私のサイト運営歴などの昔話

こんな話題を何人かの人からなんとなく振られた気がしたので、なんとなく書いてみます。

私が中学生のころ(1999年くらい?)、「Web★新聞男」というサイトを立ち上げました。コンテンツは日記と掲示板とプロフィール、イラスト、CGがあるような、当時よくあった個人サイトですね。このころは自分でWebサイトを構築するというのはまだまだ珍しく、同級生に自慢してたような気がします。今考えると相当に痛々しい内容だった気がしますが、よく覚えていません。あまりにも痛々しい過去から自分を守るための心因反応(解離性健忘)だと思います。

掲示板を構築するには多少はプログラムやLinux(Unix)の知識が必要なはずですが、当時の私はどうしていたんでしょう?全然覚えていません。プログラムはまだ書けなかったし、Unix系OSの知識もほとんど無かったはずです。

サーバーはプロバイダが提供するものを使っていました。当時のインターネットサービスプロバイダは、メールボックスと共にホームページの無料スペースを20MB分くらい提供してくれる所が多かったです。具体的な仕組みは、プロバイダが所有するWebサーバでApacheを立ち上げていて、Apacheのmod_userdirを使ってユーザーディレクトリ直下のpublic_htmlディレクトリを公開してたような感じですね。だから当時はhttp://foobaa.com/~withpop/みたいなチルダが入ったURLが多かったです。現在ではセキュリティ上の理由からこういう事はあんまりしませんが(システム内のユーザー名がばれる)。また、サーバOSはSolarisで、FTPでファイルをやり取りしていました。

1日のアクセス数は5件程度。うち、2~3件は私自身というアクセス数でした。当時はそこまで検索エンジンも発達していなかったので、Yahooにでも登録されない限りはアクセス数を稼ぐことは難しかったです。

このサイトは1年くらい続けて止めました。新しいサイトを作りたくなったからです。最後に「更新停止します」と宣言した時、掲示板に初めての書き込みがあり、「このサイトは面白いなーと思ってみていたので残念です」というコメントが残されていました。それだけが強く印象に残っています。

次に立ち上げたサイトは「あの娘にもらったPUNK-ROCK」というサイトでした。高校生になってから立ち上げました。2000年頃だったと思います。コンテンツは私が聞いたインディーズバンドの楽曲レビューでした。その当時聞いていた中で記憶に残っているバンドは、THE MAD CAPSULE MARKETS, popcatcher, BRAHMAN, BALZAC, SOFTBALL, Going Steady, POT SHOT, HUSKING BEEあたりでしょうか。他にも色々素敵なバンドがあったと思いますが、もはや思い出せません。

サーバーはYahoo ジオシティーズを借りていました。通称「塩」と呼ばれる定評のあるサーバでした。Perlで書かれた掲示板システムを運用してたような気がします。で、HPの中で酷評していたバンドのメンバーから書き込みがあってちょっと焦ったりしました。酷評していたにも関わらず紳士な方でした。今だったらもっとぞんざいな対応をすると思いますが、当時はまだ高校生だったこともあってかなりビビっていました。

このサイトは結構交流も盛んで、掲示板への書き込みもそれなりの数あったように思います。Webサイト同士の「相互リンク」(お互いにリンクとバナーを張ってお互いのサイトを紹介し合う)ようなこともよくしていました。もうどんな人たちが居たかさっぱり覚えていませんが…。

このサイトのアクセス数は1日に20件程度であったと思います。多い時では1日100件のアクセス(ユニークアクセス)がありました。以前に比べればずっと多くなりましたね。

それまで私は「nc」というハンドルネームを使っていました。が、同時に絵を描くときは「withpop」というハンドルネームも使っていました。「nc」の由来はもはや忘れてしまいましたが、withpopはいまだに覚えています。最初はwizpopにするつもりでした。wizはwizard(凄腕のハッカーの意)、popは当時好きだったバンドのpopcatcherから取りました。ただ、簡単なPerlプログラムをちょっと書けるだけでwizardを名乗るのもおこがましい事この上ないので、謙虚?に発音が似ているwithを採用し、withpopとなりました。以降、字面が好きでこのハンドルネームを使い続けています。別に本名でやっても良いのですが、私の本名はかなり珍しい苗字であり、ググれば一発で本人を特定できてしまうのでなんとなく避けています。

