アスカが幸せで本当に良かったです

盛大にネタバレしていくのでご注意下さい。また、内容は記憶に基づいているので誤りが含まれている可能性が高いです。

そういうわけでシン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇 を見てきました。この正式なタイトル、見る前も見た後も正直覚えてない。

同窓会

シンジ、アスカ、綾波みたいなやつの三人はとある村に行き着いた。ニアサードインパクトから生き残った人々が第三村?とかいうやつ。第3新東京市が村まで退化しました、みたいな感じかな。

そこで1000人くらいが村を作り生活している。基本的な機械類(農業、交通に使われるようなもの)、線路、ディーゼル機関車、電気くらいはあるみたいだ。稲作を行っている。この規模の生活をたかだか1000人規模で支えるって正直厳しいんじゃないかな、とは思う。例えば日本の地方の小さい町なんかを想像してみると現実感がつかめるかもしれない。ともかく、その生活基盤や物資を提供しているのがヴィレの下部組織の何とかとかいう所だそうだ。そういう設定によってエクスキューズされてる。そもそもヴィレ自体、あの規模の軍隊を維持していくのに相当なインフラや人員や物資や工業設備その他が必要なような気がする。もっと謎なのはネルフの方で、ネルフなんか実質ジジイ二人しかいないみたいな感じなのであれでどのようにして組織運営してるんだろうか。まあそのあたりがどうなってるかを詳しく語っていっても面白くないので描かれないんだろう。個人的にはそういうところが好きなんだけど。

第三村にはかつての同級生であった鈴原トウジ、相田ケンスケ、委員長らも住んでいる。鈴原および委員長には結婚して子供もいる。鈴原は医師(おそらく無免許)として働いている。ケンスケは町からすこし離れたところで付近の偵察をしたり機械設備をメンテナンスしたりしてアスカと暮らしているらしい。シンジらは「エヴァの呪い」とやらで外観が中学生くらいの年齢で止まってしまっている。アスカも同様。しかしかつての同級生はおそらく、20代後半?くらいまで年を取っているようだ。

このシーンはまるで同窓会みたいな感じだ。みんないい大人、中堅、みたいな感じになってる。アスカもアスカで見た目は子供であるが中身はそれなりに大人になっているということらしい(そうは見えないが)。シンジだけが子供のまま。シンジは結果的に自分が二度も世界を崩壊させようとしたこと、渚カヲルを助けられなかったことなどを悔み、ずっと落ち込んだままだ。このグチグチしててボクって可哀想、みたいな被害者感情(実際可哀想であるとは思うのだが)に包まれて日々いじけて過ごす。

この辺はやっぱりエヴァンゲリオンだなって感じがする。エヴァンゲリオンとは碇シンジがぐちぐちいじけ続けるアニメであるから。そのいじけ続けていた少年が世界を救った、みたいなストーリーになるはずがアニメでも旧劇場版でもそのあたりははっきりと描かれなかった。よく見れば何らかの成長は感じることができるものの、普通に一回見ただけでは分からないような難解なものになっている。

結局シンジはネルフの設備なしでは体を維持できない綾波もどきがLCLになってしまったことを契機にヴィレに戻り、父親と決着を付けることを決意する。第三村とはその決着を付けるまでのグチグチからの脱却および、過去のキャラクターが登場する同窓会としての役割を果たしている。

ネット上の感想を見ていると、このあたりがしんどいと感じる人も居るようだ。曰く、エヴァにハマっていたオタクはみんな大人になったわけだが、今更になって「結婚して子供を作れ」みたいなメッセージを今更見せられても困る、今更結婚なんて出来ないオタクがほとんどでは、ということらしい。

個人的にはそうかな?と思う。あれを結婚して子供を作れ、というメッセージには私は感じられなかった。だって結婚して子供が居るのは鈴原と委員長コンビだけだからな。まあ他にキャラクターが居るわけでも無いんだけど…。その子供が出てくるシーンも綾波そっくりさんが赤ちゃんに触れて人間の心を取り戻す、という下りの説明として用いられているだけで、子供を生み育てること自体が素晴らしいというメッセージ性は特になかったと思うんだな。

