【質問#154】 吃音についての相談です

質問・悩み相談の回答です。

質問

一般の方に相談しても困ってしまわれると思ったのですが、ほかの質問者への回答を見て少し聞いてほしい気持ちになりました。
私は吃音です。
人と関わり話すことが好きです。
でも時々声が出なくなります。
わりと明るい方で容姿もそこそこだと思っています。
性格は決して良くも悪くもありません。
大切な親友が2人。深く付き合うのは苦手ですが人との付き合いもわりとうまくこなせます。
このことが原因でいじめられたことなどはありません。
私が話せなくなる時にはかなり波があって、調子がいい時は言葉に気を付けさえいればわりと普通です。しかしいつ症状が重くなり、どの期間続くかわかりません。
ゆえに悩まされます。受け入れと拒否の繰り返しです。
何度も恥ずかしい思いをしてきました。
その度、自分への自信が削られていくような感覚です。
15年それでも対処法を考え、乗り越えてきました。
打ち勝とうと人前に立つことを頑張ってもきました。
時々逃げてしまいますが、、泣
カミングアウトを数人の友人にしたこともありましたが、それはそれでまた話づらくなってしまいます。
私はただ、言葉を変えず、
自分の思うままの言葉を使って楽しく話したいのです。
できません。声が出なくなってしまう。
恐怖がいつもちらつきます。
それでも私です。
分かっています。
こうやって今回も乗り越えていくのかもしれません。
恥ずかしい思いをしたくない。人と違うように思われたくない。そのプライドを捨ててしまえばもっと自身を愛することができるでしょうか。

回答

恥ずかしい思いをしたくない。人と違うように思われたくない。そのプライドを捨ててしまえばもっと自身を愛することができるでしょうか。

じっくり考えましたがわかりませんでした。多分、世界中の誰に聞いても明確な答えは得られないでしょう。

プライドを捨てるというのは、具体的には「吃音の状態を抑えようとせず、相手に受け入れてもらうことを期待する、あるいは、一切気にしないようにする」ということになるかと思いますが、それはやってみないと分かりません。人生は数多の要素が絡み、ある人にとっての正解が万人にとって成功するパターンとは限りません。それをば、「こういう方法をとれば必ず成功しますよ」などと断言するのはたいてい詐欺です。

わかりませんが、質問者様の気が楽になる、あるいは、何か参考になる話を試みてみます。もしくは、単に私の勝手な感想かもしれません。

吃音と聞いて思い出す人が二人います。

一人は小学生の頃の友達、Tくんでした。そのTくんは吃音で、子供の頃からよく馬鹿にされてました。結構酷い吃音だったと思います。繰り返し同じ言葉を発するタイプ(連発)でした。私は彼が大嫌いでした。小学2年生のころ、Tくんの母親が胃癌で死にました。私も何度か御見舞に行ったのをうっすらと覚えています。Tくんはその辺りから私をいじめ続けました。うちの母親は「Tくんは母親が居なくなったから、母親が居るお前のことを羨ましいんだろう。でも可哀想だから我慢してあげなさい」という主旨の事を言ってました。先生に訴えても何も動いてくれませんでした。何度か本ブログにも書いてますが、そのいじめは専ら暴力によって解決しました。

大人になってからはTくんは過去に自分がしてきたことを無かったかのように振る舞います。地元でたまたま会うと、もういい大人になった、みたいなで喋りかけてきました。私はTくんの事は将来に渡って未来永劫嫌いでしょう。幼いときに母親を失ったとか可哀想とは思いますが、それ以上にTくんが私にしたことは大人になった今でも許すことはできません。

ただ、Tくんのことを語る時は上記に示した通り、吃音であったという事は殆ど印象に残ってません。

もう一人思い出すのは新卒で入った会社に在籍していた派遣社員の方で、Yさんという方でした。Yさんも連発タイプの吃音が非常にひどく、人生を通じてあそこまで重度な例は見たことが無かったです。一つの文章を詰まること無く話せることは10回に1回くらいで、焦ると一つの単語を発音するまでに20秒くらい同じ言葉を発してしまうこともありました。そんな時Yさんは自分の頬を叩くのが癖でした。

