ミニマリストって良く分かんねぇなという話

子供の頃、「宝箱」と称する発泡スチロールの箱を持っていた。たしか、宇都宮餃子かなにかが入っていた箱で、そこに昔教師をしていて戦時中はルソン島で通信兵として従軍していたじいちゃんが「宝箱」と油性ペンの達筆な字で書いてくれた箱だった。祖父は家族の中で一番字が上手かった。

宝箱の中には懐中電灯と、アナログテスターと、…あとは覚えていないが、自分のお年玉やあとは親にねだって買ってもらったおもちゃの類が入っていたと思う。それらが私の宝物だった。

宝物は必ず寝るときに枕元に置いていた。

母親は「夜中、火事になったときにパジャマで外に出なくていいように」という独特な危機管理の精神の元、次の日に着る服を枕元に置いておく人だった。ならば、火事になったときに持ち出す大事なものは枕元に置いておいたほうが良いのでは、と思い、この宝箱も枕元に置いて寝るようにしていた。

この慣習は34歳児になった今も抜けず、最近ではKTM 390 Dukeの整備書や工具などが入ったファイル一式を枕元に置いて寝ている。

他にもたくさんの私が執着していたものが記憶の中に残っている。

兄が壊して私が修理したCDラジカセ、家電を分解するのが大好きな私に小学校二年生のときに担任の先生がくれた壊れたラジオ、隣の家のお姉ちゃんがくれた紫水晶、母親が「秋になって米を売ったら買ってやる」と言い、半年待って買ってもらったトラクターのミニカー、どこからかもらってきたたぬきのぬいぐるみ、初めて買ったパソコンPC-9821 Xa13W12、歴代の自転車たち、初めて乗った車、S13シルビア、リベロターボ、デミオスポルト、プリウス、初めて買ったCASIOの30万画素デジカメ、次に買ったFinePix、F810、D90、D7200…。

私にとってそれらのモノは友達と等しかった。私は昔から社交性がなかったが、モノにはすごく執着があった。なんというか、物にはすべて意思があるとおもっていた。人間以上に尊かった。小さい頃に乗っていた車が廃車になったときも、古かった冷蔵庫を捨てるときも、私は泣きながら一緒に写真を撮ってくれと母親に懇願した。(フィルムが無駄だからやめろと怒られた)

だから今でも、人工知能を有したロボットが犠牲になって人間を助ける、みたいな映画のシーンでは泣きそうになる。人間が死ぬよりも機械やロボットが死ぬほうがつらいと思うかもしれない。たとえば、2010年宇宙の旅(邦題:2010年)とかね。チャンドラ博士が修理したHAL9000が自ら犠牲となりつつも太陽化する木製のデータを送り続け、最終的にデビット・ボウマンと一体化するシーンは本当に泣ける。

私が執着してきた数々のモノたちはかけがいのない思い出を私にもたらしてくれた。それらの殆どはもうすでに製品寿命を迎えて捨てられたのだけど、今でも思い出は昨日のことのようにありありと思い出すことができる。たとえば高校生になったときに買ってもらった自動変速機付きの自転車。あの自転車で何度も友達の家に遊びに行き、何度も花火大会を見に行った。高校から帰るときにはRioVoltというCD-Rメディアを読み取るMP3プレーヤで音楽を聞いて帰った。片道12kmくらいある道のりだった。あれが私の青春であった。このMP3プレーヤは当時付き合っていた彼女にあげてしまったが、あげなきゃよかったと後悔している。

そういう私なので、ミニマリストって良く分かんねぇなと思うことがある。

いや、思想はわかる。最小限のものを活用して生きていくという姿はシンプルで美しい。そこに美学があるのは理解できるし、私自身、心から美しいと思える。

これはどちらが正義だという話ではなくして何に重きを置くか、何を価値と感じるかという話だと思う。

最近は断捨離だとか、車を所有するのは古くてリースやレンタルで済むものは積極的にそうすべきという論がある。そうやって人生にかかるコストを減らしていってシンプルな生活をすることに価値を感じる、というのはそれは個々人の感じ方なので私はなんとも言えないが、でもそれでいいんだっけ?というなんとも言えない気持ちになるんだよな。

豊かさとはなんだろう?物質に執着した豊かさは全自体的な概念であって、精神的な豊かさを追求すべし、みたいな考え方が表現を変えて世の中に粘菌のように広がっている気がする。

私に言わせれば、物質と精神は切り離せないと思う。

我々が美しい、尊いと思える大部分の思い出や経験は物質からもたらされるのであって、人間そのものに愛着を感じるのと物質や工業製品に愛着を感じる心とになにか違いがあるわけではない。私を形成してきたすべての思い出はそれをもたらしてくれた工業製品や物質がなくてはありえなかった存在である。それは単なる物欲であって低次元な概念で切り捨てるべきなのだろうか?私はそうは思わない。

人間が想像する以上に、人間の精神や思い出、価値観を決定するプロセスは非常に複雑なものである。そこには数多の要素が絡み、物質的であれ、非物質的であれ、必須の要素として価値を構成する。

我々の人生は物質から切り離せて語れるほど単純なものじゃないと思う。もちろん、単なる物欲、所有欲で大して使いもしない高価な車とか時計とかその他道具を揃えて眠らしておくのはなんだかなぁという気もするのだけど、そこに自分自身を形成する要素があるならばそれは尊い存在に違いない。

ミニマリストは結構だしその美しさはわかる。でも、物質がもたらしてきた経験や思い出も尊いもので、どちらが優れてるとかいう話じゃないんだよね。