Twitterで見た発言に対するツッコミ(平成最後)

時計の針

近畿大学の卒業式で西野さんが言った言葉だそうです。

「すごくいい言葉だ」「感動した」「ぐっと来た」という意見もとても多く見ます。感動すること自体は良いことだと思いますし、不遇の時代が訪れてもいずれ報われると思ってがんばりましょうという気持ちを持つ事自体も良いと思います。

ただ、大体ツッコミが入ってますが、例え話というのは両者に関連する、もしくは共通する性質や論理が無いと成り立ちません。

似たような話で、昔の2chのコピペでツボの話があります。

ある大学教授が語った「人生の優先順位」の話。

内容は大学の授業で教授がツボを用意し、最初に大きな石を入れ、次に砂利をいれ、次に砂を入れ、最後に水を入れ、「君たちにとっての石は何かな?大事なものは最初にやらないと後になっても入らないんだよ」という話をするというもの。

こんなもん、関連してないことなら何を組み合わせてもいいわけで、例えば

「大きい建物を作るには地盤のしっかりした土地を選び、穴をほってコンクリをしっかりと流し込んで基礎を固め、それから建物を作り始めなくてはならない。見えないところにある基礎が一番重要で、すごい人が見せている凄いことは、見えないところに有る努力があってこそのものだ。だから基礎を最初に行いなさい。大事なことは後回しにしなさい」

というように逆の言い方に言いかえられます。

同じように西野さんの話も

「ミミズって本当にすごくて。よく雨降った後で干からびているのを見ますよね。なんで自分が今居るところで過さないんだろう、なんでわざわざ危険を犯して外に出ていくんだろうって思いますよね。違うんですよ。今住んでいる植木鉢の土は明日になったら掘り起こされてしまうかもしれない。十分な食料が無くなってしまうかも知れない。そういう危険を本能的に悟ってるんです。だから、一か八かのリスクを冒して一歩を踏み出すんです。干からびたり、鳥に食べられたりするかもしれない。今、上手くいってるから、ここで頑張ってるからといっても、それで未来が保証されたわけではない。僕達は、時に安住の地を捨ててでも、今までの努力を捨ててでも、未来に向かって飛び出さなければならないときがいつか来るんです。一人ひとりが立派に咲き誇れる場所は、絶対にあるんです。」

と真逆の結論を引き出す例え話を持ち出されても、みなさんは感動するのでしょうか?

感動しないとしたら、なぜ?

私が西野さんではないから?

それともミミズでは感情が揺さぶられないから?

私が西野さんではないから感動しないのだとしたら、それはあなたが「話している人の外見や人間性」をみて、話を信じるべきかどうか決めているからです。

ミミズでは感情が揺さぶられないからなのだとしたら、それはあなたが議論に論理や事実ではなくて納得や美しさといった感情を持ち込んでいるからです。

西野さんの時計の話に感動して、努力を続けようと思い立った。良いでしょう。感動することも、努力することも、良いことです。

しかしながら「感動するから」「いい言葉だから」「素敵な人が言っているから」で話の良し悪しや真偽を推し量っているのならば、いつか同じような手法で切り込んでくる詐欺師に騙される機会もあるでしょう。それに、世の中の真実は必ずしも万人が感動し、良いと思い、幸せになることばかりではありません。時に信じがたいことが正解だったり、皆が嫌がることをやらないと回っていかない仕事があったりします。

12歳強姦無罪

12歳長女への強姦で無罪、静岡 地裁「被害者の証言信用できず」

この件だけではないが、その他の強姦関係の無罪判決に憤り、この国の司法はどうしてしまったのか、みたいな意見が主にフェミニスト界隈から湧き上がっています。

そう主張している人の何人が判決全文を読んだのでしょうか。

強姦であれば刑事罰が下りますが、そもそも強姦に当たるかどうかという点でそれぞれのケースで議論の余地があり、それをはっきりさせるために裁判を行い、裁判の手続きに従い、双方に法律の専門家が付いて議論を重ねた結果、無罪となったのですからそれに異議が有るのであれば、せめて判決文くらいは読んでどこがおかしいのか理解してから主張すべきです。被害者と加害者が居る事件ですから、それをせずにただ批判するのは中傷と変わりません。さらに恣意的に「強姦ならばまず有罪のはず」と断ずるというのは、魔女裁判と何も変わりません。

強姦が無罪になるわけがないと「強姦は当然あった」と決めつけて自分が納得の行くストーリーにならなかったからと言ってこの国はおかしいなどと国家の問題にまで飛躍するのは私には理解できません。こういうことを繰り返すとフェミニストはどんどん嫌われます。フェミニストが嫌われると、単に男女の不平等をなくそうという真っ当な運動すら嫌悪感が漂ってきます。巡り巡って自分の首を締めることになります。それで良いのでしょうか?

