中傷とどう向き合っていくか

久しぶりにバカみたいな文章を送ってきた人がいるのでタイトルのようなことを考えてみます。

ネットは中傷の宝庫

そもそも、ネット上は中傷や暴言の宝庫です。なぜか。匿名だと思われてるからです。

匿名だから自分の発言には責任を持たなくていい。だから好き勝手言ってやろう。だって匿名だからね。と思う人が一定数居るのです。なぜそんなことが言えるのかというと、明らかに氏名が分かる人との対話と比較してネット上では暴言等々に遭遇する率が高いからです。名刺を交換して、私はこういう者ですと紹介を受けてから暴言を受けた、って経験、多分ほとんど無いですよね。友達や知り合いという範疇でもほとんど無いはずです。

会社の名前を背負って暴言を吐けば責任を取らされますし、友達や知り合いというくくりであっても、ハブられるとかペナルティを受けるわけです。その点、ネットはそういう制約がない。同様のことが満員電車で「おい!押すなよ!」「押してねぇよ!お前が押したんだろ!っていうか混んでるからしょうがねぇだろ!」などと小競り合いを始めて電車を遅らせるオッサンなどにも言えます。奴らが電車に乗ったときに付近の人と名刺交換してたら絶対もめてないですよ。

ただ、ここで勘違いしてほしくないのはネットってバーチャルでも匿名でもなんでもなくて、単に現実だということです。

だってそうでしょ?電気信号に変換された文章の先、動画の先には人間が居るんです。暴言を受けて傷つくのは仮想的に形成された人間っぽいふるまいをするプログラムではなくて、現実の人間です。テレビも同様に電気信号に変換された動画音声の先には人間が居るんですが、テレビのことをバーチャルだとは言わないですよね。なんでネットはバーチャルだと思ってるのかすごく疑問です。

ネットは現実なので、中傷や暴言を吐いたら罰を受けます。具体的にはIPアドレスをもとにプロバイダに発信者開示請求を行って住所氏名を特定し、侮辱罪、名誉棄損罪、業務妨害罪1、脅迫罪などの刑事罰に問うことができます。

実際それで過去山のように逮捕されてきた人が居るわけです。刑事罰を受けるわけですから、これは履歴書の賞罰欄に書く義務が生じ、書かないと経歴詐称となります。ネットでの中傷の書き込みをしていた人なんて今どき、会社は取りたがらないですよ。SNSの炎上リスクそのものじゃないですか。

こんなに不利益があり、自身には何の利益もないのに暴言を吐くというのは、これ単に無知である以外に理由が無いように思うんですね。

どう向き合っていけばよいか

我々ブロガーはネタ探しに日々勤しんでいます。今回送られてきた暴言(あとで載せます)もネタの一つで、何か書けるものがあれば書くのがブロガーです。だから、普通は面倒だから、金がかかるからとやるまでもない裁判もネタだからと起こす人たちも一定数居ると思います。でも普通の人は中傷されたからといって気軽に裁判は起こさないですし、なので結局泣き寝入りするしか無いと思います。

Twitterで鍵アカウント(※発言がフォロワー限定でしか閲覧できず、フォローも許可制にするという機能)になる人ってそういうパターンが多いんじゃないですかね。

こういった、「ブロックする」というのは手軽で大きい対策にはなります。このブログもコメント欄は閉じてます。ブログのコメント欄って経験上、暴言・中傷が書かれる率が一番高いんですよね。Twitterとかも暴言は多いですが、それでもアカウントという誰かを特定するゆるいシステムがあるからか、ブログのコメント欄よりは圧倒的に暴言は少ないです。捨てアカでいちいち言ってくる人もいますが。

暴言が多いブログって読む気しないですよね。暴言、中傷、罵倒は第三者からみても不快なものですし、もう管理されてないブログかな?という印象も与えてしまいます。だからいちいち文章を読んで削除するしかない。そして面倒なことに、暴言のコメントって落書きと一緒で、書いてあると「あっ、暴言書いて良いんだ。俺も書いたろ」みたいに便乗してもっと書いてくるやつが居るのもがっかりポイントです。本当、人間って汚いよな。旅の恥はかき捨てとかいう言葉もありますし、人間の本性ってやっぱり基本クズなんじゃないかと思ってしまいますね。

そういうわけで2年前くらいに機械学習でコメント内容を判定させて、あまりに程度の低いコメントはそもそも投稿させずに拒絶するというシステムを考え、それがビジネスになるのではと思ったのですが、まぁ案の定手を付けられてません。余談ですが。

