コスパを追求しても幸せは来ない

ということを最近思ってきたのでそういう記事を書いてみます。

当ブログでは過去3年位に渡り、散々コスパが命、コスパが良い商品を購入するのがクレバー、みたいな記事を書いてきました。終いにはコスパ教を立ち上げて教祖になろうかななんてことも書き、「私もコスパ教の敬虔な教徒です」という主旨のお手紙を頂くことも1度や2度ではなかったと記憶しております。

しかし今はっきりしました。コスパを追求するのは目的と手段を履き違えていたのです。私は間違っていました。

必要なのは「パフォーマンス」

大事なのは自分が満足するパフォーマンスを満たしているか否かです。コスト・パフォーマンスレシオに優れていたとしても、自分が要求するパフォーマンスを満たしていなければ、それは意味が無いのです。

ここで言うパフォーマンスとは、「対象の性能や機能、デザインなどの優秀さ」という感じの意味だと思って下さい。いくつか私自身のエピソードを交えつつ解説していきましょう。

ケース1: カメラ

私は幼少よりカメラが大好きでした。写真を撮って記録を残しておくという行為は、二度と訪れないその瞬間を収めておける、連続した時空の一部を切り取って保管しておけるという点で素晴らしいツールだと思います。

それに加え、物理ボタンが沢山付いている、重厚感のあるマグネシウム合金ボディは触ると心地よく、メカ好きのおっさんを安心させる精神安定効果をも生み出します。

しかし私は金が無かったので、妥協してその都度「そこそこの性能でそこそこの写真が撮れるそこそこのカメラ」を買い続けたのでした。結果、どれも写りは満足できるものではなかったです。

既に説明したように、私にとってのカメラとは「二度と訪れないその瞬間を収める」ためのデバイスです。なので、どちらかというと写実性を追求しており、RAW現像でいじくり回すとかいうことはあまりやりません。色味も「肌色や木々の緑が綺麗に写る」とかいうのは余計で、なるべく目で見た色で写ってほしいなぁと思います。最も、私は色弱ですし、そもそもどうやって個々人で光学特性の違う眼球で映された色、そしてそれを記憶した色を測定するかというのは定義しようが無いんですけど。

念の為書いときますが、「JPEG撮って出しが至上でRAW現像は甘え」みたいな偏屈な事を主張したりはしません(たまにそういうことを言うウザいおっさんがいます)。ただ、嗜好としては写実的であることを好むという感じですね。霞みがかった空ならば霞みがかったままが良いし、暗い空間は暗い空間のまま撮影したいと思うタイプです。ストロボを使うよりはなるべく自然光で撮りたいと感じます。それは、記憶の中の光景と写真をなるべく一致させておきたいからです。ライティング機材をばりばり使いこなして、RAW現像レタッチを経て写真を仕上げるというのも表現技法の一つですから全然アリだと思いますし、そういう写真も好きです。ただ自分の趣味ではないというだけです。

で、私は自然な色味が好みで、それに加えて解像感をとても重視してきました(トイレンズやピンホールレンズも好きなのですがそれはさておき)。解像感に直結するファクターはもちろん解像度で、そして解像度はカメラの値段にダイレクトに効いてくるファクターです。

私は昔から解像感にこだわるということをよく理解していたにもかかわらず、「コストパフォーマンスに優れたカメラを買うのがクレバー」みたいなドヤ顔をして、自分で満足できないカメラを書い続けてしまったのです。

またこれも念の為書いておきますが、別に安い機種や中級機種がダメと言ってるわけではないですよ。私が満足できないカメラを私自身が買ってしまったという反省ですからね。そこんとこ勘違いしないでよね。

最終的に買ったのはフルサイズセンサー、4575万画素のD850。ここまできて解像感に関してはようやく満足することが出来ました(少なくとも今のところは)。最初からすぐに高解像度センサーを搭載したフルサイズカメラを買っていれば、トータルでもっと安く済ませることが出来たはずです。

