仕事が辛いので辞めたいです、誰かから認められたいです、という話

前の記事からの続き。

  • 結婚して幸せになりたい
  • 仕事が辛いのでやめたい
  • 認められたい、褒められたい、自分を受け入れてほしい

がSNS三大愚痴である(anopara調べ)であることは前の記事で説明しました。そして一番目の結婚の話は前の記事に書きました。

あと2つも何となく書いていきます。

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なお、自動車の話題は筆者のモチベーションと興味の低下によって答えられない可能性が高いです。

仕事が辛いのでやめたい

仕事の愚痴から始まり、仕事が辛い。辞めたい。こんな職場で勤め続けるのは無理。辞めたい。辞めたい。そういう悩みも沢山目にしますね。

これについては非常に簡単な解決方法があるんですよ。辞めれば良いんです。

私は辞めるのが唯一でかつ最も効果的な解決策だと思っています。

「でもね、職場がクソなんですよ、従業員も上司もクソなんですよ。そういうクソをほっぽりだして自分が逃げては何も解決しない」うんうん、そうだね。それもアイカツだね。よくあるよくある。職場がクソじゃなかったらそもそも仕事やめたいという思いに至らないもんな。君は正しいね。正義だね。立派な発想だよ。

しかし君は正義かも知らんが、スーパーマンじゃねぇんだよな。君も僕も、多数の一般ピープルは正義グループに所属しているかも知れないけれどスーパーマンではないんだ。分かるかな。スーパーマンではないので、少数の正義が既存の多数の政治勢力に勝つことはできないんだよ。

つまり、「そういうクソをほっぽりだして自分が逃げては何も解決しない」はそのとおりで異論無いんですが、かといって「だから正義の発想を持った私が戦って正さないといけない」というのはそれ現実的じゃねぇんじゃないかな、と思う。

組織を変えるのって様々な政治力学が絡んでくるので容易では無いんですよ。正義を信じるジャスティスマンは「正義なのだから悪に勝つのは当然でしょ」「理詰めで話せば論破できるでしょ」って幻想を持ってるかも知れないけど、それはひろゆきに感化されすぎなんだなぁ。政治に対抗できるのは政治だけですよ。例外があったら教えてほしいね。「正義であるということを駆使して同志を集めて腐敗に対抗する」、それは正義で政治に対抗しているのではなくて、政治で政治をねじ伏せてるに等しいんだよなぁ。

そこまでやるのって超大変だし、その超大変な難事業を完遂したところで得られるのは「まともな職場」というプラマイゼロの世界ですよ。労力に見合わなくね?と思うんです。

さらに言えば少数人が信ずる「正義」に基づいたジャスティス棒で既存の政治勢力をボコボコにしていくってこれそもそも危険な行為だと思うんだよね。少数人数が信ずる正義というのがそもそも思想的に偏ってしまうんですよ。だからその中に「世の中の大多数の人が信ずる忠義、正義」みたいな、実際正義といっても差し支えない思想が多数だったとしても、一方で「いやそれはどうかな…」みたいな思想をゼロにすることは不可能であって、となると現状に問題があるとは思っているが、お前らのやり方が正しいとは思えない、という第三勢力が出てくるのもこれ当然あるわけで、ともすれば、ジャスティス棒でぶん殴ってるつもりが「面倒くさくて迷惑かけてる現状変更勢力」と見なされる可能性も大いにあるわけですよ。そしてそれは見なされるっつうか、実際そうなってしまう危険性もあるわけですよ。

それでもやるの?「オレオレ世直し」を。私はおすすめしないなぁ。

その他によく聞く話としては、「でも、私が辞めたら職場の人に迷惑がかかる」というやつ。うんうん。そうだね。それもプリキュアだね。

迷惑はかかりますよ。どの職場も大体人が足りてねーのが常態化しつつあるのが日本社会でございますので、辞めたら迷惑がかかる、少なくとも短期的に他の人の仕事が増える、ということは高確率で発生します。

でもね、だからなに?と思う。私が辞めたら迷惑がかかる。だから自分の人生を犠牲にして他の人に迷惑がかからないようにするんですか?立派ですな。やや、これはおみそれしやした。でもな、人間、生きてりゃ多かれ少なかれ他人に迷惑がかかるのは当然であるとも思うな。他人への迷惑と自分の幸せを天秤にかけて、前者を選びますっていう結論になったのなら仕方ないけど、もうちょい自分の幸せを追求してもいんじゃね?と個人的には思うんです。

