【質問#175】生きがいが無い

質問・悩み相談の回答です。

質問

こんにちは。
中二病だとか変なやつだと思わずに聞いて頂ければ幸いです。

24歳の介護職、男性です。社会人3年目が終わろうとしています。
そんな中で生きがいが見つけられず困っています。
いや、困ってはいないかもしれません。様々なことを頑張るモチベーションが上がらないだけで、死のうと思ったり、とんでもない無気力に苛まれることもありません。
むしろ人よりも死を恐れるほうだと思っています。
死後の世界はどうなっているのか?無が広がるのか?
無を感知する自意識がそもそも無いのでは?と考えると、動悸がします。

話が逸れた気がします。
皆さんは何を目標に生きているのでしょう?
過去に両親に聞いたとき「そういうこと考える時期あるよね〜」と言われてしまいました。
適当に答えたのかも知れませんし、いつかわかる時がくる、という親なりのアドバイスなのかもしれません。
私は未婚で子どももいないので、わかりませんが、子どもを育てるというのが生きがいになっている方もいると思います。
だからこそエンプティネスト症候群があるのだと思いますし…

ですが私には子どももいなければパートナーもいません。
誰の為に生きていけばいいのでしょう?
自分の為に生きるべきだと思いますが、何をしたら自分が嬉しいのかもわかりません。
美味しいものを食べれば美味しいと感じますし、車を運転してる時間は楽しいです。
ですが…その為に何かを頑張ることができるかといえば…そういうわけではありません。
このまま生きるのは嫌ですが、死ぬのはもっと嫌なので、自死を選ぶことは出来ません。
どうすればこの現状を打破できるのでしょうか。

他の質問者様と比べて非常に幼稚な文章及び内容で申し訳ないのですが、敬愛するwithpop様の言葉を私の生きがいの参考にさせていただければと思います。

回答

中二病だとか変なやつだと思わずに聞いて頂ければ幸いです。

これは他の質問でも何度か目にしましたが、なぜこのように書くのでしょうか。ちょっと私にはよくわかりません。

中二病は大人になる過程でちょっと背伸びしたいという気持ちをやり過ぎてしまったという心理状況だと思いますが、社会人になって一通りのことを経験してから湧き上がってる「人生って何だ」というのは生きる意味や目的を問う本質的な疑問であって、誰しもが経験する、そして思い悩み続ける哲学的な問いであると個人的には思います。おそらくは気恥ずかしさが「中二病っぽい」というエクスキューズになってしまうのかも知れませんが、いえいえ、これは非常に本質的で大切な問いと思います。

他の質問者様と比べて非常に幼稚な文章及び内容で申し訳ないのですが

そしてこれもよく書かれているのですが、何故このようなことを書くのでしょうか。

この質問コーナーに投稿される文章は上から目線ながら、みなさん本当に文章がお上手であると思っています。今回の質問に対してももちろんそうです。聞きたいことが的確に書かれていないからという意味でおっしゃっているのかもしれませんが、そもそもこういった大半の人生の悩みは聞きたいことを数行に簡単にまとめきれるものではありません。そもそも表現するのが難しいことを言葉でこれだけ表現できているのですからすごいと思いますね。

ちなみに世間には文章がマジでガチで書けない人がわんさか居ます。立派な大学を出て大企業に勤めてても「うそやろ?」という文法の間違った日本語を書く人を沢山見てきました。1行以上の文章を書くのが大変な人もたくさんいます。小学生の時に原稿用紙N枚を埋めなければならない…。そんな長い文章を書けない…という悩みを感じた経験はよくあることだと思いますが、その程度で文章力が止まっている人はマジでよく居ます。3〜4行以上の文章を読めない人もたくさんいますね。嘘だと思うならドコモショップや平日の家電量販店などで一日くらい人間観察してみると良いでしょう。

ということで回答本文に入っていきます。

「生きがいが感じられない」「人生の目標が無い」と考える方々に対する私なりの答え(考え)は、「人生は自由だから」に尽きます。

「答えになってないじゃないか」と言われるかも知れませんが、それでも私は自由だからと言うしか無い気がするんですよね。

もうちょい具体的な話をしましょう。

小学校のころの図工の時間、絵を書く時にテーマを与えられますよね、普通は。でもたまに、自由に絵を書いていいよと言われたり、もしくは学校内で好きなものを写生して良いと言われた時に「マジか!好きなものを描くなら楽勝だ!!」って走っていくタイプの人は多分人生って何だ?みたいな悩みを感じにくい気がします(私はそのタイプでした)。逆に、「いや、自由と言われても…。テーマが欲しい」と思うタイプの人は人生に悩みやすい気がします。

あとは、「全クリ」が存在しないゲームが好きかどうか、でしょうか。全クリは無い、好きな時、終わりと思ったときが終わり、みたいなゲームですね。例えば、シムシティがその代表です。洋ゲーはそういったものが多くFactorio, SimCity, Hearts of Ironなどがその典型ですかね。うちの嫁さんは「クリアが無いゲームとかは一番嫌い。目的が与えられないと何していいか分からない。一番好きなゲームはさんまの名探偵(FC)」と言います。

なんとなく分かってきました?

