【質問#132】追記: 人生は自由です

前回の回答でまだ色々思うところがあったので追記します。

前回の主旨

前回の言いたかったことをまとめると、「うかうかしてたらあっという間に使えないオッサン(オバハン)になって苦労するぞ、さっさと行動しろ」ということになります。

これはいささかオッサンの説教じみた脊髄反射であったと反省しております。私は苦労して大学に入り、大学に入れず死んだ友達もいるので「大学に入ってからやりたいことを決めたいと思いますう」などという論は常々イライラさせられるのです。が、これは私怨の類であって、一般化する論ではありませんでした。

もちろん、前回書いた「大学は専門分化されている教育・研究機関なのだから大学を決める前にまず自分の専門を何処にするか決めるべき」というのは一般論としても正しいと信じてます。が、大学に入る段になっても「人生がつまらない」と言っている人に対する言葉としては適切でなかったなと思ってます。

というわけで、「なんかわからないけど漠然と人生がつまらない。どうすりゃいいのかわからない」というふわっとした質問に対しては、私もふわっとした、しかし質量の有る思いを述べて見たいと思います。以下で語ることは根拠は何もなく私が勝手にそうと思っているという前提で読んで下さい。

人生に意味やレール、正しさなどない

まず、人生に意味など無いです。人間は単なる生物です。素粒子があって、時空があって、電磁気力、強い相互作用、弱い相互作用、重力の4つの力が分化したら何かよく分からんけど自然分裂する何かが発生して、それが進化を繰り返す生き物にたまたまなった、というだけです。その生き物が宇宙や各々が生まれた意味を考えるのはある種、再帰的なところがあって興味深くはあるんだけど、しかしその興味深いという気持ちすらも電磁気力による神経の膜電位が構成要素になっているだけで、それ自体に何か意味があるわけではない。(ここで言う「意味」とは「価値」とほぼ同義)

意味がないので、人生でこうすべきという方法論とか、普通はこういう人生を送るとかいう指針みたいなものも本来は無いんですよ。

よく、「大学は行っとけ」とか「30歳にもなったら結婚して子供の一人でも居て、できれば持ち家も」みたいな野原ひろし的価値観が勝ち組みたいな文脈で語られますが、こんなんもはっきり言って人の好みなんですよ。

自分がよく考えた結果、大学に行って新卒でデカイ会社に就職して家族を養うのに価値を感じたならそれで全く問題ないんですが、普通の人はそうしますよ、そうであるべきですよみたいな価値観を教え込まれ、それが良いことなんだと自分で考えることを放棄してそれを信じ込んでしまうと、30代くらいになってそれを殆ど得た時に空虚感を感じてしまうんですよね。いわゆるそういう「普通の価値観」って就職、結婚、出産あたりがゴールでそれ以上語られることが無いから。自分で考えてこなかった人は「結婚したし子供も居るし家も車もある。じゃああとどうすりゃいいの?」となってしまうんです。

最近、よく下半身関係でMeToo運動起こされたり、妻子があるのによろしくない行いをしたりしなかったりして、公の場で性交に及んだだの及ばないだの、酒を飲んでいい気になって及ぼうとしたけど拒否されたので直ちに止めただの釈明に追われる人をよく見ますが、ああいうのも自分の人生の価値観を見いだせなかった残党の一派なんだろうなと思ってます。すげーダサいよね。

こういうのってただ単に青春時代に青春できなかったコンプレックスからそういう事をする人も居るのでしょうけど、それも含めて異性に認められて行為に及ぶって一つわかりやすい承認の形式だからと思うんですよ。例え結婚しててもそうなってしまうのは、人間は幸せには慣れてしまうので新しい幸せを求めるという点や、釣った魚には餌をやらない的価値観が影響してたりもするのでしょう。そこで、わかりやすい承認の形があればそれに走ってしまうんじゃないかな。

特に下の話題に関しては高学歴であろうと低学歴であろうと、公職についていたり企業役員であったりカメラマンであったりスポーツ界隈だったりとあらゆる場面で顔をだすので、教養とか育ちとかいう問題ではなくて誰しもが陥る可能性のある落とし穴みたいなもんだと思うんですよね。

だから、そうならないようにまずは人生は無意味だし、人間そのものには何も価値は無いというのをちゃんと知らないといけない。わかりやすい価値を追い求めたり、人から与えられた価値観を信じ込んではいけない。

