【質問#78】日本は旧軍の体質が抜け切れていないのか

質問・悩み相談の回答です。

質問

いつも楽しく拝見させて戴いております。二回くらいは質問させていただき、的確でバランスのとれた回答に納得しております。

さて主様は軍事オタクと読み伺っております。私は軍事に詳しい訳ではありません。なので軍事知識のある主様のご意見をと思いました。昔日本史のぎりぎり授業で間に合うか間に合わないかで習うあるいは夏の終戦記念の平和学習で読み物で見知った時は日本は最初から勝つ見込みのない戦に否応ことなくズブズブと入り込んで技術的には別として物量的に優るアメリカに負けましたみたいななんとなくの理解でした。その後歴史小説から読み始め、次第に実際の兵士の書いた日記なども読むようになり、あるときにたまたま山本七平の「一下級将校からみた日本陸軍」に出合いました。なんというか、初めて腑に落ちたという気が、というか、なんだかモヤモヤしていたところの答えをえたように思ったのです。

早い話が日本軍は年功序列で内務班という独特の縦社会、雰囲気に流され冷静に情勢を分析して適格に判断するより勇ましいことを連呼し、喚き散らす人が発言力をもち、流される。幹部学校では対ロシア戦の授業から対アメリカの授業に変更されるのは終戦の1年前という計画もなにもない。物資の輸送は何と軍馬と人力が主体に頼らざるをえない。食料は現地徴発、例えば全く味方の護衛のないバジー?海峡の兵員輸送で繰り返し沈没する輸送船、溺死三万人。戦死より病死餓死がはるかに多い戦線。作戦の指令は責任のない参謀が連発。犠牲者を減らすために戦略的後退をすれば下士官が自決させられる。。

この前小池知事がちらっと引用した「失敗の本質」という本があるようです。読んではないのですが、書評からしたら同様のことが書いてあるようです。とどのつまり、日本陸軍は所謂お役所であり、その本質は脈々と現代日本の官僚機構やら企業体質に受け継がれている、みたいぬるのでしょうか?あるいはいや、そんなことは他国の軍でもよくある話で日本陸軍が、とか、本質ではないよとかコメントいただければ幸いです。
なんかやるせなくなりました。

回答

うーん、ちょっとこの回答には正直自身がありません。

私は軍オタですが、軍オタにも様々な軍オタが居ます。WW1派、WW2派、冷戦派、近代戦派、銃火器、戦車、ヘリコプター、戦闘機、艦船、戦史、戦略、戦術、ドクトリン、政治情勢、…などなど。同じ軍オタでも話が通じないということは沢山あると思います。

私は基本はWW2派ですが、WW1以降の全てのジャンル(兵器、戦史、戦略、戦術、運用、etc…)で気になったところをつまみ食いするという、芯の無い特殊な軍オタですのでたぶんどの軍オタとも話がなかなか合わない気がします。ちなみにWW2で好きなのはスターリングラードの泥沼戦とか潜水艦で物資を運んでた話とか、なんで零戦の無線は役に立たなかったのか、電気回路的にどういう設計ミスがあったのか、そもそも戦争はなぜ起こるのか?戦争にはどういう兵器が必要で、どういう抑止効果があって実際にはどういう運用をするのか、みたいな話が好きだったりします。

というわけで中途半端な知識しかないのですが、その中途半端なりにも頑張って頭をひねって思いつくことを回答したいと思います。

日本軍は年功序列で内務班という独特の縦社会、雰囲気に流され冷静に情勢を分析して的確に判断するより勇ましいことを連呼し、喚き散らす人が発言力を持ち

そんな感じがしますね。大島駐ドイツ大使が「欧州ではドイツがイケイケでマジパネェっすよ、ドイツ側に付かなきゃ損ですよ」みたいなことを喚き散らしてそれを真に受けてドイツ側に傾倒していった話なんかもそれに近い気がします。あとは、旧帝国海軍が「来る米国との戦争に備えて」との名目で予算を獲得するのが常態化した状態だと強固に対米開戦反対を唱えることが出来なかった、みたいな話も雰囲気に流されて合理的な判断が出来てないように思います。特攻隊もそれに近いですね。最初は志願制としていたけど、後に実質強制力を持っていたとか。陸軍もやってるから海軍もやらなきゃ、みたいな感じで大和を沖縄に突っ込んだりとか。まともな作戦ではないですね。

