってんだろう。

鬼滅の刃のアニメ(映画)は一人で作っているのではなくして、複数のアニメーターが作っているので、当然絵柄が若干異なっていくのは当然だろうと思う。原作の漫画の作者、そしてそれぞれのアニメーターの「手癖」というのだろうか、やはり完全に同じ絵にはならない。それでも我々が普段、これは某というキャラクターだと解釈が可能であるのは、やはりキャラクターごとのわかりやすい特徴があってのことだと思う。デフォルメとは実物(人間の個体、モデルは居たり居なかったりする)をそれと解釈できる構造を保ったままに描写を単純化したものであると認識しているが、「キャラクター」にするためにはそこからわかりやすい特徴を協調したり追加したりする必要がある。アイコン化と言っても良いかもしれない。

このキャラクター化が非常に上手い漫画としては、「ゴールデンカムイ」などが挙げられると思う。これもいつか模写で描いてみたいとは思っている。鬼滅の刃ももちろんキャラクター化が上手い漫画だと思う。「鬼滅の刃」でのキャラクターを決定づけるわかりやすいアイコンは、第一にはまず着ている服だろう。アニメが流行っているのでどうしても色の付いた姿を想像してしまうが、今回のようにグレースケール化してもそれぞれのキャラクターの着ている服の柄ははっきりと区別が付く。よくデザインが練られていると思う。

デフォルメという点においても非常に卓越した技法が隠れているように思う。以前から思っているのだが、アニメーターの方々は、どんなアニメを見ても「三次元区間の物体を、三次元の情報を落とさずに二次元平面に射影する能力」がとても秀でているように感じる。

例えばこの絵においても、三人の目線の方向(伊之助は視線が分からないから除外)が良い例だ。

実際、模写をする上でもこの目線を一致させることに非常に苦労した。下手するとほんの数ピクセル、線が太かったり細かったり位置が変わったりすると、とたんにキャラクターがどこを見ているのかがわからなくなる。この絵ではキャラクターの体は真正面を向いていて、顔だけが右を向いている構図になっている。こういう構図において、本来三次元の形状の頭に球体の目が埋め込まれていて、その目に黒目の部分がすこし張り出していて、目の部分に裂けた穴があってそこに眼球が収まっているというのを正確にイメージできてないと、二次元平面に投射したときに正確に目の位置、黒目の位置を描けないと思うんだな。正確に描けないとどうなるか?先程描いたようにどこを見ているかわからなくなる。というか、私の模写でも若干怪しいところはあるが。

あと、顔の傾きについても同様のことが言える。画面垂直方向をz、画面水平方向をx、奥行き方向をyとすると、たんじろうはz軸まわりに顔を右方向に回転させているだけではなく、y軸方向にもだいぶ顔を傾けており、さらにx軸についても頭頂部を後ろの方向に若干回転させているように見える。その他のキャラクターについては省略するが、それぞれ単にz方向に回転させただけではないというのがよく見ると分かるはずだ。なぜこのようになっているかというと、実際にキャラクターと同じポーズを取って見れば分かるが、体を正面に向けたまま首だけ正確に右を向くのがキツイからである。キツイ体勢は(場合によっては)違和感につながる。

なぜキツイのかと言えば、人間の筋肉や骨格、腱などの構造物がそうなっているから、だと思うが、それを直感的に、あるいは経験的に理解していないとやっぱりこうは描けないと思うんだな。まあ、もしくはパズルに使うような一枚絵なので、モデルを使って写真を撮ってるのかもしれない。

というあたりが、「三次元区間の物体を、三次元の情報を落とさずに二次元平面に射影する能力」だと思う。私だったら何も考えず、z軸方向に頭が回転している絵になってしまうと思う。

あとは、顔の回転に関して言えば、たんじろうの鼻先が微妙に右目の端を覆い隠しているというあたりも「三次元の情報量」として残っている部分であり、非常に芸が細かいというか。

あとは手もすごいなと思った。

あまりに正確に書き込むと、そこだけリアルになってしまって全体のバランスとしてはおかしくなるが(後述する)、アニメーターの?描く絵は全体が正確にかつ詳細に、整合性を保ってデフォルメされているように感じる。この手に関しても私は上手く模写出来なかったけど本来の絵は非常に正確かつ緻密に描かれている。

屍鬼

小野不由美原作の小説を藤崎竜が漫画家したもの。

藤崎竜の絵は昔から大好きだった。非常に特徴的なデフォルメ、尖ったキャラクター。登場人物の多い本作においてもたくさんの個性的なキャラクターが紙面いっぱいに飛んだり跳ねたりする。

一番好きな絵は「封神演義」であったが、最近はかなり絵も変わってきたように感じる。恐らく、線画からフルデジタルに移行したのではないだろうか?どちらが良いかという話ではないと思うが、ともかく絵柄は以前とは変わっているような気がする。「屍鬼」の絵においては、特にベタ塗りの面積が大きくなっている。そのベタ塗りは単に陰影を描くというのみに限らず、絵の中で詳細を描く部分と、詳細を省略する部分とを明確に示してメリハリを付けるとともに、読者の目線を制御しているように感じる。その目線の誘導までこだわってこそ、このテンポが良くてキャラクターが跳ね回る感じ、が演出できるのではないだろうか。

