【質問#114】こどもの名前

質問・悩み相談の回答です。

質問

こんにちは。いつも楽しく拝見させていただいております。

こどもの名前についての相談です。
withpopさんはTwitterでもお子さんの日常ネタをよく投稿していらっしゃいますね。
家族の仲睦まじさを感じて、ほっこりさせてもらっています。
私ももうすぐ2歳となる娘がおりまして、また最近二人目を妻が身篭りました。
二人目はまだ、性別も判明しておりません。

長女の時は、名前を付けるのに大変苦労しました。
当然のことながら出産前からいくつか名前の候補を考えてはいたのですが
実際に生まれてきた娘を目にすると、(言い方は悪いですが)この子が一生を背負っていく記号として
本当にそれがふさわしいのか、私も妻も娘も後悔しないのか。
日中に考え出せば仕事も手につかなくなり、職場からDropbox上の名前検討.xlsxをいじりだす始末です。
元々私はRPGの主人公名だとか、SNSのアカウント名だとか、コーディングの変数名だとか、
とかく名前を付けるという行為に非常に時間が掛かるタチでして
悩みに悩んで出生届の提出期限ギリギリにようやっと確定させました。
今となっては夫婦の意向を組み込みつつも不自然ではない、良い名前になったかなと思っています。

しかし、問題はここからです。
仮に現在、妻のお腹の中にいるのがまた女の子だった場合にはえらいこっちゃです。
上記の通り夫婦二人で、シナプスが引き千切れるくらいに脳を捻って出てきたのが長女の名前です。
我々としては世界で最高の名前を付けたつもりなわけです。
次女(仮)にどんな名前を付けてあげればいいのやら、
長女の第二候補だとかは余り物みたいで避けたいのですが、また一から考えたって
「そりゃ長女と同じ名前になるよ・・・」って具合で性別も決まっていない今から途方に暮れています。
そこで二人の娘さんがいらっしゃるwithpopさんも同じ悩みを抱えなかったかな?と思いまして相談させていただきました。
長女さん、次女さん、共にどのような経緯でお名前を考えられたのか教えていただけないでしょうか。
※最終的にどのような名前になったか?と言うよりは、方針を教えていただけると幸いです。

よろしくお願い致します。

余談ですが、「Factory on the moon」が読める日を楽しみにしております。

回答

Factory on the moon、頑張って書きます(というか書いてます)。

子供ですが、以前ブログに書いたことと多少重複するものの、私の考えや私が名前を考えたときの経緯を書かせてもらいます。

まず、私は子供の名前について深く考えませんでした。RPGの主人公は必ずデフォルトの名前を選びます。デフォルトがない場合はその時見ていた漫画の主人公の名前でも付けていたような記憶があります。アカウント名やハンドルネームも大して考えることはありませんでした。フリーランスの屋号もそうです。その時好きだったものをなんとなく付けているだけ。以前書いたような気がしますが、withpopという名前は当時好きだったpopcatcherというバンドから取ったものです。withはwizard(優れたハッカー、の意としての)の略でした。wizardと自称しては馬鹿なので、音が似ているwithにしたという経緯です。

プログラミングの変数や関数名を決めるのはそれなりに悩みますが。

そうして元々、命名という行為に対してあまり執着しなかったという背景が一つありますが、2つ目に大学の哲学の授業で教授が言っていたことが記憶に残っています。その先生の講義は今でも心に残るものが多数ありますが、最も印象深いのは「子供に期待するな」ということでした。

子供に期待するとろくなことがない。子供に期待をすると、子供の人生を親のわがままで捻じ曲げてしまう。親の期待通りにならなかったときに子供が不幸な思いをする。要約すると、そういうことを言っていました。私はその考えに深く同意します。

であるがために、私が子供に名前をつけるときもあまり深く考えず、字面や言葉の響きを重視しようと思っていたのでした。それはつまり、あまり深く考えると親の要望を押し付けてしまうことになるのでは、という危惧があるからです。

わかりやすいのは「美姫」みたいな名前ですね。ブサイクに育ったらどうするのでしょう。十字架を背負うのと変わりないです。男の子で言えば「勇豪」とかね。花を愛で、裁縫が得意な子に育ったらどうするのでしょうか。「翔馬」みたいな名前をつけて、ブクブクに太って運動会では常にビリ、みたいな子供だったら?