言っちゃ悪いが、あれでしんどいと言われる人の心はナイーブ過ぎるし自分の考えと関連して考えすぎじゃないか、とは思う。

ケンスケは一人で一歩引いたところでコミュニティに貢献しているし、綾波そっくりさんもなんだかんだで分からないなりにコミュニティに交じる努力をしている。別に子供居なくても結婚して無くてもそういう社会との関わり方だってあるんじゃないですかね。沢山ある生き方の一つに子供を育てるというのがあって、それが描かれているだけだと思うんだけどな。じゃあなぜことさらそのメッセージが強く伝わってしまったのかと言えば、それは見ている本人に色々な後悔があるからなんでしょう。それを「今更結婚みたいなメッセージを見せられても困る」と言われてもなあ。あなた方の人生はアニメから教えてもらわないとうまく行かないんですかね。そういうことじゃないでしょう。アニメその他が人生に強く影響することはあるでしょうけれども、それはそのまま人生になるわけじゃないでしょ?噛み砕いて自分の都合の良いところをピックアップして利用するから「糧になるんでしょ」と思うけどね。

最終決戦

この村の描写が個人的には長かった。小便がこの時点で結構貯まってたんですよね。

村を後にしてからシンジはヴンダーに乗り込みヴィレ一同とともに最終決戦へと向かう。ここあたりからちょくちょく、アスカは最終決戦が終わったら自分はもう死ぬ、みたいな特攻隊を思わせるような発言を混ぜていく。

ネルフはジオフロントを覆う核(青?白?き月とかいうやつ)ごと南極に移動するが、それをヴィレが止めるというシーンだ。アスカと巨乳のメガネの子の二人がそれぞれエヴァに乗り込みなんやかんやと戦う。もうエヴァが何号機だとかいうのは全然分からない。普通に見ていて覚えきれる人が居るとは思わない。

この戦いの前後でアスカは旧作と設定がちょっと違っていて、アスカも綾波と同じく「式波シリーズ」と呼ばれるクローンだったことが明らかになる。また、自身も使徒になることができるっぽい。「惣流」から「式波」に名前が変わったのはそういう設定が元々会ったんだろうと思う。元々、エヴァの女性キャラクターは旧日本海軍の空母の艦名から取っていたが、綾波だけは駆逐艦であった。「惣流」は漢字が違うが「蒼龍」という空母があって、「式波」は「敷波」という艦名の駆逐艦がある。空母と駆逐艦の違いはつまり、他の女性キャラクターとは何か明らかに違うものがある、おそらくは「空母」でないので「母」にはなれない、つまり生殖能力が無い、みたいな設定があるんじゃないかと思われる。

なんやかんやあって碇ゲンドウと直接対面したヴィレの面々。ここで赤木リツコが躊躇なく碇ゲンドウの頭部を拳銃で何発か射撃していたのが非常に良かったと思う。こういう独裁的な組織運営をするやつはちょっと懲らしめたほうがいいよね。もっとどんどんやったれ。

しかし碇ゲンドウはネブなんとかの鍵ですでに人間でなくなってしまっていた。な、何だってー!みたいなあるある展開。

碇ゲンドウはマイナス宇宙なる、エヴァ以外では侵攻できませんみたいな空間に突入していき、仕方ないなあ、碇シンジが初号機に乗って止めるしか無いやろ?みたいなこれもまたあるある展開に至る。

で、それを止めるピンク髪のギャルみたいな女の子がこれ非常に良かったと個人的には思う。「エヴァに乗ってニアサードインパクトを起こして、ワイの父ちゃんも母ちゃんもそれで死んでしまったんや、だからエヴァにもう乗らんように組織運営を整えて非常事態にはリモート操作で首ちょんパできるDSSチョーカーを装着する、そのリモコンから離れたときもミサトの姐さんは爆破せんかったやんけ、おどれらがシンジを止めんのやったらアタイが鉛玉くれてやる」みたいな趣旨のことを言って拳銃を構えるんですよね。

