GOING STEADYの「銀河鉄道の夜」「東京少年」はパクリだったのか

私が高校生の時はインディーズバンドの曲を聞いたり演奏したりするのが仲間内ですごい流行っておって、みんな良くCDを買ってた。

その中でGOING STEADYというバンドがいた。Wikipediaを見ると96年結成、最初のシングルのリリースが99年とあって、私達がよく聞いていたのもちょうど99年頃からだった。その頃はちょうどメロコア(メロディック・ハードコア)というジャンルが立ち上がってきていたような時期だったと記憶している。

それまでのパンク、ハードコアと一線を画したメロコアというジャンルは、名前の通りメロディックな楽曲が多く、またそれまでのインディーズバンドが大体英語歌詞であったのに対し日本語歌詞を用いるものが多く、あんまりインディーズバンドに興味が無かったような層も取り込んで成長していったように思う。このジャンルで最も成功したのはMONGOL 800、そして175R、GOING STEADYあたりではないだろうか。Hi-STANDARDもメロコアというジャンルに属するとされる場面をよく見受けられるが、GOING STEADYやMONGOL 800はさらにメロディックな曲で、歌詞の内容も恋愛や仲間、みたいなのを歌うものが多かった。

あんまり関係ないかも知れないが、漫画「ワンピース」が開始して人気が出始めたのもこの頃であって、それまでの「不遇な環境に居る人間が努力でのし上がる」みたいな世界観から「仲間と一緒に頑張る素晴らしさ」みたいなのを若者が好み始める転換期であったのでは、と個人的には勝手に類推している。メロコア隆盛以前、90年前後に活躍していたバンドの歌詞は自分の内面と向き合うような歌詞だったり、つらい過去と向き合うものだったり、社会の不条理を歌うものだったり、または散文的で難解な歌詞だったりと、暗い雰囲気ながらもエネルギーに満ちている、そういったものが多かったように思う。

話をGOING STEADYに戻す。

彼らのCDはおそらく全部を購入して聞いたと思う。インディーズバンド界では目新しいキャッチーなメロディが多かったので私は最初のシングル「You & I」を聞いてたちまち虜になった。(しかし飽きるのも早かった。私の経験上、すぐ好きになった歌は飽きるのも早い。最初に聞いて「何だこの曲、つまらん」と思った曲ほど長く聞いている)

それで2001年に発売された「東京少年」を聞いて私は興奮した。この曲は「カントリー・ロード」のカバーだったのだ。歌詞はまるで違うが、主要なメロディはほぼ同一である。私たちは仲間内で「GOING STEADYが歌うカントリー・ロード」としてこの曲が認知された。ただ、数人は「いやこれ、パクリだろ」と指摘していた。私は、似ているというレベルではなくてもう同一の主旋律だと思っていたので、聞く人は全員がカントリー・ロードと認知するだろう。それをオリジナルと言うわけがない、だからこれはカバーの一種だと思っていた。しかし、「パクリ」派の人に言わせれば「歌詞も違うしサビのメロディだけ同一なのだからカバーの類ではない。他の曲からメロディを一つ持ってきて原曲が何なのかも書いてないのだからパクリ」だという。なるほど、とは思ったが、しかしやはり、パクるとしてもこんなに有名な曲を堂々と全く同一のまま持ってくるかぁ?という疑念は消えなかった。

本人たちがどう思っているか分かればよかったのだが、それは知りようも無かった。今だったら、SNSやブログで発信したりということもできただろうが、当時はまだiモードがサービスインして間もない頃だった。インディーズバンドを特集した専門の雑誌なんかもあったのかもしれないが、私は記憶がない。多分、ファンレターを書いて返事が帰ってくることに俄な望みを持つことくらいしかできなかっただろうと思う。

その後、同じ年にアルバム「さくらの唄」がリリースされ、その中の「銀河鉄道の夜」はインディーズ界の中ではかなりヒットした曲になったように思う。今でもバンド名で検索をするとこの曲がサジェストされるので代表曲と言っても良いかも知れない。そしてこの曲はユーミンの「守ってあげたい」のカバー…だと思った。これもサビのメロディが完全に同一で歌詞は違うというパターン。ただ、今回は対象がユーミンということで私も疑念は深まった。

