【質問#99】車好きな人々からの価値観の押し付け

質問・悩み相談の回答です。

質問

はじめまして、別に車が好きでも嫌いでもないのに自動車系業種で働いているものです。
anoparaさんの記事は大変分かりやすく、いつもお世話になっております。
ありがとうございます。

さて私事ではございますが、少し前に部署移動しまして。
異動する前は「走る曲がる止まる」から大分ずれた所にいたため顕在化しなかったのですが……。
以来、あえて簡潔ににレッテルを貼るならば「車好きな方々」のいなし方に悩んでいます。
(このレッテルの貼り方も誤解を招く様で怖いのですが、ご容赦ください)

「今の日本車は売れ筋ばかりに傾注して魅力が無い」「最近のデザインがとにかくダメ」「ドイツ車はやっぱり分かってる」等。
会話の端々で挙がることが多くなり、常日頃「せやな」の精神でとりあえず耐えております。

私個人としては商売で売れ筋を作って何が悪いのかと思いますし、売れていること自体を若干否定気味なのもどうなのかとも思います。
またデザインは地味でも尖っていても、乗っていれば愛着がわいてくるので良し悪しというのも良く分かりません。
というかそもそも乗っている車以外の顔の見分けがあまり付きません。
使いもしない高速性での安定性なんてどうでもいいし、ドイツの一部にしかない無制限アウトバーンにも対応しているから、で?という印象です。

そんな私ですので「車の魅力」とか言われてもトンと理解が出来ません。普段使いで便利なのじゃダメなんですかね?
車って本来そうじゃない的なこと言われたんで多分ダメなんでしょうね。
こいつが一番困る返しです。本来ってなんだ。輸送じゃないのか。

法規に従い、仕様書に従い、時間や道具等の条件を定められた中でハイスコアを狙うような縛りプレイじみた仕事は好きですので、マツダのクリーンディーゼル開発経緯なんかは好物なのですが。
「あの車は良い(悪い)だろ?」と言われると何それおいしいの状態で、ストレスフルな日々を過ごしております。

もしこういう場合の自分と周りにとって旨い落とし所を御存知でしたらアドバイス頂ければ幸いです。

潜伏中の軽度アニオタとしては、車好きも一種のオタクで、数がいるから誤解しがちだが、本来マイノリティ側の性質なことを理解して欲しいです。

回答

これはぜひとも言っておかねばと思っていたところでした。正確に言えば、過去の記事や質問でもすこし説明していた気がしますが。

私個人としては商売で売れ筋を作って何が悪いのかと思いますし、売れていること自体を若干否定気味なのもどうかとも思います。

全くその通りです。

デザインは地味でも尖っていても、乗っていれば愛着がわいてくるので良し悪しというのも良くわかりません。

全くその通りです。

使いもしない高速性での安定性なんてどうでもいいし、ドイツの一部にしかない無制限アウトバーンにも対応してるから、で?という印象です。

全くその通りです。

普段使いで便利なのじゃダメなんですかね?

ダメじゃないです。普段使いで便利なのでOKです。

本来マイノリティ側の性質なことを理解してほしいです。

ここは、マイノリティであれマジョリティであれ、自分の価値観を押し付けはよろしくないという点において同意します。

しばらくご質問の回答から離れたことを書いてしまいますがご容赦ください。

さて、車は荷物の輸送を行ったり、人間に機動力を与えるための乗り物です。機動力(つまり普段使いの足)を得たい、荷物を運びたい、だから車という工業製品の需要があり、それを作るメーカーがあり、車という市場が形成されています。そこに工業デザイン、所有欲を煽るブランディング、快適性、パフォーマンス、その他何らかのユーザーエクスペリエンスに依った付加価値を与えられてはいますが、道具としての車の役目を果たすことが本来の目的なのであって、あくまでも付加価値は付加価値です。工業製品の何らかの付加価値を付けるときはふつうターゲットを絞るので普遍的に語ることは出来ません。

