と思うので詳しく記してみる。
ロンドンでの地下鉄で行われた実験。1分辺りの輸送人数、両側立ち止まって乗った方が3割も多かった、とか。ラッシュ時の入り口付近の混雑緩和に繋がる。両側立ち止まってエスカレーターに乗る事は私達障害者だけではなくて健常者にも実はメリットがある。この情報広まれ~❗ pic.twitter.com/l1aUP5Xkxh
— みひろ (@mihiro55) 2018年10月6日
元ネタはこのニュース。
これ以前にも、「両側に乗ったほうが沢山の人数を輸送できるから、結果、詰めて乗ったほうが得」という論やシミュレーション実験は何度かみた。
この議論で私が変だと思うのは、そもそも片側を開けている理由は「沢山の人数を大量に輸送できるから」ではないという点。もし、片側を開けている理由が「沢山の人数を大量に輸送できるから」ならば、「いや、両側に詰めて乗ったほうがより沢山の人数を輸送できますよ」となって、この主張は筋が通る。
しかし、よく考えて見てほしいのだが、一定速度で流れるエスカレーターの片側しか乗っていないのと、両側に乗るのとでは、後者のほうがスループット(単位時間あたりの通過人数、便宜的にスループットと呼ぶことにする)が高くなるのは試験せずとも自明である。いや、正確には「経験からほぼ自明と考えられる」くらいか。
片側を開けた方がスループットが高くなるようにエスカレーターを使用するには、立ち止まっている側のスループットよりも高いスループットで歩いて登る側を通過させなければならない。しかし、現実にそのような状況はほぼありえない。少なくとも私は一度も見たことが無い。大抵の場合、立ち止まっている側に列が伸びて歩く側は空いているという状況だ。そして、歩く側にも人が増えて混雑してくると今度は渋滞が起きる。これは、エスカレーターを降りる時に歩行者が足元を一瞬確認することで歩行速度が落ち、それを先頭に発生していると思われる。
だから、片側を空ける方式で両側に止まって乗る方式を超えるスループットを叩き出すのは私はまず無理だと信じている。
ではなぜこんな非効率な方式が定着してしまっているかというと、私は「輸送効率を犠牲にして急いでいる人を通してあげる」という意識のもとで定着した行為だからだと思う。つまり、片側空けるという文化は端から沢山の人が輸送できないことを承知で(もしくは、それを考えること無しに)「急いでいる人はここ通ってね」というオプションを提供してあげている行為ではないか。そう思う根拠は、大体左側を開けて人が乗っているのは駅のホームへと続く通路になっているエスカレーターであるから。駅直結で、駅のホームから遠いエスカレーターは普通に両側に止まって乗っている場合が多い。これは、皆「もし急いでいる人が居たら通してあげなければ」という意識がある(もしくは無意識的にしている)からではないか。
であるから、Aさんが「いやいや、両側に乗った方が早いんですよ(≒輸送効率が高いんですよ)」と主張したところで、普段エスカレーターを歩いている人Bさんにしてみたら、「いや、遅いやんけ。急いでんだら開けろや、急いでないんだったらゆっくり行けや、急いでる人に気を使えや。お前はこれからショッピングやデートかも知れんけどなぁ、俺は仕事やぞ」みたいに思われるということですよ。そして、Bさんが主張する「歩いたほうが早い」は事実である。対してAさんが主張しているのは輸送効率の話なので「全員が通過し終わる時間」は確かに早まるが、最短のエスカレーター通過時間は片側を開けた場合に比べてずっと遅くなるのでBさんにとってメリットが無い。
ということで、要するに何が言いたいのかと言うと、エスカレーターの両側を歩かず立たせた状態で乗る文化を根付かせたいのなら、「いやいやあなたにもメリットありますよ」という微妙に論点がズレた話を展開しても最終的には「いや開けてた方が早いやんけ」という話に絶対になってくるので、
「メーカーが片側に乗ったらダメって言ってるからダメ」
「歩くと転びやすいからダメ」
「ここでは歩くなという規則だからダメ」
「そもそも歩くことを許容すると駆け込み乗車も間接的に許容してしまうからダメ」
「それでも急いでるなら階段を登れ」
「というか急ぐと何かと怪我のもとになるから不安全行動はやめろ」
「お前の準備が遅いことに起因する落ち度を他の一般市民が助けて当然と思うな」
という感じで良いと思うんですけど、どうですかね?