Amazonのウィッシュリストについて

Amazonにウィッシュリストなる機能が実装された当時、私は驚愕した。

ウィッシュリストとはなにか。ウィッシュリストとは、ユーザーが「これ欲しいなー」と思った商品をリストにため込んで公開することが出来るという機能である。そんなもん何に使うのかと言うと、つまり、そのウィッシュリストを見た人が「ほほう、こいつはこういう商品が欲しいのだな。どれ、誕生日も近いからこれを買ってやろう」と購入してプレゼントできてしまう機能である。

どうです?これ。最悪な仕組みでしょ。いかにアメリカのプラグマティズムが世界を駄目にしてきたかを象徴してるでしょ。

プレゼントというのは「ああ、あの人はどんなものが好きなのかな、この商品を買ってプレゼントしたら気に入ってくれるかな」と当人のことを思いつつ、自分のプレゼントチョイスのセンスをブレンドしつつ買う物じゃないですか。プレゼントは何がいいかな、ってショッピングセンターや百貨店を歩き、足を使って商品を探すものじゃないですか。そこで、店員のお姉ちゃんに相談したりして、姉ちゃんも一緒に悩んでくれたりして、最終的にはベストな品が見つかり、姉ちゃんも良いものを紹介出来て良かったし、もらった人も良かった、プレゼントを買った人も良かった、なんと三者がwin-win-winの関係になるのであって、そういう世界って素晴らしいじゃないですか。私はそういう世界に生きて居たいと常々思う。

それをば、なんですか?自宅に居ながらAmazonのウィッシュリストを見つつ、「ほほ、値段的にこれが手ごろだわ」とクリックするというのは。情緒のかけらすらないじゃないですか。やっぱり米帝やアングロサクソンにこういう日本人的なおもてなしの心はわかんねーんだな、って感じですよ。デルタ航空のアテンダントなんか機内に転がってる空き缶蹴ってたからね。こいつらにおもてなしの精神なんか100年経っても理解できないわと思った。特にAmazonの創業者なんか、小学生のころには教え方上手い教師ランキングを調査・集計して学校に張り出してたとかいうから、そんな合理主義の塊を圧縮して削り出し加工したような奴には益々わかんねーだろうな、と思ったのです。

ただ最近になってこの考えも変わってきました。

まず、私はプレゼント選びを情緒あるものと見なしていますが、これは上手くいけば情緒ある、ハートフルな世界が構成されるのであって必ずしもそうでもないと思うんだよね。

例えば私は嫁さんの誕生日にフラワーアレンジメント的なアレを買おうと思い、聖蹟桜ヶ丘にある花屋にいったわけですよ。聖蹟桜ヶ丘と言えば「耳をすませば」の舞台ですし、京王線の発車ベルはカントリーロードですし、情緒の塊みたいなイメージがあるじゃないですか。そもそも名前が「聖蹟桜ヶ丘」ですよ。ゲームや漫画などの創作物でも中々ない情緒フルな名前じゃないですか。そんな聖蹟桜ヶ丘の、花屋というさらにまたハートフルでファンシー極まりないスポットに行ったわけですよ。それは情緒の塊が堆積して結晶化した置物みたいなオーラを感じさせるわけじゃないですか。いや、分かるよ。結局聖跡も普通の多摩市の一部で特別なんかあるわけじゃないからね。でも普段しない行動をするときって、なんか特別な事があるんじゃないかと期待するじゃん?

しかしそこに待っていたのは早口でまくしたてる中国人の姉ちゃんだった。

「花贈るの?コレ!コレ安いヨー、おすすめヨー」「こっちも良いヨー、誕生日の贈り物には最適ネ」などと言っていた。うーん、迫りくる国際化の波。インターナショナリゼーション。プログラマ的に言えばi18n。もはや私が「情緒フル」とか言っているのも恥ずかしくなってくる感じでした。花はそこで買ったけどね。結局気に入ってもらえたようでよかったです。

ただこの例はプレゼントされた側が気に入ってくれたから良かったものの、そうでない例もたくさんあるからね。

例えば私が高校生の時、当時付き合っていたKちゃんから誕生日プレゼントをもらったのだけど、それが大変可愛かった。顔を真っ赤にして、「その…私プレゼント選ぶセンス無いんだけど…」などともじもじしつつ、プレゼントが入った紙袋を貰った。

開けて良い!?とウキウキで紙袋を開けると、出てきたのは文房具セットだった。うん。文房具ね。嬉しい、嬉しいよ。その当時受験生だったからね。うん。ありがとう…。という気持ちになった。