これは完全に正論なんですよ。

基本的にエヴァンゲリオンって頭おかしい人の集まりで構成されてると思うので、そういう中でこういう常識人的な立ち位置の人はとても個人的には好感が持てます。確かに、ニアサードインパクトに類する事象を防ぐということを組織の使命としておいているのですから、碇シンジをエヴァンゲリオンに乗らせるなというのも絶対的なルールであって、それを守るためにDSSチョーカーみたいな安全装置の装着も義務付けておきながら、前回ミサトは結局碇シンジが逃亡した際にも殺害することが出来なかったし、今回も自身の権限によってこれまでのルールを捻じ曲げてエヴァンゲリオンに乗らそうとするんですよね。少数の人間が恣意的にルールを捻じ曲げて適宜運用、みたいなのは個人的にはめちゃくちゃ嫌なのであって、皆で合意したルールは守れ、守れんルールは決めるな、とすごく思う。ガバナンスの問題ですよ、ガバナンス。

でも結局、そのピンク髪の子を止めたのが鈴原トウジの妹であって、これがまた碇シンジの女房みたいにネット上では呼ばれていて「もう人様に迷惑ばっかりかけるダメな旦那ですんませんが、ここは旦那が出張ってくしかないっつうのも事実なんで、ひとつここは穏便に」みたいな感じで収めてしまいます。旦那じゃないけどね。いやあ、どうなんかなーこういうの。私が仕事で皆で決めたルールを忠実に守ってるのに、安易なお涙頂戴とか「あいつも頑張ってるからここは一つ、目をつぶってやれ」みたいな感情ドリヴンを発動させられたら俺だったらもう組織への信頼はゼロになるね。

碇ゲンドウの胸の内

碇シンジは父親と戦いを始める。が、しばらく戦った後に碇ゲンドウが「我々に必要なのは実力行使による決着ではなくて話し合いである」などとふざけたことを抜かしはじめ、二人は戦いを止めて例の電車の中で対話を始めます。ここは正直、はあ?なめてんの?おふざけになるのも程々にして下さる?と思いましたね。対話で解決しようなんていう気持ちがあるんだったらこの段になる前にもっと最初の方で、アニメ版の二話くらいからちょくちょく対話してろっての、お前ら二人の親子喧嘩みたいなもんやんけ。と、思う。

話し合って解決できると1ミリでも思ってんのだったらここに至るまでにやっとけ、としか思えない。何を今更。全ての交渉が決裂して武力をもってして目標を達成させようという段階になってから「やっぱやめ」なんてのはなぁ、どうなんかなあ。ええ?

そんでここで碇ゲンドウの胸の内が明かされます。曰く、ずっと自分はボッチで一人の世界にこもりがちだった折に碇ユイという素敵なべっぴんさんに出会い、碇ユイに冷たい心を解き放たれた結果、大事な人が誰なのかよくわかった。みたいな、アナと雪の女王みたいなことを言い始めます。

ここで、あのメガネ巨乳の子の出処も明らかになります。あの子は碇ユイ、ゲンドウと同じ大学に居たんですね。「ゲンドウくん」などと親しい呼び方をしていましたがそういうことだったわけですな。

で、大学在学中に付き合い始め、結婚して、なんやかんやあって碇ユイがエヴァンゲリオンの起動試験中に消えてしまい、それに耐えられなかったがために、何某インパクトを発生させて人類の望みを叶えてユイに再び会うのだ、的な事を説明し始めるわけです。このあたりは旧作と設定は同じですね。

私は昔から思ってたんですが、あそこまで沢山クローン人間作ることに成功してんのだからもっとそっちの方で頑張ったほうが碇ユイ復活への道は近かったんじゃないんですかね。よくわかんないけど。

