【質問#204】将来について迷走中

質問・悩み相談の回答です。

質問

こんにちは、こんばんは。
これまで他の質問者様からも似たような質問が幾つかあり、内容が被る箇所もあるため申し訳ない気持ちもありますが、どうか聞いていただけますと幸いです。

まず、私の今の気持ちを表したピッタリの曲がありましたのでこちらを聴いていただきたく思います。

「ジョブズみたいにならなきゃ何か発明しなきゃ有名にならなきゃでもだるい寝たいしんどい」
今の私はこんな感じです。もはや現代病の一つではないでしょうか?
私は何か一つのことに生涯を捧げて全力で打ち込みとんでもない功績を叩き出すその姿に憧れます。しかし行動を起こそうとしても昔から染み付いてきたダラけ癖に邪魔されて大したことをできません。

私は昔から続けてきたものなど一つもありません。中途半端に手を出して大した成果も出せず辞めてしまった物がほとんどです。今好きなことは少々、今後やってみたいことは山ほどありますが、恐らくこれもこれまで同様続かないのではないかとあまり自分に期待していません。
その今好きなことや、昔好きだったことをもっと深く掘り下げてみることも可能だとは思いますが、「こんなの極めて何になるのか?」「もっと高度なことしなきゃいけないんじゃないのか?」「今の俺はこれで満足するのか?」と、どこか冷めた目で見てしまう自分がいます。更には、自分が今好きだと感じていることも、「好きだと思い込ませていること」なのか、「本当に好きなこと」なのか判断ができなくなってしまいました。その最たる物が登山です。道具も一通り揃えて県内、隣県の有名な山には全て登りましたが、登山繋がりでできた友人と話をしているうちに熱意の差を感じ、私は「登山が好き」なのではなく、「登山を自分の価値を上げる道具として利用していた」のだと分かりました。その証拠に、登山計画を立てることには今でもそこまで気乗りしません。この経験より、今後やりたいこと等も本当は好きで始めたいことじゃないのでは?と思ってしまいます。
最近では生涯の武器となる「何か」を探してお酒の本、技術の本、歴史の本、語学の本などを買い漁り、ああでもない、こうでもないと積み上げてしまう日々が続いています。まさに迷走していると感じる瞬間でした。
意識だけが高くて中身が伴わない自分が非常に悔しく思います。
そこで一度冷静になって自分の身の回りの人を見回してみたのですが、なんとしょうもない人生を送っている人が多いことでしょうか。
休日は午後まで寝てそれからはタレントが街で食べ歩きしたり熱湯風呂に落ちたりする番組をなんとなく見てダラダラと過ごす人、損するとわかりきっているパチンコに通い詰め今日は負けた今日は勝っただの一喜一憂する人、一日中スマホのゲームに張り付き課金してガチャを回す人…
しかし、こんな人たちにはそもそも私のような悩みを持ってる人はいないのではないでしょうか?死ぬまでパチンコしか趣味がない人が、どうしても達成したい目標があって、それに向けて計画立てて生きているようには思えません。それでも、彼らは彼らなりに楽しみを見つけて幸せに生きているのだと思います。日々を雑に適当に生きている人のほうが幸せそうにしているとはなんとも気に入りませんが、他人を見下しておきながら何もできていない自分が一番どうしようもない人間だと感じます。

薄々感づいてはいましたが、恐らくもう私には今から頑張ってイチローやマーク・ザッカーバーグのようになることは無理なんでしょうね。昔から自分で問題を見つけて考えて解決してきた習慣のある人に敵うはずがないんです。それに彼らの成功は、私とは違ってすごい地位に登り詰めるために努力してきたのではなく、純粋な知識欲、楽しみの末の結果だと思います。何に興味があるかすらわからない私なんかただのゴミです。昔はこんな変な考えしていなかったはずなのに、どこで何を間違えたんでしょうね。
もう何者かになるのを諦め、今好きなことにだけ集中して、未来にも過剰な期待をせず、自分の世界だけでできる範囲で楽しむのが一番幸せなような気がします。
…とまぁ自分を言い聞かせるのは簡単ですがやはり難しく感じるのが現実です。