もちろん、デジカメに関してはセンサーの技術革新という要素もあるので、例えば何年も前に4575万画素フルサイズセンサが載ったカメラは買うことが出来ませんでしたが、求めているのは解像度ではなくて解像「感」なので、当時からそれを重視したカメラというのはありました。SIGMAのDP1とかですね。DP1はかなり尖ったカメラだったので当時は敬遠してしまったのですが、あの時にDP1を買っていたらまた今までの人生で随分と違った写真が撮れただろうなぁと思うと少し残念ではあります。就職してすぐ買ったのはD90でしたが、D90もとても良いカメラだったので、甲乙付け難くはあります。どっちも買えば一番良かったですね。

ケース2: PC

PCは昔から自作していましたが、「安くてそこそこ早いCPU」というのを昔から重視してしまっていました。SempronやDuronといったAMDの中途半端な性能のCPUを書い続け、メモリも多いんだか少ないんだか良くわからない微妙な容量を載せ続け、いつもパフォーマンスに不満を抱いていました。

就職してから最終的に最新スペックで大量のメモリが載ったマシンを組むことが出来るようになり、そこでようやく満足できましたね。昔は金がなかったのでコスパを重視せざるを得なかったのですが、これはつまりは「コスパは目的ではない」ということですね、やっぱり。

ケース3: 家

一条工務店の注文住宅で家を建てたわけですが、当時から不満点はありました。主にデザインです。

一条工務店の家では気に入った住設メーカーの設備を入れることが出来ません。注文住宅なのに…。まぁその選択肢を排除して工事工程や発注作業などを単純化することでこの価格を実現しているわけだというのは分かっているんですけど、未だにちょっと不満ですね。これは。もっとオシャレで使い勝手の良い設備(キッチン、洗面台、風呂)を導入したかった。ここはDIYではどうにもなりません。間取りも制限が多くて妥協した部分が少しあります。

デザインに関しては、家具やその他DIYとかでどうとでもなる、と当時は思っていましたが、結局なんだかんだと日々の雑務に負われて大して何もやらないまま4年?くらい経ってしまいました。

理想を言えば、高気密高断熱をR-2000住宅基準レベルで実現できる工務店(関東にはほとんど無いと思われるが)を探して、好きな住宅設備を導入して、インテリアコーディネーターや建築士に希望を発注して全部まる投げでオシャレで高気密高断熱な完璧な家を建てたかったのですが、そうすると費用や労力が…アレなんだよね…。

これは「金も労力も掛けれる余裕があるんだったら、別にコスパなんか考えずにやりたいようにやればいいよね」という身も蓋もない話ではあります。が、これもやっぱり「コスパは目的じゃない」を補強するエピソードかなと自分では思ってます。

ケース4: テレビ台

これは良かった例ですね。

結婚してすぐくらいの時、島忠(関東で展開してるホームセンター/家具屋)に行ってテレビ台を物色している時にカリモクのテレビ台を見かけたんですよ。


from カリモク家具

これをひと目見た瞬間、もう心奪われました。写真ではあまり良さが伝わらないかもしれないですけど、実際見ると本当に良いんですよ。これ。前面が色がちょっとずつ違う無垢材をパッチワークのように敷き詰めたパネルになっているのですが、これが落ち着いていて大人びた雰囲気で、質感も素晴らしいんです。

でもめちゃ高いんです。

高いので諦めてその時は2万円くらいの小さいテレビ台を買ったのですが、このテレビ台が非常に小さくて、56インチのテレビを載せているのですが横幅がテレビの半分くらいしか無いんですよ。32インチのテレビでも横幅がちょっと足りてなかったと記憶している。なのですごく見た目が不安定でテレビ台も新しいのが欲しい…と思い、3年前くらいから探し続けていました。

その時もあのテレビ台が忘れられず、どのテレビ台を見てもいまいち心に響くものがありませんでした。

ちなみに、明らかにカリモクのこのテレビ台を意識しているであろうデザインの似たテレビ台が「カリモク テレビボード」などで検索するとヒットします。値段は1/4以下だったりします。これを私は「ジェネリック」と呼んでいるのですが、ジェネリックはやっぱりぱっと見は似ているんですが、画像を並べてみると全然違うんですよね。ジェネリックはなんというかパット見はモダンな感じがするものの、細かい造作が昭和っぽくてなんかこう背伸びした感が醸し出されているんですよ(個人的見解)。