当時、有名な海外の曲をカバーするというのは頻繁に見受けられたから「カントリー・ロードのカバー」というのは普通にありえるが、ユーミンをカバー…するかぁ?これ、本当にパクリか、もしくは著作権に対する認識が極度に甘い、端的に言ってバカな人たち何じゃないかなぁ?というのは思った。ただ、曲としては気に入っていたので当時それを深く考えることは無かった。

結局、私にとってはこの「さくらの唄」がGOING STEADYの最盛期だったように思う。それ以前では荒削りで下手くそな演奏ながらも純粋な思いが詰まっていて良いと思ったし、「さくらの唄」は技量も上がってこの人達が作りたかった唄が全部入ってるんだな。と思った。ただ、最初に感じたほどの熱意は感じられず、少しずつ興味も失われていくように感じていた。

その後にリリースした「若者たち/夜王子と月の姫」を聞いて個人的には、私の好きだったGOING STEADYはもう完全に終わったんだなと思った。「若者たち」はただ叫んでるだけ、歌詞を見ても何らの思いも伝わってこない。「夜王子と月の姫」は、まずタイトルがダサいと思ったし、曲は「銀河鉄道の夜」の焼き直しみたいな感じで既視感が強かった。

続く「童貞ソー・ヤング」は個人的にはもう無残な有様だと思った。

今夜も僕はあの娘を汚したくて 瞳閉じる

一発やるまで死ねるか!!

ああ出来るなら あの娘を抱いてみたい
童貞ソー・ヤング うたまっぷ

などの歌詞はまぁ童貞の欲望、願望がよく表現されているものの、端的に言うと気持ち悪い。童貞特有の熱情みたいなものは、たしかに青春の時期と重なるもののその根源は単なる性欲であって、それを青春の表現としてあからさまにさらけ出すのはあんまり好きじゃない。なんか、「そんな童貞とか抱いてみたいとかやりたい、みたいなことを歌詞にして良いんだ」みたいな感情を期待しているような、奇をてらっただけであんまり中身は感じさせないというか、いや、感じるんだけどただの性欲だよね?という感じだった。

最後の「青春時代」でも

カビ臭い体育館倉庫にセックスの後の汗がこびりつく

可愛くて憧れだったあの娘が 今じゃ歌舞伎町で 風俗嬢だとよ
青春時代 | J-Lyric

などという歌詞であって、なんていうか、君たちの青春時代って結局それだったの?くらいに思う。この頃、何かのインタビュー記事だったか、それともジャケットに挟まれた紙だったかに書いてあったのだけど、ボーカルが「僕は23歳になり、残念ながら童貞を卒業したけれど、童貞だったときのあの気持は強く抱いている」みたいな、常人には理解しがたい、こいつピュアなアホだったんだな、何か勘違いしてるな、という論が書いてあってそれでもう完全に興味を失った。GOING STEADYは解散後、銀杏BOYZになる(メンバーが同じだったかどうかは覚えていない)という話も聞いていたけれど、こちらは一枚もCDを買ってないし、どんな曲を歌っているかも全然知らない。

という、まぁGOING STEADYというバンドをふと思い出した。

それで、ふとあの「東京少年」と「銀河鉄道の夜」は結局パクリだったのだろうか?というのが気になって検索してみたのでこの記事を書いている。

結論から言うと、パクリなのだが本人たちはパクリと思っていない、が最も近いと思う。

●ユーミンとか、言われました?
峰田「『銀河鉄道の夜』ですか? 俺、ユーミンじゃなくて、別の人かなと思ってたんですよ。ほかにも似てる曲があったんです。似てる曲が2曲ありました」
村井「メンバー間で“あ、似てるねぇ”って話になって“アハハ~”で終わりましたけど。俺なんかは、ナニナニに似てるとか知らなくて“すっげぇいいメロディだねぇ。いいね、いいね”とか言って、それで終わりです」
峰田「ただ、ユーミンにしろ、ほかのにしろ、そのメロディが一緒じゃないですか。でも細かい話をすると、そこに来る前にAメロがあってBメロとか。その流れで考えると、もうあの曲は『銀河鉄道の夜』のようでしかないんですよ。だから何の問題でもないっていうか、それ以外に考えられなかったから」

