ドラゴンボールとワンピースが嫌いで何が悪い

この記事、数ヶ月前から書こうかどうか悩んでいたが、やっぱり書くべきだと思ったので書いて公開する。

ちなみに似たような記事を過去3~4回書いてる。

序論

2018年の10月に以下のような記事がバズった。

『ドラゴンボール』を読んだことのない僕が、先輩に反論するために全巻読了した結果

これに対するネットの反応は、

  • 当時の時代を生きた人でないと面白さはわからないかも
  • ドラゴンボール以降の漫画はドラゴンボールに多大な影響を受けているわけだから、後発の作品を読んでからドラゴンボールを読んでもありきたりと思ってしまうだろう
  • 一気に見たら集中力が途切れて面白さを感じなくなるのは当たり前
  • 興味を持って読んでないのだから面白さを感じなくなるのは当たり前
  • 反論するために読んだのだから面白さを感じなるのは当たり前

という感じで、まずドラゴンボールとは偉大で面白い作品であることは前提として確立しており、その上で「なぜこの人が面白いと思わなかったか」という考察を述べているものが多かった。

私は近所のお姉ちゃん家にあったDr.スランプを読んで鳥山明を知った。そのとき、確か巻末にあった漫画だとおもうのだけど、Dr.スランプの生まれた背景(元になった短編漫画?)みたいなものが語られているページがあった。そこには則巻博士とアラレちゃんが劇画調で描かれていて、まだ首だけしか作られていないアラレちゃんが「早く体作れよー」と則巻博士に文句を言っていて博士が「最初に頭を作るんじゃなかったな…。うるさくてかなわん」みたいなことを言っているシーンだった。

子供の頃、私はそのコマに異様に感動したのを覚えている。細部まで緻密に書かれた絵と、それでいて一枚の絵として見ても完璧な構図。そして首だけで喋る少女というあたりになんだか言いようのないエロスみたいなものを感じ、プロの漫画家ってマジですごいんだな…と思った記憶がある。

そういうこともあり、子供には定番のうんこネタも多いし、Dr.スランプは私は好きだった。

が、ドラゴンボールを見たときは「これはつまらないな…」と思った。前掲の記事について、「当時の時代を生きた人でないと面白さはわからないかも」という反応は多かったが、いや、その次代をジャスト生きてきた中でもつまらないと思う人は多々いると思うんですよ。私がそうなんですけど。でも、なかなか言えないんですよね。というあたりを掘り下げたいのが今回の記事。

ドラゴンボールが好きになれない理由

作品が面白い理由を挙げるのは簡単だけど、逆はちょっとむずかしい。が、やってみる。
私がドラゴンボールを好きになれなかったポイントは下記の通り。

  • 残虐。一般市民を殺戮するシーンが多い。
  • 暴力的。基本、暴力を用いて物事を解決する。
  • パターン化したストーリー。強い敵が出てきて、自らを追い込んで鍛えて敵に打ち勝つという繰り返し。
  • 話が面白くない。続きが気にならない
  • 絵があんまり好きじゃない。Dr.スランプのような可愛さが欠けてる

というあたりだった。だから、ドラゴンボールがジャンプで連載していたときにも、私は多分1~2度しか読んだことがなかった。

ワンピースが好きになれない理由

なぜ突然ワンピース?という感じだが、詳細は後述するとして、私がワンピースを好きになれなかったポイントは下記の通り。

  • 仲間を集めて冒険を繰り広げていくというありきたりなストーリー
  • 安易なお涙頂戴の展開
  • 絵があんまり好きじゃない(感情表現豊かなのになぜか感情移入できない)

ワンピースも最初の1話を読んであと読むのを辞めた。

ワンピースとドラゴンボールを嫌いになったきっかけ

就職してからとある飲み会に出席していた折、ワンピースの話になった。で、私にも話が振られたので「俺はワンピース好きじゃないから知らない」と言った。すると、「えっ、ワンピース好きじゃないの?」「ワンピース見たこと無いの?」と言われるので、「いや、ワンピースが連載開始した時にジャンプは買ってたけど面白くなかったから1話以降読んでない」というと、彼らは心底あなたが何をいっているのか分からないという顔で「えっ、ワンピース読んだ上で面白くないとかいう人っているの…?」などと言い出した。

だから、私は「いや、なんかああいう王道的でお涙頂戴みたいな漫画は好きじゃないんだよ。ドラゴンボールもあんまり好きじゃないしね」と言うと、「えっ、ドラゴンボール好きじゃないの…?」「ドラゴンボール嫌いな人なんているの?」「ちょっと頭おかしいんじゃない?」などと言われた。なんでワンピース・ドラゴンボールが好きじゃないと言っただけで脳の障害を示唆されるのか、甚だ理解できない。

それで私は付け加えて「いや、なんか第一話?あたりで、最初に出てくる主人公が敵から逃げようとして机のしたに隠れるシーンがあるじゃん?で、最初に出てくる女が主人公の身を隠すためにスカート履いたまま足で主人公の顔を挟んで体で隠して匿うところがあるじゃん?んでパンツ丸見えみたいな。ああいうくだらないシーンも好きじゃないんだよな」と述べたところ、それを聞いていた一人がプルプルし始めて、「ナミ?ナミのこと?」などと言うので、「いや、キャラクターの名前まで覚えてないけど、そうかも」と述べたところ、