まず、仕事を辞めるって一つの人生の転機だからね。そういう重要な節目に多少の迷惑をかけても「いいよいいよ、会社辞めても飲みに行こうぜ」って言ってくれる同僚を作れなかったという問題もあるかも知れんな。と、書くと心をえぐられる人がおるかも知れんのでこれ以上は止しとこう。ちなみに私はそういう同僚は居ないです。そこになかったら無いですね。ナチュラルに「迷惑かけても辞めたい。というかムカつくやつに迷惑がかかるのでむしろ幸せ」とすら思ってました。

あとは、「でも、入社してすぐに辞めたら次の会社の採用で不利になるのでは…」というやつ。うんうん。そうだね。それもプリパラだね。

これはね、場合によっては不利になるケースがあることが想像付くのでちゃんと考える必要がありますな。ただここで忘れてほしくないのは面接官も人間なんですよ。細かい採用基準が決められていて面接官自身の判断に制限が課せられているというケースもあるとは思いますが、基本的には人間なので柔軟な判断が出来るはずなんですよね。

たとえば前の職場を2ヶ月で辞めました。そしたら大抵の面接官は「なぜ2ヶ月で辞めてしまったのですか?」と聞きますね?聞かれたら理由を正直に話せば良いんですよ。例えば「実は、職場内でいじめ、セクハラ、パワハラが横行しており、具体的にはこういうことがありました」「創業者一族が幅を効かせていて独裁体制が敷かれており、平社員の意見は1ミリも通らず、挑戦ができないがために成長も望めなかった」「当初、開発職として採用されたはずがいざ業務が始まったらその約束が反故にされ、毎日役員への説明を行う資料作りに終始させられた」みたいにね。それで「ああ、なるほど…」と納得してくれる面接官であれば2ヶ月で辞めたという経歴をマイナスとは捉えないでしょうし、一方で「たったそれだけのことなのに2ヶ月でやめちゃうの?」と思うような面接官であれば、その会社は地雷だからそもそも受からなくても結構、と言えるでしょう。

もし、口が軽いと思われそう…と思うのでしたら、それも正直に「採用という私の利益に直結する話なので会社の内部事情をお話します」と前置きしとけばそれで良いと個人的には思いますね。

以上、ご参考になりましたら幸いでございます。

認められたい、褒められたい、自分を受け入れてほしい

これもよく聞く話なんですよね。うーん、褒められたい、ですか…?申し訳ありませんが当社では取り扱っておりませんね…。

そう、お取り扱いが無いんですよ!残念ながらね。あーっ、残念だなぁ!フリーで認められる、褒められる、受け入れられる、あわよくば好意を向けられる、そういうサービスのお取り扱いは無いんですよねぇ。特に大人になるとね。大人になると、承認欲求を満たす言葉は基本的にセルフサービスになるのであって、無償でそれらが空から振ってくるサービスはお取り扱いが無くなってしまうんですよ。まことに残念なことにね。

パパママに育てられていた頃、あるいはなにがしかの教育機関で教育をうけていた頃、あるいはまともな先輩社員によって新人教育をうけていた頃、この頃は無償で褒められるサービスのお取り扱いがあるんですよね。教育が円滑に進めるために採用されるオプションプランでございますな。でもね、ごめん、それ年齢制限、職歴制限があンだわ。「ゆずりあいロード ここまで」って道路標識と同じだな。この世は競争社会、いつまでも仲良しこよしが続くわけじゃねンだわ。

でもそれらって特に契約書を交わしてたわけでもないし、「基本的に褒めてくれるサービスタイム ここまで」という標識や電光掲示板が立てられてるわけでもないし、担当者から「いい子いい子されるサービスには年齢制限がございます」と説明を受けるわけでもないのが現状なんですよね。「分かっておりますな?」という暗黙の了解で成り立ってる世界。だからさ、サービスの終了時期が明確に分からんのよ。

わからんから、あれ?気づいたら褒めてくれる人、多少の短所も受け入れてくれる人、頑張りを認めてくれる人、居なくね?とある日気づくわけです。あとは、「男子!ちゃんと掃除しなさいよ!」って普段怒鳴り散らしてるメガネの学級委員長であるが、放課後、図書室で大量の本を書架に納めているのを見かけて手伝ってあげたら、「ありがと。男子ってこういうのやってくれないけど、啓太だけはちがうよね」とか言われて「え?そうかな。俺でよかったらいつでも手伝うよ」「うん、ありがと。…啓太は、みんなにそうやって優しいよね」「え、なに?どういうこと?」「え、あ、ごめん。違う。そういう意味じゃないから」「そういう意味ってどういう意味だよ」「違うの!ごめん、忘れて。………ねー、ほんと、やめて。違うから」って顔を赤くするメガネの学級委員長とかね。もう居ないんですよ…。