学校にいると必ず評価基準や偏差値みたいなもんがあるのでそれが絶対基準となってしまいがちですが、そんなもん日本の教育システムという枠でしかないんですよ。その枠組みの評価基準が社会における評価と似通っているかどうかすら誰にもわからない。とことん評価基準を追い求めてしまうと、いい年こいて学閥だの出身校だの偏差値だので語るしか出来ないダメなオッサンが出来上がってしまうんですが、彼らもまぁ価値観を他人から教え込まれてしまった可哀想な人たちなのかも知れないですね。

よくある「企業偏差値」みたいなのもホントバカバカしいですよね。いよいよ学校を抜け出したのにまだ統一的な物差しで測ろうととする。しかもあれ作ってるのって主に就活生自身でしょ。マジで下らない。山のように多種多様な業種・業態があって、昔ながらのメーカーが落ち目に遭っていて新しい価値観を作り出せる企業が隆盛してるこの現代において統一の物差しで偏差値(しかも統計っぽい単語を使ってるだけで単に恣意的に付けたスコア)なるものを定義しようという考えがまことにおこがましいと思うし、それを盲目的に信じようとする就活生も私はアホとしか思えないですね。

後は何だろう、田舎だと「男は公務員に、女は看護師になれ」みたいなのはよく聞きますよね。安定性を確保するために他のあらゆることを犠牲にするみたいな考え方。いや、繰り返しますが本人が公務員とか看護師の仕事に興味があってそれが好きでやってるならそれは素晴らしいんですよ。問題は本人以外が「それが幸せなんだぜ」みたいに、人生の先輩として知った風な口で偉っそうに語ってんのがアカンって話なんですよ。それも、公務員や看護師の人が自分の体験を元に語ってんなら100歩譲ってまだ許せますけど、大体こういうアホな事言うやつって公務員でも看護師でも無いんですよね。

リスクを求めなければリターンが得られないというのはこれ本当に当たり前の話なんですが、理解している人って私の経験上では本当に少ないんです。あらゆる議論の場面でリスクマネジメントのリの字すら分かってないような奴が極端にゼロリスクとか追い求めるのに私は本当うんざりなんです。

話が逸れてきましたので元に戻しますが、とにかく私が言いたいのは周囲の大人が押し付けてきた価値観や、いい女・いい男と結婚してあるいは付き合って承認欲求を満たすような人生が本当に良いと思ってるんですか?というのはひとつ考えていただきたいと思います。

本当に結婚して子供を産み育てて大企業づとめする生活があなたの理想ですか?本当にそうですか?それが価値のある人生ですか?あなたはそう思いますか?理想をよく考えてみて下さい。

よく考えた結果、やっぱりそうするのが私の理想だとなったらそれはそれで良いでしょう。でも、「本当の理想は違うけど、でも普通に生きてくためにはいい大学出ていい会社入るのが安牌でしょ?」みたいな考えだとしたら、それは本当よく考えたほうが良いと思いますよ。安定して不自由無く暮らしていくためにはそうするほか仕方ない、という考えで30代になったときに「なんかやっぱ俺の人生って空虚な感じがするな…」とか思ったらもう取れる選択肢って限られてますからね。

人生の価値は自分が決める

以上を踏まえて私が強く主張したいのは、まぁ結局前回の記事と同じことになってはしまいますが、だからとにかく「自分の頭で考えろ」ってことなんですよ。

本当に世の中って、昔からそうだったのか最近がそうなのかわかりませんが、自分の頭で考えないやつが多いんです。Twitterとかすごく面白いですよ。有名人が良いこと言ってる風ツイートを見ると「XXXさんの言うとおりです!絶対そうです!」とかぶら下がってるやつがわんさかいるんですよ。某ファッション通販サイトの社長のアカウントとか見るとすごく面白いですよ。

こういう人たちってマジで自分の頭で考えるということを放棄してるんです。自分の信じたい事実を言っている有名人を見つけて、その人の発言を全面的に信頼するんです。でも冷静に考えてある人が全方向で正しい発言をするわけないじゃないですか。ある分野ではすごく優れているけれども政治的にはすごく偏った考えを持ってるとか、社会問題を語らせるとトンチンカンな事を言う筑波大の准教授とか山程いますよ。だから普通は発言それぞれを自分の頭で吟味したりクロスチェックしたりしてそれを信用するかどうかというジャッジをするプロセスが必要なんですけど、それが決定的に欠けてる。