まぁ、そこで「剛太、って名前なのに生花が得意って、そのギャップが良いよね」というふうに親が思えるならば良いですよ。良いですけど、剛太が中学生になって、学校の体育で柔道かダンスのいずれかを選ぶという時に柔道家の父親が、「おまっ、剛太のくせにっ、ダンスとは何事だ!!!」みたいに思ったらダメですよね。

そういう思考に陥る人は名前がなんであっても大差ないでしょうけど、私も人間なのでどこかで子供に何かを期待してしまう、望んでしまうことがあり、それが子供にとって不幸とならない可能性は否定できません。であるがために、名前もなるべくさっぱりとした気持ちでつけよう。と思っていたわけですね。

一方で嫁さんはこだわるタイプでした。何にこだわるかというと、字画数による占いでした。私はそういうのは嫌いです。非科学的なので。嫁さんは「一生の名前なのだから、画数に意味がないとは思うけど後で後悔したくない」ということを言っていましたが、その結果が画数っておかしいとおもいます。そもそも画数なんて、名前をつけるときに本を見て判断する程度で、決めた後は二度と思い出さないと思いますよ。ということは説明したのですが、まあ頑固なので聞きませんでした。

最初、私が長女に名前をつけるとき、「文菜(あやな)」が良いな、と思いました。理由は前述の通り、言葉の響きと字面です。素朴で飾らず、少し古風で、しかし押し付けがましくない知性を感じさせる良い名前だと私は思っていたのですが、嫁さんいわく、「画数が悪い」ということでした。そうですか…。

あと、この名前は嫁さん以外にも、私の当時の会社の同期たちが反対しました。「そういうキラキラネームみたいな名前をつけるのはどうか」ということでした。

どこがキラキラネームやねん、キラキラではないやろ、と関西弁で思ったのですが、その人たち(飲み会の席で、同期が5~6人は居た)曰く、「文」を「あや」とは読まない。漢字に勝手に新しい読みをつけるな。ということでした。

ここでもありがたいご意見を頂戴した私は大げさにため息をつき、ちょっといいか、お前らが持ってる携帯を出せや。スマホ?スマホでもいいから出せや。そんで「あやな」って打って変換してみろ。と述べると、皆、「えっ、『文菜』って変換できる…」と戸惑ったのでした。

それで私はもう名付けという行為がただただ面倒になった。のです。もし文菜と名前をつけても世間の認識レベルでキラキラネーム扱いされるのであれば、まぁ良くないのだろうなと。私が良いと思った名前を、世間の漢字読み取り能力に合わせなければならないとは。なんだかもうため息しか出ません。

それに加えて嫁さんの画数攻撃。画数が悪い。画数が悪い。画数が悪い。その後提案した名前もすべて画数で却下されました。私自身、すでに説明したとおり名付けに執着がなかった(加えて意識的に執着しないようにしていた)こともあり、私の案を説得して通そうという気持ちも沸かなかったのです。

であれば、もう嫁さんに決めさせようと。当然、そういう結論に達しました。

嫁さんは「女の子の名前辞典」みたいな本を見て「これが良い」と指さしました。漢字三文字の名前で「ゆき」という読みが入ります(『優樹菜』で『ゆきな』、みたいな)。私は漢字三文字の名前なんか無駄に画数が多いだけで今後やってくるであろうテストやその他書類に書く時に苦痛を与えることにしかならないのだから(日本がこういった手書きの書類を完全に電子化できるのはずっと先だと思ってる)、せめて二文字に。雪菜、とかで良いのでは。と述べた。すると、優樹菜も雪菜も画数は良いので差し支えない。とのご判断をありがたくいただき、両者の意見をとって「雪菜」となりました。