まとめると、今から頑張って何かすごい人になるのは無理じゃないかと感じました。何をしようにも空回りしてばかりで行動すればするほど時間と金を無駄にしています。もういい加減、何者かになりたい想いと決別して、凡人として生きることを受け入れられるようになりたいです。これは趣味・仕事に限らず、です。

とても難しく、時間がかかるのは承知の上ですが、何かアドバイスを頂きたいです。よろしくお願いします。

読み返してみると相当面倒臭いヤツかと思われそうな内容ですね…
申し訳ありません…

回答

動画見ました。ベースが野性爆弾のくっきーに、ドラムが小籔にめちゃくちゃ似てない?と思ったら本人なんですね。なるほどなるほど。なるほどですねー。

「ジョブズみたいにならなきゃ何か発明しなきゃ有名にならなきゃでもだるい寝たいしんどい」
今の私はこんな感じです。もはや現代病の一つではないでしょうか?

現代病とまで言えるかどうかは分かりませんが、誰しもが一度はそんな事を思うのではないでしょうか。

私は何か一つのことに生涯を捧げて全力で打ち込みとんでもない功績を叩き出すその姿に憧れます。

成功する一番の秘訣はやることを一つに定めてそれをやり続けることだと各界のトップに立つ人たちが口を揃えて言っていますね。

最近では生涯の武器となる「何か」を探してお酒の本、技術の本、歴史の本、語学の本などを買い漁り、ああでもない、こうでもないと積み上げてしまう日々が続いています。まさに迷走していると感じる瞬間でした。
意識だけが高くて中身が伴わない自分が非常に悔しく思います。

残念ながらそうだと思います。これを続けて行くと薀蓄ばかり語るうざったいおじさんになってしまいそうな気がします。薀蓄を語って話が上手くて面白いおじさんもいますが、それは話の卓越したスキルが必要ですしね。

そこで一度冷静になって自分の身の回りの人を見回してみたのですが、なんとしょうもない人生を送っている人が多いことでしょうか。
休日は午後まで寝てそれからはタレントが街で食べ歩きしたり熱湯風呂に落ちたりする番組をなんとなく見てダラダラと過ごす人、損するとわかりきっているパチンコに通い詰め今日は負けた今日は勝っただの一喜一憂する人、一日中スマホのゲームに張り付き課金してガチャを回す人…

これは私もしょうもないとは思います。ただし私がしょうもないと思うだけの話であって、その人ら自身が好きでそれをやっているのであればOKだし、道徳的や法的に問題なければ口を挟むまでも無いと私は思っています。

たとえばこの文章で思い出す一つのエピソードなんですが、大学のときの隣の研究室の助手が(まだ助教というポストが無かった時代)言っていたことです。曰く、「お前らキャバクラとかしょうもないと思うだろ?俺もそう思うんだ。俺の先輩にキャバクラとか風俗が大好きな人がいて、1晩で何万円もぱーっと使ってしまう人だった。で、『そんな事してお金もったいなくないんですか?』と聞いたら『お前は金を気にしてるから楽しめないんだ。金を気にしなくて初めて楽しめる世界なんだ』って言ってたんだよね」だそうで。

まあ私は未だに理解できませんが、ただそれで楽しいと思う人たちの心のロジックはちょっと分かったような気がして未だに思い出したりします。人間の脳の中でどういう報酬系が構築されていて何に快楽を感じるのかは人それぞれなので、そこに良し悪しとかいうものさしを持ち込んでも意味がないな、というのがその話からの私なりの教訓でした。

しかし、こんな人たちにはそもそも私のような悩みを持ってる人はいないのではないでしょうか?