また、サイト名の「あの娘にもらったPUNK-ROCK」という名称は件の好きだったバンド、MADの「HUMANITY」という歌詞を元に作りました。

あの娘にもらった甘え 俺が君にあげる

という部分があるのですが、これをいたく気に入ったというのが背景です。

「あの娘にもらったPUNK-ROCK」は、サイト中で自分のサイトを言及するときに書く名前としては長いので一貫して「あのPUNK」と記していました。このあたりも現在のブログ「anopara」に通ずる部分になります。

その次に立ち上げたのは「彼氏とあの娘のパラノイア」というサイトでした。中心となるコンテンツはイラストと日記。立ち上げた理由はイラストに本腰を入れたくなったからです。同時に、「nc」というハンドルネームは封印しました。

サーバはinfoseek isweb。時期は2005年~2008年くらいだったと思います。サイトの名前の「パラノイア」は偏執病、妄想症の意味。何かの精神病の本でパラノイアが他の被害妄想と異なるのは妄想が系統だっていて筋が通っているという点だと書いており(記憶が曖昧、誤りかも)、そのあたりを気に入り、「俺の絵は俺の妄想だからパラノイアがいいや」というわけでそういう名前にしました。

この時期は人生のうちで最も絵を描いていた時期だった。高校3年生~大学生くらいの事だったと思います。

当時、「お絵かき掲示板」というのが流行っていました。ブラウザ上で書いた絵を投稿するシステムです。JavaAppletで動くソフトウェアだったと記憶しています。で、これがかなり機能の限定されたツールでして、これを使っていかに良い絵を描けるか、みたいなものを皆で競い合っているような、そんな文化がありました。

「彼氏とあの娘のパラノイア」は実りが多かったように思います。人とのつながりもずっと深まり、手紙をやり取りしたり実際に会った人も居たりしました。また、自作のコンテンツをCD-Rに入れて売ったりしていました。今は、自作コンテンツの販売もずっと敷居が低くなったのですが、当時は銀行口座への振り込みを確認したら発送なんて手間のかかることをしていました。当時からコンテンツの販売システムが整っていたらとちょっと悔やむところではあります。

あと、漫画を描いて公開したりもしていました。これははっきりと自慢ですが、広告制作の依頼や月刊誌での連載の誘いがあったりして当時はだいぶ興奮しました。大手出版社のメールアドレスから連絡が来るんですから。でも自分のレベルはたかが知れてるというのも良くわかっていたので、せいぜいバイト感覚の範囲で留めておきました。そういえば、Flashムービーが流行った時代で、自分でもFlashムービーを作ったりバイトでFlashコンテンツを作ったりもしていました。

その次に立ち上げたのは「彼氏とあの娘はparanominal-chaosの果てに」というブログでした。fc2ブログだったかな。コンテンツは「彼氏とあの娘のパラノイア」からCGに関するコンテンツが減ったくらいであまり大差ありませんでした。

このサイトを立ち上げた理由はブログの普及によります。元来、Webサイトを製作するというのはHTMLを理解してLinuxやUnixの知識を多少なりとも身に着けた人たちだけに許される楽しみ、みたいな感じがあったのですが、ブログがそれを破壊しました。プログラムやHTMLの知識も無い人々が押し寄せてプロがデザインしたテンプレートながらも綺麗なデザインのWebサイトが乱立し、私は大変な衝撃を受けました。そして、静的にHTMLを編集しているのとでは、SEO(検索エンジン最適化)やメンテナンス性、更新頻度の点で絶対勝ち目がないと悟りました。なにを持って勝ちとするかは難しいところがありますが、ともかく、絶対に勝ち目がない、と思いました。

