前職の上司が亡くなった

元来こういう記事は書くべきじゃ無いと思っていたんだけど、年を取った今、こうやって文章にしたためて他の人に読んでもらうという行為自体が故人を偲ぶものに他ならないと思うようになり、また、自分の心の中の整理を付けるためという目的もあり、書いてみる。亡くなった方(以降Aさんとする)は私のブログをいつも読んでくれていた方でもあった。最近更新をサボりがちだったのが心底悔やまれる。いや、更新していたところで見てくれていたかどうかは分からないし、見てくれて居たとしても何か変わったわけでもないんだけど。「Aさんが死んだことブログに書いていいっすか」と聞いたら「おおーいいよ、じゃんじゃん書いて」と笑いながら言ってくれそうなので、書いてみる。

私は前職で7年間勤めた。4年は原子力の計算機システム開発、3年はいわゆるSIerみたいなことをやっていた。東日本大震災があってから原子力の仕事が無くなり、自分はSIer的なことをする部署に異動した。そのときから3年間、Aさんは私の上司(係長相当)だった。異動する前からAさんの噂は聞いていた。大炎上している某プロジェクトの火消しに回っていたとのことだった。それを聞いて私はなんとなく、大炎上しているプロジェクトで方々に手が4つあるんじゃ無いかという勢いで指示を飛ばすような姿の恐ろしい人を想像していた。

が、Aさんに会ってみると実際は真逆で、いつもニコニコニコニコしていて笑っていた。前職の職場は忙しいプロジェクトにアサインされてる人が多く、またおじさん率が高めであって、イライラしてたり半年に1~2回くらいは怒鳴り声が聞こえてきたりすることもあったがAさんはどんなに忙しくてもニコニコしていた。怒ったところは数回しか見たことが無い(後述)。

Aさんは大炎上した某プロジェクトを収束させてからも他の炎上プロジェクトを担当することが多かった。今考えると火消し要員と認識されていたのかもしれない。上司同僚からの信頼も厚く、「Aさんに任せればなんとかなるだろう」と多くの人が考えていたことと思う。同様に、「この人に任せればなんとかなるだろう」的に思われていたであろう人は数人居て、そのうちBさんとCさんがAさんと関わりが深かった。Bさんは非常に技術力に長けたエンジニアであることに加えて営業力がすさまじく高く、いろんなところから大きな案件を持ってくる事があった。その理由もかつてBさんが社内外の様々な部課に出向して実績を作ってきたからであったのだと思う。Cさんは私が異動して1年くらい経ってから中途入社1した方であった。Cさんもよく笑っている人だった。ユーモアがあって人を笑わせるのも上手かった。言葉には説得力があった。技術面では確かOracleのゴールドを持っていて、信じられないくらい遅いクエリを高速化したという話をしていたように記憶している。

いくつかの同じプロジェクトでAさんBさんCさんはアサインされていて夜遅くまで、さらに土曜出社もよくしていた。私はというと、そういったプロジェクトにはほぼアサインされなかった。私は機械学習だとかSPAで作るWebシステムだとかScalaだとか、当時新しかった技術を使えるプロジェクトを担当していた。常々そういうのをやりたいと口にしていたので炎上プロジェクトには入れないよう配慮して頂いていたのだと思う。本当は一人でも人をかき集めたかったはずだ。だから、同じチームであったが、Aさんと一緒のプロジェクトで仕事をしたことはほぼ無かったように記憶している。(私の他にもそういう立ち位置の人は何人かいた)

Aさんが怒ったところは数回見たことがある。異動して2年くらい経ったとき、情報系の修士卒の新卒社員(Dさん)がチームに入ってきたのだった。この人は言っちゃ悪いが本当に情報系の修士卒か?と思うほど知識が無く、「こういう操作をするとこういう例外がスローされるのでこれを修正して欲しい」と依頼すると、「分かりました!」と元気よく返事をしてその後「できました!!」と渡されたコードを見ると該当処理の大部分を囲むtry-catchが書かれている(そしてcatchした例外は何もしない)ということがあった2ほどだ。仕事中に寝ていることも何度かあった。