ただ、鍵アカにする、コメント欄を閉じるというのは効果的ですが、同時に好意的なコメント、普通のコメント、間違いの指摘のコメントなど有益なものもシャットアウトしてしまうという大きなデメリットがあります。ただ、それを捨ててでも完全ブロックするメリットがあると思えるほどにひどいのですが…。

SNSやブログの各種機能を用いてブロックする、というのが対策のための第一の選択肢でありますが、第二の対策としては単純に「慣れる」があります。私はもう慣れました。中学生のころから自分のサイトを運営してきて山のように暴言を吐かれてきました。ちなみに、その人達に反論するために色々試行錯誤して文章力や論理的思考力が上がったような気がします。同様のことは2chのひろゆき氏や切込隊長ことやまもといちろう氏等々も言ってましたね。そういう意味でも、罵倒や中傷のコメントは、シャットアウトするのではなくて自分でうまくハンドリングすることで、自分の成長につながるという点もちょっとはあると思います。ただ、これは単なる結果論で勧められる方法でもないですけどね。

でも、これがうまくできるようになれば、メンタルとか文章力とか思考能力とか色々鍛えられるので、私がどのようにそれをやってきたかを説明したいと思います。

例題

以下のような文章が質問フォームより送られてきました。

いつもクソみたいな主張を長々と執筆されてよくそんなつまらない作業できるなと感服しています。
幼い頃に辛いことがあった、ストレスのはけ口がない、妻がとんでもなく不細工など、辛いことが多いかも知れませんが、今後もしょーもない記事を実装しでください。
あ、質問はないです。誰に聞くかが一番重要ですから。

普通の人がこれを読むと「な、何だと!俺の嫁はブサイクちゃうわ!お前の嫁がブサイクじゃ!」という考えが先に来て冷静な対処ができません。まず大切なのは、これが自分ではない第三者に向けられたものだと思いこんで冷静に読み解いていくことです。難しいと思いますが、慣れればできます。

すると、暴言や中傷は特段の主張はなかったり、自分へのブーメランだったりすることがよく分かってきます。ただの暴言でも言葉の選択等々から色々とわかることがあります。

いつもクソみたいな主張を長々と執筆されて

ということはいつもこのブログを見ているんですね。長々とした文章も読んでしまうんですね。嫌いならば見なけりゃ良いのに、なぜ見てしまうんでしょうか。こういった行動はネット上のいわゆるアンチと言われている人たちによく見られる行動であります。

理由は色々ありますが、私は「粗を探して自分の方が優れていると優越感を得たい」が発端にあると考えています。その結果、自分より優れているところがあると羨望が入り混じった状態になり、ますますあら捜しをして「そんなはずはない、私のほうが優れていて幸せなはずだ」という感情に囚われ、いつしか「ある人が嫌いでいるということが目的化している」に至るのだと思っています。

試しに検索してみたら、ほとんど同じ主張をされている方がいました。

なぜ嫌いな人のSNSをわざわざ見てしまうのか? - 文春オンライン

これを論証することは難しいですが、経験的(自分だけでなく他の人のパターンも含めた)には、そういう心理機序を踏んでいることに間違いは無いだろうと個人的には思っています。まぁそんなことを指摘しても全員が否定すると思いますが。

幼い頃に辛いことがあった、ストレスのはけ口がない、妻がとんでもなく不細工など、辛いことが多いかも知れませんが

これはこの人の願望が現れています。

「こういうブログを書くやつはどうせ子供時代は不遇であったのだろう、いじめられていたのだろう」
「日々ストレスを溜めて精神的に辛い状態であるはずだろう」
「結婚していても嫁は不細工なはずだろう」

ということですね。私の文章で気に入らないところがあるならばそれを引用し、どう気に入らないのか、何が間違っているかを述べるのが普通だと思いますが、それをせずに個人の属性への攻撃に走るというのはつまり、私の主張自体は問題ではなく、私の属性が問題なのだということであり、つまり私がなんとなく幸せそうに見えるのでムカつく、いや、不幸せであるはずだと思ってるんじゃないでしょうか。

いや、そうではなくて単に個人攻撃をして相手を腹立たせるために適当なことを言ったのだ、という可能性も考えられます。その場合は、この言葉は書いた人の内面を写す鏡になります。ある人が「つらい状況とはどういう状況だろうか」ということを想像して例を挙げているわけですから、このような場合は自身がまったく経験したことのない例示はできないでしょう。

つまり、

幼い頃に辛いことがあった

という例示からは、自身が子供時代に辛いことがあった可能性が考えられます。具体的には、イジメられていた、貧乏であった、異性にモテなかった、不登校児であった、とかでしょうか。