つまり、人生というのは、「何を書いても(作っても)いいよ」と言われた図工の時間そのものなのです。何してもいい図工の時間と人生は非常によく似ています。

まず、「何をしてもいい」とは言いつつ、最低限のルールは存在します。例えば、校庭にある銅像をハンマーで叩き割った破片を写生した現代美術などというのは通用しませんね。人生も同じで、最低限守るべきルールというのが六法で決まっています。

あとは時間が有限に決まってるというのも同じですね。学校の1時限の長さは固定です。人生も平均寿命が80年くらいと大体決まってます。そしてパフォーマンスが発揮できるのは準備が終わってから片付けを始める前までなんですよね。人生も学校を出てから定年する前までくらいがパフォーマンスを一番発揮できる時期でしょう。

最も重要なのは、目的が誰からも伝えられず、自分で考えなければなりません。

だから、自由な図工の時間で何を作るかで悩んでいた人は、人生でも悩むんじゃないかというのが私の支持する説です。

ちなみに、こういうことを書くと「日本の学校教育では厳密に目的を設定して自由な計画と活動を制限してきたのが悪い」と主張される人が出てきますが、個人的には日本に限らず海外でも大体一緒じゃないかなぁという気がします(感想)。
ただ、学校教育が「教育」という性質上、その目的と到達目標が自動的に設定され、そこから導き出されたカリキュラムに沿って長期間勉強し続けるという性質上、「自由にやっていいよ」という場合に自ら考える力は養われにくいんじゃないかなぁという点で多少は同意します。

そういうわけで、義務教育期間では文科省が考えて教育委員会が落とし込んだ学校教育を行い、高校は進学するための勉強期間で、高校以降は就職を見越した勉学になり…。では、就職してからは?何?となるんじゃないですかね。殆どの人は生活するために働くわけですが、じゃあ就職しました、食って行くのに十分な給与を得ました。じゃあ…あとは何?と。

そこでこれまで自由に過ごせたタイプの人たちは、たとえば創作活動をしてイベントで創作物を売ったり、バイクに乗ってキャンプに行ったり、登山にはげんだり、海外旅行でふらふらしてみたり、あるいは仕事そのものが人生になったり…という感じになり、あるとき自由を謳歌していることを気づいた時に「充実している」と思うんじゃないでしょうか。

以上を踏まえつつ、質問本文ももう一度見ていきます。

24歳の介護職、男性です。社会人3年目が終わろうとしています。
そんな中で生きがいが見つけられず困っています。

3年目くらいというのは大抵の社会のことにも慣れきったころで、同時にこのままでは延々と同じことの繰り返しになる人生だと気づき、このままで良いのだろうか、何かするべきでは?と焦り続ける時期であるような気がします。

死後の世界はどうなっているのか?無が広がるのか?
無を感知する自意識がそもそも無いのでは?と考えると、動悸がします。

今回の質問とは関係ないように見えますが、しかし人生の最後には死があるのは自明なので、死を意識始めるのは限られた時間を無為に過ごしてしまっているのではないか、という焦りとも受け取れるように思います。

皆さんは何を目標に生きているのでしょう?

はっきりとした目標を持っている人は少ないと思います。そして、「明確な人生の目標が無くても不安にはならない」という人は逆に沢山居るような気がします。

過去に両親に聞いたとき「そういうこと考える時期あるよね〜」と言われてしまいました。
適当に答えたのかも知れませんし、いつかわかる時がくる、という親なりのアドバイスなのかもしれません。

これは言葉通りの意味をも含め、それら全部を包含した言葉のように私には思えます。

私は未婚で子どももいないので、わかりませんが、子どもを育てるというのが生きがいになっている方もいると思います。

子供が居ると否応なく子供が生活の中心になるので、人生の目標などという大規模なスケールのことを考える余裕が無く、日々のタスクを消化することが第一目標となり、結果的に振り返ると生きがいであった(ある)となる気がします。要するに子供というのは生きる目標を強制的に与えられるようなもので、そういう意味ではちょっと特殊かもしれませんね。

