マツダ車にあんまり興味が持てなくなった

前々から思ってたのだけど文章にして理由を列挙してみる。

好きだったバンドがメジャーデビューして変わってしまった感

これが一番強い。

最近(ここ1~2年)、「マツダが変わった!すごく良くなった!!」という記事をたくさん見るようになったが、私に言わせれば10年以上前からマツダ車にはいい車がたくさんあった。みんな「マツダ地獄」とか雰囲気でdisっていただけだと思う。乗ったこともなければ、乗ったところで良さもわからない。「マツダ地獄」とか「マツダはだめ」などと通ぶって言いたいだけ何じゃないかなと正直思っていた。

何度か書いてるが私が完全にマツダのファンになったのは2005年あたりに購入したデミオ スポルトで、これは本当にいい車だった。私が驚いたのは足回りの良さで、それまで私は「峠走るなら車高調入ってたほうが良くて純正のサスを付けてる意味はない」と思っていたがデミオスポルトのサスはカーブではよく踏ん張り4輪の接地感が強く、一方で路面の凸凹は突き上げられる感じもなく揺れの収まりも最小の時間で済み、初代・2代目のデミオも何度も乗っていた私は「これが本当にデミオなのか!?」と驚いたのだった。

デミオスポルトは嫁さん(当時はまだ結婚してなかったけど)が買った車だったのでAT車であり、その頃のデミオはまだCVTであったがこのCVTもそこまで嫌な感じは無かった。その当時私はMT車に乗っていたが両者を乗り比べてみても不思議とCVTは嫌だという気持ちにはならなかった。パドルシフトの出来が良かったからかもしれない。

パワートレインについても1020kgの車体に112ps 1500ccのエンジンが積まれていてとにかく元気よく走るという印象だった。

値段はなんと最上位のスポルトで169万円、値引きも入ってコミコミ160万円台後半くらいで買った記憶がある。内装も169万円の車としては十分以上の質感だった。こんなにいい車はこれ以降のマツダ車を含めてもほとんど見ないというか私は知らない(家族ができてコンパクトカーをそもそもあんまり調べてないというのもあるけど)。

その後、SKYACTIVだの鼓動だのが登場してから「マツダ車は良くなった」とか語られるようになり、私はうんうん、そうだろと思っていたが、そのべた褒めが続くうちになんか私は嫌になってきた。私はあまのじゃくなところがあって、みんなが良いとべた褒めするものには興味が失せてくる。

この気持を例えて表現するならば、一般には殆ど知られていなかったバンドを好んで聞いていて、この良さを分かるのは少数の人だけだと悦に浸っていたのに、メジャーデビューして色んな人が知るところになってまずガッカリし、その後そのバンド自体の方向性もメジャーデビューによって尖ったものから無難に世間に受け入れられるものへと変容していくみたいなガッカリがあって、そのダブルがっかりに打ちのめされるような、そんな印象を受けるんだよね。

高くなった

じゃあマツダは「メジャーデビュー」してどう変わったのか。一番の違いは「いい車を安い値段で」という方針から「とてもいい車を高い値段で」という方向に変わったような気がする。それは子飼社長(当時)が2014年ごろ?から「正価販売」とか言い出してからのことで、その頃からちょっと違うなーと思っていた。これもブログに何度も書いたことだけど。

正価販売の趣旨は、マツダは今まで安売りや教習車で攻めてきたメーカーで安っぽいイメージが拭えないが、今後はそういうのを辞めて相応の価格で売ることにする、ひいてはブランド化によって付加価値を高めるとかいう話であって、それって要するに「中身の出来に関わらずまず価格を上昇させて利幅を確保する」という話であって、それって社内でそう思ってる分には良いかもしれないけど、わざわざプレスその他で発表することかぁ?と思うし、ブランドとは受け止める側から自然に形成されるものであってメーカーがブランド化を進めるとかいうのはダサいと私はずっと思っていたのだが、その当時からマツダの人気はすさまじく(確かディーゼルのCX-5がバカ売れしていた時期だったと思う)、マツダの正価販売についても「うんうん、マツダはすごいよ。よくやってるな」みたいな書き方の受け止め方をする記事がほとんどだったと思う。