たぶん、それで良いんでしょう。

私の想像ですが、こういう人たちは本気で不平等を解消しようとは思ってないです。本気で不平等を解消しようと思ったら理性的論理的に話を詰めていく必要がありますが、彼ら(彼女ら)はそれをしません。ただ感情を爆発させ、正義を振りかざして何かを叩いてストレス解消したいだけなんです。最初は本気で不平等を解消したいと思っていたのかも知れないけど、議論の場で感情を全面に押し出した時点でもう、害悪でしかなくなります。

SNSはそういったサンドバッグを求めて練り歩く人たちのツールとしての側面がどんどん強調されてしまっているように思います。

ちなみに、今回の件がそれにあたるかどうかは分かりませんが、以下のような話もあります。

なぜ上級国民は逮捕されないのか?

【上級国民】池袋プリウス事故の犯人が天下り役人で怒りの声「逮捕されない理由はそれか」「事件が迷宮入りしそう」

そもそも逮捕というのは懲罰ではありません。逮捕されてないから懲罰を受けてないという話にはなりません。

逮捕の根拠となる法律は刑事訴訟法第199条、特に現行犯逮捕は刑事訴訟法第213条になります。

法律が述べているところは

  • 誰が
  • どのような状況で
  • どのような手続きで

逮捕できるか、を定めているに過ぎません。特に現行犯逮捕に限ると、主に逃亡を防ぐことを目的としているはずですが、逃亡の可能性があるかどうかは捜査機関の裁量で決まります。

ちなみに住所氏名を明かせば現行犯逮捕されないという話がありますが、それは30万円以下の罰金、拘留又は科料に当たる罪にあたる犯罪の場合のみ(刑事訴訟法第217条)で、たとえば交通事故(業務上過失致死傷罪)では5年以下の懲役もしくは100万円以下の罰金なのでこれにあたりません。

すぐに弁護士を付けて現場でゴネれば逮捕が無くなる、ということはもしかしたらあるのかも知れませんし無いのかもしれませんが、でも出来ることと言えばそのくらいでしょう。今回のケースがどうだったのかは知りませんが。

ともかく、逮捕は懲罰ではないですから「逮捕されないとおかしい」という主張自体がおかしいです。「Aというケースでは逮捕だがBというケースでは逮捕じゃない!」とか比較対象を見つけて鼻息荒く、国家や捜査機関の不正を暴くみたいな活動してて、何の意味があるんですかね。

今回の件から我々一般ピープルが教訓とすべきことは、家族が逮捕された時にどういう行動をしたらよいのか、刑事事件に強い弁護士を多少はググったり、逮捕後の流れはどうなるのか、とかを予め調べていざというときに多少でも落ち着いて適切な行動が出来るようにしておくこととかではないですかね。

それはさておき、「上級国民」という言い方、恥ずかしくないんでしょうか。

事故発生後にSNSアカウントの消去

こっちは同じ事件ですがもっと意味がわからない主張です。こういった主張が山のように出てきます。

SNSのどこに自動車運転による業務上過失致死傷罪の証拠が残っているんでしょう?

SNSを消したのは自分や家族をネットでの犯罪者叩きから守るためです。当たり前じゃないですか。そもそもネットで犯罪者だからと叩きまくってるのが卑しいんですよ。

犯罪に対する罰として刑事上の罰があり、その他に民事上の責任を問うて今後長い長い裁判を経るわけです。それぞれの判決による罰はもちろん受けますし、そこに至るまでの裁判は非常に精神を消耗します。想像してみて下さい。自分が間違って交通事故を起こし、人を殺したことについて警察から詰められ裁判の末に前科持ちになり、同様に被害者家族からも詰められたんまりと慰謝料と搾り取られるわけです。過去、輝かしい経歴があったとしてもジジイになって犯罪者として扱われて死んでいくって相当惨めだと思いますよ。その時点で「アクセルとブレーキの踏み間違い」1に対する責任は十分取ってると思いますし、罰も十分じゃないでしょうか。

それに加えて、SNS等々によって叩かれる罰は果たして必要なのでしょうか?