幹部学校では対ロシア船の授業から対アメリカの授業に変更されるのは終戦の1年前

これもそうですね。「大本営参謀の情報戦記(堀 栄三)」という本にも、このあたりの事情が詳しく乗っています。日本は相手の事をほとんど何も知らないままアメリカと戦争を始めたのです。

物資の輸送は軍馬と人力

これはちょっと仕方ないかな、とも思うところがあります。そもそもWW2の兵站で自動車を大規模に運用できたのはアメリカなど一部の国だけでしたし、日本の主戦場となった南方の島国やビルマ戦線はジャングルですから、そもそも自動車の運用に向きません。アメリカなどはブルドーザーを上陸させて短期間でじゃんじゃん土地を切り開いて飛行場を整備したりしていますが、そういう建設重機を運搬・運用するためにはさらに兵站を圧迫しますから、どこの国でも出来ることではありません。

とはいえ、兵站が軍馬と人力になってしまうだろうことを想定した戦略を練っておかないというあたりはやっぱりダメダメだとおもいます。ちなみに、先に紹介した「大本営参謀の情報戦記(堀 栄三)」では、「実際上陸した部隊が報告してくるまでニューギニアがジャングルだという認識が軍上層部には無かった」みたいな話があったように記憶しています。笑い話ではないですが笑えますね。いや、笑えません。どっちだ。

さて、「失敗の本質」ですが、私も読んだことは無いです。無いですが、旧軍の体制が今も現代日本に根付いているから日本はダメなのだ、という論調は非常に良く聞きます。実際、私自身もそのように思うことはあります。

たとえば一番強く思うのが航空機パイロットの育成に関してですね。旧日本海軍の空母航空隊パイロットの練度は高かったものの、マリアナ沖海戦やミッドウェイ海戦で消耗してからは短い飛行時間で訓練生を前線に配置せざるを得なくなったという話は有名です。対してアメリカは優秀なパイロットを前線から引き抜き教官に任命して計画的にパイロットを育成していました。撃墜されたあとのパイロットの救出に関しても、アメリカは乗員がパラシュートで脱出した後に潜水艦や飛行艇で組織的に救出するための体制が整っていたのに対し、日本軍ではパイロットを守るためのコックピット周辺の防弾装甲が設置されたのも後になってから、パラシュートは「ケツが痛いから」と座布団が割りに尻に敷くような有様でした。

これは現代のソフトウェア開発でも全く同じ光景が見られます。すなわち、優秀なエンジニアは事業のコアとなるプロジェクトから手放せず、延々優秀なエンジニアに苦労を要求しつつ後継が全然育ってないという構図です。これは大企業・スタートアップ問わず見られる現象で、最近でも主力エンジニア一人がコケたらあとはどうにもできずサービスも終了、みたいなソーシャルゲームがあった気がします。エンジニアが過労状態になった時に救うための方策も無ければ、倒れた時のバックアップもない。まさに旧日本軍と同じではありませんか。

デスマーチも完全にそれですね。ソフトウェア開発で納期に間に合わせるために開発メンバが無理して長時間働き続けることを俗にデスマーチと言いますが、そもそもデスマーチの語源がナチスドイツによる囚人の強制移動や日本軍によるフィリピン占領後の無茶苦茶な捕虜後送のことです。当初の計画の稚拙さやその後のマネジメントの稚拙さを全部棚に上げて「物が出来ればいいだろ」的発想で現場を酷使するのは旧軍でも良く聞く話でした。

ではこれらは旧軍からの流れで日本人の精神に根付く本質的な何かよるものなのかというと、私はそうとも言い切れないと考えています。

まず、上記の例に挙げたソフトウェア開発での問題点(一部のエンジニアに負荷が集中する)で言えば、同じような経験は実は日本固有のものではなく、欧米でもよくある話のようです。デスマーチにかんしては、そもそも(ソフトウェア開発の)デスマーチという言葉自体、アメリカのコンサルタントであるエドワード・ヨードンという人が考え出したものです。彼の本を読むと、顧客の要望だからと無茶苦茶な開発仕様を受け入れるだとか、何よりも政治力が大事だとか、いざとなったら1日18時間働くだとか、いかにも日本的(?)なエピソードが並んでいます。