そして結局、2019年になった今、マツダ車はさらに良くなり値段もかなり上がっていった。Mazda 3は若い人たち向けに安いグレード(200万円台前半?)も残すと公言している記事を見たが、逆に言えば「金持ってるやつは高い車買えよ」ってことである。会社経営としては金持ってる客から金を取るというのは全く正しい行動だと思う。

が、いちユーザー、消費者としてはそんなもん納得いかねぇんだよ。高い車を買ったらいい車が来るのは当たり前で、高い金払ったのに糞みたいな車が来たら詐欺だし、私がマツダってすげぇと思っていたのがそこそこの値段でいい車を買えるから、だった。

車好きだが車オタクにはなりたくない

ここまで読んで「お前は車が趣味なんだろ?趣味なんだったら300万や400万、ケチケチせず出せや」って言いたい人がいるんじゃないだろうか。それはそのとおりで、人生を楽しむために金を惜しんでしまっては何のために生きているのかわからない。金持ってるやつは消費して社会に貢献すべきとすら思う。

それでもなお、私が稼いだ金は私のものだし、たとえ私が億万長者であっても適切なところに適切な消費をしたいと思う。「適切」というのは簡単に言うと、「車に400万も500万も出せない」という意味だ。車に500万円も出すのであれば、300万円の車を買って200万円でいろいろ旅行して回ったほうが人生の満足度は高いと思っているということである。

車で300万、400万というのは大した違いではない額だが、そもそも100万円というのはみんな忘れてるけど大金なのである。25万円のレンズが4本も買える。だったら絶対に25万円のレンズ4本を買ったほうが人生は豊かになると思う。(この、「100万円で何をするか」は適宜読み替えて考えて欲しい)

あくまで私の感覚値だが車に払えるのは300万程度が限度だと思う。どんな車であっても。290万円位で売られていて、コミコミで300万からちょっと足が出るかな、くらいが限度。なんで300万円かというと、常々言ってることだが工業製品やサービスの価格と品質の関係って線形ではなくて対数になると思っており、払った額に対して品質の伸びが悪くなってくるのが300万円くらいからだと個人的には思っている。100万円台の車と300万円台の車はかなり違うが、300万円の車と600万円の車は値段ほどには違わないということだ。

その昔、「ちょっと背伸びすればベンツのEクラスくらいは普通のサラリーマンなら買える」とか書いている人が居たが、私はそのようなちょっと背伸びする車オタクにはなりたくないと常々思っている。私は車好きだが車オタクにはなりたくないのだ。ダサいから。車オタクの定義は何だと言われると難しいが、前述のような「普通のサラリーマンでベンツのEクラスを新車で買う」人はとりあえず車オタクだ。

思うままに書かせてもらうと、なんか車って楽しいし所有する満足感も与えてくれるんだけど、やっぱり車でしかないんだよね。荷物や人を目的地まで運ぶ道具でしかない。若い頃だったらそこにただ車を運転するという目的があったが、いまはそんな時間はない。だから荷物や人を運ぶ道具でしかない。そして私に限らず家庭を持ったほとんどの人がそうだろう。

高くていい車はその移動の最中にも特別な体験を提供してくれる。運転する楽しみがある。優れた内装の質感、乗り心地からくる満足感がある。でもそこに数百万の価値を見いだせるかというと、私は見いだせない。思い出に残るのはたいてい移動している最中ではなく、移動した先で体験したことだ。私は人生の豊かさとは体験の豊かさであると思っているため、体験そのものが価値だと思っている。

もちろん、昔を思い出して「あの車はいい車だった」と思うことはたくさんある。でもそれはその車に他の車にない価値があったからではなく、愛着が湧いたからだ。安い中古の軽に乗っていたときの思い出は、高級車に乗っていたときの思い出よりも劣るだろうか?たぶん、関係無いだろう。それよりもその時の年齢や付き合っていた友達、彼氏彼女あたりの影響のほうが大きい。みなさんはどうだろうか。「あの車は良かったな」と思える度合いと、その車の車体価格は比例するだろうか?多分関係ないんじゃないだろうか。

そういうことを踏まえてもなお、「いや高い車のほうが満足度が大きかった」と思うのならば、私に言わせればそれは偶然だ。偶然、あなたが愛着を持った車が高い車だった、ということだと思う。

