人生の墓場の写真

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もっとブログを書いたほうが良いなと思ったので書きます。何か有用な記事を書けば良いのだけど、やっぱ4月は時間が無いので思いつくがまま駄文を書くことしかできません。すみません。5月になったらもうちょい役に立ったり読んでてて楽しそうな記事を書きたいと思います。

これはコストコで適当に見かけた古いワインを選んで買ってきたのですが、なかなか美味しいです。最初飲んだ時はあれ?なんか普通だな。と思ったのですが、空気に触れさせると適度な渋みが出て年代を感じさせるような味になった気がします。例えるならば、私が通っていた小学校が木造校舎で、築30年くらい経っている非常に古い校舎であって、私はその最後の卒業生だったのですが、その小学校みたいな味。ってかんじ。分かるかな?分かるわけねぇよな。同級生に言ったって分かんねぇよ。

私は渋めのワインでコルク臭があるやつが好きなのですが、どのワインが好みに該当するのかさっぱりわからないので勘で毎回買ってます。ワインの名前とか全然覚えられない。

最近、ワインを好んで飲んでいるのですが、保存するタイプの酒は保存するためのコストがかかるので高い、蒸留酒は良い酒でも高くない。という情報を聞き、なるほどーと思い、蒸留酒に戻ろうかなという気になってる。私の言う蒸留酒とは焼酎甲類のことで、スーパーで4Lペットボトルに入っているようなものを指すのだけど、いい加減もうちょっとまともな飲み物を飲みたいと感じている。しかしながら、私のブログで私が良い酒を飲んでいる姿を読者の方々は果たして見たいだろうか?ライフとかイオンとかのスーパーで売ってる4L 1980円みたいなペットボトル焼酎を飲む姿を望んでいるのではないだろうか。という気がする。そして痛風に苦しむ私を笑うのだろう。

無理にでもブログを書こうと思ったわけ

ここ数ヶ月、なんとも刺激的かつ衝撃的な出会いが立て続けに発生しており、嬉しいのが一番ですがちょっと混乱気味です。私は長らくブログを書いてきましたが、今回の退職の件もそうですし、私のブログが原因でいよいよ私の人生が変わってしまったような感じを受けます。前もブログは私の人生のなかで重要な位置を占めていましたが、人生そのものを変える力は持っていませんでした。

今回フリーランスになるにあたって改めて私は人のつながりがないと生きていけないと思いました。なんかこんなこと書いているとFacebookによく居る意識高い系みたいで嫌なんだけど、マジでそうなんですよね。私の場合は特にフリーランスになるので、人との信頼が無ければ仕事を発注してもらえない立場なわけですけど、そういう感覚ってサラリーマンやってたらなかなか身につけることが出来ないなと思った。

これも書いたような気がするけど、辞めるにあたっていろんな人に挨拶しに回ったのですが、会う人会う人皆が辞めることを「良いと思うよ」と言っていました。それが個人的には意外で、もっと「お前家族居るじゃん。フリーとか馬鹿じゃないの?やめろよ」って言う人が多いかなと思っていましたが、そういうことを言う人は皆無でした。

職場の何人かの人に、「withpopさんは何歳だっけ?」と問われました。「今年2月で32歳になりました」というと、「辞めるのにはいい年だね」と皆言ってくれました。私にはまだ理解できないですが、私よりも長く人生を歩んできた人たちにとっては、30代前半というのは何かにチャレンジするには適した年代なのかもしれません。私はもう30歳はオッサンだし、ソフトウェア業界では30歳を超えてから初めての転職を経験するのはむしろ遅いと思っていましたが、よくよくフリーランスという立場を考えてみると、20代の人に仕事を発注しよう!という気になるかというと私は正直ならないです。よっぽど有名な人か、信頼関係のある人であれば別ですが。でも30歳を越えてたら、「まぁ一回発注してみようかな」という気持ちになるような気がします。20代と30代ではやっぱり十の位のケタが違うんで、イメージもだいぶ変わってきますよね。全然論理的ではないんですけど、人間の感情なんてそんなもんでしょう。だから、特にフリーになるなんてのは能力云々の他にも、単純な思い込みや印象という点でも有利なのかも、と思いました。

