ベーシックインカムと人工知能と働く意味

という3点について書いてみる。

こないだ「ドイツの受託開発会社を退職しました」という記事が話題になってて、それを読んでからドイツでプログラマとして働いて半年がたちました。という過去の記事を読み、

「生きていくことができる」程度の生産活動がもはや機械によってなされる時代のことを考えると、ベーシックインカムの話になっていくのは当然の流れだと僕は思っていて、ベーシックインカムが本格的に導入されたとき、ぼくたちはなぜ働くのかという問いに(もう一度)放り出されることになると思う。

という事が書いてあるのを見つけた。で、私は自分も長らく同じことを思っていた。私は当然そうなると思っていたのだが、あんまり同種の話を知り合いやネット上で見ることが無かったので、仲間を見つけることが出来た気がして嬉しかった。

で、ネットで改めて検索するとこういう議論はもうすでに結構あった。

「人工知能に人間の職は奪われる」テスラのイーロン・マスク氏、ベーシックインカムが必須と語る

天の無数の星々は仕事などしない――人工知能とベーシックインカムがかたちづくるユートピア『人工知能と経済の未来』著者、井上智洋氏インタビュー

とくに後者は読んでいて非常に面白かった。「人工知能と経済の未来」も読んでみよう。

発端

私が同種のことを考えたのは高校生のときだった。それを考えたのは小説のネタとしてだった。そのタイトルは悩んでいたものの、とりあえず「花火のあと」というタイトルにしていた。その内容はこんな感じだ。

舞台は遠い未来。人類は第三次世界大戦を経験した後に立ち直っている。社会は高度に機械化・情報化が進み、人間が生きるために必要な仕事はすべて機械によって代替されている。人は生まれてすぐに住む家と文化的な生活を営むために必要十分な衣服や設備、食料の類を定期的に受け取る権利を与えられる。食料は食料工場で生産されて無人運転車が各住居にデリバリーする。この社会システムは社会が長期にわたって存続していけることにフォーカスしている。全ての資源は回収・再利用して循環する仕組みが整っており、そのために必要なエネルギーは核融合炉と衛星軌道上に構築されたソーラーパネルから得られている。特に自然エネルギーや生物資源の活用が重視されていて、自然や生物の力で機械を代替できるようなところは積極的に活用が進む。たとえばほとんどの道路に大量の街路樹を設置し夏場の地表温度を下げる工夫をしたり、建物の建材も遺伝子操作によって強度が増した木材を積極的に活用するなど。

経済は「環境負荷ポイント(名称はもうちょっといいものを考える予定だった)」が貨幣を代替(というか実質的にこれが貨幣)している。これは、人々が通常の生活以上の「贅沢」の部分に相当するものやサービスを受け取ったり、環境に負荷を与える娯楽や作業等を行うために使われるものだ。このポイントは社会システムの存続に影響を与えない範囲で総量が決められ、市民に等分に配布される。その配布量は人工知能が厳格に管理し、人間は全くその決定に介在しない。

人々は働かなくても良いし、働いても良い。商取引は「ポイント」をやり取りして行われる。働いてポイントを人よりも多く得た人は、他の人よりもより贅沢な生活をすることができる。たた、、繰り返し述べるとおり、その贅沢の総量は社会システムが安定的に存続していけるレベルを保たれる。

仕事の内容は娯楽サービスを提供するものが主流になっている。つまり、ゲームや小説、映画、音楽、VR体験などといった創作的な作業が多い。それを人々に提供する代わりに、提供する側はポイントを消費者から得る。娯楽サービスを提供するものの中でも主流がゲーム、小説、映画、音楽、VR体験などに偏るのは、環境や社会インフラに負荷をかけるような大規模施設はその分の環境ポイントを税として支払う必要があるからだ。

そんな中で、大学生の主人公は大学に保管された、まだ情報化されていない第三次世界大戦の文献を読み漁り、その矛盾に気づき始める。その先には第三次世界大戦の発端と終焉に関する隠された真実と、それを秘匿するための組織が存在し…みたいな感じのストーリーだった。ちなみに、「花火のあと」の「花火」とはその第三次世界大戦のことを意味していて、また「花火」にあたる部分を描いた小説も書く予定だったのだけど、このあたりは詳しく書くと黒歴史へとつながりそうなので避けておく。

いずれにせよ、そのどちらの話も高校生が書くには壮大すぎるストーリーで、考証のお粗末さは大変なことになりそうだぞ、という気おくれもあって一行も書かなかった。でも構想ノートとか、イメージ画とかそういう、黒歴史のダークマターみたいなものは探すとどこかにあると思う。

この小説を書きたかった目的は二つあって、「俺は未来ってこうなると思うよ」という世界観を示したかったのと、「一部の人間によって塗り替えられた歴史の真実の探求」という話を書きたいというところ。

ちょうどこれを考えていたのは2000年くらいだったと思う。そのあと、2005年に京都議定書が発効し、国家間のCO2排出量取引(炭素クレジット)が始まったときはほら、俺が言った通りになったと思ったし、ベーシックインカムという言葉を聞いた時も、「あー、知ってる知ってる。知らないけど知ってる。環境負荷ポイントで言えば最初に分配される分の額のことだから」などと頭の中では思っていた。でも、「俺は若い時から偉かった」みたいなオッサンのつまらない話になりそうなので一度も言ったことは無い。ネットでも書いたことは無い。が、今書いた。