「ナミはそんなことする人じゃない!!!!!!」

などとマジギレし始めて、なんだこいつ、と思った。「いや、でもそういうシーンがあったって」「ふざけるな!!!」みたいな押し問答になり、色々議論を重ねた結果、どうも私が指摘したシーンはワンピースではなくてRAVEというマガジンで連載されていたワンピースに酷似していた(個人的印象)漫画だったようだ。で、その事実が判明するや、奴さんはさらにヒートアップして

「RAVEみたいなワンピースのパクリ漫画とワンピースを混同するなんて許せねぇ!!!!!」

みたいな感じになった。いや、知らないよ…。そもそもワンピースに興味ないんだから、混同したってしょうがないじゃん、実際お前が言ってる通り似てんだから。

「じゃあお前はその時代何の漫画を見ていたんだ!ドラゴンボールやワンピースより好きだった漫画とはなんなんだ!」

と言うので、私はジャンプだったら例えば「ボンボン坂高校演劇部」が好きだった、と述べると「あのオタクくさい漫画か!気持ち悪い!!!」などと言われた。

それでわかった。あー、こいつは単に自分の価値観と違う価値観を持った人間が居るということを認められない、視野の狭い人なのだな。と。

それからも色々似たような経験はして、そのたびにここまでキレる人はいなかったものの、総じて「ワンピース・ドラゴンボールは良い作品である」みたいな押し付けがましい論理を話の節々から感じた。冒頭で述べたような「ドラゴンボールが面白いという前提にたって、なぜ楽しめないのか」と考察する人も私にとっては同種の人間だ。

そういう事があって、ワンピース大好き、ドラゴンボール大好きな人とはこの件に関して議論したくない、っていうか、もっと言えばあんまり関わり合いになりたくないと思った。

そうしていつしか、「好きになれない」ワンピースとドラゴンボールを嫌うようになった。

だから冒頭の記事を見たときは、嵐の中で信頼できる友を見つけたような気持ちになった。

「私が好きな作品はみんなが好きなはず」という傲慢な押しつけ

「議論したくない」と述べたが、本来であればある作品が面白いかどうかというのにそもそも議論の余地は無いと私は思っている。なぜならば、面白いかどうかって完全に主観的な評価で、そこに絶対的な評価なんて本来付けようが無いから。ある作品が面白いと思うプロセスって本当に複雑で、その人の価値観、人生観、好み、社会性、時代に深く根ざしており、たまたまその人にその時、刺さる作品だったかどうかが評価を区別する。

しかしながら、そこが難しいところでもあると思う。その人の価値観や人生観というのはすなわち人格に等しい。そして、ある国や地域に住んでいる人の価値観や人生観、好み、風習は似通ってくる。これを文化と呼ぶ。

つまり、ある作品を面白いと思うプロセスには人格や文化が深く根ざしている。だから、人間は好きな作品を貶されると、その人が属する文化や人格が貶されたと錯覚するのではないか。

Twitterでよく見る言説なのだが、「好きな作品を貶されたら誰だって怒るでしょう」というものがある。これは裏を返すと、ある作品を「嫌いだ」と述べてはいけないと述べているに等しい。本来あるべき姿なのは、ある作品Aについて「私はAが好きだし面白いと思う」「私はAは好きじゃないというか、どちらかと言うと嫌いな方」という二人がそれぞれ意見を表明して、お互いに「ふーんそうか、そういう人もいるのか」「ふーん、そういう見方もあるのか」と思うことなんじゃないですかね。なんでそこで「俺が好きな作品を貶すな!!!!」とかなるんでしょうね。

はっきり言うと、 「私が好きなある作品Aはみんなが好きなはず」というのは傲慢な押しつけなんですよ。「好きな作品を貶されたら誰だって怒るでしょう」というのも、それと同種の押しつけでしか無い。

あまりに作品が好きすぎて感情移入が過ぎ、自らを貶されていると錯覚する気持ちも分からんではないけど、それは論理的ではない。論理的でなくて感情で語って時々激高する人とは、私は関わりたくない。

また、ある作品が面白くないという人に大して「何故面白くないか」を本人の前で根掘り葉掘り聞いたり考察したりするのもできれば止めてほしい。何故面白くないかを説明するのは普通困難だし、その考察は「その人の人格や感覚がちょっとおかしい」という否定的な結論に結びつきやすいから。

まとめ

  • どんな作品でも、その面白が刺さらない人は居ます。それは、単にその人に刺さらなかったという以上の理由はないです。
  • ある作品が面白いかどうかは、受け手のバックグラウンドに強く依存します
  • ある作品が面白いかどうかは完全に主観的な評価で、絶対的な評価は定義しようがありません
  • だから「ある作品Aは本質的に面白い」という前提にたった議論は常に誤りです
  • 好きな作品を貶されたからといっていちいち怒らないでください。人類全員が好きになれる作品なんて無いです
  • 「なぜ自分が面白いと思う作品Aについて、面白くないと思う人がいるのか」を考察するのはその人の勝手ですが、大体面白くないと思うことに深い理由は無いですし、その考察は受け手の人格や価値観を否定する結論に至りやすい(もちろんそうならないケースもたくさんある)のでできればSNSとかじゃなくてチラシの裏にでも書いていて頂けると私がイライラしないで済むのでそうしてほしいです