というわけで3年くらいテレビ台を探し続けてきて気に入ったものがカリモクのものしか無い、というわけでもうこれを買いました。写真は別途載せます。

これは私が求める「パフォーマンス」の重きをデザインに置いていて、その他の大きさとか収納量とかはあんまり気にしていなかったという点が重要かなと思います。デザインは数値化して比較するのが不可能なのでコストパフォーマンスも定義しようが無いのですが、時にはコスパを最初から考慮せず、気に入ったものを買うということが重要というケースだと思ってます。多分、妥協してジェネリックを買ったとしても、いつかカリモクが欲しくなり、買っていたでしょう。ならば最初から目的のものを買ったほうが安上がりです。

ケース5: マツダCX-5 20S

これも良かった例。

当ブログでしつこいほど述べていますが、CX-5は20Sが一番楽しいと私は思っています。ちょっと非力で加速が必要になったら時に2段くらいシフトを下げてレブゾーンまで回す、あの心地よさはやっぱりターボやディーゼルでは味わえないと思っています。CX-5 20Sは購入時、新車で諸経費値引き合わせて260万円くらいだったと記憶していますが、この価格帯でCX-5に匹敵する気持ちよさ、実用性(積載性)、乗り心地を揃えた車ってほとんど無いと思いますね。ADASも一通りついている上、誤作動もほぼありませんし。

CX-5はコストパフォーマンスに優れている上、諸々のパフォーマンスが要求性能を満たしていた例の一つです。コストパフォーマンスが良ければ文句ないですが、コストパフォーマンスが良かったとしても要求する性能・機能を満たさない製品を選んでしまうと、後悔が残るかも知れません。

価格.comおじさんになりたくない

と、まぁいろいろ述べてきました。

以上を一通り読めば、「ようするにコスパっていうか、十分な金があれば良いものを選んだほうが良いってことでしょ?」という感想を持たれるかも知れませんが、まぁ確かにそれも言いたいことの一つかも知れないんです。が、

  • そもそも「パフォーマンス」を測定するのは意外と難しい
  • 自分がどんな「パフォーマンス」をどの程度望んでいるか、自分自身で知るのも結構難しい
  • 目で見えて比較しやすいパフォーマンスを重視して、比較しにくいが深層心理では重視していた指標を見つけ出すことが重要

という感じのことも強く思ってます。

そしてこれも当ブログで何回か語ったことなんですが、私は価格.comおじさんが嫌いです。価格.comおじさんも私が勝手につけた名前なのですが、定義は「価格.comの掲示板に連投してそうなおじさん」です。

なんか、あの掲示板にいる人って嫌いなんですよ。いかに「クレバーな選択をする私が賢いか」を見せつけたいとか、いかに同じ商品を安く購入した私が偉いかとか、初心者にマウントを取りたいとか、良し悪しを定義しようがない事柄に対してオレオレ定義をねじ込もうとするとか、そんな思想が透けて見えるんです(個人的見解)。それがすごい浅ましいというか。

簡潔に言うと、彼らは消費で自己表現してるように見えるんですね。別にそれが悪いこととは思わないんですが、私はそういう発想って好きじゃなく、薄っぺらい人だなぁと思う。人間は古代から建造物、農作物、工業製品、サービス、美術品を作ってきたわけで、それが文化となっているわけじゃないですか。なんで縄文土器に縄文が入ってるかってことをもうちょっと考えたほうが良いと思うんですよ、価格.comおじさんは。

なんかもっと、私はこう人の魂がこもったような製品を道具として使いたいと思うし、自己表現したいという欲求はそういう魂とか怨念みたいなものが込められた創作物を自分で作って表現したいと思う。

しかしながら、私自身どちらかというと価格.comおじさんっぽいところが少しあるので、そんな自分を戒めて決別するためにこの記事を書いた次第です。