こないだ、私が住んでいる世界とは全然違う世界に住んでいる方と衝撃的な出会いがありまして、色々な印象深いお話をさせて頂いたのですが、その中から一つ感じたことを。

私は上記のようなこと、「私はずっとサラリーマンをやっていたし、その間コネを作れるような機会もなかった。秋田から出てきてから知り合いらしい知り合いも殆どいない。フリーとして生きていく上でもっとも重要なコネが作れてないんですよ」という話を流れでしたのだが、その方は「遠回りが一番近いんです。急がば回れですよ。ブログを続けてきて実際に出会いがあったわけでしょう」ということを言ってくださり、もう私はその場で泣けてきた。30代になってどんどん涙もろくなってきている気がする。

何かに感動する、他人の感情に共感して涙する、そういうのは経験の積み重ねがあってこそできるんですよね。高校生の頃なんかは子供が死んだというニュースを見ても「あぁそう。大変だね」くらいしか思わなかったけど、今はもう子供が死ぬニュースは見てられない。そういうことを思いつつ、私のブログを通じて今後も運命的な出会いが沢山あるかもしれない。それって素敵なことやん?という女子高生みたいな事を考えとる。いや、女子高生は出会いに感謝とかしないか。やっぱFacebookでイケイケ写真を載せてる意識高い系ですね。私は。たぶん。浅いなぁ。

人生の墓場

こないだ、ディズニーランドに行ってきたんですよ。ディズニーランドに。ディズニーランドっていったらどういうイメージを持たれますか?私はデートの定番って感じがします。でも子供が出来てからは完全に家族サービスの場ですね。

子供が出来てから、ショッピングモールとかアミューズメント施設とか行くじゃないですか。するとね、よく「人生の墓場」を目にするんですよ。え?人生の墓場って何かって?それはアンタ、あれですよ。結婚は人生の墓場、の墓場ですよ。どういうことか分からない?いいでしょう、ご説明します。

人生の墓場は、より具体的には下記のような場所で目にします。

  • ルミネやイオン、アウトレットモールなどのトイレ入り口
  • ルミネやイオン、アウトレットモールなどのレディース商品しかない店舗の入り口
  • 子供が遊ぶ公園のベンチ
  • フードコート

こういうところに行くとね、こう抱っこ紐で子供を抱いていたり、買い物袋を抱えて壁に寄りかかってるパパをよく目にするんですよ。大体、嫁・子供が買い物・遊ぶのを待って疲れているんですよ。するとね、こうなんとなく目が会う瞬間があるんですよ。「お前も辛いよなぁ」って、そういう目なんですよ。一瞬でお互いを理解するんですよ。あの感覚は今までの人生には無かったね。

既婚者かつ子持ちって独特の仲間意識がある気がするんですよ。子供がいると一気に生活が子供中心にシフトするというのもありますし、世間では育児は何かと話題に上がりますからね。SNSでは「街で見かけた非常識な親!!」みたいなのが沢山投稿されてて、よくわからんコラムニスト、コメンテーターなどが「育児とはこうあるべき」みたいな価値の押し付けを行い、地域によっては行政も待機児童問題を解決できなかったり、それが原因で仕事を辞めたり、育児ノイローゼとかになる人も居ますしね。そんな中でたまーに「育児って辛いよねー」とかつぶやくと「お言葉ですが、既婚者が必ず子持ちだという価値観の植え付けはやめていただきたいです」「お言葉ですが、そうやってご自身が育児辛いと言うことによって遠回しに既婚であることや子供が居ることの自慢をしたいだけなのでは?」みたいなキチガイじみた意見が飛んできて気分を害す、など、もはや既婚子持ちの味方は既婚子持ちしか居ねぇんじゃねぇかみたいな気分になってくるんですよ。大げさに言えばね。

で、そういう背景が少なからずあるので、お互い目が会っただけで大体を察する。こういう場のことを私は「人生の墓場」と呼んでる。

ディズニーランドに行った時もね、あるんですよね、墓場。

そもそもディズニーランドにこういうエリアがあるのって知ってました?私は子供ができてから知りました。地面が柔らかい素材でできていて、転んでも痛くないような場所に遊具が沢山設置されているんですね。ここでも、ボカシを入れてますが、疲れたパパたちが沢山居るわけですよ。わかる、分かるよ。皆まで言わなくていい。俺らは仲間だ。辛いよな。でも開けない夜は無いんだよ。って言いたくなってくる。

中央でさり気なくグラビアポーズをとっているのが娘で、うちの娘は写真を撮ると無意識的にグラビアポーズになる時がある特殊な能力を持つのですが、まあそれはさておき、よくよく見ると沢山居るでしょ。疲れてそうなパパが。ね。こういう状況を指して私は「人生の墓場」とこれを呼称している。