Yさんは他にも色々と強烈なエピソード等々があります。気持ち悪いと真っ青な顔をしてトイレに着いてきて欲しいと言い、ついて行くと「見ていて」と一言いい、血を1Lくらい吐いてそのまま病院送りになったこともありました。「見ていて」とは何だったのか、私に何をしてほしかったのか未だに謎です。確か50代くらいだったと思いますが、外見はおじいちゃんといった感じで、白髪にシワの多い顔でした。職種はプログラマでしたが、家にパソコンは無く、インターネットもプライベートでは一切使わないと言ってました。

仕事の方は素晴らしかったです。原子力関係のシステムを作っていましたが、誰も知らないような細かい仕様を正確に暗記していましたし、ソースコードを見ると重要なプログラムには必ずYさんの氏名が記されており、その日付は10年以上前でした。Yさんが間違った事を言ったのも記憶に無いです。Yさんの口癖は「俺は新しい技術は知らない、昔ながらの職人みたいな人間だから」などと言っていましたが、実際にYさんの書いたコードを見ると業界標準の新しい技術を古い技術で再発明したかのようなコードになっており、それは高名なコンピュータサイエンスの科学者が提唱した理論と全く同じものをYさんは自分で導き出していたのでした。

私がYさんを思い出す時は、いつものあの白髪の笑顔と共に、Yさんが書いた丁寧で手が込んでいるソースコードが思い浮かびます。2番めに吐血したエピソードを思い出します。吃音も印象深かったものの、それがYさんにとっては当たり前だとすら私は思います。吃音の印象は強いですがそれはネガティブなものではないですし、また、第一にYさんを語る属性として登場するものでもないです。

あと、ちなみに、私は色弱です。特定の色の見分けが本当に苦手で、赤と茶色などはあまり区別が付きません。それを人に話す度、「これ何色?」クイズが始まって不快な思いをしてきました。学生時代には美術の時間に人間の肌をエメラルドグリーンに塗ってしまい馬鹿にされたこともありました。しかし、なぜだか私の趣味は絵を描いたり(ここらへん)写真を撮ったりすることに定着してしまいました。変な話ですが、私は自分が描いた絵の色や私が撮った写真の色、そしてその色調を調整するのが大好きで、他の人間には真似出来ない価値ある特性と真面目に信じています。

将来、何度失敗しようとも、誰から馬鹿にされようとも、この二つの趣味は死ぬまで続けると思います。

…以上の話で何が言いたいのか?私にもよくわかりませんが、なんとなく自分で書いていて思うことがあります。

まず、その人のことを語るときに、吃音などの障害は意外と印象に残らないということです。上に挙げたエピソードの他にも、指が4本しかないとか、肘から先が動かないとか、そういう知り合いを何人か見てきましたが、今思い出しても「そう言えばそうだったな」というくらいで障害そのものに対する印象は非常に薄いです。これが、2,3回しか会っていないという浅い関係ならば目に付きやすい障害その他が印象に強く残るのかもしれませんが、長く付き合っていればそれ以外の人格その他の方がより印象に残るようになるのでしょう。

そしてその度合いは、何か目に付きやすい特性があり、それが特徴的であるほど人々はそれに着目するので、障害で人を語ることはますますしなくなるのだろうと思います。

極端な例がキアヌ・リーブスやトム・クルーズですね。彼らは失読症だといわれますが、彼らを語るときにそういった学習障害が登場することは非常に稀でしょう。あるとすれば意図的にそれを話題にしなければならない場面、たとえば障害があったけど頑張れたとかいうエピソードを語るときや、あとは単に障害を指摘して相手を馬鹿にしたいときです。それ以外の殆どの場合、殆どの人にとって相手の障害は本人からは意外なほど気づかないものだと私は思っています。

以上を踏まえまして、

わりと明るい方で容姿もそこそこだと思っています。
性格は決して良くも悪くもありません。
大切な親友が2人。深く付き合うのは苦手ですが人との付き合いもわりとうまくこなせます。
このことが原因でいじめられたことなどはありません。

この記述は短いですが、私には質問者様の自分に対する自信と、すでに幸せを手にしている状態であることをうかがい知ることができるように思います。

そのような方が「恥ずかしい思いをしたくない。人と違うように思われたくない」というプライドを捨て、吃音であると公言して言葉に詰まることを周囲に受け入れてもらうことを暗に要求するというのは、(冒頭でわからないと言いましたが)やっぱり得策ではないように思えてきました。

