【質問#100】anopara管理人の転職と人との出会いについて

質問・悩み相談の回答です。

質問

数人規模の会社で営業・コンサル・開発・運用などやっていますが、どちらかというと営業・コンサル寄りの一般社員です。
経歴としてはSIer→事業会社システム企画→独立/廃業と流れ、今の会社にたどりつきました。
車関連で見させていただいたanoparaさんのブログですが、他コンテンツも含めていつも楽しく拝見しています。

さて、今回はanoparaさんが転職を希望されているという事で、自分の状況を見つめなおしながら、anoparaさんの今後にもプラスになってくれればという気持ちで書きます。

私がこの質問・相談コーナーに驚いたところを2点書きます。
・質問が100近く来ている
・相談者の文章能力が高い(anoparaさんが構成されているかもしれませんが)

一般のWebで募集しても集まって片手程度、多くても両手が精一杯かと思います。
また、相談者の文章能力も高く、いつも感心させられています。
※たぶん私がSEであり、似通った経験が多く、共感しているところもあってバイアスがかかっているのかもしれませんが。

回答されているanoparaさんが優れていると思うところを3点書きます。
・どんな質問にも真摯に向き合い、丁寧に答えている
・相手の意図を汲み取る推察力がするどい
・回答がとても論理的でわかりやすい

ブログ記事からの推察ですが、普段のお仕事で右から左に伝言する伝書鳩や社内政治力だけを発揮するおっさん達に囲まれて、日常でそのあたりの訓練ができているのかと勝手に思っています。

anoparaさんは人嫌いで技術が大好きで、今後もそれで食べていきたいとおっしゃっていますが、本当にそうだろうか?と疑問に思います。
100近くの他人の質問、それも見たことがない人の質問に対して、真摯に答える事は通常一般人にはできません。
本当は人が好きだし、特に困っている人を見ているとほっとけないタイプではないかと推測します。

そういった意味でフリーでやるにしても、サラリーマンとしてやっていくにしても、技術でやっていくと守備範囲を決めるのではなく、いろいろな可能性を広げつつ(間口を広げつつ)、探っていけばよいのではないかと思います。

私自身は人に比べていろいろな回り道をしてきましたと個人的には思います。技術が全てと思う時期もありました。
しかし、結局は人と出会い、その人から仕事を頂き、関係を構築することで今まで食えてきました。

長々となりましたが、まずはいろいろな可能性を考えつつanoparaさんの将来にとって良い選択をされることを祈念しています。

回答

質問が100まで行きました。やったね。

一応、100まで行ったら一区切りつけますと書きましたが、これからも質問はどしどし受け付けますので(全てには回答できないと思いますがご了承ください)よろしくお願いいたします。

私がこの質問・相談コーナーに驚いたところを2点書きます。
・質問が100近く来ている
・相談者の文章能力が高い(anoparaさんが構成されているかもしれませんが)

基本的に質問の内容は変えてません。明らかな誤字・脱字があった場合はそれを直していますが、それ以外はなにか注釈が書いてある(「これ以降の文章は削除しました」、など)場合を除きそのまま掲載しています。私が感じたのは、意外に長文の質問が多いなということでした。自分でも文章を書くのが好きな人が多く質問してくれるのかな、と想像しています。

一般のWebで募集しても集まって片手程度、多くても両手が精一杯かと思います。

私が言うのもあれですけど、本当にそうなんですよね。コメントを残してくれたりする人は、ざっくり計算してみても全体の0.01%未満くらいです。1万人に一人くらい。これはコンテンツの性質にもよるでしょうけど(例えば絵を中心に掲載していたときは100人に一人くらいの割合だった気がする)、反応してくれる人というのはかなり少ないです。まぁ、私のブログはコメント欄を閉じてるというのもあるのでしょうけど。ともかく、100件もご質問をいただきありがとうございます。

また、質問の構成上、届いた順番通りには回答していません。まだ回答していない質問が30件ほどあります。それぞれ回答したいのですがちょっと今は調べている時間がない…という質問も何個かありますので、申し訳ありませんが気長に待って頂けると助かります。

回答されているanoparaさんが優れていると思うところを3点書きます。
・どんな質問にも真摯に向き合い、丁寧に答えている
・相手の意図を汲み取る推察力がするどい
・回答がとても論理的でわかりやすい