もしくは、逆に自分がそのような人を見てきたということかもしれません。すごく性格がねじ曲がっている人に振り回されて苦労した経験があり、その性格の歪みは幼少期の経験にあるのだろうと結論づけたとか。

もしくは、単に「こういう人間は子供時代に不遇な経験をしたのだろう」と思いたいのかもしれません。すると、やはり「粗を探して自分の方が優れていると優越感を得たい」という劣等感が透けて見えてきます。

いずれにせよ、「子供のときに辛いことがあったから性格がねじ曲がったのだろう」というのはよく世間でも聞く言葉ではありますが、大抵はその因果関係を述べるに足る検証も行ってない…というか、子供の頃に辛いことが本当にあったのかということすら想像で、「どうせイジメられっ子だったんだろう」などという文脈で述べられることが多く、何ら論理的でもなく、ただの中傷・暴言です。

ストレスのはけ口がない

という文言も、ここで出てくるのはいささか不思議な感情を抱きます。私は別にストレスを感じてないですし、ブログの記事もそれを示唆させるものはないと思われるからです。

後述しますがこの文章はおそらく

Twitterで見た発言に対するツッコミ(平成最後)

を見てから書かれたもので間違いないと思われます。この記事の内容はタイトルの通り、Twitterで見た主張に対してそれは違うんじゃない、と私の主張を書いたものだからです。

これが例えば、私が仕事や家庭に対する愚痴を書き連ねた文章に対して「ストレスのはけ口が無い」という指摘であれば理解できますが、そうでないのはやはり前項と同じように「ストレスを溜め込んでいるのだろう」という願望を持ちたい、粗を探して自分のほうが幸せだと思いたいという気持ちの現れなのだと思われます。

妻がとんでもなく不細工

という例示からは、自身が結婚や恋愛関係での失敗を引きずっていることが示唆されます。

そもそも、「妻が不細工だと日々ストレスがたまる(その結果ブログに主義主張を書く?)」というのは、日常生活に照らし合わせてみても奇異な主張に思えます。妻が不細工だとストレスが貯まるんですか?私はそんな人を見たことは無いです。愚痴やネタとして「嫁が不細工で」という人は居るような気がします(もちろん褒められたことではないですし、私の周りにもそういう人はいません)が、ストレスが貯まる、というのはどうも腑に落ちません。

たとえば嫁が不細工だからと耐えられない苦痛を日々溜め込んで、憂さ晴らしに何か散財したり、何か物に当たって壊したくなったりしますか?そんなことないでしょ。

単なる意味のない罵倒としても、「嫁が不細工」はあまり出てこないキーワードだと個人的には思います。

このあたりから想像できるのは、「自分は結婚したくてもできない状況であるが、こんな人間が結婚しているのだから、結局妥協して不細工と結婚したのだろう」という願望を抱いて心理的優位に立ちたいとか、あるいは「自分の配偶者は容姿があまりよくない」という劣等感を抱いていることの裏返しでしょう。つまり、「これでこいつの嫁が美人だったら、いよいよ自分は耐えられない」という心理的不安があるという推測です。

そもそも、私が既婚者であるという事を前提に指摘していること自体、私のブログやSNSをよく読んでいる証拠です。私が既婚者であるとわかる程度には私のブログをよく読み、嫌いと思いながらも読み続け、「嫁が不細工だろう」などと言うという全体の行動がやはり、「粗を探して自分のほうが優位である、幸せであると思いたい」という説を補強しています。

いずれにせよ容姿を馬鹿にしているあたりで、その人の程度の低さが想像できるというものです。それも、その人自身ではなくてその人の配偶者の容姿を馬鹿にしていて攻撃になると思っている辺り、配偶者を所有物のように認識していることにほかならず、書いた人の人間性が透けて見えますね。

今後もしょーもない記事を実装しでください。
あ、質問はないです。誰に聞くかが一番重要ですから。

この文章からは3つのことがわかります。

まずは「記事を実装」という特異な言い回しです。「記事」は「執筆」もしくは「書く」であり、「実装」とは普通言いません。「実装」を日常的に使っているのは特にITエンジニアと思われます。私のブログもIT関係の記事がいくつかありますが、最初はIT関係の記事を探していて私のブログを読み始めたのでしょう。

次に、「実装」「しでください」などの間違いがあるという点です。「実装」は前述したとおりここで使うのは間違いですが、これに気づかなかった、あるいは意味はなんとなく通るので修正するまでもなかったということが伺えます。「しでください」という文章は単純なtypoで、これも気づかなかった可能性が考えられます。要するに文章を大して推敲することもなく、一時の怒りに任せて一気に書いて送信したことが予想できます。