質問者様と同じ悩みを持つ人は少ないと思います。それは思想や価値観が違うので悩みを感じるポイントが違うだろうと思うからです。

ただ、同じ悩みを持っているか否かという議論は重要でしょうか?なんとなく、自分のほうが正しい(高度な悩みを持つ分、彼らよりはマシ)という驕りを感じてしまいます。

それでも、彼らは彼らなりに楽しみを見つけて幸せに生きているのだと思います。日々を雑に適当に生きている人のほうが幸せそうにしているとはなんとも気に入りませんが、他人を見下しておきながら何もできていない自分が一番どうしようもない人間だと感じます。

これも残念ながらそのとおりだと思います。驕りだと思います。「意識が高いか低いか」みたいな価値基準を勝手に自分で構築し、そのものさしで人間を評価しても何も面白くないですしためにもなりません。やめましょう。

薄々感づいてはいましたが、恐らくもう私には今から頑張ってイチローやマーク・ザッカーバーグのようになることは無理なんでしょうね。

ご年齢にもよりますが、まず難しいでしょう。たとえまだ10代であったとしても、彼らのようになるのには運と実力と才能と努力が必要なので。少なくとも文面からは、そのいずれの要素も類稀な何かをお持ちだということが感じられません。

昔から自分で問題を見つけて考えて解決してきた習慣のある人に敵うはずがないんです。

そのとおりです。こういう人は強いです。

それに彼らの成功は、私とは違ってすごい地位に登り詰めるために努力してきたのではなく、純粋な知識欲、楽しみの末の結果だと思います。

そのとおりです。責任感や義務感だけでトップに上り詰めるだけの努力が出来るようなストイックな人は多分居ません。

何に興味があるかすらわからない私なんかただのゴミです。

投げやりになってる状態ではゴミでしょう。

もう何者かになるのを諦め、今好きなことにだけ集中して、未来にも過剰な期待をせず、自分の世界だけでできる範囲で楽しむのが一番幸せなような気がします。

それも一つの方法です。

…とまぁ自分を言い聞かせるのは簡単ですがやはり難しく感じるのが現実です。

なぜでしょうか。自分一人が幸せならばそれで良いのではないでしょうか。有名人にならないと幸せになれないんですか?私はそう思いませんが、質問者様が有名人にならないと幸せにはならないと感じているのであれば、そう思っている限りはそのとおりになるでしょう。

まとめると、今から頑張って何かすごい人になるのは無理じゃないかと感じました。

前述の通りご年齢にもよると思います。10代だったら頑張れよ、と思います。20代前半ならば、う〜んもうちょっと堅実な落とし所を考えては?と思います。アラサー以降ならば何言ってるんですか?と正直思います。

何をしようにも空回りしてばかりで行動すればするほど時間と金を無駄にしています。もういい加減、何者かになりたい想いと決別して、凡人として生きることを受け入れられるようになりたいです。これは趣味・仕事に限らず、です。

それは凡人の定義にもよると思います。今回の質問者様が一貫して言っているのは「すごい人になりたい」ではなくて「有名人になって承認欲求を満たしたい」に聞こえます。なぜそう思うのかと言うと、全体の文面からの雰囲気であったり、尊敬や羨望の対象として「イチロー」「マーク・ザッカーバーグ」とお互い関連性の無い人を挙げているからです。本当にすごい人になりたいのならば、もっと「世間的には有名ではないがその筋の世界では有名で、そういう人になりたい」みたいな人が何人か出てきても良いような気がしますがどうでしょうか?ちょっと考えてみて思い浮かばなければ「すごい人になりたい」のではなくて「有名人になりたい」の可能性が高いです。

「有名人になりたい」のならば、技術や知識を伸ばすだけではダメで発信力を鍛えていく必要がありますし、本を読んだり登山したりなどといった行為は努力の方向性が違うと思います。

そして、「有名人になりたい」の理由が「承認欲求を満たしたい」からならば、なんかもうちょっと違った方向で承認欲求を満たせたらいいね、と思います。つまりそれが質問者様の言う「決別」にあたるのかもしれません。

