【質問#32】年寄り社員の子育てへの無理解

質問・悩み相談の回答です。

質問

こんにちは。そろそろGWですね。当方GWは強制ボランティア(あえて仕事とは言いません)が多少ありそうです。

ところで、「俺の時はこうだった。」「私の時はそれでもがんばった。」とか言いながら働き方を強要してくる年寄り社員に対してどのように対処しようか迷っています。

共働きなので私が子どもの世話をすることもあり、妻の仕事が遅くなるときは定時で帰ることもありますが未だに「奥さんに頼めないの?」と言ってくる年寄り社員がいます。頼めるならそうしていますし、そもそも定時までは働いたのですから文句を言われる筋合いはありません。また、「じいさんばあさんに頼めないのか?」という輩もいますが会社が従業員の親族をアテにするのも筋違いでしょう。

定年間近の年寄り社員が子育てをしていた35年ほど前とは社会情勢も異なっています。そういった環境の変化を考慮せず、あーだこーだ文句を聞くのは非常に不愉快です。子育てを取り巻く環境の変化としては、

○待機児童問題
 (昔も待機児童はいたが1980年代はいったん沈静化していたようです:wiki)
○核家族化による家族内子育て人員の減少
 (三世代家族は1980年は12.2%に対し2005年は6.1%と半減。今はもっと少ないと推察されます:国勢調査より)
○女性の社会進出と女は家庭を守るという価値観の陳腐化
 (1975年には25~29歳では41.4%、30~34歳では43.0%だった女性就業率は、2011年にはそれぞれ72.8%、64.2%まで大きく上昇:総務省労働力調査)
○晩婚化による第一子出産年齢の上昇とそれに伴う子育て世代平均年齢の上昇
 (いわゆる働き盛りといわれる35歳前後になってから第一子が誕生というケースも珍しくなくなってきた。)
○晩婚化により子育てと親の介護の時期が近接化
○都市部への人口流出により祖父母の家と遠く離れてしまい祖父母を頼ることの難しさ

などが挙げられ、このことから年寄り社員がバリバリ仕事をしていたころというのは、祖父母と同居している割合が今より多く、待機児童問題もいったん沈静化した時期で、女性は家に居るケースが今よりも多かったため子どもは妻に任せて働く。ということがやりやすかったのでは?と感じます。まあこの推察がどのくらい当たっているかの分析はwithpopさんにお任せするとしましょう(笑)

質問
 以上の推論が当たっていたとして、年寄り社員に対してどのように接するのがいいと思いますか?
 1.あなたたちのころとは社会情勢が違うことを理解させる
 2.とりあえず返事だけは「はいはい。どーもすいませんねぇ…」と言ってやりすごす
自分で思うに1を選択しても60近い人間が「そうか!俺らのころとは違うんだ!」となるとは思えません。根拠をデータで示しても「社会情勢とかそういう話しじゃねぇ。」「気持ちの問題だ。」などと議論にならない気がします。そうなると2番かなぁと思っています。どうせあと数年我慢すればいなくなりますしね。2番が賢明だと思いますが、文句を言いたい気持ちもありますね(笑)

よろしくお願いします。

回答

なんだか回答と書きつつ愚痴になりそうな予感がしますが、書いてみます。

「俺の時はこうだった。」「私の時はそれでもがんばった。」

居ますね。こういう人。典型的ですね。

あーだこーだ文句を聞くのは非常に不愉快です

当然です。

○待機児童問題
 (昔も待機児童はいたが1980年代はいったん沈静化していたようです:wiki)
○核家族化による家族内子育て人員の減少
 (三世代家族は1980年は12.2%に対し2005年は6.1%と半減。今はもっと少ないと推察されます:国勢調査より)
○女性の社会進出と女は家庭を守るという価値観の陳腐化
 (1975年には25~29歳では41.4%、30~34歳では43.0%だった女性就業率は、2011年にはそれぞれ72.8%、64.2%まで大きく上昇:総務省労働力調査)
○晩婚化による第一子出産年齢の上昇とそれに伴う子育て世代平均年齢の上昇
 (いわゆる働き盛りといわれる35歳前後になってから第一子が誕生というケースも珍しくなくなってきた。)
○晩婚化により子育てと親の介護の時期が近接化
○都市部への人口流出により祖父母の家と遠く離れてしまい祖父母を頼ることの難しさ