プライドというのは二種類あって、クソの役にも立たないプライドと、役に立つプライドです。糞の役にも立たないプライドとは、たとえば一切努力することを放棄した人間が、学生時代に模試ですごい順位を取ったとか、あとは有名な大学を中退したとか、そういう自分の過去の栄光を根拠に相手が劣っているとみなし、SNSなどで相手を叩き始めるようなことに使われるプライドですね。これは本当に害悪なプライドなので捨てるしかないと思います。

もう一つの役に立つプライドは、自分自信の価値を認め、それを維持発展させようとするために利用されるプライドです。例えば、何かの分野で有名な賞を取ったことで、次もまた別の賞にチャレンジしようというモチベーションを保つために利用するものがこれにあたります。テレビのインタビューなどを見ていると、スポーツ選手はこれが出来ている人が多そうだななどと思ったりもします。

で、今回のご質問にあるプライドとは、後者の方だと思うんですね。

何度も恥ずかしい思いをしてきました。
その度、自分への自信が削られていくような感覚です。
15年それでも対処法を考え、乗り越えてきました。
打ち勝とうと人前に立つことを頑張ってもきました。

というように、つらい経験があり、精神を消耗しても諦めずに対処法を考えて自己解決してきたということ。さらに、あえて苦手なことにチャレンジしてそれを乗り越えようと努力してきたこと。

その結果、

わりと明るい方で容姿もそこそこだと思っています。
性格は決して良くも悪くもありません。
大切な親友が2人。深く付き合うのは苦手ですが人との付き合いもわりとうまくこなせます。

このような自信につながったのだと思います。自信とは何もないところからは生まれてきません。過去、乗り越えてきた壁が大きいほど、沢山あるほど、自信はより強固になり、最終的にプライドを形成します。

私はただ、言葉を変えず、
自分の思うままの言葉を使って楽しく話したいのです。

これは困難な試みで、事実、何度も心が折れそうになってきたのでしょう。ですから今回も

できません。声が出なくなってしまう。
恐怖がいつもちらつきます。

このような恐怖を感じつつも、一方で

こうやって今回も乗り越えていくのかもしれません。

という、若干楽観的・希望的な言葉も出てくるのだと思います。やはり、自信もプライドも十分にあり、それは実績に基づく正しい自信であり、役に立つプライドと言えると個人的には思います。

…というわけで長くなりましたが、そのような方に対してやはり「プライドを捨てる」ことが自分を愛することにつながるとは思えません。今何かアクションを起こす必要があるとすれば、自分が乗り越えてきた数々の実績を振り返り、「たぶん次も大丈夫だろう」と楽観的に考える糧とすることだと思います。

過去の実績があり、それが自信につながっていれば、自己肯定感は自然と生まれます。なるべく成功体験を思い出し、これからもどんな小さな壁であっても乗り越えるたびに自分を褒めていくのが良いと私は思います。これは詳しくは説明しませんが1、脳科学的にも合理的な方法です。

繰り返しますが、何度も心が折れそうになるかもしれませんが、今まで実績として経験は積み上がっていますから、臆すること無く、多少失敗しても自分は乗り越えてきて今の自分が居るのだと胸を張ってください。今までの行動は成功だったのだから、ぜひこれからもそれを続けてください。

あと以降は蛇足です。

一般の方に相談しても困ってしまわれると思った

人は他人の気持ちのすべてを理解し、共感することはできません。でも障害に限らず、何か辛い思いをした人というのは、その分他人の痛みに敏感で、相手が何を悩んでいるかを慮る能力に優れていると思います。人の気持ちを想像することで自分の行動が変わってくる。これは人間にしか出来ない行為ですが、人間社会を見ていると意外とそれが出来ない人が多いのです。その点で、我々(障害がある人や劣っていることがある人)には欠点があるから良かったとは言えないまでも、より人間らしいことをしているとは言っていいと思いますし、それは大抵の人が思うよりもずっとずっと重要なことだと考えています。


  1. 『「すぐにやる脳」に変わる37の習慣』、他(詳しくは忘れた)