とても難しく、時間がかかるのは承知の上ですが、何かアドバイスを頂きたいです。よろしくお願いします。

情報量が少ないので的確なアドバイスは難しいですが、なんとなく視野が狭くて世界の一部分だけ見て「自分は有名人になれない」といじけている気がします。

「視野が狭い」と書くと「そんなことはない、登山、お酒、技術、歴史、語学色んな事にチャレンジしてきた」とお思いになるとは思います。しかし、「こうなりたい」とジョブズやザッカーバーグやイーロン・マスクやイチローのような超有名人を例に挙げるのはどうも見識の狭さを感じざるを得ません。もっと色んな分野で活躍する色んな人たちを見ていれば、「こういう人になりたい」というベンチマークがもっともっと沢山出てきても良いように思うのですがいかがでしょうか。例えば登山ではどうでしょう?私は登山についてはほとんど知りませんが、その道でXXXXm峰全何座単独踏破みたいなすごい人は日本にも何人か居るのでは?もしくはそういうすごい偉業を持っていなくても、今だったら登山家としてYouTuberで人気な人とかSNSで有名な人とか沢山居るのではないでしょうか。

私が一番疑問なのは、なぜそういう人たちの名前が出てこないのか、です。そういうベンチマークとすべき人が超有名人の他に何人も居れば、自分が目指すべき姿というのも自然と見えてくると思うのですが。

多分、ご自身で推察されておられるとおり、登山その他の趣味もいずれも本当に好きにはなっていないのでしょう。始めたものの結局やめてしまうというのは好きじゃないことの証にほかなりません。ではなぜ好きになれないのか?それはおそらく、

登山繋がりでできた友人と話をしているうちに熱意の差を感じ、私は「登山が好き」なのではなく、「登山を自分の価値を上げる道具として利用していた」のだと分かりました。

こうして人と比べているからでしょう。自分と比べてどうか、熱意がある人と比べてどうか、ジョブズと比べてどうかと。

何の分野だって始めは興味も薄いし下手だしうまく出来ないのです。ほぼ全員が自分よりも上のところに居るわけです。そんなときから人と比べたって意味が無いのは当たり前です。人と比べず自分のペースでのんびりやって対象を好きになり、ベンチマークを見つけ、自分がどうなりたいか見えてくる。すると「好き」と「上手になる」のフィードフォワードループが生まれる。このプロセスを成功させるためにはまず初期に人と比べるのを止めるしかありません。人と比べることが大事なのは、業界内で自分がどの立ち位置に居るかというのを確かめる時程度です。

まあ、ここで述べたプロセスが唯一の正解で無いのは重々承知していますが、にしても人と比べて「私はジョブズでない」といじけるのは百害あって一利なしです。

とは言っても隣の家の芝を見て青いとか思うのは人間の性とも言えます。どうやったらそこと決別できるのか?これはひとつの方法ですが、憧れる人、羨望の眼差しを向けてしまう人の全てをよく観察してみることが有効です。

成功している人を見て羨むのはいわば恋のようなものです。良い所、優れているところを目の当たりにしてすごい人なんだと感じている。しかし、恋に幻滅はつきものです。完璧な人間というものは存在せず、どこかにダサい一面とか下品な一面とかエゴイストな一面を持ち合わせてるもんです。超有名モデルと結婚してちょっとした知識人的な立ち位置にいた芸人が多目的トイレでいかがわしいことをしてたりしますね?そういう面を見たときに人は百年の恋も冷める、となるのです。一人の人間を全て知った上で、その人に取って代わりたい、その人になりたいとまで思えるような人間というのはまず居ないでしょう。

たとえば私はよく前澤友作氏を例に出します(氏には悪いですが)。事業で成功して芸能人と付き合っていることが報道され、イーロン・マスクと握手して月に行く権利をゲットしている。良いところだけ見れば誰もが羨む成功者ですが、もっと人となり全部を見ていただきたいと思います。しつこく彼には例として挙げることに申し訳無さを感じますが、しかし実際、氏の顔はニホンザルに結構似ていてファンシーな感じですし、付き合っていると報じられた女優もアホみたいなサングラスをかけて週刊誌の写真に写ってます。ああいう人とは恥ずかしくて一緒に歩きたくないと個人的には思うのですがどうでしょうか。あんな写真が世の中に出たら私だったら恥ずかしすぎて恥ずかし死すると思います。SNSで金を撒いてるのも最初は彼なりの慈善活動なのかなという気がしていましたが、その後どうも鯉に餌をやって鯉が水面に口を出してパクパクするのを「おもろいな」というのを実際の人間で遊んでるだけで下品だなと思うようにもなってきました。