同様にしてよくわからん自己啓発本を読んでわかった気になったり、ググって1ページ目に出てきた情報をさも自分が導き出した判断・理論であるかのように語ったり、なにか新しい生き方で注目を集めてる人を見るとすぐにそれに憧れ、本質を見ずに表層部分のオシャレな雰囲気だけ真似してすごく軽薄な人間になる。自分の頭で考えないから。要するに馬鹿だから。

私はこのブログで10回くらいは同じ言葉を引用したと思うんですけど、アルビン・トフラーの

21世紀の文盲とは、読み書きできない人ではなく、学んだことを忘れ、再学習できない人々を指すようになるだろう

というのはもうホントそのとおりなんですよ。彼らは21世紀の文盲なんです。自分がこれまで学んだこと、経験したことから自分の頭で考えようとせず、失敗をフィードバックすることもなく、ただ自分がフォローしていく人をうつろに変えていくだけ。それが楽だから。考えなくていいから。

人生はシムシティ

もう一ついい言葉を引用すると、これは昔の2chのシムシティ3000攻略スレッドのテンプレに書いていたことなのですが、

このゲームは「画用紙に好きな絵を描いていいよ!」と言われて「え、良いの?やった!」と描き始める人には向いているが、「テーマを与えられないと描けない。なんでも良い、は困る」となる人には向いていない

という話なんです。

シムシティというのはまぁオッサンであればほぼ全員が知ってる都市計画ゲームなのですが、今だとCities: Skylinesかな。まあどっちでも良いんだけど。

シムシティって本当に人生にとって大事な要素が山のように含まれているゲームで、私は割と本気で中高あたりの教育課程にシムシティの授業があってもいいと思ってます。プログラミング教育とかやるよりもよっぽどシムシティやってたほうがためになりますね。

シムシティの何が人生にとって役に立つかというと、まぁ色々あるんですが本論に関係するところでは先に引用したとおり、まず「シムシティを楽しめるようになる」ことが非常に重要なんですね。

シムシティというのは、予算やマップサイズ、地形、教育レベルなどといった制約要素の中で基本的には何を行っても良いというゲームです。基本的にクリアという状態は無いです(SFC版シムシティは60万人達成が一つの目標になってたり、目標が定められているシナリオモードというのもありますが)。このゲームで何を目標としてどのような状態を理想とするかはプレイヤーが決めるのです。大量の人口密集地で完璧な交通網を構築するのを良しとしたり、のんびりとした農村を構築するのを良しとしたり、煙を吹く工業地帯と港、貨物列車が密集する風景を作るのを良しとしたり。

だから、「好きにやっていいよ」と言われて喜べる人が楽しめるゲームになっているというわけです。

これって基本、人生そのものなんですよね。

日本国では、基本的な自由が認められています。ヘイトスピーチや名誉毀損、暴言でない限りは自由に主張を口にすることができます。出自や職業で差別的な扱いをすることは禁じられています。基本的な道徳と法律に反しない限りは何をやってもいいんです。どう生きても良い。人生はドラクエみたいにゴールが定められたゲームではなくて、シムシティのようにゴールも目標も無い、制約は付いてるけど基本大きな自由があるのみです。

そのような世界で真に満足感を得るのって、「好きな絵を書く」、つまり、自分が好きなこと、やりたいこと、良いと思うものを見つけてそれに挑戦して実現するというのを繰り返して満足感を得るというプロセスこそが人生を豊かに生きるためにいちばん重要なことなんですよ。

「でも好きなことは見つからない」、いや、それはわかります。私には理解できないけどわかります。でも、見つけるしか無いんです。

要するに

要するに、なんだ。結局前回の記事と同じ結論になってしまった。やりたいことは見つからない、という悩みが主訴だと思うのですが、それでもなんか見つけろ、でないと惨めな人生を送るかもしれないぞ(少なくとも俺はそう思うぞ)ということしか言えない。

すごい文章をたくさん書いたあとで実効性のあるアドバイスができないのが悔しいのですが、それでもなんかふわっとしたことをいうと、なんかこう創造的な事をいくつかやってみたら良いんじゃないでしょうか。作品とすることを意識して写真を撮る、絵を描く、Cities:Skilinesをやる、YouTubeになんか動画をアップしてみる、など。