最後に「誰に聞くかが一番重要ですから」

というのは、

Twitterで見た発言に対するツッコミ(平成最後)

という記事において、私が「キングコング西野さんの言葉で感動したならばそれは『誰の言葉を信じるか』とか、『感動したか否か』を議論に持ち込んでるのであって、それで心が揺り動かされているならばいつか詐欺師に騙されますよ」という趣旨の主張をしたことに対する反論で間違いないとおもいます(時系列、記事を公開してからの時間より)。

この記事では私は特定の誰かを指してそれはおかしいと主張はしておらず、常にその発言を指して議論をしたつもりです。もしこの記事を読んで腹が立ったのならば、それは図星を突かれた以外に理由はありません。

つまり、「IT関係のエンジニアが図星を突かれて一気にハラが立ち、怒りに任せてこの文章を送った」という経緯が推測できます。

しかも反論が反論になってません。私は件の記事で「誰の言葉を信じるか、感動したかどうかで主義主張をより好みしていると、同じ手法を使ってくる悪意を持った詐欺師その他に騙されるぞ」という趣旨のことを書きましたが、その反論として「誰に聞くかが一番重要」というのは反論になってません。

反論するためには「誰の言葉を信じるか、感動したかどうかで主義主張をより好みしても詐欺師その他には騙されない根拠、理由」を述べるか、「詐欺師その他に騙されるリスクを負った上でも、主義主張を発言者の人間性で判断するメリットがある」ことを示さなければなりません。

余談ですが、実はIT関係には驚くほどに非論理的、非科学的な考え方を持った人がいます。IT関係というと計算機を扱う商売なので、論理には長けてる人が多い印象がありますが、現実はそうではありません。

そもそも「誰に聞くかが一番重要ですから」という言葉は、自分で考えることを放棄しているともとれますし、私は議論ができません、しませんと言っているともとれます。反論としての文章にそういうことを書いていてそれに気づかない辺り、いささか教養にかけているという印象が率直なところです。

以上のようなことから、

「心に幼少時代、恋愛結婚関係、仕事等のストレスなどでいくばかの闇を抱えている、論理的な思考能力と文章の組み立て能力が苦手なITエンジニアが、『こいつは幸せそうだな。いや、幸せであるはずがない。私のほうが幸せであるはずだ』という歪んだ劣等感に基づき、日々、自分が嫌いだと断ずる文章を自分で読み続けていたが、そこで『西野さんの発言に感動したならば詐欺師に騙されるかもしれないですよ』という文章で図星を突かれ、たいした反論も思いつかないまま瞬間的な怒りに任せ、持ち前の論理的な思考能力・文章の組み立て能力の無さを遺憾なく発揮した文章を推敲もせず一気に書き上げ送信ボタンを押した」

という推測ができます。

大事なのは、これが当たっているかどうかという点ではないです。ここで議論しているのは「中傷や暴言をどうハンドリングするか」なので、このような推測を行うことで相手のことを「暴言を吐いてくるやつ」から「可哀想なやつ」と変貌させることが重要なのです。

だいたい、嫌いだと言いながらその人の行動や文章を読み続けるような人は、自分の人生に不満があるからでしょう。辻希美さんのブログで「カレー作りました」とか書いただけで炎上させてる人たちが居るじゃないですか?自分の人生が幸せで満ちていたら、他人のあら捜しして「この人より私のほうが幸せなはず」みたいな行動なんてしないですって。

言いかえると、そういう可哀想な人たち、それもただ可哀想なのではなくて性格がねじ曲がって人を不快にさせることを目的に行動している人たちに絡まれるのは、それだけ自分が幸せで満ちているという証拠であるとも言えます。

まとめ

  • ネットはバーチャルでも匿名でもなく現実
  • 中傷や名誉毀損、侮辱は刑事罰なので裁判して懲らしめることができる
  • 中傷して回る人たち、アンチとかは大体自分が幸せではない人たち
  • この人たちは他人の粗を探して自分よりも対象の人が劣っていると考えて自己肯定感を得るという歪んだ性格の持ち主
  • それが真実であるかどうかはさておき、そう考えることで中傷はなんとも思わなくなる
  • もし鍵アカとかでSNSを運用しているが、本当は全公開したい人に参考になれば幸いです

  1. ブログの場合はアフィリエイト、広告などによって収入を得ているケースが多いので、「業務妨害罪」も問えるでしょう。