「車を買うのは情弱」って、もうちょっと考えて喋ったほうが良いのでは

まーた出たよ。定期的に出てくるな。

反論でよくリツイートされてたのがこちら。

あと、あんまり関係ないんですが前者の方のプロフィールを見てみると若くして偉い役職に昇格したとか東大出身者が多数在籍するベンチャーで働いてるとか輝かしい経歴をこれでもかと言うほど羅列しているんですが、「Twitterのプロフで経歴を盛って書いてるわりにその他の発言は大したこと書いて無くて結局イケてる俺・あたしをアピールをしたいという意思が全面に出てしまってることいとかたはらいたし、真に信用できるはプロフが『蕎麦食べたい』とか一言で終わってるアカなり。」と枕草子にも書かれてますからね。

でまぁ反論に関してはふたつ目の方のツイートでもう既に終わってるんですけど、付け加えるなら

  • 都市部でも子供が2人、3人になると車を買う人も居る。なぜならば子連れで電車やバスに乗るのはすごくしんどいから。その精神的肉体的疲労に対する対価として車の運用コストは妥当と多くの人にとってみなされているから車に乗っている。ちなみにこの人たちは家のそばに自家用車があることや、車移動に快適さを求めて車をカスタマイズすることを重視するのでカーシェアリングでは代替しにくい
  • 車を趣味で持つ(またはレジャー用途として車を持つ)という観点が完全に抜け落ちている。車が好きだから車に乗る、よくスキーやキャンプに行くから車を持ってるという人は沢山居る。趣味にたかだか年間数十万円も払えないような人生はつまらなくないか
  • 事故ったらクッソ金がかかるぞ、と脅す割に保険費用が維持費に入っているのはフェアじゃない。任意保険(車両保険)に入ってれば事故を起こしても自腹切ってべらぼうに高い金を払う事はまず無い。少なくとも私は思いつかない。添付されている画像の任意保険費用はおそらく、免許とってすぐの場合を除けば車両保険まで入っている程度の額であると思われる。車両保険まで入っていれば車の修理費まで保険で賄える。だから事故っても自分の負担は保険の等級が下がって保険料が上がった分、くらいのはず。加えて言うなら、運転技術の向上や先進安全装備の採用で発生率そのものを下げることが出来る。修理が必要なほどに車をぶつけたとか、事故を起こして保険を使ったとかほとんどのドライバーは人生で数回、一回も無いというひともざらに居ると思う
  • 田舎にタクシーはそもそも殆ど回ってない。路上でタクシーがつかまえられるとか思わないほうがいい。駅前にもタクシーが止まってないことが多い

というあたりでしょうか。

まぁ、今回のパターンは「皆が当たり前だと言っていることは実は当たり前じゃない。それを論理的に指摘できる俺ってイケてるだろ」というのがメインで言いたいことなのだろうし、しかも貼ってる画像はネットの拾い物、二番煎じどころか百番煎じくらいで真っ向から反論することすらバカバカしいんですけど。

この記事でいいたいのは、車がどうとかいうよりは安易に「情弱」とか言っていいんだっけ?お前はそんなに物事知ってんだっけ?ってことなんですよね。それを今から説明します。

すごくざっくりとした、ほんわかホワワワワ〜んみたいな論を言うと、人間の論述能力の成長って

  1. 何も知らない赤ちゃん。バブバブ。かわいい
  2. 沢山の事を知り、周りの大人がそれを知らないだろうから教えてやろうとはしゃぐ時期。井の中の蛙
  3. テストのような、単一で明確な答えが存在する問題を解くための知識の多さがイコール頭の良さという時期。人類の知的進歩を吸収する人生の知的成長黄金期
  4. だんだん自分が信ずる正義や主義主張が出てくる時期。でもゼロベースで考えたことじゃなくて誰かが言ってたことの受け売りだったりするが、しかし正解は一つではないと気づき始める時期
  5. ゼロベースで社会の諸問題や哲学的な問題に対して自分の頭で考え、社会経験や学校で学んだ知識を利用して理論を組み立てれる。自分の主義主張を論理的に組み立てて多くの人が納得できるようにそれを理路整然と説明できる。多くの人を納得させられるので調子にのっていい気になる人も居る
  6. 自分の意見を客観的に見て間違いが無いか判断できるようになり、それで自分の主義主張に問題が無かったとしてもなお、自分が知らないことはまだ山のようにあるがために自分の主張が間違いかも知れないという不安を抱き、必要なところでは主義主張をしっかり通しつつも謙虚な姿勢になる

という感じの変化をたどると思ってるんですよ。

SNSとかで私がもう本当辟易とさせられるのが、今回の件であるような、「何処かで誰かが言っていたような突拍子も無い意見を、さも常識を覆す先鋭的な意見であるかのように見せかけて受け売りで喋る」というパターンなんですよね。この人たちはつまり、上の4番のところで成長が止まっており、自分の頭では何も考えられない、考える能力も無いし考えるつもりもない、検索して出てきたどれかに正解があると本気で思ってるので誰かが言っていたことを受け売りで喋り、「何が真実か」ではなくて「誰が言っていることを信じるか」を最重要視するんですけれども、自分では5番あたりのところにいる、つまり自分は頭が良くて主義主張をわかりやすく人々に伝える能力があると思っている所が片腹痛くて見てて単純に腹が立つ所なんです。4番なら4番らしく、私4番ですよという顔してりゃ誰も何も言わないか、もしくは優しく諭してあげるんですけど、5番ですみたいな顔してるからはあ?お前もうちょっと考えて喋れよな、と喧嘩腰の反論を受けることになるんですよ。