結局碇ゲンドウは話し合いの末に「碇ユイはずっとシンジの中に居たんだなぁ」みたいな事を言って成仏します。ばいばい。

世界の再構築

この辺りから旧劇場版のファンには嬉しいシーンが続きます。旧劇場版で出てきたシーンや演出が沢山登場して核心に迫っていく。

渚カヲルが「今度こそ君を助けるよ」と何作か前に言っていたことなどからもわかるように、やっぱりこの物語は何度か世界をループしているしているという設定みたいですね。それを知っているのは渚カヲルと、もしかしたら加持リョウジも何か知ってるのかもしれません。昔は「渚司令」と呼ばれていたこともあったそうで。

シンジはみんなが幸せになれるような世界を構築し、自身は消えることを選択する。

印象深かったのはアスカ。アスカが子供の頃からずっと抱いていたちょっと不気味な人形(多分安野モヨコデザイン)からトウジが出現し、「アスカも大事な人が近くに居るってわかると思う」みたいな感じで二人が一緒になるような世界を再構築します。

あんまりよく覚えてないけど、綾波レイと渚カヲルを助けるシーンもあったような気がする。

最終的にワイはやることは全部やった、あとはここで死ぬだけや、みたいな気分に浸っていたところで碇シンジの中に入っていた碇ユイが「いや、私が犠牲になるからあなたは帰りなさい」的なことを言って息子を送り出す。どうも、この瞬間のために碇ユイは碇シンジの中に潜んでいたそうで。ここは感動的なシーンのはずなんですが、ちょっと前に碇ゲンドウが「自分の息子の中にユイを見出した」みたいな事を言っていたので、それは息子の中に母の面影を見出したみたいなハートフルストーリーだったと思ってたんですが、そうじゃなくて実際に息子の中に入ってたんかよ!!!と突っ込んでしまってあんまり感動に至らなかったですね。

最後は再構築された世界に碇シンジ、とおっぱいの二人が居ます。新卒1年目、みたいな感じで若干大人になっています。碇シンジとメガネおっぱいは付き合っているようです。その駅のホームの向こうには渚カヲルと綾波レイがこれまた二人共親しい感じでイチャイチャしています。渚カヲル、その、なんだ…。彼はストレートだったんだな…。

そんなんで終わり。

正統派の終わり方

全般的に見てこれまでのアニメ、旧劇場版、新劇場版シリーズ、これら全部の伏線を回収しつつ、当初の終わり方と同じように「大人になった碇シンジが父親を超えて父親のやらかしをうまく収める」みたいになっているので全体的に見たら正統な終わり方なんじゃないかなと個人的には思います。ハッピーエンドで終わらすならこういうストーリーが一番じゃないのかな。

ずっと昔からエヴァンゲリオンを見てきたファンに関しても「ようやく終わってよかった」という安堵の声が多いようです。そうですね、終わってよかったですね。

個人的には最終的な結末がどうであっても良いからとりあえず終わらせてほしかったと思っていたのでよかったです。

ただ、好みで言えば旧劇場版の残虐な描写や気持ち悪くて恐ろしい、何か生き物として大事な部分を冒涜されているような感じがすごく良かったので、もうすこしそっちの方に寄せてほしかったなとは思います。が、それは単に私の好みの話なのでまあ。

Blender と Unity と Adobe

最後のクレジットの中にBlenderとUnityとAdobeのロゴがありました。全編Premiereを使って編集したらしいですね。プロジェクトのサイズがめちゃデカくなって動作がクソ重くなるのを回避するためにAdobeに独自ビルド版を作って提供してもらったとか。

Blenderは多分、インフィニティの何とかとかいうのが大量生成されて津波のように流れていくシーンがありましたが、あのへんで流体シミュレーションで使ってるんじゃないかな。Blenderでよく見る機能にそっくりです。Unityはよくわからないんですが、使徒などの大量のオブジェクトをプログラム的に生成・運動させるあたりで使ってるんじゃないでしょうか。