で、私もfc2を契約し、アクセス数を追求しました。皆がクリックしそうな記事を積極的に書き、ブログランキングなどに登録を行いました。その結果、アクセス数は1日に平均数百件、たまに1000件を超えることもあったのですが、コンテンツの質は落ちました。自分自身もWebコンテンツを作るという喜びを感じられないようになってしまい、「彼氏とあの娘はparanominal-chaosの果てに」を運営していた2009年~2013年あたりは個人的に暗黒期です。更新頻度も数か月に1回レベルに落ち込みました。

ちなみに、ちょっと老害的な発言かもしれませんが、このブログというサービスはWebサイトを構築するという障壁を一気に下げたとともに、それまでのインターネット文化をも破壊してしまったように感じます。たとえば、前述のiswebサービスなんかは優良なWebサイトがたくさんあったのですが、サービス終了に伴い多数のサイトが失われました。その時にはほとんどのWebサイトは更新されていなかったのですが、資産と言ってよい価値があるサイトが多かったように思います。その、更新が止まってしまった背景には、私が感じたようにブログの普及に伴うモチベーションの低下があったでしょうし、iswebサービスの終了自体がブログやSNSの普及に伴う需要の低下にあることは間違いありません。ブログによって得られたものは多いですが、失ったものはそれ以上に多い気がします。

話しを私のブログに戻します。「彼氏とあの娘はparanominal-chaosの果てに」がうまくいかなかった敗因は目的意識の欠如だったと思います。それまでのサイトでは、「音楽のレビュー」とか「絵を描く」とかそれぞれやりたいことが明確だったのですが、このサイトに関してはブログを始めること自体が目的だったので、ブログを始めた時点でもうモチベーションが下がってしまったという感じです。ブログは手軽でしたがカスタマイズの制限も多く、作り込みが難しかったという点もあります。ブログのカスタマイズで覚えた知識のほとんどはサービスに依存するテクニックなので他では役に立たず、学習のモチベーションも生まれなかったという理由もありますが。

で、最終的に行き着いたのが「anopara」でした。

「anopara」はもう長いサイト名称が嫌になったので短縮したというだけの理由です。「ano」はMADの歌詞の「あの娘」の部分、「para」はパラノイアの部分です。2013年から現在に至るまで続き、おそらく今までで最も多くのコンテンツを抱えます。「anopara」を始めたきっかけは「広告収入によるコンテンツの収益化」です。結局、金を得るのが最も強いモチベーションになるという事です。

このブログを始めるうえでのポリシーは、過度なSEOやその他のアクセスアップ手法を導入するのを避け、純粋にコンテンツで勝負するというものです。ポリシーとしてはそうであって、実際に良いコンテンツが作られてるかどうかの判断は読者の皆さんに委ねたいと思いますが、しかしそういうポリシーで運営していてアクセスアップについてはほとんど考慮していない(何かの方策を実施していない)にもかかわらずアクセス数が順調に伸びているのは嬉しく思います。

では今が一番うまくいっているかというとそういう訳でもなく、運営していて一番楽しかった時期は「彼氏とあの娘のパラノイア」でした。これを作っていた時期は、高校~大学で単純に時間がたくさんあってやりたいことが出来ましたし、いい意味でも悪い意味でも多少の無茶ができました。

こんなこと言いたくはないですが、しかし事実として現在は子育てに時間を吸い取られているというのが紛れもない事実です。私がブログ更新のために割ける時間は平日で1時間弱、休日も2時間弱取れればいい方です。そして、この時間は私が自由にできる時間の全てです。他にやらなければならない事があれば、失われてしまう時間です。この程度の作業時間で良いコンテンツが作れるはずがないです。

アイディアややってみたいことはごまんとあり、それを実行するためのスキルや装備も整っているのに時間だけが足りないというのはとても残念に思います。なので、なるべく早期に仕事を短時間勤務にしてもらって副業やブログ更新に専念しようかなと思ってます。

あと、過去に運営していたサイトの日記をすべて現在の「anopara」にマージしようかなと思ってNASに保存したデータをあさっていたのですが、さすが中高生が書いただけあってとても見せられない下劣な内容がほとんどでした。ギャグとしても信じられないくらいお寒い内容でした。もし本ブログに掲載するとしたら、大幅に加筆修正するか、無難な記事だけピックアップするか、そんな方針で行きます。