時折特徴的なポーズも見られる。ジャージを着て走ってる絵がそれで、このシーンは敵がやってきたことを察知した少女(錯乱中)が廊下をなるべく音を立てず、それでいてなるべく早く移動しているというシーンであるが、その感情がポーズによって補強されている。実際の人間を考えたら、こんな姿勢で走ることができるとは思えない。それにもかかわらず、(私の説明が稚拙なので本当は一回読んでほしいのだが)このシーンでは先に述べたように感情をポーズが補強していて、それが正しいと感じる。少なくとも違和感は全く生じない。

上掲の「鬼滅の刃」ではポーズが正確であることが素晴らしいと書いたが、ポーズが人体の構造から考えても正確に表現されていることが常に正しいというわけでもないということがよく分かる。というか、その「正しさ」を決めるのが非常に難しい。突き詰めるとその作品の中での「正しさ」とは、その作品全体で示したい世界観そのものであると思うからだ。

恋のはじまり

蒼井まもる。内容は全然知らないが、大量に少女漫画を保有する嫁さんのコレクションから目に付いたものを模写した。

私は少女漫画はほとんど読まない。創作物の物語には大きく分けて2パターンあると思っていて、一つは人間関係がまずありきで、そこに付随して事件が発生するというパターン。もう一つはまず事件がありきで、それに登場人物が関与したり振り回されたりするというパターン。これは単に好みの問題であるが、私は後者のほうが好きだ。だが、少女漫画の多くは題材が恋愛であることもあってか、前者のパターンが多い。私は人間関係における微妙な感情の揺れ動きみたいなものにあまり感情移入できないので。そういうわけで最後まで読んだ少女漫画としては、「のだめカンタービレ」以外には無いと思う。「のだめカンタービレ」は、吹奏楽や楽器、音大の実情みたいな、自分とは全く異分野の知識がたくさんあったから特別だったのかもしれない。まあそれはどうでもいいや。

少女漫画の絵は今回模写したもの以外にも、色々見て多少は研究したような気持ちになっている。男性向けの漫画と大きく違うところとしては、よく目が大きいとかキラキラしてることなどが挙げられるが、それ以外にも色々特徴的に感じる部分は多い。

わかりやすいところでは、男性向けの漫画では高確率で巨乳のキャラクターが登場するが少女漫画では出てこない。「巨乳をコンプレックスに感じてるパターン」もしくは「主人公の太ってる友達」以外ではほとんど出てこないんじゃないかな…(by 妻氏)とのことらしい。何故か?まーお察し下さい。

あとは髪型のバリエーションが多く、かつ現実にそれがアレンジ可能な髪型であるものがほとんどな気がする。男性向けの漫画では、女性キャラクターの髪は正直どれも似通っている。髪の長さやハネ具合、色(ベタ塗り、白、トーンの三種類くらい)でキャラクターを表現していることが多いように感じる。少女漫画(というか女性向けの漫画?)ではそれぞれのキャラクターの髪型や服装がアレンジされて変わっていたりことはごく一般的であるが、男性向けの漫画では変化に乏しい。

この辺は女性が作者で読者も女性を想定しているという点から生まれていると思われる。私はどちらかというと、キャラクターの髪や服装が変化に富んでいるほうが見ていて楽しいし新鮮な気づきもあって良いとは思うのだが、しかし描く方の負担は大きい。作者の集中力や労力は無限ではないので、どこにこだわりどこを切り落とすか、という戦略の違いとも言えるかも知れない。

少女漫画(と便宜上いうことにした)では、注力しているのは顔、髪型の二つが非常に大きい。服装などは「何を着ているか」というバリエーションには富むが、描写自体はそこまで込み入ったものが無いように感じる。例えば服のシワや影などのディテール。ただ、それらが省略されていたとしても、顔と髪の二つはやっぱり読者が一番見るところであって、かつそこに一番注力されているのでその他の描写が簡素でもそこまで気にならないし、かつ、その他も「テキトー」に書いている訳ではないので自然には見える。あくまでも比較するとそういう違いがある、というだけの話だ。

この絵に関しては、実は手については完全に模写ではなくて多少独自の修正を入れてある。特にフラペチーノ的な何かを持っている右手の方だが、これは最初元の絵を見た時にあまり正確ではないのでは?とおこがましくも思い、多少修正したのだが、しかし出来上がったものを見ると手だけがリアルというかゴツい感じがして全体とのバランスがあってないように感じる。やっぱり、人体として正確だから良いとか、三次元の情報が正しく射影されているとか、デフォルメされてるのが良いとかいう話ではなくて、全体としての調和(正しさ)が取れているかどうかという話が大事なんだなと思う。