憲法を元に法律として規定された、「この程度の罰になるだろう」という基準があり、そして個々のケースで裁判で実際の罰の大きさが決まるわけです。そのプロセスはそれなりに尊いわけで、それ以上に我々一般市民がSNSを通じて叩きまくるのは果たして正義なんでしょうか?

連日報道される犯罪の容疑者は、給料が低い、労働環境が悪い職場で働いている、結婚したいのに出来ないという鬱憤を晴らすためのサンドバッグじゃないんですよ。

同様に、まず息子に電話したことが批判の対象となってたりします。

これも想像力があまりに足りないと思います。

人間、焦ると何をどうすればよいのか分からなくなります。実際、交通事故を起こした時にまず真っ先に家族に電話して助けを乞うというのはよくある行動です。交通事故ではないですが、うちの嫁さんも何か事件が起きた時に警察よりもまず私に電話をかけてきたということもありました。

私自身も、過去とある事件で警察を読んだことがあります。携帯電話が圏外で通じなかったので、そこらへんにいた車で来た人に「車で携帯が通じるところまで連れてってくれ」と言い、「いや、すぐそこに民家あるやんけ。どう考えてもそっちで電話借りたほうが早い」と返されたことがあります。そんなことすら判断できないんですよ。電話かけるときも110、177、117、119どれに電話すればいいかわからなくなったり。

自分が事故を起こした時に的確な対処が出来る人がどれだけ居るでしょうか?免許更新の時にビデオを見せられたでしょう?警察24時でもやってるでしょう?普通の市民だって、人を轢いたら怖くなって、救急車呼ぶどころか逃げ出してあとで出頭してきたりすることもあるんですよ。そこまでやり玉に挙げて批判すべきところですか?これ。

あとね、運動能力低下、歩行困難で運転するなといったらそれは車椅子やその他身体障害がある人も車に乗るなって言ってるのとおなじですからね。

ちなみに連日の報道で私が憤りを感じることがありまして。高齢者の死亡事故発生件数って18年に460件もあったらしいんですよ。

75歳以上運転の死亡事故、18年は460件 : 全体の15%占め過去最高

なんで今回だけ、みんなこんなに騒ぐんですか?

池袋だから?若い母親と幼い女児が死んだから?その人たちの写真が連日報道されてるから?だから騒ぐの?

田舎だって都会だって、若かろうと年寄りだろうと、みんなそれぞれ生活があって、幸せに生きていたいんですよ。世界の物流や交通には車が必要不可欠だけど死亡事故も起こるわけで、それでずっと自動車メーカーは自坊事故の削減に取り組んできたわけですよ。私自身も、少なくとも自分と自分の家族は死なないように安全な車を調べたり、予防安全装備が付いた車をリストアップしてJNCAPの評価を見て比較したり、定期的に予防安全装備や自動運転の動向をウォッチしてるんですよ。気が向けば今回みたいに交通事故の統計を調べたり、個々の事例の判決文を読んだりしてるんですよ。

それで何?今回、事故が起きたのが「上級国民だから」とかでことさら騒ぐのって何なんですか?しかも論点が「若い母親だから」?「上級国民だから」?ばかじゃねぇの?

今回のショッキングな事件を気に自動車事故について興味を持ち、安全意識を高めたという話ならわかりますよ。いや、そうであるべきです。でもそこに被害者や加害者の属性って要ります?なんで要るんです?池袋だったから、若い母子だったから、だから印象に残った。それはそうでしょう。でも、属性の話は「だから目に留まった」で本来終了のはずで、加えるならそこに「若くして死んだのはとても可哀想だ」という気持ちが浮かんで来ると思うんです。

でも上級国民だから必要以上に罰せよとか、若い母子を殺したから必要以上に罰せよとか、要ります?そんなこと言い出したら恵まれてる美男美女が不正をしたら不細工の犯罪よりも重刑に処するべきだとか、幸先短いジジババなら誤って殺しても減刑されるとか無茶苦茶な議論になりますよ。