●自分で意識してる、影響を受けた作家とかいますか?
峰田「ないッスね。好きな人は、いっぱいいますけど。でも『さくらの唄』っていうアルバムタイトルは、安達哲っていう人のマンガから取りました。でも、ある曲を作ろうとしたときに、そういう詞を書けるような本を読むとか、そういう作業はしないッス。『銀河鉄道の夜』を作ろう、じゃあ宮沢賢治を読もう、っていうのは。もう過去に、読んできた、見てきた、食ってきた、寝てきた、いろんなものから、23年間の人生で自分が書いたもんじゃないスか。積み重ねっていうか」

BANDS JAPAN

なんと、ユーミンに似ているというのを認識していた、とあっさり言っている。

さらに、「さくらの唄」も漫画のタイトルから取ったとの記載が。「銀河鉄道の夜」は宮沢賢治の著作から取ったとも明記している。まぁ言わなくても誰しもがそう思うところだろうが。

さて、上記のインタビューは私は彼らが真実を言っていると思う。

「ユーミンじゃなくて、別の人かなと思ってた」
「でも細かい話をすると、そこに来る前にAメロがあってBメロとか。その流れで考えると、もうあの曲は『銀河鉄道の夜』のようでしかないんですよ。だから何の問題でもないっていうか、それ以外に考えられなかったから」

というあたりは私にはあんまり深く考えてない人特有の考えがにじみ出ているように思えた。

ただ、客観的に見れば「東京少年」と「銀河鉄道の夜」は「カントリー・ロード」「守ってあげたい」と同一のメロディになっている。これが偶然にもたらされたとは思えないので、本人はオリジナルと言い張っている、しかし、同一のメロディが有名な曲に存在するとなれば、「無意識のうちに記憶の中にあるメロディを引っ張ってきてオリジナルとしてしまった」と考えるのが自然だろう。それを受けてインタビュアーも「自分で意識してる、影響を受けた作家とかいますか?」という質問になったのでは、と思う。

ちなみに私もこうして文章を書いたり、絵を書いたり、話を書いたりしてきたが、他の人の著作物に意図せず酷似したものを作ってしまった、ということは何度もある。おそらく、創作活動をしている人であれば誰しもが経験することだろうと信じている。普通であれば、「似ている」ということに気づいた時点で修正する。その理由は、「オリジナリティが無いから」「パクリだから(著作権法違反の可能性を潰したいから)」というのが主だろう。

しかし、パクリは良くないという認識が弱く、過去聞いたことのあるものと同じものを考えて作ってしまったという意識も弱ければ、極めて自然な態度で「これはオリジナルです」と言い切る人が居るというのも、おかしくはないと思う。そこに罪の意識は無い。

ただ、罪の意識が無いから、知らなかったから、で「じゃあ問題ないよね~」で済んだらパテント屋は要らない。彼らの問題が法的にアウトなのかどうなのか、考えてみたい。と言っても、私は著作権法の専門家ではないので、あくまでも素人の思考実験的な感じの位置づけで読んで欲しい。

まず、上記の2楽曲は明らかに「カントリー・ロード」と「守ってあげたい」と同一であり、歌詞とその他のメロディが異なるので二次創作物という扱いになると思う。楽曲においてサビのメロディとはその曲の本質的な特徴の一つであることは明らかなので、これがほぼ同一の作品を作ったならば、本人の意志にかかわらず「改変」とみなして良いはずだ。ここで、二次創作物にはその段階に応じて

  1. 既存の著作物と全く同一の作品を作出した場合
  2. 既存の著作物に修正増減を加えているが、その修正増減について創作性が認められない場合
  3. 既存の著作物の修正増減に創作性が認められるが、原著作物の表現形式の本質的な特徴が失われるに至っていない場合
  4. 既存の著作物の修正増減に創作性が認められ、かつ、原著作物の表現形式の本質的な特徴が失われてしまっている場合
    平成6(ワ)2364 京都地方裁判所

という分類があるとされる。1. は複製権の侵害、2. は複製権と同一性保持権の侵害、3.翻案権と同一性保持権の侵害となる。簡単に説明すると、「複製権」とは著作者本人のみが著作物を複製できる権利のこと、同一性保持権とは著作物の改変を禁止する権利のこと、翻案権とは著作者が独占的に自信の著作を翻案(元の著作物をベースに別の著作物を作ること。例えば続編をつくるなど)する権利のことである。上記4つのなかで合法なのは4.のみである。