ですが私には子どももいなければパートナーもいません。
誰の為に生きていけばいいのでしょう?
自分の為に生きるべきだと思いますが

おっしゃるとおり、自分のために生きれば良いと思います。ですが、

何をしたら自分が嬉しいのかもわかりません。
美味しいものを食べれば美味しいと感じますし、車を運転してる時間は楽しいです。
ですが…その為に何かを頑張ることができるかといえば…そういうわけではありません。

ということですね。言い方を変えれば「自由な時間を楽しめないのが原因であることはもう分かっている。それでも自分のしたいことは何もないんだ」ということになるように思います。

長々と書いてきてこう書くのも恐縮ですが、私は自由な図工の時間とかSimCityを元々楽しめる派の人間なので、楽しめない派の人たちの考えが想像付かないのです。なので、どうすれば良いかという解決策も提示するのは難しいですね…。

難しいですが、同じく「目的が与えられないと嫌だ」タイプの妻の行動や考えからどうすればいいかを想像して書いてみます。

おそらくですが、欲求が全く無いというのはありえないんじゃないでしょうか。仏僧の中には煩悩を捨てて禁欲するために一般人には理解できないレベルの厳しい修行を積んだりしますよね。そこまでしないと捨てきれない欲求を一般ピープルが何の努力もなしに捨てることのほうが難しいと個人的には思います。

ではなぜ「やりたいことが無い」になるかというと、本当はやりたいことがあるが、時間やコストや実現性の面で抑圧されているというのが最もありうる理由かなという気がします。

たとえば死の恐怖はあるとのことですが、同じようにもし明日死ぬとしたら今すぐやっておきたいことは無いでしょうか。あれば、とりあえずはそれをこなすことを目標にしてもいいと思います。だって死ぬまでにやっておきたいことですから、今やらなくてもいずれやりますからね。

あとは、

美味しいものを食べれば美味しいと感じますし、車を運転してる時間は楽しいです。
ですが…その為に何かを頑張ることができるかといえば…そういうわけではありません。

というように断片的に自分の好きなことが語られているので、そこをもう少し突き詰めてみても良いかなと思います。「そのために何かを頑張れる程好きではない」ということですが、それは現時点での好きレベルがその程度であるというだけのことなので、同じカテゴリに属する趣味や行動でももうちょっと突っ込んでいけば一気にのめり込んでそれを楽しむことが目的になる、ということだってあると思います。

美味しいものを食べてある程度幸せになるのでしたら、もっと美味しいものを食べてみてはどうでしょうか。例えばうちの嫁さんは7000円の肉を食うのを躊躇していましたが、別に7000円の肉を人生に一度でも食えないくらいうちの財政事情が悪いわけではないですし、7000円の肉を食うのは贅沢だから止めろという国家や地方行政のお達しがあるわけでもないです。食おうと思えばいつでも食えるのが7000円の肉です。でもそこで躊躇してしまうのも人間なんですよね。1ヶ月に1回、何か高いものを食ってみるとかいうのも、ずっと続ければそれで本を書くことだって出来るわけですし、無駄とか目的にならないということも無いですね。

車も突き詰めればきりがない趣味の一つです。運転するのが楽しければ、例えば普段絶対に買わないようなディーラーに試乗しにいったりだとか、サーキットを走ってみたりだとかしてもいいと思います。いい車に乗ればいい車が欲しくなり、どんどん車のことを調べていって物欲が増すかもしれません。欲はなんであれ生きる糧になります。質素な暮らしをほそぼそと続けるよりも、ガッツリ稼いで無駄使いしたほうが楽しい人生なのは誰の目にも明らかです。

私には子どももいなければパートナーもいません

とのことなので、それを探すのも一つの目的にはなるのではないでしょうか。彼女は絶対に要らないということで無ければ、作ってみようかなと行動するくらいはしてもいいと思います。友達を通じて誰かを紹介してもらってはどうでしょうか。それに、若いときの悩みや辛さの殆どは彼氏彼女を作ってベタベタしてりゃ解決するような類のものが殆どであるとも思います(そういう解決策が良いか悪いかはとりあえず置いといて)。

実際、彼氏彼女がいれば人間の承認欲求の大部分は普通満たされるものですし、一人でやっていたことも二人以上だとまた新鮮さがあります。

まあそういった感じで、何か少しでも興味のあることを探して詳しく調べていってはいかがでしょうか。調べているうちに現実味が帯びてきて、何かしらやりたいという気持ちが生まれるように思います。繰り返しますが、そういう素朴で小さな欲求こそが生きる糧になるんだと個人的には思っています。