2008年10月06日19時40分:におい

この記事は2008年10月06日19時40分にその当時運営していた「彼氏とあの娘はparanominal-chaosの果てに」というサイトに書いていた日記をとある理由で加筆修正して再度掲載したものになります。


におい、と言っても色々あるんだけれども。

たとえば、半田を溶かしたときのフラックスが焼けるにおい。プラモデル用接着剤の、シンナー系溶剤のにおい。 初めて買ったパソコンが入った箱のにおい。歯医者のにおい。新築のにおい。新車のにおい。雨が降ったあとのアスファルトのにおい。 ほかにも色々ある。

自分の経験や記憶と密接に結びついているためか、そういう何か特定のにおいをかぐと、突然変な気分になることがある。 変な、というのは、言葉にしにくいんだが。まるで自分が視点のみになったというか。この世界に存在しているんだけれども、肉体が無いというか。感情と、視点だけ。肉体がない。なんかそんな感覚になることがある。

特に、人工物でない自然のにおいというのは、なんというか、魂が共鳴するというか。 澄み切った川のにおい。稲を刈り終わったあとの田んぼのにおい。樹液のにおい。土のにおい。そういうものは、こう、また特別な感情を生み出す。 人工物でない自然由来のものに対して反射的に心理に影響するというのはすなわち、人間というのは、どれだけ高度な文明を築き上げようとも、自然と切り離しては生きて行けないという点ではほかの生物となんら変わらないものだと思う。

僕はそういう風に死にたい。夕方まで田んぼで凧揚げをして、泥のついたバイクで家に帰り、瓶ビールを飲み、蚊取り線香を焚き、風呂に入って、干したばかりの布団に入り、死ぬる。 死体は土葬され、バクテリアがたんぱく質を分解し、まあ何年かたって土と同化し、その土の養分を吸い取った木々が秋になると大きな果物を実らせ、それをリスとか熊とか小鳥とかが食う。美しい現象であると思う。

そうやって僕の分子は自然の中に、さまざまな動植物の中に浸透していく。大自然に広がる俺。 時に、清流となり、風となり、赤とんぼとなり、リスとなり、カワセミとなり、岩魚となり、カゲロウとなり、大自然を駆け巡る俺。 小さな子供がモグラのトンネルを見つけ、木片でそれを小突きまわっている。そのさまはまるでかつての自分のよう。私は父親に連れられて山奥の畑に下ろされ、両親が農作業をするのを脇目に日が暮れるまでモグラのトンネルを追いかけ、掘り返していた。そのモグラのネットワークが情報工学になって、グラフ理論になった。その自分を再び上空から眺める。子供が手にする木片にも、モグラのトンネルにも、モグラそのものにも、僕の分子はいくらかは入っているかもしれない。 僕がある日、死んだことにより、栄養としての僕が駆け回った末の出来事。それはまさにカオス理論と言え、つまり、僕が死んだという要因がなければ、そのようなとある秋の一こまは生まれなかったであろう。 僕が死んだという、非常に小さな初期変動が、後の世界をたしかに形作っておるのである。そういうのが自然の営み。

そして、いつの日か、僕が死んだ日のような秋のある日。赤とんぼを捕まえにくるのは僕の遠い子孫。 その日、家族が食う新米にも僕が。新米は血となり肉となり、希釈された僕は精子になり、卵子になり、まあ色々なんやかんやあって、両者が合体。そして俺はその年の何割かの子供を形作る塩基やたんぱく質の中に、僕が。俺が。遺伝情報として、分子そのものとして、希釈された自分が町中に、いや、日本中に広がるのである。それがつまり輪廻転生なのだと思う。そんな感じ。

何世代か経って、偶然にも僕の遺伝情報が凝縮された固体が生まれたとき、何世代も前に生きた僕の記憶を取り戻すかもしれない。

それが2345年くらい。2345年くらいの、山田デオドランさん(32)。山田デオドランさんは、宇宙空間で発電したエネルギーを地上で受けるマイクロ波発電所で働くオペレーターなんだけれども、 オペレーターというのは地味な仕事である。山田デオドランさんがやる仕事というのは、ロードバランサーといって、巨大なループコイルで受け取った電力を、各家庭や工場、 蓄電施設にを分配する役目なんだけれども、それだって高度にオートメーション化されて、発見的アルゴリズム的学習制御装置とかいうのが最適値を予測して設定してくれるので、 山田デオドランさんがやることと言えば、その発見的アルゴリズム的学習制御装置が表示した内容が明らかに間違っていないかをチェックし、 「次設定値正常、イ36番、制御弁動作角打ち込み開始」と大きな声で、下っ端のオペレーターに言いつけるだけである。機械が間違ってないか人間が一応ダブルチェックするというだけの仕事だし、それだってここ何年かは間違った記録がない。

しかしこんな地味な仕事だって重要な事にはちがいなく、もし山田デオドランさん以下、東日本広域電波発電が管理する34番線オペレータ7名が居なければ、瞬時にして交通通信網のインフラは停止し、 いくつかの施設では居住者の生命維持に支障をきたすわけであるが、無知な者から見れば、「へっ、たかが『打ち込み開始』って言うだけじゃねえか。そんなもん、俺だって出来るわ」ってなるんだけれども、 その『打ち込み開始』を言うためには、万一の不測の事態に対処するために膨大な量の危機管理教育を受けなくてはならないのであり、たかが「打ち込み開始」というだけでもめちゃくちゃ大変なのであった。 山田デオドランさんは二人の子供と妻と暮らすが、彼らを一人で養っていけるところからみても、その仕事の重要さは、給料からうかがい知ることができよう。