DさんはAさんのプロジェクトの仕事を何度かすることがあって、そのときにAさんがDさんに怒っているのを何度か見た。私もDさんにはかなり怒ってしまったので、やはり仏のAさんといえどもそういうことはあるのだなと思った。ただ、私が転職して暫く経ってからDさんの様子を尋ねると「最近は自信もついて仕事ができるようになった」とのことであったので、私が居なくなった後Aさんは熱心に教育していたのだと思う。こういう持ち上げ方はDさんに失礼なんだけどしかし事実なので書くと、ほとんどの人だったら投げ出しているような状況であると思う。申し訳ないがそれくらいDさんは(私から見て)飲み込みが悪かった。そのDさんを一人前まで育て上げたのはメンバーをよく気に掛けてくれる面倒見のよいAさんで無くては不可能だったと思うし、Dさんにとっては幸せなことだっただろうと思う(本人がそれを自覚していて欲しいと意地悪なことを考えてしまうが)。

私はその後会社を辞めた。元々辞めようと思っていたのは入社2年目くらいのときからだったので、もちろんAさんを含め、何か人間関係で嫌な思いをしたわけではない(嫌な人が皆無だったと言えば嘘になるけど)。転職の理由は端的に言うと保守的な会社の方針に嫌気が差したからだった。辞めると決心した時に始めにそれを伝えたのもAさんだった。Aさんは「自分も中途入社だから気持ちは分かるよ」と言ってくれた。Aさんは引き留めないだろうなと私は思っていた。それはAさんが会社やプロジェクトよりも個々人の幸せを重んじてくれるタイプの人のように私は思っていたからだった。実際、それは正しいと思う。(結局、会社内親族知人含めて転職に反対する人は居なかったが)

そう思い返すと異動してからの3年間は、同じ仕事こそしていないものの、ずっとAさんに頼りっぱなしだったように思う。辞めるときも心残りがあるとすれば、その恩返しが何もできないことだった。Aさんに対しては特にそうだし、原子力方面でも方々にお世話になったがあまり仕事に貢献できていたとは思えなかった。しかしそれをこなすためにはおそらくさらに10年以上の貢献が必要であって、それは私にとっては受け入れ難かった。

会社を辞めてからもAさんとの交流は続いた。私が辞めたあと、Bさん、Cさんも退社した。数ヶ月に1回くらいのペースでAさん、Bさん、Cさん、私の4人で飲み会をしていたのだった。このお三方に呼ばれるのは非常に光栄であった。Aさん、Bさん、Cさんは間違いなく、どこに行っても確実に仕事で成果を上げる能力を持った人で、人格的にも素晴らしい方たちだ。人の痛みを想像することができ、辛さを笑いに変え、リアリストで、目の前の仕事がドブさらいであっても躊躇無くそれを掃除する、本物の仕事ができる人間だと思う(こう書くと仕事しかしていないように聞こえるかもしれないが、実際私は仕事をしている場面を見たのがほぼすべてだったのでそれが私の目から見た正確な表現であることをご容赦願いたい)。

私が退職して2年ほど経ってからAさんは課長に昇進した。おそらく、会社の中では過去最年少での昇進ではないだろうかと思う。Aさんは「他にやる人が居ないから貧乏くじを引いた」と笑っていたが、間違いなくAさんにはマネージャーとして人を統べていくだけの大きな器と能力を持った方に違いないと認められていたからだろう。飲み会でも「じゃあAさんが課長になったからみんなで会社に戻るか」と笑っていたのを覚えている。実際にそうすることは難しかっただろうけど、そういうパラレルワールドがあれば、とても幸せであっただろうなと思う。