ですから、圧倒的なパフォーマンスや質感、それに見合う価格を設定してプレミアム感を演出することによって「この車は良い車だ」と思わせるのがまっとうな商売ならば(いや、一般論としてもまっとうと言って良いと思いますが)、メーカーが売り上げを伸ばすため、車を普段使いの足としか思っていない人のため1に余計な装備を省いてシンプルにした廉価車種をリリースするのも正統な商売ですし、日本ではオーバースペックとなるような部分まで性能を追求するのを止め、その代わり日本の交通事情に特化した車(小さい全幅、スライドドアの搭載など)を作るのも正統な商売と言えます。

「とりあえず走れば良い」という車が良くないと批判することを料理に例えるならば、パスタ、牛丼、カレー、味噌汁程度しか作らない学生が使っているホームセンターで1000円で買った包丁を指して「あんなマスプロダクトで満足してるなんて信じられないね。ちゃんと銘が入った和包丁を大事に使えば一生ものなのに。それに安い包丁は料理する人の腕も停滞させてしまう」とか何か評するようなものです。パソコンで例えれば、ネットとしかしないような人に対して20万円超のゲーミングPCを売りつけるようなものです。家でいえば、駆け出しのバンドマンに駅徒歩1分のタワーマンションを勧めるようなものです。

ただ、真逆のことを言うようですが、本来不必要な性能、サービスにまで金を落としてくれる人がいるというのは経済的には良いことなので、そういうお客さんも企業は大切にしていかなくてはならないですね。特に価格.comのレビューなんかを見ていると、あらゆる製品やサービスで金の許す限り最もコストが高い選択肢を選びたがる人が日本人には多いのかな、と私は思ってしまうのですが、まぁこういう人たちは企業からしたら良いカモですね。良いサービスや全部入りな製品を追求して生活コストを上げていくのは家計というミクロ経済的にはあまりよろしくない選択だと思いますが、まあそれを選択して満足感を得るのもまた人生ですし、じゃんじゃんやってくださいとは思います。

車の話に戻ります。私も普段、いろんな車についてあれはダメ、これはダメと自分の価値観で語っています。でもそれはあくまでも私の価値観なので、私の価値観を説明する部分には全て「個人的には」「思います」と個人的な見解であることが分かるような書き方にしているつもりです。別に私の価値観、ひいては車好きの価値観をいろんな人に知ってもらいたいなどという押しつけがましい考えは一切持っていません。

しかしながらこういうブログを書いていますと、「お前は車の事を全然分かってない」「お前はこの車を批判しているが俺は全然そうは思わない」などというコメント(酷い書き方のコメントもあれば、非常に丁寧なコメントもあります)をたくさん、本当にたくさんもらいます。

自分のお気に入りの車を批判されたらイラっとくるのもよく理解できます。でも良いじゃないですか、自分のお気に入りな何かを嫌いという人が一人くらいいたって。全員から好かれるような物事って世の中にはありえません。アニメとかゲームでも多いですね。自分の好きな作品を批判されたら猛烈な反論してくる人って。そもそもなぜこういう方々は自分の好きな物事を批判されると自分が批判されたかのような感情を持つのでしょう。自分の所有物や趣味趣向でしか自分のアイデンティティを表現できないのでしょうか?そんなことないでしょう。もうちょっと自分の人生を生きたらどうですかね。

自分の好きな車(や作品や製品)が万人に好かれている、またそうであるべきと思い込むこと、もうちょっと一般的に言うと自分の価値観が世の中で普遍的に正しいとか支持されていると思いこまないよう気を付けるというのは大変大事なことだと思います。私もそういうことをたまにしてしまいますからね。この記事をここまで読んでくださった方で、かつ、常識的な考えを持っている人であればこの論に同意して頂けることと思います。

で、その考えは今回のご質問にも深く関係すると思いますが、今回のご質問で事情が異なるのは、自動車の開発に携わる人間が車にこだわりが無くて良いのか、という点ではないかと思います。