おジャ魔女どれみ

子どもたちに描いてと言われて描いてみた。相当にデフォルメされた絵である。デフォルメされている具合はクレヨンしんちゃんみたいな感じだろうか。

片方は下書きで恐縮だけど…。

でも記事を書いてる途中に出来上がったので完成したのも載せる。

これを見てまず明らかに分かるのは、フルカラーのアニメで放映することに則した絵であるなということ。極端にデフォルメされてるので、線分をそれぞれあるべき位置に収めたらそれっぽく見えるのだろうなと思いきや、色をグレースケールにしてしまうとキャラクターそのものの個性が失われてしまったように思う。これは実際に各キャラクターの「色」が決まっている(例えばプリキュアみたいな)ので当然と言えば当然だが。でも一方で、鬼滅の刃に関しても今回は漫画ではなくてアニメ版に基づく絵を模写してグレースケールにしたわけだが、こちらはそこまで違和感があるわけではない。

これはもうキャラクターのデザインを決定する時に、色もセットで決めたからという理由なのだろう(当然のことではあるが)。逆に言うと、例えばモノクロやグレースケールの絵に慣れてしまった漫画が巻頭カラーになると、キャラクターの印象が普段とは大きく変わったりする。これはもちろん、「想像してた色と違った」ということもあるだろうが、そもそも絵の表現がモノクロ向きになっているからという理由もあるんじゃないだろうかとも思った。

キャラクターの造形の特徴としては、子供っぽい顔、細くて華奢な手足になるだろうか。そこにドレス?や手袋?や靴が協調して大きく描かれていて、魔法使い(見習い?)ですよ、というアイコンにもなっている。

「子供っぽい顔」に関しては、目の位置がだいぶ下の方にあり、おでこも広め、耳もだいぶ下の方にある。こういう特徴はすべて、「頭でっかち」という印象につながる。頭でっかちなのは幼児、赤ちゃんなので、無意識的に頭でっかちだと幼いような印象となる(…はず)。ただ、幼いながらも「幼児」ではなく、小学生〜中学生くらいに見えるようにするために、手足を相応に長くとっている。概ね3頭身であるが、これは「体が小さい」のではなくて「頭がデカイ」という方向でのデフォルメになっている。頭を隠すと、手足や体の比率は概ね小学〜中学生くらいの体に見える。これが、体の比率まで頭と同じくデフォルメされてしまっていたら、いわゆる「ちびキャラ」のような印象になっていると思う。

そう考えると、手袋や靴が極端に大きく描かれているのは単にキャラクターを特徴づける要素であるからという理由だけでなくて、頭の大きさとの整合性を保ちつつ、小中学生という年齢設定を表現するために必要であったからという気もする。

キャラクターを特徴づけるのは前述したようにまずは色がありきだと思われるが、その他にも顔の表情や髪型、メガネなどの小物などをも利用している。特に印象に残ったのは目の描き方だろうか。特に目に反射する光というのは想像以上にそのキャラクターと表情を語る。本来、目に反射する光というのは光源の位置と形と強さ、眼球の反射率、表面の曲率に依存する物理現象で感情とは関係ないようにも思えるんだが、そうでもないんだよな。

例えば目がキラキラしていて反射している部分の面積が大きいとどちらかと活発な印象となり、反射している面積が小さいと、どちらかというと落ち着いていたり休んでいたりするシーンにふさわしい。これは目の見開き方と関係していると思われている。活発に活動している時の人間の目は見開いているので光を反射する面積も大きくなり、目の中の光源の映り込みも結果的に大きくなる。落ち着いている時、休んでいる時、眠い時などは目が細くなりうつむき加減になるので、光の映り込みも小さくなる。その経験的な情報はアニメや漫画のデフォルメされた絵でも適用されていると思う。

いわゆる「ジト目」みたいな目にほとんど光源が反射していないような目の描写は、現実世界ではややうつむいたり目を細めたりして(つまり訝しんだり、暗い感情のとき)見つめる状態に相当するから、その経験情報が生きて「ジト目」から人間は感情を類推できるのだと思う。もちろん、漫画のお約束的に「ジト目」の感情が数多の漫画で語られているという影響もあるだろうが、現実世界の経験も脳の中では参照されているはずだと個人的には考えている。

話をおジャ魔女どれみに戻すと、それぞれのキャラクターの目の中の光源の映り込みはそれぞれシーンによらずほぼ固定のように見える。これは上記の議論も踏まえると、目の中の光源の映り込みによってキャラクターそれぞれの感情を表そうとした結果なのだろうとも思う。

総員玉砕せよ!

水木しげる。これも極端なデフォルメの形。

現代ではいわゆる判子絵と呼ばれる絵柄であって、パターン化された角度、大きさ、ポーズのシーンが並ぶ。これはもっぱら効率化のためであって、水木しげる初め、歴代の漫画家の画力が現代の漫画家に劣るというわけでは決して無い。「総員玉砕せよ!」でも一枚絵で相当に気合の入っている絵が何枚かあり、それらといわゆる判子絵のコマとの差が非常に大きい。

漫画家の仕事については素人なのでさっぱり分からないのだけど、アシスタントをつけて分業化が進んだのはやはり近年(と言っても恐らく80年代?)以降のことなんじゃないだろうか。あとは3Dモデルなりデジタル化なりでトレース(写真の2値化等含む)や3Dモデルを使用した省力化が進んだということもあるだろう。

つづく。かもしれない。