【質問#86】障害と病気の違い

質問・悩み相談の回答です。

質問

いつも楽しく読ませてもらっています。
細かい話しなのですが、一点指摘させてください。
「会社にいる困った社員」に記述がある「発達障害」ですが、病気ではないです。障害です。
病気は治療することにより治る可能性がありますが、障害はその部位を交換でもしない限り治ることはありません。
話しの趣旨はそんなところにないことは重々承知しておりますが、
あの文章を読んだ方の深層意識に発達障害=病気と植え付けられたら嫌だなぁと思い指摘させて頂きました

回答

指摘している文章は「精神病や発達障害は脳の病気であって」という一文ですね。これは深く考えるとなかなか難しいところだと思います。まずは辞書を調べてみましょう。

【病気】

体がその形態や生理・精神機能に障害を起こし、苦痛や不快感を伴い、健康な日常生活を営めない状態。医療の対象。疾病 (しっぺい) 。やまい。
(デジタル大辞泉)

【障害/障×碍/障×礙】

個人的な原因や、社会的な環境により、心や身体上の機能が十分に働かず、活動に制限があること。「胃腸障害」「言語障害」
(デジタル大辞泉)

以上により、発達障害は「脳の障害」ですが、辞書的には「脳の病気」と言っても良いと思います。

しかしながら、

  • 病気:治療によって治る可能性がある
  • 障害:その部位を交換でもしない限り治ることはない

という分類にも私は納得がいきます。たとえば私は色弱(色覚異常)ですが、「それって目の病気なの?」と問われたら、「いや、病気じゃないね。治らないから。障害だね」と訂正すると思います。ネットで検索しても結構浸透している概念のように思えます。

質問者様がおっしゃる、「発達障害=病気と植えつけられたら嫌だなぁ」という気持ちは、私が想像するに「障害とは治らないものなので、周囲からの理解やサポートが必要になるということを強調したい」だったり、「発達障害が病気と認知されてしまったら、『投薬などによっていずれ治るがそれを行っていないか何か別段の事情があって本来治るものが放置されている』という誤解を受ける」だったりという思いがあるんじゃないか1と思います。そして、その趣旨自体には私も賛成します。

しかしながらそれと同時に、私は障害を「治らない」と断定してしまうのも非常に強い抵抗を受けます。

たとえば私の言語野で脳内出血が起こり、手術した結果一命はとりとめたものの発語に障害が残ってしまった、という状態を想像してみます。そんな時に「病気と障害の違いとは、病気が治る可能性があるのに対して障害は治らないもの」と言われたら大いにショックを受けるでしょう。たぶん、気力も無くなり、何もしたくなくなります。治らないんだったらもういいよ、って。可愛い看護師さんがしつこく「リハビリ行きましょう!」と笑顔で励ましてもふてくされてますね。

実際は、数々の障害は(何の障害かにもよりますが)周囲からのサポートのほかにも、リハビリや工夫、投薬によってその症状(障害)の軽減が可能です。もちろん周囲のサポートは大事ですが、その周囲のサポートを得るにも、本人の前向きな気持ちを周囲に示すのは大事です。そういう思いがあって、私は障害を「治らない」と断定してしまうのも非常に強い抵抗を受けます。

というのも自分がそうでした。私は中学生くらいのときに絵を本格的に描き始めましたが、そこに至って友人から「何で人の肌がエメラルドグリーンだったり緑だったりするの?(ドラゴンボールZの)ピッコロなの?」と言われました。私は「えぇ…ピッコロってそもそも肌色じゃないのかよ…緑って何だよ…草かよ…」と思いました。その他にも桜はずっと白だと思ってたのにピンクだとか言われたり、色々ショックを受けました(以前もブログで書きましたが)。

極め付きは当時やり始めたネットで

「私は次のように考えています。色弱や色覚異常の因子を持った人間は子供を作るべきでない。劣等な因子を後世に残してはいけない。それでなくても、子供が欲しいのに出来ない人は沢山いる。私には、東大を優秀な成績で卒業して一部上場企業の取締役をしていたり、大学病院の医局長を務めている友人がいるが、彼らには子供が居ない。作りたくても子供が出来ない。優秀な遺伝子を残すことが出来ない。そういう人たちが居るのに、色弱の人は子供を作り、障害の原因となる遺伝子をばらまいている。色弱の人は子供を作るのをやめなさい。我慢しなさい」

という感じの文章というかもはやある種のポエムが掲示板に投稿されているのを見て、非常にショックを受けました。遺伝的な先天性障害を持つ人は子供を作ってはいけないのか…俺は子供を作らない方が良いのか…と思った。

今だったら、

「つうか色弱の因子持ちって国内だと2割とか3割とか居るんですけど。2~3割に対して子供作るなっていうんですか?えっ?っていうか、優秀な遺伝子、優秀でない遺伝子の違いってなに?電子顕微鏡で塩基配列みたら優等AAAとか書いてるの?牛肉かな?