ですが、この点についても私は何ら問題ないと思います。

例えば私はプログラマですが、世の中の優れたプログラマが自分が担当している製品(やその製品が属する市場)について何らかの主義主張や信念を持っているかというと、そういう傾向は全然無いように思います。例えばソーシャルゲームを開発しているユーザーで、かつ、日々ソシャゲーにハマって重課金している様をSNSなどを通じて自慢している…みたいな人は見たことがありませんし。また、自分がかかわってるプロダクトにすごく思い入れがあって、競合製品に対してライバル心をむき出しにしてるとか、そういう人も私はたぶん一人も見たことが無い気がします。

もちろん、設計開発に携わる上で開発している製品自体についての知識を知っておく必要はある程度はあるでしょうが、確固たる信念は必ずしも必要ではありません。なぜならば、確固たる信念や主義主張を振りかざして競合製品に打ち勝つ製品を企画するのはエンジニアでは無くてどちらかというとプランナー(つまり文字通り企画部)の仕事だからです。ですから、多分プランナーはある程度の熱意が必要になってくるでしょう。でもそうではなくて、プログラムを動かすコンピュータを用意する人、データベースを用意して要求に応じた設定をする人、ネットワークをつなぐ人、不正アクセスを防ぐ人、サーバで動くアプリケーションを作る人、ユーザーインタフェースを作る人、いろいろ居ますが彼らのほとんどは、おそらく「自分の仕事をきっちりこなす」という点にフォーカスしているように思います。

開発に携わる人全員が自分が作っている製品とはこうあるべきという信念を持っていなくても仕事は回る、というのはソフトウェア開発だけでなく多くの業界でそうであるはずと私は強く思います。なぜならば、開発メンバーの全員が確固たる信念や主義主張を持つことによって商品が良くなるという確証はないからです(例えば各々が自分の思想を取り入れてしまって全体の方向性がブレるかもしれない)。そもそもある分野での専門的なスキルや知識を有したうえでかつ展開するビジネスそのものにも深い興味を有するという人材で絞り込みをかけていたら人が集まりません。

実際、今回のご質問中にも、

異動する前は「走る曲がる止まる」から大分ずれた所にいたため顕在化しなかったのですが……。

と書かれています。これは異動する前は「車が別に好きではないです」という人が車の開発に携わっていても何ら問題なかったということの証でもあります。

ですから、どのように考えても車が好きでない人が車の開発に携わることになにも問題は無いですし、車が好きな人がそのような価値観に対してあれこれ言う話じゃないと思います。

そしてようやく今回のご質問の本題に入ります。うざったい「車好き」連中をどのようにしてあしらうかということですね。

私ならば、「どの様な車であっても自分は期待された仕事をきっちりこなすだけ」というスタンスであることを主張します。

例えばサスペンションの開発であれば、普及価格帯の車種であれば部品点数を少なくしてコストを下げるとともに保守性や信頼性を向上させる。高級車種であれば、多少コストが高くなったとしても高級車に見合う乗り心地を追求してセッティングを妥協しない。

安いけど性能が良くない車があるのも、高くて性能が良い車があるのも、それは市場が要求しているからであって、技術者や一部の車好きがそれぞれの価値観を重視し、市場の要求を無視していたのではモノづくりとして成り立たない。市場が求める廉価車種、パフォーマンスを追求した高級車種、そのどちらの要求にもキッチリ答えるのがプロではないか。安っぽい軽自動車の開発は手を抜いて、スポーツカーや高級車には心血を注ぐという考えはプロとして正しい姿ではない。だから自分は市場の要望を汲み取った企画チームが求める仕事を理解して、エンジニアサイドの立場できっちりこなす。それが自分の車づくりのポリシーだと。様々な制約条件の中でハイスコアを狙うのは好き、というのはこれと矛盾しませんよね?