事業そのものに関しても、もう皆忘れてると思いますが、退任の原因になったのはプライベートブランドの立ち上げ失敗ですよね。その結果さっさと持っている株式を売却して退任したわけで、これが背任行為やインサイダーに当たるのではと批判を受けたわけです。その前にもZOZOスーツの大コケとかしてましたし、ZOZOシューズも今はもう誰も覚えてないですし(調べたらまだ継続してるみたいですが)、ZOZOへの出店取りやめとかも一時期続きましたし。終盤は失敗続きだったように思います。それを差し引いても彼の功績とは大きなものだったのかも知れませんが、少なくともこういったエピソードを全部吟味した上で一方的な憧れに当たる人かというと、そうは思わなくないですか?ということが言いたいのだ。私は。

あとはジョブズだって癌が見つかってからは西洋医学を毛嫌いして民間医療じみたものにハマり死期を早め、死に際に「自分は間違いだった。西洋医学を信用しろ」とかいうメールを従業員に送ったというエピソードがありますね。故人に対して失礼かも知れませんが、私はめちゃくちゃダサいなと思います。なんで金持ちほど民間医療みたいなのにハマるんでしょうか?意味が分かりません。Apple製品自体も皆が言うほど優れてるとも思いません。例えばiPodなども皆は革新的な製品だと言ってましたが、特に音質の悪さが際立って悪く、私は知人から一時期iPodをもらったものの3日と経たず使わなくなりましたし、SONYやPanasonicのポータブルオーディオプレーヤーの方が使い勝手やデザインも含めて100倍優れていると思っていました(実際それらの製品を愛用していました)。製品開発のプロセスに関する数々の逸話を聞いても、「この人とは絶対に一緒に働きたくないな」という印象しか持ちません。

イチローだって下ネタ大好きな下品なおっさんですよね。野球で偉業を残してるから許されるのであって、野球がなかったら「射精するくらい気持ちよかった」みたいな発言を公の場でするのは気持ち悪いことこの上ないと思います(アメリカではウケてるらしいですが)。例えば渡部健が同じことを言っているのを想像してみて下さい。

あとは何だろ。例えばイーロン・マスクはTwitterの発言を見てても中々のがっかり発言が多いですし(テスラが問題起こしまくってるときにエイプリルフールでテスラが破綻するとか言ってましたよね)、ジェフ・ベゾスも離婚からの財産分与で4兆持ってかれたりとか?IT分野だとリーナス・トーヴァルズはしょっちゅう中指を立てて暴言を吐いて方々で怒られが発生し、「一旦身を潜めて反省する」とか言ってましたよね。

そういうエピソードまでひっくるめて考えて彼らに憧れをいだきますか?ということを考えると私は彼らが成し遂げた偉業はすごいと思うものの、彼らのようになりたいとまでは思いません。私は世界中で尊敬の念を抱く人は山のようにいますが、彼らと人生を交換したい、彼らの人生をトレースしたいと思うほどまでに陶酔できるひとは一人も居ません。そこが質問者様とちょっと違うのかな、と思いました。想像ですけどね。参考まで。

ま、そういう感じでもっともっと個人のエピソードまで調べてみたり、社会や学問一般への知識を広げてみれば、いろんなベンチマーク指標も生まれ、それが自然と有名人への憧れを抱かなくなることにつながり、人と比べることから決別するようになり、最終的にもっと楽に楽しく生きれるようになるのではないでしょうか。よく分かりませんが。適当に頑張って下さい。これは決して投げやりな言葉ではなくて、適当に頑張ることが大事だと心から思うので適当に頑張って下さい、と言ってます。適当に頑張って下さい。