高い車がそれ相応の価値(≒体験)をもたらしてくれないならば、私は高い車を買う価値は無いと思う。ベンツやボルボやBMWが車に何百万円という値札が貼られていても、あなたにとってその値札に書かれている金額分の価値がある商品かどうかは全く別の話なのだ。以前にも似たような記事を書いたが、メーカーが述べているスペックと値段から算出したコストパフォーマンスは受け手側にとっては本来無意味な指標で、本来考えなければならないのは受け手が感じ取った価値に対するコストベネフィット、だろう。

これがたとえば、私が死ぬほど儲けて数百万の価格が誤差と思える程度の金銭感覚になったら多分高級車も買うだろうけど、今は数百万の価格は誤差とは思えないので私は300万円以上はやっぱり出さない。

多分、高級車を新車で買うような人は数百万円が誤差だと思っているか、もしくはベンツやBMWやレクサスといったロゴに人並み以上のブランドを感じ取っているかだろう。そして後者は個人的にはかっこ悪いとも思う。私はブランドなんてどうでもいいと思ってる人間だ。だってブランドのロゴはアホでも分かるから。だからヤンキーはハイブランドの財布をジャージや汚いジーンズのポケットに詰め込んでいる。それと同じことが言える。

なのでみんながマツダ地獄とか言ってた時に私はマツダが好きだった。正直に言えばそれは自分が本当の価値がわかる人間だと自負していたから。だから、マツダ地獄と言われた時にマツダに乗っていたのは自分自身ではそれがかっこいいと思っていた。

走る楽しみは正直バイクのほうが上

私がすごく後悔しているのは、もっと早期にバイクに乗っておけばよかったということ。

子供の頃から車よりもバイクに興味があったが、主に母親の猛反対と私の経済力の無さと行動力の無さから30代になってから買うこととなった。子供の頃から思っていたとおり、バイクは素晴らしい体験をもたらしてくれた。

あくまで個人的な考えだが、っていうかこの記事自体個人的な考えだが、運転する楽しみは車よりもバイクのほうが上だと思う。

運転する楽しみは、運転技術の向上に対する満足感に拠るところが大きいと個人的には考えている。「人馬一体の走り」が楽しそうなのはつまり、大きな乗り物を自分の思い通りに操っているという満足感であり、それは運転技術の向上と等しい。

バイクはその単独事故の多さからも明らかなように、車よりも運転するのが難しい。だからこそ、思い通りに操る大きさも大きいのだと思う。

さらに、バイクに乗るのはいろいろ大変だったりする。いちいちプロテクターの入った、概ねダサい服を着込まなきゃならないし、妙な靴を履いて手袋を付け、荷物を積載するには専用の装備とテクニックが必要で、雨が入ったらずぶ濡れになる。どう考えても車のほうが快適だ。その頭や体を使って不自由を少しでも快適にしようという行為もとても楽しい。

そうやって運転技術で苦労して、荷物の積載で苦労して、雨が降って苦労して、車よりも頻繁に休憩をとって、そういう過程を経て目的地に着くのは高速道路をオートクルーズでひた走って追い越し車線を塞ぐトラックやバスに舌打ちをしながら移動するのとは全く違った体験だ。じゃなきゃキャンプなんてしないじゃん。どう考えてもホテルに止まったほうが楽でしょ?キャンプをするというのはバイクに乗るということと似ていると個人的には思う。

と、すべての人に同意してもらえる価値観とは当然思ってないけど、とりあえず私はそういう人間だった。つまり、「機械を意のままに操る」という価値観におけるコストベネフィットを考えた時は車よりもバイクの方が私にとっては圧倒的に上だった。

まとめ

と、このように、まずマツダに人気が出てしまったのであまのじゃくな私は興味が失せたという点に加え、さらに高い車に相応の価値を感ずることができないこと、バイクの方が今は楽しいことなどを理由としてマツダというか自動車そのものに興味が失せてしまっているというのが正直なところだ。

とは言え、私にとって車は生活インフラだから必要と思っているし、興味が失せたからと言って何でも良いから安い車に乗るという訳でもないので、今後もウォッチを続けていくし何かあったら記事にはすると思う。が、多分、もう昔みたいに車のことを隅々まで調べて語るようなことはあまり無いだろうと思う。