しかも、しれっと暗に高学歴な人には色弱が居ないみたいなことを言ってるよね?優生学ですか?選民思想ですか?生命倫理って知ってる?「偉大なるゲルマン人と劣等で銭ゲバなユダヤ」という思想のあれを現代でも繰り返すんですか?え?馬鹿なの?歴史の授業寝てたのかな?

というか、ヒトゲノムって二万以上で構成されてるんですけど、その中の数個を取って並べて『あれがよくない、これがよくない』とか論じてるあたり、その見識の狭さが如実に現れてるよね。遺伝子由来の疾患を全て避けるような交配が可能だと思ってんの?もしかして算数も寝てたのかな?

あと、さりげに友人の自慢をするあたりも、そういう人ってよく見るんですけど、全然自慢になってないですよねー。なぜならば自分に自慢することろが無いから親族や友達のことを自慢するんですよねー。あっ、本当の事言っちゃった。こういう人って結構周囲からウザがられてるんだけど本人は気づいてないんだよね。そういう人を世間は馬鹿と呼ぶ。やーい馬鹿」

という長いひどく直球で具体的なアンサーソングをしたためるくらいの感覚ですが(イラッとはくるので)、まあ、とにかく当時中学生だった私にはしんどかった。

私には子供が二人いますが、それを「作るべきでなかった」とか全然関係ない第三者が言いだしたら普通にぶん殴りますよね。大抵の人はぶん殴るでしょう。もし嘘だと思っている方がいるなら、ショッピングセンターあたりに居る30代前後の絶賛子育て世代パパに言ってみてください。ぶん殴られるから。ともかく、そういうことを言ってたんですよ、あの人は。でも中学生くらいだとその感覚が分かんないよね。

それから色々あって、中学生だった私も徐々に成長し、デジタル彩色ならRGB値を覚えておけば大体正しい色使いが出来ること、モノクロやグレースケールの世界の素晴らしさに気付いたこと、ゴッホも色弱だったこと、同じく色弱だった兄も広告業界に進んで仕事をしたこと、頑張って意識して見つめていることで色の分類が徐々にできるようになってきたこと、色弱じゃなくても色彩センスの無い人は世の中にたくさんいること、そもそも個人によっても色の見え方にはバラつきがあることなどを知り、特に色弱であることについてどうこう考えなくなりました。

ちなみに、精神病の本などを読むと、発達障害などに関してもたとえばメモを取るとか、文章じゃなくてビジュアルで覚えるようにしているとか、TODOリストを作ったり用品の保管場所を厳密に決めておくとか色々な工夫をされているみたいですね。そういう姿を見せることが出来れば周囲からのサポートも受けやすいと思いますし、そういう世界であってほしいと思います。

私がもし中学生の自分に何か言ってあげられるとしたら、件のアンサーソングと共に「色弱って現代の技術では治せないけど、頑張ればどうにでもなるよ」と言うと思います。治らないから不幸せなのではなくて、自分が困らない、苦しくない状態にできればそれでOKなんだと。

ちょっと話がずれてきた感があるので元に戻しますと、今回のお話はどちらが正しいとか異を唱えたいということでは無くて、質問者様(というか前述の病気と障害の違いに対する一般的な考え)は「周囲のサポート」という点に着目しており、私は「自分での努力と改善」に着目しているという視点の違いであると考えます。どちらも大切ですが、どちらも両立するような良い表現が時に思い浮かばなかったりします。それが言葉ですね2

念のため付け加えておきますが、障害の中には自分の努力と改善ではほとんど太刀打ちできないような重いものが存在することも承知していますし、その場合でも本人の意思を示すことに大きな意味があると思います(それが可能な状態なら)。

ちなみに、「精神病や発達障害は脳の病気であって」という一文は「精神病や発達障害は脳の病気(障害)であって」と修正しました。ご指摘ありがとうございました。


  1. 余談です。おそらく、私が書いたこの一文の違和感に気づいたひとは少ないんじゃないかと思うのですが、もしかしたら質問者様は発達障害という障害に日常的に向き合ったり、それについて深く考えたご経験があるのではないかと感じました。 
  2.  たとえば今回の記事を子供が出来なくて悩んでる人に見せたら、嫌な思いをする部分がいくつかあると思います