「ゆき」という1文字の人名漢字としては「幸」がよく用いられますが、私が「雪」という漢字を選んだのは特に深い理由もなく、私が夏よりも冬のほうが好きだったということと、私も嫁さんも雪国出身であること、くらいでした。

二人目に関しては、私が考えてもすべて画数とやらで却下されるので、嫁さんにはそのとおり、「すべて画数で却下されるからあなたが決めて下さい」と宣言していました。嫁さんはネットや本で調べつつ(もちろん自分の考えも加味しつつ)「愛里(あいり)」みたいな名前を考えました。

私は別にそれでも良かったのですが、しいて言えば私が理科が好きなので「『里』という漢字を『理』にしてくれ」と意見を述べました。すると、「『里』でも『理』でも画数判断的にはどちらも差し支えない」というありがたいご意見を頂戴し、結果、「愛理」になったのでした。

そしてこれも会社の飲み会で子供の名前の話になり、「愛理」と名前をつけたと述べました。すると、先輩の一人が「理という漢字はすごい!良いよ。とても良いよ。ことわり。道理。普遍の法則。万物の理論…。とてもいい…」みたいなことを言いつつ自分の世界に浸っていたので、バカだなー、と思いました。そもそも万物の理論を体現する子供って何なんだよ。気味が悪いわ。

自分なりに多少は考えた結果である「文菜」にすれば「キラキラネームだ」とされ、理科が好き、みたいな単純で選択した名前は「万物の理論…」とか崇拝され、なんかもうどうでもいいや。名前なんて。という気持ちがさらに強くなりました。

いや、他人から見てどう思うかより親が込めた気持ちのほうが重要ではないかと主張する方もいるかも知れませんが、ここに親の思いってあんまり関係ないと思うんですよね。名前って他人(つまり親以外が大多数)が人物を指し示す名称なので。親の意見なんかほとんど関係なく、世間の平均的なイメージが全てだと思いますよ。世間が「文」を「あや」と読むことを認めないならば、それが全てなんじゃないすかね。もうちょっと本とか読んだほうがいんじゃない?とは思うけどね。だから、「下痢水様便」という言葉に世間が「知性があり、お淑やかで高潔」みたいなお気持ちを示すのであれば、辞書的な意味はどうであれ、下痢水様便って名前がいいと思いますよ。

というわけで要約すると、

  • もともと名付けという行為にあまり興味がない
  • 子供に期待や願望をなるべくかけないようにするためにも、名前は深く考えすぎないほうが良いと思っている
  • 真面目に考えても世間はその意味や思いなんてこれっぽっちも理解しない

という気持ちです。私は。

長女さん、次女さん、共にどのような経緯でお名前を考えられたのか教えていただけないでしょうか。
※最終的にどのような名前になったか?と言うよりは、方針を教えていただけると幸いです。

に対する答えは、以上のとおりです。

というわけで、

シナプスが引き千切れるくらいに脳を捻って出てきたのが長女の名前です。
我々としては世界で最高の名前を付けたつもりなわけです。

という気持ちは私には理解できないのですが、単に理解できないだけで、私の考えが正しくて皆がそうあるべきとは思っていませんし、「子供にいい名前をつけたい」と思い悩むことが、「子供に期待や願望を必要以上に抱かない」という思想と相反するわけでも無いと考えております。

全然参考になりそうもなく恐縮ですが、以上が回答になります。

自分が言うのも説得力がないですが、両親がよく考えた最高の名前を付けられた子供は幸せと思います。名前を付ける側はまたシナプスが焼けて大変なことと思いますが、ぜひ悩み抜いて良い名前を付けてください。お子さんが大人になったとき、きっと自分の名前を良い名前だと思うはずです。