もしも生まれ変わったら

娘がピアノを弾くのが好きなので私も何か曲を教えたりしている。譜面が無いので大体耳コピして鍵盤をたたくのだが、鍵盤をたたいていると「あ、このメロディ進行、どこかで聞いたな」と気づいてまた別の曲を弾けるようになったりする。

そうしたうちにポケットビスケッツの曲をサビの部分だけを弾けるようになった。というかサビしか覚えてないのだが…。曲名も忘れてしまった。「もしも生まれ変わっても また私に生まれたい」という歌詞のやつだ。調べたら「Yellow Yellow Happy」という曲だった。ウッチャンナンチャンとかキャイーンとかが出てた金曜日の番組でやってたやつだよ。今の子供は内村がコンビ組んでたということすら知らないんだろうな。笑う犬の生活とか内Pとかも知らないんだろうな。で、ポケットビスケッツは千秋が歌ってたんだよ。千秋が。千秋が誰かも今の子供は知らないんだろうな。くそっ。どんどんオッサンになっていく気がする。

まあそれは良いとして自分がふと思ったのは、

もしも生まれ変わっても また私に生まれたい

っていうのはこれ、相当な自信家だよな。ということ。

私はかつて「生まれ変わってもまた自分に生まれたい」という考えを持っている人に出会ったことが無い。「生まれ変わったら何になりたい?」という問に対する良くある答えは「金持ちの子供に生まれたかったなー」というごく庶民的でたんぽぽのように可愛らしい回答ではないだろうか。あとは「生まれ変わりというか、今の記憶を全部保ったまま小学生くらいからやり直したいな」とかいう、これまた庶民的でチューリップのような愛らしさを備えた回答だと思う。私はこういうピュアな人と暮らしていきたい。

その一方で「マンションとか土地とか、なにかこう固定資産を相続できて不労収入で生活できる立場になりたいな」みたいなやけに具体的で小賢しい感じがする一方で、でも実際は馬鹿だろ、人から聞いた話喋ってるだけだろ、マンションの運営やリスクマネジメントがどんだけ大変かちょっと考えりゃ想像つくだろ。なんかアレなんだよね、お前の発言、「軽自動車って660馬力じゃないですか」ってドヤ顔で回答している、ネットでよく見る女(たぶん中古車販売業を営む誰か)の画像をすごく想起させるんだよね。なんでだろう?って感じで説教したくなる人とは一緒に生活したくないね。

で、その他の解答としては、たとえば「大学に行ってればよかった」「あの時誘いにのってベンチャーに移っていれば」「何某の免許を取得していれば」などという過去の失敗を悔いるパターンが多いのではないかと思う。これは可愛らしい感じは無くごく標準的な回答だと私は思う。なぜならば人間は「経験」という知識とともに成長していく生き物だからである。人間は大脳を進化させて知識で野生と対抗してきたわけですよ。火を使い、弓を使い、槍を使い動物界の頂点に立ち、その後なんだりかんだりあって、現代では知識をベースとして世間に対抗しているわけですよ。

例えば、ボッタクリバーがあるじゃないですか。ボッタクリバーも実際に被害に遭うまでは「はは、あんなのに引っ掛かるのは馬鹿だけだよ」とか言うものの実際にその場面になってみたら2軒目とかで酒が入って判断力が鈍った頃合いでコロッと引っ掛かるんですよ。多分。そいで怖いスキンヘッドの兄ちゃんににらまれながらATMで金をおろし、「この次は絶対引っかからないようにしよう」と心に刻み込み、2回目からは酒が入っていても怪しい店には入らない、と心に決めるわけですよね。これが経験であり知識ですよ。

人間はこうして失敗によって学んでいくのであり、そもそも最初から酸いも甘いも経験した小学生みたいなのが居たら気持ち悪いでしょ。だから人間というのは失敗して当然であって、「生まれ変わったらどうなりたい?」という問いにも過去の失敗や後悔を正す、という結論に飛びつきがちなのです。

そんな中で改めて

もしも生まれ変わっても また私に生まれたい

というご要望を考えてみると、やっぱちょっと自信家すぎるな、もしかしてちょっと馬鹿なんじゃないかな。という気がしないでもない。

なぜならば現時点を持ってして俺の人生はこれで完璧だ、ブライトフルでブリリアントだ、と言い切れるというのはつまり視野がとても狭いせいで極所解を最良値を勘違いしてるからじゃないか、という気がするんだよね。

しかしながら一方でこれは感謝の気持ちを述べているのでは?という気もちょっとしてきた。それはイトキンの例。イトキンとは古谷実の「僕といっしょ」という漫画に出てくる児童養護施設を脱走して出てきた中学生(ただし義務教育は受けていない)である。イトキンはアパートの空き屋に長らく住んでいたがそれが不動産屋にバレそうになり、橋の下で暮らすことになった。そこで「人生やり直すボタンがあったら押す?」と聞かれ、「朝はおはよー、コニャニャチワ、そんな普通の家庭に俺は生まれたかった…」と涙を流す。

それから、同じく家出中学生のすぐ夫やカズ君と触れたり、床屋に居候したりしてイトキンは人の情に触れていく。で、なんやかんやあって自殺しそうな女に対してすぐ夫がまた「人生やり直すボタンがあったら押す?」と聞くと女は「絶対押す」と答えるのだけどイトキンは「俺は押さない!なぜならば俺はすでにすぐ夫やカズという素晴らしい友に出会えたからだ!」と満面の笑みで答える。イトキンは苦楽を共にした友人を作り、彼らに感謝出来るまでに成長できたんだね~、よかったね~というハートフルストーリーである。

で、

もしも生まれ変わっても また私に生まれたい

というのも、もしかして友人・知人・家族などへの感謝を表しているのではないか。すなわち、こんなにたくさんの素晴らしい人たちに巡り合えた人生は最高に違いない、という感謝ですね。

しかしながらこの歌詞は

この体とこの色で 生き抜いてきたんだから

と続く。つまり自分の身一つ、自分のやり方でここまで来たんだからというこれまた自信過剰な雰囲気に包まれる。一体どこからそのような自信が湧いて出てくるのだろうか。もしくは、単に慣れた身体、慣れたやり方が良いってことかな?あれ?クラシックカーとか好きなんですか?ってかんじですかね。

という感じの事を思いました。終わり。

念のため書いておくと、作詞した人は千秋という芸能人のキャラも踏まえて少しわがままっぽくも力強いような文章にしたかったのだと思います1

私ですか?私だったらマンションとか土地とか、なにかこう固定資産を相続できて不労収入で生活できる立場になりたいですねー。おわり。


  1. これも調べたら千秋自身が作詞に関わっているようでした。