4人で飲み会をするときに頻繁に使っている店があった。日本酒の種類が豊富で駅からのアクセスもよかった。Aさんはそこで毎週に近い頻度で飲んでいたとのことだった。なのでヘビーユーザーにのみ渡される会員カードを所有していたのが記憶にある。Aさんは店員の方とももう顔なじみで親しそうに「今日何か珍しいお酒はいってる?」などと話していた。Aさんは日本酒が好きで、聖蹟桜ヶ丘近辺に珍しいお酒が並んでいる穴場的なお店があるとかで買いに行くという話をしていた。

私は日本酒の知識がほぼ無い(飲むのは好き)のだが、Aさんは飲み会になると「これがおいしいから飲んでみて」とよく注いでくれた。そうして一通り飲むと駅前からタクシーで帰るのだった。古い価値観かもしれないが、「飲んで後輩に奢ってタクシーで颯爽と帰る」という姿は先輩としてかっこいいと思う。あの姿がもう見れないと思うと非常に寂しいというか、なんだか体中を締め付けられるような思いだ。

趣味の面では、自転車と車が好きという点でよく話をしていた。Aさんの自転車は非常に未来的なスタイルだった。「SF映画に出てくるようなカスタムされた自転車に乗りたい」と言っていて、海外から取り寄せた流線型で黒いケーブル内蔵式のフレームを組み合わせたマウンテンバイクに乗っていた。ハンドルバーには速度等を表示する巨大な液晶パネルが備わっていて非常にかっこよかった。自分もそういう自転車を作りたいと購入した海外の通販サイトや検索キーワードを教えてもらっていた(結局自分の場合は自転車からバイクに興味が移ってしまったが)。

Aさんが自転車にハマりだしたのは元々車が好きであったが、結婚して子供が出来てからはあまり車いじりも出来ないため、工具も大がかりなものは不要ですべて自分でばらして組み立てれる自転車がよかったためということであった。車は元々スバル車を乗り継いで来たとのことだった。最後に乗っていたスバル車はアウトバックで、これは非常に良い車だと言っていた(CX-8よりもスポーティで運転してて楽しいと言っていた)。

その後、経緯はあまり覚えていない(飲み会で教えたのは覚えている)が私はAさんにこのブログを書いているとブログの名前を伝えた。私が元々マツダ車が良いと言っていたりこのブログをお伝えした効果もあって?か、アウトバックの次にAさんが買ったのはマツダ CX-8であった。しかも、私のCX-5と購入したディーラー店舗が同じであって、「あそこサービス悪いよねー」という話で盛り上がったりもした。その後は私のブログで紹介していたAQUADROPというコーティング剤を見て同じくこれをDIYで施工したというお話も聞いた。このブログを知っている、ネット上以外のつながりでの私の知人はそう多くないので、そういう意味でもAさんは私の中で大きい存在であった。よく記事を書くときに、「これをあの人が読んだらどう思うかな」と想像する。車関連の記事であればAさんの顔が浮かぶ。

Aさんにはお子さんが二人いて、うちの子供たちとほぼ同い年だ。この幼い子供たちと奥様が後に残されるというのは不幸という言葉では表現しつくせないほどに辛い現実であると思う。Aさん自身もこれからという時期に子供を残して去って行くことは筆舌に尽くしがたい後悔の念があったことと思う。Aさんが持っているiPhoneのロック画面で子供の写真が写っていたのが非常に辛い。若くしてこの世を去ったAさんも可哀想だし、残された家族も可哀想だ。可哀想という言葉では生ぬるい。この文章を書いている今も奥様とお子さんは父親の居ない家庭で過ごしているわけで、その事実がどうしようもないほど残酷だ。うちと同じような子供たちが、今後小学生になり中学生になり、そうして父親のいない人生を歩み、またAさん自身もその子供たちの成長とともに過ごしていくことが出来ないのは悲劇だ。悲劇だ。残酷だ。可哀想だ。つらい。当てはまる言葉が無いからそれを使っているだけで、この感情を文章に起こすのは実際に体験しないと非常に難しい。子供たちはことあるたびに父親の姿を思い出すのだろう。それを思い出すととても辛い。