そして文房具の他にもう一つ、ハンカチのようなものが入っていて、「なにこれ、ハンカチ選んでくれたの?」と取り出すと、「そ、それはクッションカバーなんだけど…クッション持ってなかったらゴメン…」と言っていた。広げたクッションカバーは紫の地に大きな葉っぱのマークが黒抜きで描かれたデザインだった。うん…。クッションカバーね。今ジャストサイズのクッション持ってないから、買ったら使わせてもらうよ!と思ったのだけど、この葉っぱ…なんか見たことある…。あれ、これって…ケシの葉っぱじゃ…。いわゆる大麻なんじゃ…。

これはあれなのかな、この子はラブ&ピースみたいなアレに憧れてるのかな。女子サッカー選手が額に着けてる、前髪を止めるためのあのヒモみたいなやつを付けて、アコースティックギターを持ち、ダメージ加工ジーンズを履いて、たき火を囲み、「戦争なんてマジくだらない。ピース」みたいな感じのことをSNSで喋っちゃったりするのかな。今話題のホメオパシーにもハマっちゃうオーガニック女子なのかな、などと思った。

いや、でも良いんだよ。中身なんて。重要なのはあの時に真っ赤な顔してプレゼントを渡してくれたということが嬉しいのであって、その思いでこそが最高のプレゼントだったんですよね。大体さ、いい大人(例えば結婚適齢期)になってから真っ赤な顔でプレゼント持ってこられたら色々勘繰ってしまうじゃないですか。何?もしかしてとんでもなく恥ずかしい卑猥なものが入ってるの?とか。

んで、実際開けてみて、ものすごく良いものが入っていたら「あれぇ…なんか嬉しいけど、こんな高価なものを買ってもらうというその事実がちょっと重いなあ…」とか思うかもしれないし、反対にすげー変なアイテムが入っていたら「いい年なのに、ちょっと幼い所があるんだなあ…。あと五年若かったら可愛いね、って感じなんだけど…」とか思うかもしれないじゃないですか。一方で本当に卑猥なものが入っていたらただの変態で、お互いの関係によっては通報事案ですからね。あれ?違うな。そんなめんどくさい事を言いたいんじゃないんですよ、私は。だからね、Kちゃんからあのときプレゼントをもらったのは嬉しかったですよ。でもさ、ケシの葉はちょっと、よく主旨が理解できなかったと言いますか…。

え?っていうか、俺はAmazonのウィッシュリストの話をしているんでケシの葉っぱや結婚戦略や変態の話をしてるんじゃないんだよね。いかんいかん。

ともかく言いたいのは、そういう中国人にまくし立てられたり、ケシの葉っぱに思いを馳せてみたりするようなのが現実であって、花屋さんに可愛い姉ちゃんが居て親身になって相談を受けてくれるというのがもうそれ、プレゼントを贈る人が自分にとっても良い思いをしようとしているから駄目だというわけですよ。つまり情緒だのなんだのと言っているのは「私にとって美しい世界」をプレゼントを贈るという行為を経由して得ようとしているのであって、別にプレゼントを贈る相手の気持ちをそんなに考えては居ないんじゃないかと言う事。

だったらばさ、ウィッシュリストから手ごろな商品をチョイスして送るというのが、平均的に皆幸せになるのであるから合理的じゃないですか?という気持ちに変化してきたという訳なんですね、はい。

そして最近は、こう、ブログやってる人やSNSでちょっと有名な人なんかがウィッシュリストを公開し、読者の人がその中から何かを買ってあげて、もらった人が「ありがとー、使ってみたよ」的なレポートを書いて交流するという、そういう素晴らしき世界もあるそうじゃないですか。

それでね、私はこう、いわゆるネット乞食じゃないんですけど、ネット乞食じゃないんですけどね、あくまでもネット乞食ではないんですけれども、そういう交流の仕方って、素敵やん?2016年のサイバーハートフルストーリーじゃん?サイバー聖蹟桜ヶ丘がAmazonのウィッシュリストじゃん?みたいなことを思うに至りましてね、決して、いわゆるネット乞食ではないんですけれども、まあ、そう認識されてしまう危険性も鑑みつつ、「ネット乞食じゃん」と非難されるリスクとそこからつながる新たなハートフルストーリーとを天秤にかけましてね、私はサイバーハートフルストーリー2016にベットするぜ。ということで、ここに私のウィッシュリストを公開する次第でございます。

…と思ったのだけど、やっぱりネット乞食っぽいのでやめます。もしかしたらひっそり公開するかもしれませんけど。