ありがとうございます。論理性については、できればもっと根拠になる資料を入れて説得力を持たせたいのですが、今の時点では限界です。後述しますが、もうちょっと時間を確保してもっともっと良い記事を書きたいとは思っているのですが、中々うまくはいきません。

anoparaさんは人嫌いで技術が大好きで、今後もそれで食べていきたいとおっしゃっていますが、本当にそうだろうか?と疑問に思います。
100近くの他人の質問、それも見たことがない人の質問に対して、真摯に答える事は通常一般人にはできません。
本当は人が好きだし、特に困っている人を見ているとほっとけないタイプではないかと推測します。

そういった意味でフリーでやるにしても、サラリーマンとしてやっていくにしても、技術でやっていくと守備範囲を決めるのではなく、いろいろな可能性を広げつつ(間口を広げつつ)、探っていけばよいのではないかと思います。

以降はこのあたりについて詳しく掘り下げていきたいと思います。

人嫌いについて

どうなんでしょうね?私は人嫌いなんでしょうか?私自身は人が嫌いだとはっきり思っています。

人嫌いという判断に近づく要素は下記の通りです。

  • 誰かと一緒に居るのがしんどい
  • 一人でいるのが楽
  • 一人で「さみしい」と思ったことが一度も無い
  • 人混みや行列店に並ぶのが大嫌い
  • 電車が大嫌い、電車に乗るくらいなら片道17km自転車で通うほうがマシ
  • 連休は引きこもって一人でゲームや映画などをしたい
  • 1年に1回くらいは3~4日くらい家から一歩も出ずに一人で過ごす時間が欲しい(結婚してからは実現できてないですが)
  • 雪山に雪洞を掘って2~3日そこで過ごすのが夢
  • バイクにテント積んで1か月くらい一人旅したい
  • 「クレイジージャーニー」という深夜番組でアラスカで雪洞を掘って1か月くらい一人で過ごす人の体験談を見て心底憧れる
  • 道理に合わない、論理的におかしいことを主張する人のせいで自分の仕事が阻害されると心底嫌な気分になる
  • 好きな人(一緒に居て苦でない、人間的に好き)はほとんど居ないが嫌いな人は山ほどいる

人嫌いでは無いという判断に近づく要素は以下の通りです。

  • このブログで質問に回答している
  • 飲み会が好き(でも嫌いな人がいる飲み会には絶対に行かない、従って職場の飲み会もほぼ欠席)
  • 講師業やセミナー開催をしたいと計画している
  • 人の感情や思考を分析するのが少し好き

という感じです。こうして改めて比較すると、私は人嫌いというよりは「一人が好き」というほうが正しいような気もしてきました。いや、人と交わるのが億劫で一人が好きな人を人嫌いと呼ぶのかもしれませんけど。難しいな。

私の今後について

色々あって詳しくは書けないです。この「色々」の部分を書きたくてしょうがないですけど、まだ書けません。私のTwitterでの発言などからなんとなく察してください。

さて、今の時点で私が今後どうなるのかは以下の通りです。括弧内の数字は確度みたいなもんです。足しても100にはならないので、感覚的なものと捉えてください。

  • 今年4月くらいに会社を辞める(98.0%)
  • フリーランスになってSES契約で働く(90.0%)
  • フリーランスになってジョブ単位の開発業務委託を受ける(10.0%)
  • Web系企業に転職する(30.0%)
  • 自動車メーカーに転職する(1.00%)
  • 重工・重電メーカーに転職する(1.00%)
  • 自分のWebサービスを作るための時間を確保する(80.0%)
  • AutoDaysというサイトをさっさと作って公開する(99.9%)
  • AutoDaysでお金を払ってライターに記事を書いてもらい、メディアとしてまともな方向に持っていきたい(70.0%)
  • ブログの更新頻度を増やす(90.0%)
  • 勉強会やセミナーを開く(90.0%)
  • 有料のセミナーを開く(20.0%)
  • 新入社員やキャリアチェンジする人を対象としたプログラミング講師業をする(10.0%)
  • WordPressホスティングサービスを始める(5.00%)
  • いきなり法人化する(0.01%)
  • 今の会社に勤め続ける(1.00%)
  • 今の会社が別の企業に吸収されてそのまま働き続ける(1.00%)
  • 本を出版する(企画が通れば)
  • エッセイ、夢日記ベース小説を出版する(たぶんKindleとかの電子書籍で個人販売)
  • セカンドカーを買う(10.00%)
  • 秋田に帰って農家を継ぎ、「まだSE/プログラマで消耗してるの?」というブログを書くIT農家となる(10.00%)
  • 秋田に帰って農家を継ぎ、TensorFlow + Raspberry Piで農作物を自動選別するシステムを構築する(10.00%)
  • そのシステムの販売・保守・改造を行う会社を設立する(5.00%)