この三種は私はそれなりに触ったことがあります。特にBlenderに関しては昔から「フリーにしてはよく出来ているが、映像プロダクションの現場では使用できない。なぜならばBlenderに乗り換えるメリットもないし、使える人間を探すのも大変だから」みたいなことを言われてましたが、こうして映像作品で堂々と用いられているのを知るとちょっと感動しますね。

演出は総じて「美大生の卒業制作」みたいなだなという印象を受けました。決してそれは低レベルだとか良くないとか言うわけではなく、ただなんとなく美大生っぽいなと…。旧劇場版からそんな感じはありましたが。

アスカが幸せで良かったです

総合的な感想を述べるならば「アスカが幸せになってよかった」という感じです。以前、「綾波派vsアスカ派を真剣に考えたら婚期が遅れるのも納得した」という記事も書き、その中で考えた結果アスカ派だな、となりました。そのアスカが相田ケンスケという、まともな人と一緒になって終わる、みたいなことが作中で表現されていたのでそれで満足です。

相田ケンスケは戦闘が見たいと避難所を抜け出して結果として皆に迷惑をかけることになったり、エヴァンゲリオンのパイロットにしてくれとミサトに直訴したりと作中では「ちょっと変わったオタク」みたいな描かれ方をしていますが、しかし内面に注目すると常識的で落ち着いていて大人なんですよね。家出したシンジを何も言わず匿ってあげたり、そのシンジがネルフに連れ戻されたのをただ見ていた、というのを「お前、男でマタンキ付いてるのに止めなかったんか」とトウジに咎められたときも「マタンキは関係ない。これはもう大人の事情だから子供は出る幕がない」みたいなことを淡々と言ってましたよね。

新劇場版でもうつ病みたいになって脱力しているシンジを見ても面倒臭がらず、「トウジのとこよりも俺が引き取ったほうが良いだろ」と自分の所に置いてあげて、励ますでもなく淡々と現状認識をゆっくりとさせていったり、その一方でアスカが無理やりメシを食わせるのを見て「ありがとう」と礼を言ったり、昔と変わらず、一貫して冷静で感情に流されないまともな大人であるなあという印象を持ちます。

一方でアスカに関しては、内面は成長して大人になっているはずですが、シンジを見てイライラする、と無理やりメシを食わせたり罵倒したりするなど、まだ子供らしさを感じますが、ただそれはシンジに対してだからというのもあるかもしれないですね。一応は昔は好きだった男の子であって、内面もよく知っているのでグズグズして腐ってる姿を見ると特別イライラしてしまうということなんでしょう。

そのアスカも「昔は好きだったときもあったよ」とシンジにはっきりと伝えます。個人的なカンというか経験なんですが、女子がこういう突き放す言い方で「昔は好きだった」と言う場合は再度好きになる可能性がゼロ、ということなんですよね。たぶんね。

だから、この時点でアスカがシンジを好きになることはもう無いのでしょう。それが大人になるということなんだな。

そして大人の価値観に変わった時に好きになる人のタイプも大きく変わるわけで、昔は気づかなかったけれどもケンスケのように淡々と全てを包み込んで受け入れてくれる懐の深い包容力がある人が自分の中で大事になり、その存在が大きくなり、好きになっていくというのはこれもまた正統である、という感じがしますね。収まるべき所に収まったという。

トウジと委員長についても、もともとあの二人はいずれ付き合うポジションの位置にあるよなって感じでこれもまた正統だなと思う。昔ながらの漫画でよくある展開って感じだしな。

ただ、一番最後のシーンでアスカとケンスケが居なかったのがほんの少し残念ではあると思う。まあ出てたとしても、シンジ-おっぱい、渚-綾波、アスカ-ケンスケの3ペアが出てたらじゃあトウジと委員長も出すのかって感じになるし、そこまで出てきてしまったらこの作品って恋愛がテーマなんだっけ?ということになりかねず、シンジ-おっぱいを中心として渚-綾波をチラ見せしてみんな幸せになっとるで、という状況を匂わせるという程度のあの終わり方でちょうどよかったんじゃないかな、とも思う。

もう1回見たいです。早くネット配信してくれないかな。