人が働くことの意味

色々な主張を見てきましたが、大体同じような方向性の議論がされているような気がします。

  • ベーシックインカムは必要
  • ベーシックインカムの実現方法には課題が残る
  • 働かなくてよい世界で人は何を生きがいとすべきか

というあたりです。

私は2点目に関しては経済に疎いので具体的な道筋が思いつかないのですが(『人工知能と経済の未来』著者井上智洋氏インタビューではこの点についても触れられています)、働かなくてよい世界で何を生きがいとすべきか、については色々思うところがあります。

楽観的な考えではありますが、私は全ての人は生まれながらにして創作的で、仕事がなくなっても創作活動は止めないだろうと思っています。と書くと、「いや、自分は絵も小説も書かない」と思うかもしれません。でも、本来仕事はすべて創作的であると私は思います。

人間は義務感や使命感だけで仕事ができるでしょうか?ちょっとでも楽しいと思える仕事でないとやってられない筈です。例えば私はプログラマですが、プログラミングは非常に創作的です。同じ処理をするにもいかに分かりやすく簡潔に書くかが腕の見せ所で、そのための設計思想ははっきりと芸術として認めて良いものだとすら思ってます。プログラミングは芸術です。

プログラミングが芸術ならば、料理だって髪切るのだって建設・建築だって芸術で創作的だと私は思います。何らかの工夫の余地があって、その工夫の結果自分の心が満たされることがある仕事はすべて創作的と言って良いと思います。インドに居たときには、「高速道路の料金ゲートを上げ下げする仕事」を見ましたが、さすがにあのレベルになると創作の余地が無いのかもしれませんが…。

だから、プログラマの多くはたとえ自分が働かなくてもよい立場になったとしても、プログラミングは続けると思います(具体例が思いつかないけど、現にいまでもそういう例はあるはず)。そしてそれは他の職業でも同じで、好きで家作ってる人は金がもらえなくても(自分の資産が減るということでないならば)家を作り続けるでしょうし、好きで人の髪切ってる人は、自分の生活が保障されたあとも他人の髪を切り続けると思います。そしてもし、自分が今やっていることと本当にやりたいことにギャップがある人は、そのギャップを埋めて本当にやりたかったことをし始めるでしょう。

その一方で、たしかにコンテンツを消費し続けるだけで一切なにも生み出さない人というのは居ます。引きこもりでアニメとゲーム三昧みたいな人がそれに当たるかもしれません。そういう人がベーシックインカムを得たら、生涯コンテンツを消費つづける怠惰な生活をすることでしょう。

しかしながらその一方でそういう人はごく少数であると思います。それは、私は人は生まれながらにして創造的であると信じているからです。子供を見てるとそれが良くわかりますね。絵を描いたり粘土で人形を作ったりなどというのは創作そのものですし、面白い事を言って友達を笑わせたりするのもお笑いという創作ですし、人よりずば抜けて優れた運動能力を示したり頑張ってる姿を見せて人を湧かせたりするのも創作でしょう。感動や笑いという感情を生み出して人々に伝えるという点ではそれらは芸術作品と共通しています。そして、そういうことをビジネスでできているのがテレビだったりYoutuberだったりするわけですよね。

さらには、ゲームの実況動画を上げる人や、今はプロゲーマーなんて人も居てお金を稼いでる人もあって、じれらが一見コンテンツを消費しているだけに見えるけど実は創作的だという例です。そういう見方でみると、アニメばっかり見続けてネットに批評を書きなぐってる引きこもりも評論という創作活動はある…のかもしれません。それは恐らくお金や価値を生み出すことはありませんが、しかし本人の生きがいの一つと言っても良いでしょう。そういう観点では、アニメの批評を書きなぐって議論している引きこもりを否定するのは、知人と一緒に毎日ゲートボールやっている高齢者を否定するのと私は大差ないと思いますね。

こうして考えると、お金が得られるような(=価値を創造できるような)創作的な活動を一切しておらず、また、自分の生きがいとなる創作活動も一切していない人間というのは実はほとんど居なのではないかと。

以上をもう少し簡潔に表現してみましょう。明日から働かなくていいです!と言われて人生の目標を失い、落ち込み、毎日鬱々と朝起きては飯を食ってウンコして寝るウンコ製造マシーンになる人が沢山出ると思いますか?ウンコ製造マシーンならばせめて体温で発電を行って機械のエネルギーにしようみたいなマトリックス的な世界になると思いますか?そんなことは無いでしょう。明日から働かなくていいです!となったら、女はみんなカフェで女子会とか料理教室に通い始めるわけで、男はみんな集まってゲームやるか河原で野球とかフットサルとかやるようになるんですよ。そういう中でちょっと背伸びしたい、目立ちたい人がカフェを開いたりゲームを作ったり、スポーツでプロ級の技を見せつけたりして世界が回っていくようになるんじゃないかな。完全に想像だけど。

まとめ

  • 人工知能や機械化、自動化の先にあるのは労働しなくていい社会です
  • そのためにはベーシックインカムか、それに相当する制度の導入が不可欠です
  • BIが導入されたら人間は怠惰でダメな存在になるのではという危惧があります
  • でも自分はBI導入でダメになる人間って非常に少ないのではと思います
  • 人はなぜ働くのか、それは人も仕事も本質的に創造的であるからだと思います
  • BIが導入されても私はプログラムを書き続けると思います
  • あと、ゲーム作ったり小説書いたり映画撮ったりもやりたい

以上、ご査収ください。