この中でほぼ確定なのは、「会社を辞める」かなぁと思ってます。

今の会社は大嫌いです。しかし、その感情を分析していくと、会社の方針や経営陣、部長以上の管理職、社内規定、ビジネスの方向性、柔軟性の無さ、保守的な態度などなどが気にくわないのであって、自分が今やっている仕事自体は(単純にモノづくりの部分だけに限れば)楽しいですし、職務上付き合っている人たちも良い人が多いです。で、この、「良い人が多い」のせいで今まで冷静に判断を下せなかったのだろうなぁと去年くらいに気づきました。

それから色々考え、自分にはフリーランスという生き方の方が適しているだろうなと考えるようになりました。自分の時間を増やすために短時間勤務を行うことも検討していましたが、それで生まれる時間も微々たるもので、結局今の仕事をするうえでのストレスも解消されないので根本解決にはならないだろうなと。

嫁さんは短時間勤務を行うことは早々に了承してくれました(→妻の大黒柱計画)が、フリーランスへの転向は結構渋ってましたが、説得の末「もう今は一社に勤め続けるという時代じゃないんだねぇ」とおばあちゃん的な感想をつぶやきつつ納得してもらえました。

ちなみにどんなことを話して説得したのかと言いますと、

  • 名のある会社でも潰れるということを今まさに我々は経験している(今私が勤めている企業は頭に有名な名前が付いている)
  • 私が就活のときに内定をもらって選択に悩んでいた某光学機器・医療機器メーカーA社は粉飾騒ぎで数年前に痛い目にあったし、B社は赤字スレスレで希望退職を募っている。C社もデジカメ事業・半導体事業が上手くいかず伸び悩んでいるし、実際勤めている人から懲罰的な人事が以前からなされているなどという話も聞く
  • だから就活の時に我々が感じていた「大企業の安定性」などそもそも無かった(就活のときから嫁さんと二人で頑張ってきました)
  • 日本企業の「退職金」制度とは、言い換えれば「貯金が出来ないお前らの代わりに俺が代わりに貯金/運用してやるよ、でも変なことしたら退職金は減額してクビにするからな」という契約であった
  • ならば毎月キャッシュで退職金の分を上乗せして支払ってくれる方が誠実ではないか
  • 私は去年、転職活動をして内定を取った実績がある。いざとなったらまた勤め人に戻れる
  • 健康保険組合は退職後2年は継続希望手続きをとれば保険料そのままで今の健康保険証を使える。そのあとは、状況に応じて子供を母親側の扶養とするか、国民健康保険として自分が支払って控除を受けるか、計算して税金が安くなる方を選べばよい
  • 年金は厚生年金ではなくなるから減るかもしれないが、そもそも会社が厚生年金の加算分を支払えるのは従業員の給料から差っ引いているからと見なすこともできるから、退職金の議論と同じことが言える
  • サラリーマンの一番の武器は信用。それが一番発揮されるのは住宅ローン。我々はもう住宅ローンを契約している

みたいなことを話しました。

ブログの更新頻度に関しましては、今後は上げる方向に持っていこうかと思っています。時間が確保できれば、ですが。これも色々調べた感じ、私のブログはPV数の割に全然稼げてなくて、どうもマネタイズがド下手だったみたいです。上手くやれば私のブログだけで生計を立てていけるくらいのポテンシャルを秘めているように思います。だって、東京消耗某のブログとか見ても大したこと書いてないでしょ。あんまり真面目に読んだことないですけど。消耗某がブログで食っていけるんだったら、自分だったら上手くやれば嫁子供を養った上に別荘建てて夏休みは避暑地で過ごせるんじゃないかなと思います。あんまりいうと「じゃあやってみせろよ」って言われそうなので深くは書きませんけど。

そんなことを言いつつ、フリーランスで仕事は貰うという堅実な計画を立てるのが私の良いところですね。いや、フリーランスって全然堅実じゃねーよ、そもそも全部皮算用じゃねーかって言われるかもしれないですけど。

ブログに関してはもうちょっとマネタイズの方法を考えていきたいとおもいますが、しかしあからさまにアフィリエイト小僧サイドに堕ちるのも私のポリシーに反するので、「価値あるコンテンツ」を作るという方向性はガッチリ固めて動かさないようにしたいと思います。最近価値あるコンテンツ書いてんの?って言われたらそれも怪しいです。