そういう「私を褒めてくれる人」「受け入れてくれる人」たちが、もう居なくなってね…?と気づくのが、人に寄っては20代半ばくらいなのかな、と思う。でもこれも個人差があって、中には30代になってもいじけてる人はおりますので、これは一概にどうと言い切るのは危険でございますな。

まあ要するに、人生ってのは誰も褒めてくれない、頑張りも認めてくれない、考えを受け入れてもくれない、それがデフォルト値、工場出荷時設定なんですよ。残念ながらね。

だいたい、褒めてくれないと思っている人は、自分が本心ではなくて多少大げさに他人を褒めた経験がどれくらいあるか考えたことあります?私は正直、殆ど無いね。だって褒めても自分にメリットが無ぇんだもん。きっと他の人も同じだろうと思ってる。だいたいさ、SNSでは「電車が3分遅れてきたが運行情報には何もなかった。3分なら良いとおもってんのか」「店員が小銭を放り投げるように渡してきた。コロナで接触を避けたいのは分かるが配慮が必要」みたいな文句が大量に記載されておるじゃん。そういう細かい所にお客様は神様精神を発揮してしまう人たちが他人の多少の欠点を許容し、なんなら良いところを無理矢理でも見つけて褒めてあげるなんて行為を出来るわけがないね、と思うね。

だから褒められたいと思うんだったら無理矢理でも自分から周囲の人を褒めてあげるのがまず大事だと思うな。別にすごいとは思ってない、褒めるほどのことでもないことを見つけて無理やりでも褒めていれば、周囲の人が自分に対して褒めるという敷居も下がっていくでしょう。人間はここでも政治的な生き物だからね。ギブアンドテイクとかいう言葉がなぜかいい言葉として認知されていますが、これは言い換えれば「相手が褒めてくれないとこっちも褒めてやんねえ」の裏返しですよ。頭の中に無意識のうちに「褒められたカウンタ」「褒めたカウンタ」を個々人ごとに用意して、「褒められたカウンタ」がある程度「褒めたカウンタ」よりも進んでないと「褒める」が発動しないんですよ。「何で私のことは褒めてくれないのに自分が褒めなきゃならんの?」、これをもっと一般化すると、「なんで私が嬉しいことをしてくれないのに、私が相手が嬉しがることをやらないといけないの?」という気持ち、これはどんな人にでも多かれ少なかれ絶対にあるね。いーや、あるね。あるある。それもアイカツだね。

「褒められたいと思うんだったら無理矢理でも自分から周囲の人を褒めてあげるのがまず大事」というのはその仕組みを逆手に取った方法なわけですね。こういうのは恋人間や家族間でやると都合が良いな。自分の全てを受け入れてくれるという発想が人間同士の関係性と一致するし、これが上手くいくと家族、恋人間の関係が一種のセーフゾーンとして機能するから自己承認欲求を満たすと同時にストレスも減る。恋人家族が居なくとも、仲の良い友達、SNSのコミュニティでも同じことだと思うな。しかも、褒めたら褒められた方はそれが多少のお世辞を含んでるにしても、「おっ、こいつ良いやつやんけ」って思ってくれるんですよ。それってめっちゃ楽じゃない?人をおだてることで潜在的な敵が一人減るかもしれないんですよ?めっちゃ楽じゃない?自分の中の「褒められるより褒めた方が多いのは嫌だ」「私は褒められないのに他人のことを褒めるのは嫌だ」というちっぽけで何の役にも立たないクソみたいなプライドに蓋をするだけでこんなに良いことがある。だからね、まずみんな他人のことを褒めよう。認めよう。多少の欠点は受け入れよう。と、思う。

もう一つ、別のアプローチとしては自分で自分を褒めてあげるということがございますね。前述したとおり、これはセルフサービスに当たります。

これも非常に大事ですね。なんでもかんでも、モチベーションを保つ一番効果的な方法が「他人と比べるのをやめ、過去の自分と比較して成長を実感することを繰り返す」です。他の人と比べてたら一向に差が埋められない…となりがちなところを過去だめだった自分と比較することによって、あの頃の自分よりは確実にマシ、成長している。それってすごいことじゃない?という気持ちを大事にする。そうすることで承認欲求を満たしていくことが出来る。と、こういうわけですね。

これは子供のうちから出来てるとなお良いですね。早ければ早いほど癖が付きやすく、効果的です。承認欲求を自分で満たせる人は強いですよ。自信家に育ちます。自分のことをすごいと思ってるので。そして実際、モチベーションを維持し続けて努力を続けたならば、実際に見合う能力が付いている。こういう姿が一番理想的ですな。

と、まあそんなあたりを意識すれば良いんじゃないでしょうか。あとはまかせた。よろしく。