軍事に目を向けてみても、たとえば兵站の崩壊という点ではドイツが対ソ戦で冬将軍の到来により地面がグズグズになって物資の輸送が滞った(冬の到来までに決着がつくという楽観的すぎる予想をしていた)とか、そこまで戦略的価値の無いスターリングラードで独ソ両軍がメンツのために泥沼試合を続け、市民まで巻き込んで大変な死傷者を出したとかいう例もあります。補給の面でも、たとえばソ連でも「兵士3人に対して銃が1つ」みたいな話はよくあります。そういえばソ連では人海戦術も相まって1戦死者数がうなぎ上りで戦後は人口ピラミッドから若年層がすっぽり抜け落ちてしまっていたとかいう話もありますね。それでも、例えば独ソ戦では包囲戦以外で大量の餓死者がでたなどという話は聞きませんが、それは日本の主戦場が南方の島々であったことと、大陸での戦闘という違いが大きいのでしょう。陸地では現地調達(現地農地からの搾取)ができますからね。

戦略や組織運営の面で言えば、たとえばノンフィクション小説「バンド・オブ・ブラザーズ」ではアメリカの空挺師団に所属するウィンターズ少佐は「軍隊は硬直した縦割り組織で全然現場の事を考えてなかったから大嫌いだった」という主旨のことを何度も述べてますし、戦略の重大局面で偉い人が駄々こねて無理やり方針を変えたみたいな話(マッカーサーによるフィリピン奪還など)なんかもよくあります。
ドイツでもチョビ髭のワンマンで大戦略を気ままに変更させられたり、お気に入りを勝手に昇進させたりするような無茶苦茶な組織運営だったわけです。そういう事を考えると特に日本がひどかったという訳でもなく、どの国も無茶苦茶な側面はあったと思います。

あと、そもそも敗戦国の著者が出した本は「あれがアカンかった、これが駄目だった。だから戦争に負けた」みたいな論調になりがちなのに対し、戦勝国の著者が出した本は「これが良かった。あれも良かった。マジ、キツイときもあったけど、俺らだからやってこれた。圧倒的感謝。ピース」みたいに良いところしか述べない、まるでプレゼンの教科書みたいな論調になりがちなので、そもそも日本で戦争体験に現代の失敗や問題点を求めたら「やっぱ旧軍がダメダメだったから、そこから変わってないんだよなぁ」という結論に陥ってしまうのは当たり前のようにも思います。

一方で私は強く思うのですが、そもそも現代日本の失われた20年だのの失敗の本質が旧軍体質にあると結論付けたところで直接的なメリットは無いと思います。「旧軍が駄目だったのか!じゃあ明治維新くらいからやり直した方が良さそうだな!タイムマシンでゴー!」ということは出来ないですからね。だからもし本当に旧軍体質とやらが現代日本にも受け継がれていたとして、そしてそれが原因で数多の失敗を繰り返していたとして、そこから導きだされる結論は一つで「このクソな管理体制を改めよう」ということにしかならなりません。

その結論に至るのに旧軍体質がどうとかいう議論は必要でしょうか?現代日本の企業にありがちなよろしくない企業文化を指摘するのに「旧軍と同じだから」と言えば説得力が出るから安易にそうしてるだけなんじゃないかな、と私なんかは正直思ってしまいます。

日本企業の文化がアカンと思ったら、具体的に何がアカンのか、どういう良くないことが発生するのか、それを直接的に論ずるのが筋ではないでしょうか。その途中で旧軍のエピソードに同じようなものがあり、引用するというのならまだ分かります。しかし、何個かそれがまとまったところで「旧軍の体質が現代日本にも受け継がれている」という結論にするのは無理があります。

そもそもそうやって原因を作ると人は納得してしまいます。「あー、旧軍体質だったから駄目なんだ」と。そこで終わってしまっては何も変わりません。そういう意味でも私は旧軍に失敗の本質を見出すという行為は良くないと思います。

以上、色々述べましたが、私の浅い知識から意見を言わせていただくならば、

  • 旧日本陸海軍が組織的にダメダメだったのは正しいと思います
  • 現代の失敗が旧日本陸海軍の失敗エピソードに似ている点があるのも事実です
  • しかしながらそのようなエピソードが本当に日本固有のものであるかは検証が必要と思います
  • ましてや旧日本陸海軍の体質が現代に受け継がれていることが失敗の本質だという主張は無理があると思います
  • そもそも旧日本陸海軍の体質が現代に受け継がれていることを証明できても得するのはそういう説を書いた本の作者だけです

というまとめになります。

ですので質問者様におかれましては、旧軍の体質が…などということを深く考える必要はそもそもなく、現実の諸問題に淡々と対処し、その過程で過去の同じ過ちがないか知りえた軍事的知識を活用いただくことが世のため人のためになるように私は思いますが、いかがでしょうか。


  1. 正確に言えば何人死んでも良いからとにかく数で押し切れ、が人海戦術ではないんですが