人との出会いについて

フリーランスは人脈がかなり重要という話をよく聞きます。はっきり言って今の仕事をやっていても人脈というのは広がらないので、今から構築するしか無いですね。私の究極的な目標は自分の作ったサービスで起業して飯を食っていき、それで死ぬまで金を稼ぎたいという感じなのですが、まぁそこに至るまでも、一人ではできないことも多数あるんでしょう。

これからする話はWeb上でも何回か書いた話ですが、このブログを立ち上げてからは一回もしてないのでいい機会なので書いてみたいと思います。

私が高校生の時、とても仲の良かった友達が死にました。まだ16歳でした。死ぬ直前に童貞を脱出していたのだけが不幸中の幸いでした。彼と私と、もう一人の友達(Sとする)は学校が終わった後によく遊んでいました。もう時効だから白状しますが、あんまり健全なことはしてませんでした。昼から酒を飲んだりタバコを吸ったり、深夜に家を抜けだして学校で酒を飲んだり、罰ゲームと称して同級生の女の子に電話してたりしました。ちなみにタバコは20歳になったときにやめました。

その日は夏で、いつもと同じように学校が終わったら川で遊ぼう、という話をしてました。釣りしたりとか泳いだりとかヤスで魚を突いたりとか、そういう感じですね。その川というのは膝くらいまでしかないのですが、友達はその川で流されてそのまま帰らぬ人となりました。流されてしまった直接的な原因ははっきりとはわかっていませんが、おそらく苔で滑って転び、頭を打ってそのまま気絶して流されてしまったとか、そういうことなんじゃないかと思っています。小さい頃から遊び慣れてる川ですし、溺れるということはまずありえない気がします。

流された友達は消防の人が見つけてくれてすぐに救急搬送されましたが、その時点で40分経過してました。自分は、5分以上呼吸が止まると急激に蘇生率は低下していき、10分を超えると絶望的ということを知識として知っていましたので、これはもう奇跡が起きて助かったとしても重大な後遺症が残るだろうとかいろんなことを考えてました。私は救急車を呼んだあとは警察が私を探しているという話を聞いたので母親が運転する車で駐在所まで行き、何度も何度も同じことを話して調書を取られました。もう友達が死んだかのような扱いで、私としては早く病院に行きたかったのですけど、結局開放されたのはあたりが暗くなってからでした。

それでも私はまだマシでした。友達のSは深夜まで取り調べを受けていました。私は友達が流された瞬間に居合わせませんでした。流されてから数分立ってから現場に到着し、そこで初めてSから状況を聞いたのでした。今でも昨日のようにその光景を思い浮かべることができます。その川はバス停から実家の途中にある川で、私は学校帰りにすでに二人が川で遊んでいるのを発見し、「自分は一度帰ってからまた来ようと思ってるが、あとどのくらいここにいるか」ということを聞きました。大体、川で遊んでからSの家に移動するのが常だったので。すると死んだ友達は「うーん、分かんねぇ」と言ったのですが、それが最後の言葉でした。いつかは親しい人が死ぬだろうということは考えていましたが、それが16歳のときという想像は全くしてませんでした。

病院にたどり着くと病院には高校の先生方がすでに集まっていて、そこで「一旦は除細動器で心拍が再開して、そこで大きい病院に運ぼうと準備し始めたところでまた心拍が停止してしまった。40分も経過してから心拍が一度でも復活したのはやはり若かったからなのだろうと先生(医師)が言っていた」という話を聞きました。

病院に入るとすぐ、友達の母親と思われる叫び声が聞こえて、何人かの先生が「あいつに会いに行くか?」と聞いてきましたが、とても行く勇気は無かったです。そのほか、同級生が何人かすでに集まっていて皆肩を寄せあって泣いていましたが、私は不思議と全く涙が出ませんでした。でも、ここで涙を出さないと薄情に思われるかな、と思うと自然に涙が出てきました。それでも、あの絶叫の中へ飛び込んでいく勇気はとてもありませんでした。

涙が出なかったのは、死を受け入れられなかったからでしょう。私は未だに命日にはその友達の家に行き、近況を報告していますが、未だに彼の死を受け入れられたという感覚はありません。どこかで生きていて、電話すれば答えてくれるような気がどこかでしています。