でも、こういう論を面と向かって強固に主張する場面は日常では中々ないと思います。なので、とりあえずはそういう考えをベースにして個々の場面で対応するというのはどうでしょうか。ただ、面と向かって違う考えをいうとこういう人って不機嫌になったりする可能性があるのが面倒なのでちょっと言葉は選んだ方が良いかもしれませんね。たとえば…

  • 「今の日本車は売れ筋ばかりに傾注して魅力が無い」→「でも俺たちの給料も売れ筋の車種が稼いでるところから出てるわけで、安易に魅力が無い車種を切るわけにもいかないのが難しいとこだね」
  • 「最近のデザインがとにかくダメ」→「でもうちの子供はその車すごい好きなんだよな。デザインの潮流も時代に合わせて行かないとな」
  • 「ドイツ車はやっぱり分かってる」→「お国柄、しっかりかっちりした車が出来上がってくるんだろうね」
  • 「あの車は良い(悪い)だろ?」→「俺はどんな車でも好きだよ」

って感じに私なら答えます。それで反論されたらそう思う理由をしつこく、しつこく、しつこく、しつこく、いかにあなたの考えが固定観念的であるかを事細かに説明してあげます。

以上、ご参考になりましたら幸いです。

ここからは余談です。自動車評論家の多くは走行性能や搭載技術の解説に一辺倒で、デザインやユーティリティについて深く掘り下げて解説したり、実際にその車に乗る人を想像して記事を見た人が知りたいと思うだろうなということを想像して文章を書ける人がほとんど居ません。だから、せっかく家族のためのミニバンを作ってもそれを理解してもらえず、「遅いからこの車ダメ」みたいな書く評論家も居ます。端っから速さなんか重視してねーんだよ、ファミリーの使い勝手を優先したって言ってんだろうがボケと言いたくなるのをこらえつつこういう記事を読んでるんですけど、なぜメーカーの広報担当はそれでもまたこういう人たちを試乗会に呼んだりするんでしょうね。

大体が車のレビューってまず評論家が車のボンネットに片手ついて微笑んでる写真から始まって、「アクセルを踏んだらグンとついてくる」「適度に段差をいなす」「ハンドリングはややクイックだ」「価格相応の仕上がりと言ったところだろうか。ピース」みたいな良くわかんねーレビューが続くじゃないですか。あれって結局読んでる人たちを含めて「車好き」というグループの内輪で盛り上がってるだけなんすよ。その一方で車にあまり興味が無い層をないがしろにするから若者のクルマ離れとかになるんだと私は思いますよ。つまり排斥してるのは自分自身だと。

そうじゃなくて、もっと車自体の魅力が伝わるようなレビューの仕方ってあって良いと思うんですよね。たとえばファミリー向けの車っつってんなら、やんちゃな幼稚園児5〜6人を連れて好き放題やらせてみたり、チャイルドシートを実際付けて乗せて見たりとか、子供が車の中で跳ねまわってる画を撮影したりだとか。車に自信が無いペーパードライバーの主婦を大量に連れてきて一番運転しやすい車種はどれだったか聞いてみるとか。高校生連れてきて私有地で運転させて、将来乗りたい車は何か聞いてみるとかね。もっといろんな視点で語ってほしいんだよね。

もちろん、評論家の中には本当に文章力があって分かりやすい記事を書くような人も居るのだけど、一方で評論家を名乗ってるくせに評論や文章のスキルが無い人って、コネで仕事貰って試乗会とかに呼ばれてるだけなんだと私は思ってます。そういう分不相応なやつから仕事を取り上げて、ちゃんと文章を書ける人にレビュアーやってもらってお金が落ちる仕組みを作り上げたらいいな、とか色々なことを思いつつ、新しいAutoDaysというWebサイトを今作ってるところです。


  1. そして多分こういうユーザーはかなり多いはずです。ターゲットとなるユーザーが多くなる商品展開をするのはごく当たり前のことです。