ディズニーランドのメリーゴーランドとコーヒーカップは知ってるよね。コーヒーカップは、メジャーなアトラクションに飽きた学生なんかが戯れに乗り、遠心分離器かっていうレベルで元気に回してたりしますし、主要なエリアにありますから多くの人が知っているでしょう。コーヒーカップもメリーゴーランドも、先の子供が遊んでいるエリアもそうですが、これらってディズニーランドにありながらディズニーとなんら関係無いんですよね。いや、そんなこと言ったらホーンテッドマンションやタワーオブテラーだってディズニー関係ねぇじゃねえかと思うかもしれませんが、あいつらもなんだかんだで経緯を追っていくと、ディズニーのアニメーターが企画したとか、グローバルのディズニーランドで昔からあるアトラクションだったとか色々関係はあるんですよ。でもコーヒーカップやメリーゴーランドってマジでディズニーとなにも関係してないんじゃないかと思ってる。

じゃあなぜ設置されてるのか。私はこれ、やっぱり子連れを意図したものだと思ってるんですよ。小さい子供でも乗れるからね。小さい子供がいると、人気のアトラクションの殆どは乗れないんだよね。じゃあディズニー来るなよって思う人も居るかもしれないけど、そうは問屋が卸さないのが育児だよ。家族サービスだよ。なぁ。

ディズニーランドって夢の国とか言ってますけど、結局はオリエンタルランドとディズニーによる商業施設で純粋なビジネスなんですよ。顧客満足度に極端に気を配るのもリピーターを増やすためなんですよ。アトラクションを入れ替えたりするのもたぶん、統計的に仮説を立てて検定してとかいう検証を経て実施してるんでしょうし、アトラクションの稼働率を上げるために素人には分からない様々な施策があったり、効率よく人を捌くためのマニュアルとか完備されているはずなんですよ。つまりドライなビジネス。そりゃ当たり前だよね。朝、舞浜駅から「私は世界の大半のことを呪詛しています」みたいな顔をしてディズニーランドの従業員専用通用口に吸い込まれていく姉ちゃんがディズニーランドの中ではひねり出したアニメ声みたいな声で「足元にお気をつけくださ〜い、いってらっしゃ〜い」とか言うのはそういうことだよ。ビジネスだよ。

そんな中で、このコーヒーカップ、メリーゴーランド、こども遊具エリアというのはメジャーなアトラクションに比べると一線を画していて、基本的にすべてが緩い印象を受けます。ビジネスアクティビティの中心に位置し、ボリュームゾーンからはすこし外れたカテゴリになる、小さい子共を連れたファミリー向けにとりあえずで入れた感がいささか拭い去れないこれらのアトラクションを、私は「ディズニーからの無償の愛」と呼んでます。

つまりディズニーからの無償の愛は同時に人生の墓場でもあるわけです。この点は結構深い意味を持つと私は思ってるんですけどね。

そもそも私はこれまで何度かブログでも人生の墓場について述べてきましたのですが、人生の墓場という単語をネガティブな意味では使っていないつもりです。墓場というのは人生の最終到達地点であり、また、死後最終的に自分を構成していた灰が収まる器でもあります。私が思うに、生物が主として生き延びていくために必要な一つの仕事が生殖なので、その仕事を終えたらもう人間って生物学的には半分死んでるような状態と思って良いんじゃないかという気が若干しています。人間は寿命が長いんでまた特殊だけどね。で、その半分死んでるってのは、そういう子育てに関連した場所・シチュエーションに対して墓場を見出しているということにつながる。

無償の愛が味方のいない育児世代を包み、そしてそれは墓場となる。私は死に、私を構成していた元素は散り散りになり、エントロピーの法則にしたがって拡散していくのだけど、私の残した遺伝子は何らかの形で引き継がれ、何百年後になるか分からんけど、複数の周波数の違う波が互いに重なりあって周期的に大きな振幅を出す、いわゆるうなりみたいな原理で私に近い人間が将来的に現世に再降臨し、その私に近い人間がまた子育てしてるときに、また未来のメリーゴーランド的な何かに無償の愛と人生の墓場を感じるかもしれない。それを人は輪廻転生と呼ぶのかもしれない。ぐるぐる回るメリーゴーランドやコーヒーカップみたいな、な。そんな感じだよ。人生ってのは。たぶん。