彼が死んでから私はいろんなことを考え、世界の見方が大きく変わったように思います。あの前後で自分のなかで大きく何かが変わったのですが、それはうまく言葉にできません。とてもこの一つの記事では語り尽くせないほどの思いがあって、これもいつかエッセイみたいな形でまとめられたらと思うのですが、それは横道に逸れるのでおいといて。

とにかく、私はその瞬間から変わりました。そして、友達のSや、その他一緒によく遊んでいた友達数人も徐々に変わっていきました。皆、高校を卒業してそれぞれの人生をバラバラに歩み始め、あまり皆で集まることはなくなりました。

で、私の中で何が変わったかというと、一番大きな変化は「自分が死んだ友達の分も生きてやろう」と思うようになったことです。おそらく、そういう思いは皆程度の差こそあれそんな感じのことを思っていたんじゃないかと思います。そうやって彼が経験できなかったことを皆が分担して経験すれば、それが一種の供養になるのかなという曖昧な考えを持っていました。

私はそう決めた瞬間から人生で妥協しないようにしようと行動し始めました。具体的には、まず大学をちゃんと出て、まともな会社に就職しようと思いました。それまでは高卒で働こうと思っていましたので、高校も進学校ではなく、偏差値も県内では下から数えたほうが圧倒的に早いような高校に通っていたのですが、まあなんとか大学に入学できました。国公立の4年制大学に進学した記録はここ最近の知る限りでは記録が残ってないとのことでした。そういう高校から大学合格できたので、私としては大いに自信がついたエピソードでした。

しかし、その時に一緒に受験勉強を頑張った同級生の何人かは志望校に合格できず、予備校に通うことになったのですが、そこでまた一人の友達を亡くしました。アパートを借りて県外で予備校に通っていたのですが、そのアパートで脳出血により死んでしまった、という話を聞きました。まさか10代のうちに2度も友達の葬式に出ることになるとは思いもしませんでした。そこでも私は「あいつはもう勉強したくてもできないのだから、自分がその分まで勉強してやろう」という思いを強めました。

大学に入るとまあいろんな人がいるもんで、中には遊び呆けている人も多かったですが、私はもうそういう人らを見ると腹が立ってしょうがなかったです。俺の友達は死んでしまったから勉強したくてもできないのに、なんでお前らみたいな輩が勉強もせず遊んでるんじゃと思ってました。私の10代後半〜20代後半の行動原理は概ねそんな気持ちに拠っていました。

それで、私は友達が死んでから何でもかんでも自分のことは自分でやるようになり、そしてできること、知っていることを一つずつ増やしていきました。それら一つ一つが私の自信となり、いつしか私は一人で生きてる気になっていました。私は自分で自分のことをやれる。あんな底辺高校からここまでやってきたんだから、まともに勉強してきたお前らだったら俺よりももっとできるはずだろう。そうなってないのは甘えてるからだ。という念を抱くことが多かったです(これは今もそう思うことがたまにありますが)。

ただ結婚して30代になり、改めて自分の人生を振り返ると要所要所でいろんな人の影響や手助けを受けているということに気づき、また若かった時の熱意も徐々に薄れてきたりして今ではそこまで「俺はやったるんじゃ!!!」みたいな気持ちは無く、それよりも自分の両手両足が届く範囲でうまくやって最大値じゃなくて極大値を狙っていきたいと思うようになってきました。たぶん、死んでいった友達も私がその死んでいったという事実を基礎として正論振りかざしたりする姿をみたらウザいと思うんじゃないかな、と思ったりもします。

その「影響を受けたいろんな人」というのは友達だったり大学の先生だったり、色々ですね。思えば私が車に興味を持ったのも、パソコンのことを教えてもらったのもどちらもある一人の友達が居たからこそでしたし、仕事の仕方や考え方は研究室の教授の影響が非常に強いです。いま東京に住んでるきっかけと私の生活スタイルや好みは嫁さんの影響が非常に強いですし、子供を育てるようになってからは子供の考えにもいちいち感心する毎日を送ってます。いろんな人の意見や考え方を再考することで影響を受けて、私は最近またさらに急激に変化しつつあるように思います。

これからの人生はたぶん今まで歩んできた中で経験したこと以上のことをたくさん経験するはずです。30代はあまり堅苦しいことを考えず、ゆるーく自分がやりたいことをやっていけたらいいなぁと思っているのですが、まあ色々チャレンジしてみたいと思います。

「anopara」はずっと書き続けていく予定なので、これからも見て頂けると幸いです。