Aさんを嫌うような人は世に皆無と言っていいんじゃないかと思う。そう思わせるような方だった。善人という言葉そのものだったように思う。それなのになぜAさんは亡くならなければならなかったのだろう?と思ってしまう。このブログで以前書いたように、私は16歳の時に親友を亡くしている。そのときも全く同じ事を思った。世界中で沢山の人が死んでる中で、なんでこの人が死ななければならなかったのだろう?と。テレビを付ければいつものようにバラエティ番組やワイドショーが放映され、しょうもないギャグを言って出演者は笑っている。そこに不謹慎であるという雰囲気は無い。なぜなんだろう?という気持ちになる。

もちろん、誰かに恨まれている人が早死にしたり、尊敬を集めたり偉業を残した人が長生きするわけでは無い。人が死ぬのは単に確率的に発生する偶発的な事故であったり、もしくは生活習慣や遺伝からくる先天的、後天的な病であったりする。それらに関して我々がコントロールできることは非常に少ない。自分自身や家族の健康や事故に対する安全性でさえ普段はあまり考えることが無いのに、他人に関してのことなどほとんどコントロールできない。

にもかかわらず、我々はかつてお世話になった人たちやともに同じ時間を過ごした人たちがその後もずっと幸せに過ごしているだろうという希望的観測を持ってしまう。特に目立った病気にかかっておらず、若い人は。でも忘れてはいけないのは、死ぬという事象は人間の感情とは全く関係ないということだ。つまり現実は非情、ということになる。現実に情けは無いのだ。どれだけ素晴らしい人が亡くなったとしても、そこに運命的な理由や因果があったわけでは無い。でも人間は辛いときに霊的であったり宗教的であったりするものに頼ってしまう(それが悪い訳では無い)。

気持ちの問題では無いので別に科学である必要はないんだけど、私は性格上どうしても(多少なりとも)科学的に考えてしまう。人が死ぬという事に関して私は16歳の時以降、ずっと考えている。現時点で私が思っていることは次の通りだ。

生命(というか生体)とはそこにある物質、物体では無くてより正確には「現象」である。生命という現象を維持させるために私たちはカロリーを摂取して体内でタンパク質を合成し、体のダイナミズムが平衡状態であるよう遺伝子に刻まれたプログラムが動作している。体を合成している種々の物質は定期的に入れ替わり、我々は物質を媒介として波のように生きていることになる。その波が言語・非言語のコミュニケーションを介してまた別な波を発生させたり、波が進む方向性を変えたりする。そう考えると人間社会というのはとても抽象的なものであって、1つの波が消失したところで過去その波に影響された波は社会全体に波及おり、失われた後も相互に影響を及ぼし合っている。

だからたとえ1つの波が消失しても、その波が残した影響はその後も社会に存在し続けるし、場合によってはそれに大きく影響を及ぼされた波がピタゴラスイッチのようにより大きな事象を発生し続けて世の中を変えていくこともあるだろう。そう考えるとある人が死んだからといってその人との縁がそれで終焉を迎えた訳ではない。

そしてその「波」とは比喩であるが、もし本当に波のような性質があるのだとしたら、遠い未来の時代に現在の我々のような人間と同じような人間が生き、幸せに暮らすかもしれない。そういった世界もあり得るかもしれない。時間が無限に続き、発生しうる可能性があるのならばその生起確率は1に漸近していく。

以上のように考えると、親しい人の死にあたって我々がその後どのように生きていくべきかの指針にもなるように思う。さらに、結婚して子供を残すということの意味も子供の頃考えていたような「大きくなったら結婚して子供をつくり、家庭を築く」という表面的なこととは捉え方が大分変わってくるように思う。

人の生死や運命に関わることは考えてもきりがない。きりがなく、我々は同じ事をこれからも何度も繰り返して考えながら生きていくのだろうなと思う。


  1. 余談だが私はこの中途入社という言葉があまり好きでは無い 
  2. 非プログラマ向けに翻訳すると、「出てきたエラーの根本処置をするのではなくて、出てきたエラーを捨てて表面上何も無かったように振る舞うようにした」という感じ