山田デオドランさんは悩んでいた。自分が本当にしたかった仕事というのはこういうものだったのか。もっと生産的な仕事がしたかったはずだ。 大学生のころの山田デオドランさんは、コンピュータを利用した映像作品を制作し、なにやら大きな賞をもらったりもした。「私は創作活動における消費者であるよりも、生産者として新たな価値を作り出したい」と常々言っていた。 しかしながら、いざ就職活動を始めると、ちょっとした賞を取った程度の能力で山田デオドランさんを雇ってくれる映像製作会社はなかった。運も悪かったのかもしれない。たまたま私に適したポストがなかったのだ…。そう思い込むこともあった。

山田デオドランさんは、夢をあきらめ、堅実な職に付くことにした。その結果がロードバランサーのオペレーター。研修はすさまじく厳しく、山田デオドランさんは何年も「打ち込み開始」と言われ、「打ち込み開始!」と叫び、打ち込み釦を押すだけの下っ端オペレーターをやりつづけ、 そして今、「打ち込み開始」と言えるだけの地位を手にしたのである。すさまじい下積みの成果がそれ。命令される立場がする立場にちょっと変わっただけ。だから山田デオドランさん32歳は、このままでいいのか、と悩む。

山田デオドランさんは、その日、久しぶりの風邪をひいて自宅に休んでいた。妻と子供は、昨日から「東京ペイズリーリゾート~大東亜の発展と共栄展~に遊びに行ってくるからね」と出かけている。 山田デオドランさんは、最新式のネットワーク電子レンジにストックされた料理を食すため、調理スイッチを押した。はは。これだってマイクロ波。宇宙からマイクロ波を受け取り、電気に変換し、またマイクロ波に変換してやがる。 じゃあ最初からマイクロ波を当てればいいじゃねえか。ループコイルの下でよ。と、自嘲気味に笑った。丘の上から見下ろす町並みは、木々が美しく、町の外れに、規則正しい直線と曲線がおりなす、建築学的美しさをもった第2第3ループコイルが白く輝いている。

ああ、俺はそれでも、少なからず、「俺が居なければ、電力が作られず、人々は生活できないんだ」という、責任感だとか、誇りとか、そういうもんを持っていたんだが、 結局それもどうなんだろうなあ。現に、俺がこうして家で休んでいても、マイクロ波は各家庭で使えているじゃないか。俺がやってきたことっていうのは、何だったんだろうなあ。と、思った。 そういう考えを巡らすと、部屋の中の空気まで淀む気がして、窓を開けてみる。

裏庭に植えられた大きな栗の木とトマト畑は山田デオドランさんが望んで植えたものではない。トマト畑は妻の趣味だし、栗の木は政府が課したカーボンの義務固定量を満たすために嫌々植えたものだ。それも、山田デオドランさんは妻に「ニューブナ340の方が光合成量が多い」と主張していたのに、 妻は「ニューブナは食べれる実が生らないじゃない」と一蹴し、よりカーボン固定量の小さい栗の木RXを植えることとしたのだ。 そのせいで、来年には、またもう一本、栗の木を増やさなければならないかもしれない。そのことも山田デオドランさんはあまり気に入らなかった。

しかし、窓を開けた瞬間、いつか嗅いだことのあるようなにおいが漂ってきた。 それは、山田デオドランさんの遺伝子に刻み込まれた記憶。広葉樹の森を走り回っていた子供の記憶。 山田デオドランさんは、身体が自然に庭へと向かっていくのを感じた。そのまま、妻が趣味で育てているトマトを手に取ってみた。 まるで人工物のように綺麗な赤である。いや、化学塗料だって、ここまでの綺麗な赤色は出来ないだろう。

山田デオドランさんは、土の上に座り、そのトマトのひとつにかぶりついてみた。 そのみずみずしさに感動した。なんだ。俺がいつも、朝に食っているトマトは、こんなにうまかったのか。トマトからしたたる果汁は土を付着させ、手のひらが汚くなったけれども、 山田デオドランさんはそんなことはもう気にしなかった。気づくと、涙がこぼれていて。ああ、俺は、いつかこうして、泥まみれになって遊んでいた気がする。そうだ。俺たちは、自然に生かされている。こんなに素晴らしいことは無い。「飛び出してもその先には何もない」。誰かがそう言った気がした。

ってかんじ。いつか死ぬ僕がきっかけとなり、何百年かたって、僕の子孫で僕の記憶が発現する。 僕はそういう風に死にたい。今後、僕がどこに行き、何をしようとも、帰ってくるのはそういうところでありたい。

そう言うところで、俺は、良い人生を送ったと言えるために、頑張ろうと思うけれども、まず日本国内で円滑に土葬するためにはどうすれば良いかを考える必要がある。 「火葬だって、大気中にあなたを構成していた粒子が散らばるじゃないですか」と言われればそうなんだけれども。