お願いですから犯罪者叩きとか、プリウスへのヘイトとか、格差社会の鬱憤ばらしとかで論点をずらして好き勝手なこと言わないで下さい。偶然その発言が目に入るとくそムカつくので。

農業体験がツライ

ちょっと論理飛躍しすぎじゃないですかね。

まず、苦労を美徳としているから手作業でやっているのではないと思います。

私自身の経験を遡って考えてみても、例えば高校の時に蕎麦を植えて蕎麦を食うとか、大豆を植えて豆腐を作って豆腐を食うとかいう授業がありましたが、それは「農家や豆腐屋の苦労を知ってもらうため」ではなくて、「我々が食べているご飯がどのように作られて食卓に並ぶのか」を知ってもらうため、というような趣旨だったと記憶しています。豆腐に関してはコロイドの凝集を理解する、という目的もあった記憶がおぼろげにありますが。

つまり、

「農業=つらい」のイメージを幼少期から刷り込む

これがそもそもの間違いだと思うんですよ。そんなこと刷り込んでない。

私の子供の幼稚園、保育園でも農作物を育てて食べるというものがいくつかありましたが、それの目的も「農家の苦労を知ってもらうため」なんて説明は聞いたことがないです。米を植えて育てて食ってましたが、その過程でうちの子供は米がどのような状態で田んぼに植えられていて、どのように育ち、どのように加工してご飯になるかを知ってました。作物の名前を理解するようになり、植物に対する興味も強まりました。それはとても良かったと思います。

で、重要なことはこれらを学習するために「機械で楽する」必要は無いですよね。機械で楽すべきなのはそれは商売としての農業であって、教育のための農業を機械化する必要性は必ずしも無いと思います。

泥まみれになって作物を植え、それを育てて最終的に食べるという体験を印象づけるためには五感をフルに使う手作業を行うのはむしろ良いことだとさえ思います。少なくとも、それが間違ってたりおかしなことだとは思わない。農業体験を企画し、毎年実施しているだけで褒められるべきこととも思います。

もちろん、機械を見せるというのはアリで、それもやった方が良いと思います。

子供が興味を持つ方向は様々で、例えば私の子供時代を振り返っても私は畑の作物よりはトラクターや耕運機、コンバインなどといった農業機械にとても興味がありました。沢山の機械に囲まれ、広い農場で機械を動かしながら農業するという姿を知ってもらうというのも良いことだと思います。

ただそれを行うのには色々と面倒や問題があり、たとえば小さな子どもがうじゃうじゃいる環境でトラクターや耕運機に触れさせ、体験させるというのは中々危険なことでしょう。それに、その機械が必要になる時期にそれを確保してくる労力やお金といったこともあります。機械に触れさせなきゃアカンとかハードルあげて農業体験自体無くなったらどうするんだ。

我々が出来るのは、やるとすればせいぜい「機械も触れたら良いよね」みたいな提案をするくらいであって、間違っても「手作業だ!苦労を美徳としている農業体験!糞だ!!」とか言って企画している学校や幼稚園の先生方のモチベーションを削ぐことじゃ無いと思うんだよね。

つまり、このツイートは5万回もいいね!されてるのであって、多分この中の10%くらいはあたかも自分の意見であるかのように「機械を使って農業指導させるべきで〜」とか家族や知人に偉そうに言って回るだろうし、その中のまた1%くらいは自分の子供が通う学校や幼稚園、保育園などに対して「農業体験を手でやるってもう今時じゃないよね。戦前ですか?トトロですか?って感じ(笑)子供たちには機械を触れさせて現代的な農業を知ってもらいたいんだよね〜」とかほざいて先生方のモチベーションを失わせるんじゃないかと思うと腹立ってくるんだよな。

頼むから教育現場で頑張ってる人たちを横から「俺は農家でプロだから」みたいな感じで横槍入れて邪魔しないでほしいんだよ。それに感化された人たちも同様で。お前らは農業のプロやSNSのプロかもしれんけど、教育のプロでは無いだろ。プロに意見するならそれなりに経緯を持って喋ろうや、って思う。


  1. 踏み間違いというのは私の推測ですが、しかし、運転のミスの範疇であることは確実と言って良いんじゃないでしょうか