「東京少年」と「銀河鉄道の夜」はすでに述べたように、サビのメロディとというその曲の本質的な特徴が殆ど同一であるが、全く同一ではないので、2、3のどちらかに該当し、著作権法違反であると私は思う。

「東京少年」はサビのメロディは「カントリーロード」と殆ど同一で、歌詞も他のメロディも違うというパターンだった。しかし改めて今聞いてみると、確かにサビ以外のメロディ部分はカントリーロードとは大きく異なっているが、この曲は殆どサビの繰り返しでサビ以外のメロディが流れる時間があまり無い。なので、私は原曲の大きな特徴を持ってきてほぼそれだけで構成したという点で2.のタイプであるように思う。

ただし、歌詞は大きく違う。「カントリーロード」の歌詞はシンプルな単語で、全然違う文化圏の人間であっても強烈な郷愁を想起させるようなダイレクトさが響く良い歌詞であるが、東京少年の歌詞は、まぁ「俺たち、めっちゃ若いんだぜ!」くらいの気持ちが何となく分かるような特徴の無い歌詞で、ここは全く似ておらず、独自性が認められるだろう。

楽曲においてメロディはほぼ同一であるが、歌詞は創作性が認められるという場合、全体としてどう判断されるかというのは私には分からないのだが、もしかしたら3.の方に判断が傾くのかもしれない。歌詞も含めれば「創作性が求められない」というほどにまで同一というわけでもないだろう。

「銀河鉄道の夜」に関してもほぼ同様だ。こちらの場合は、サビ以外のメロディに付いてもかなり「守ってあげたい」に雰囲気が似ているような印象を受ける。ただし、改変したのか、似ているかという判断はとてもむずかしい。「改変した」とは言い切れないかも知れない。なので、3.に近いかな?というように思う。

ちなみに、安達哲と宮沢賢治の著作から取った名前を楽曲やアルバムの名前に採用している点であるが、これは著作権法上問題ないと私は思う。まず、宮沢賢治についてはそもそも著作権保護期間が過ぎているのでたとえ完全に著作物を複製したとしても合法である(青空文庫にも「銀河鉄道の夜」は掲載されている)。安達哲の「さくらの唄」は見たことが無いが、あらすじを見るにこのCDの楽曲の内容とは全く関係が無さそうなので「原著作物の表現形式の本質的な特徴が失われてしまっている」に該当すると思う。

このケースに該当するのは、たとえば「くるり」のアルバム「THE WORLD IS MINE」などがわかりやすい。このタイトルも新井英樹の漫画「ザ・ワールド・イズ・マイン」から取ったとされているが、漫画の内容と楽曲の内容は全く関連がない。アルバムのタイトルに付けるくらいだから、何かのインスピレーションを受けて作られているとは思われるが、第三者からはそれが分からない。なので、明らかに本質的な特徴は失われてしまっている、と判断できると思う。

同様に、大友克洋の「AKIRA」の登場人物にも「鉄人28号」のキャラクター「金田正太郎」「霧島鉄雄」から名付けられた「金田正太郎」「島鉄雄」が登場するが、これも原作の本質的な特徴は失われてしまっているために問題ないケースと判断できるはずだ。

まとめると、おそらく本人たちにパクリという意識は無かったものと思われるが、客観的に見ればパクリだし、本人たちが「オリジナルだ」と言っていたとしても、過去聞いた経験のある曲のメロディをオリジナルで湧き上がってきたメロディとして認識してしまったのだろうと考えることが自然であると思う。また、著作権法的にも、本人の意思にかかわらずアウトだと思われる。

まだ10代のメンバーでスタートしたバンドに著作権に関する遵法意識を強要するのは酷ではないかと考える人がいるかも知れないが、しかしどんなに若かろうとものを知らなかろうと法律は法律だ。「知らなかった」「そういう意識は無かった」で済むわけがない。

ただし、私は法律云々を抜きにしても、そもそもクリエイターとして過去のものに似ている作品を作ってしまった時に「これじゃあ駄目だ。先人の真似だ」という気持ちに至らなかったということ残念であると思う。