で、私はこの前述の人はネットで拾った画像を引っ張り出して、何百回も見かけた論をまた繰り返しているあたりでどうせ受け売りなんだろうな、と判断したわけですが、しかし、本当に5番、つまり受け売りでなくて、多少他人から同様の論を聞いたことが有るかも知れないけれどもその主義主張を説明するフローはその人の独自のものとして感じる、という文章も以前ネットで読んだことが有るんですよ。Twitterで見かけてもう一回見たいなと思って検索したものの、もう見つかりませんでした。

その人は前述のいと片腹痛しの人よりも更に強烈な主張で、「なんかもう車が世界から無くなって欲しい」「車が嫌いだし車を運転してる人も嫌い」みたいな論理展開をしてました。

その文章だけ読むと、読んでるだけで疲れるような論、つまり散々既出の「事故が危ない」「危険が危ない」「うるさい」「人が死んで不幸になる」「車乗ってるやつって金もってて嫌味くさいジジイかヤンキーかの二択」「金の無駄」みたいな話だったんですが、しかしその文章自体は独自性に富んでおり、文章だけ読むとこの人が車が嫌いなんだな、ということはよく分かる内容になっていました。内容を総括すると、「コストがかかる(場合もある)」という、無難な落とし所を見つけてそれのみ主張している片腹の人に対して、この人は自分で考えていることが読み取れるという点で、片腹さんよりは偉いと思うし、エンターテイメントとしても読ませる文章であったなと思うのです。つまり片ちゃんは意識だけ高い4番で間違いねぇなと個人的には思うものの、この「危険が危ない」みたいな文章書いてた人は5番であるがゆえに、その分尊いと感じたのです。

しかしながらそれでも納得できるのは「俺は車が嫌いなんだ」という主張に対してであって、「うん、車はクソだな。世界から居なくなるべきだ」とは思わなかったし、というか、普通に生きてたら「なんかもう車が世界から無くなって欲しい」「車が嫌いだし車を運転してる人も嫌い」みたいな発想にならなくない?やばくない?とも思うんですよ。

だって、自動車って世界中にあるじゃないですか。自家用車としての用途のみならず多くの国地域においてロジスティクスを担う社会インフラに違いないじゃないですか。日本どころか世界中殆どの国で自動車の恩恵を全く受けない国ってないと思うんですよ。すっごく小さな離島とかなら有るかもしれんけど…。でも少なくとも日本では数多の人が車に乗ってるわけじゃないですか。最新の自動車保有台数を調べてみたら乗用車は6千万台以上もあったんですよ。一人で複数台所有しているというパターンや、企業(タクシー会社)その他で乗用車を保有している場合、車を運転できない年齢層が居ることも考慮する必要があるので単純には言えませんが、それでも台数だけみたら大体2人に1台以上の車が行き渡ることになるんですよ。

世帯あたりの平均普及台数を見たら1.058と1台を超えてました。一番少ない東京に限ってみてみても0.439という数字になります。全国的にみればほぼすべての世帯に1台は自家用車が備わっており、東京においても0.439台は揃う、殆どの世帯が1台しか持ってないと仮定すると東京でも4割くらいの世帯では車があるんですよ。

そういう事実を踏まえた上でね、論理以前に感覚的に「車乗ってるやつはクソ、嫌い」とか言える?いい切る自信ある?私は言えない。

たとえ自分の論理展開に絶対の自信を持った上で「車持ってるやつはクソ、乗ってるやつもクソ」とか、「車乗ってるやつは情弱」という結論になったとしても、私ならばどこかにミスがあるか、結論を覆すような知らない事実がまだどこかにあると判断しますね。だって、均したらすべての世帯に車が行き渡るくらい自家用車が普及してる状態で、その車を保有している世帯全員がバカとかクソとか情弱な蓋然性ってものすごく低いというのが普通の感覚でしょう。これは論理ではなくてそれ以前の常識の類の話ですよね。

これがもし、「今まではそうだったけどこれからそうなる」という話であっても同じで、現在すごく普及・浸透している何かが激減してくといい切るのってすごく難しいと思いますよ。もし社会の流れみたいな曖昧な何かから確定的に断言できる程度の確度で未来を予測できるならぜひとも投資ファンドかなんかでも立ち上げて頂きたいですね。(その時は自動車は近い将来に滅亡する運命にあるから世界自動車メーカー連動トリプルベアみたいな商品を作ってネタを提供していただきたい)

まぁ今回挙げたこの車の例に関しては多少極端なところがあるものの、その他にも何の議論に関しても基本は同じだと思うんですよね。もしかしたら、何か論理展開で抜け落ちてる何かが有るかも知れない。私が知らないことは沢山有る、と自覚しているならば、たとえば「Aのケースでは」「Bの地域では」と対象を限定したり、「かも知れない」「という傾向が読み取れる」などとデータを示しつつも間違ってるかもしれないけどね、というやんわりとしたエクスキューズを入れていくようになると思うんですよね。そうすると文章って自然と「情弱」とかいう煽りみたいな言葉が抜け落ちて、謙虚に優しく、誰が読んでも分かる平易なものへと変化していくと私は思ってます。この状態が前述の6.の場合なんじゃないかと。

まとめると、

  • 「情弱」とかいい切る前によく考えよう。あなた以外の人間を情弱と切り捨てるほど自分は頭いいんだっけ?
  • まともな人は自分が知らないことがまだまだ沢山あることを知っているので情弱とかいう言葉は簡単に出てこない
  • SNSのプロフを盛ると胡散臭さが増すというのは日本古来から指摘されてきた事実

という感じです。ご査収下さい。