このご推察も、私はとても納得できます。非常に説得力があるご説明だと思いますし、不自然なところはありません。乱暴にまとめてしまえば社会情勢が変化して男性も子育てに積極的に取り組まなければならなくなったということでしょうか。これ自体に異を唱える人は、少なくとも現役の子育て世代ではほとんど居ないのでは、という気がします。

さて、

以上の推論が当たっていたとして、

こちらは私もかなり当たっているのでは、という気がします(経験的に)。といいますか、上記の推論が真であることを証明することはほとんど不可能であるために、推論としてはこれで間違っていないと言い切っても良いように思います。

さて、「年寄社員にどう対応すればよいか?」という質問にお答えしていきたいと思います。

  1. あなたたちのころとは社会情勢が違うことを理解させる

これは、

60近い人間が「そうか!俺らのころとは違うんだ!」となるとは思えません

とありますとおり、私も無理と思います。

そもそも年寄社員がなぜ事実を提示しても自説を曲げないのでしょうか。

ひとつは経験に基づく自信過剰というのがあるでしょう。人間というのは最初はみんなおっかなびっくりですが、何度か繰り返すうちに慣れてきて、そのうちコツや感覚が分かってきて、最終的には「俺はこの分野では他人よりも抜きんでている」というふうに自信がついてきます。方々で繰り返しているとあらゆる場面、全方向に対して確固たる自信が確立し、結果、「俺はこの方法でうまくやってきた。だからこの方法が一番いい。ブリリアントな俺が提示するクレバーな方法がジャスティス」と信じてしまいがちです。昔は物を作れば売れた、なんて時代ですから、「何故商品が売れないのか?」などと頭を使って分析するという事をやったことが無いんでしょう。たぶん。

というか、そもそも柔軟な考えを有しているならば社会の変化にも追従して行けたはずで、それが出来なかったからこそ今の失われた20年があるのだと私は思っています。物が売れなくなったときになぜやり方を変えなかったのかと言えば、それは「悪いのは変化した社会であって、俺のやり方が間違っていたわけでは無い。社会が昔のようになれば成果も上がっていくだろう」という都合の良い考えをしているのではないでしょうか。

しかしはっきりとその考え方は誤りです。社会は本質的に変容していくもので、それに追いつくためには自分も常に変容していく必要があります。それを過去の成功体験にしがみついていても仕方ないでしょう。

この考えをより強固にしているのが年功序列という制度なのだと思います。これは、「年の功」なる、年齢が重ねるとなぜか増えていくあるんだと思うんだけど目には見えないし良くわからないダークマターのような何かに比例して給与が上がっていくという摩訶不思議な評価方法なのですが、これが半ば常識だった世代は「年齢を重ねるごとに人は偉くなっていく」と思っているんではないでしょうか。

まあ、ともかくこのような思考体系があることで自説を曲げていないんじゃないかと思っています。

  1. とりあえず返事だけは「はいはい。どーーもすいませんねぇ…」と言ってやり過ごす

こちらは難しいところです。仰るように、あと数年我慢すればよい、つまり数年にわたって小言を我慢できるかどうかがポイントになってきます。この方法では適当にあしらってる感は醸し出しているものの、言葉は相手の主張を認めてしまっています。となると言った側は「俺は正しい事をしているが若造はいう事を聞かない。ダメなやつだ」と判断するでしょう。人間は自分によって信じやすい判断を重視して、都合の悪いことは考えないようにしますからね。すると、「俺は正しい」の部分に確信が出てきてしまうために、もしかしたらより強硬な策にでてくるかもしれません。すると現時点では我慢できるもののそのうち許容できる限界点を突破するかもしれないというリスクは残ります。

ではどうすればよいかというと、私はその他に二つの案を考えてみました。

一つは、「年寄社員よりも偉いジジイをぶつける」です。

この方法は単純明快です。年寄社員の自信が「年の項」というダークマターにあるならば、さらに年功ダークマターを蓄積させたジジイをぶつければ従うかもしれないという発想です。

しかしながらこの方法は、年功ダークマターを大量に蓄積しており、かつ昨今の情勢に理解を示し味方になってくれるジジイを発掘できるかどうかという大きな問題があります。「ジジーが子育てに理解を示さないことに現役世代が困ってるだと?よし、よりジジイのワシが首根っこ捕まえて説教してやる」というような理解力のあるジジーは、少なくとも私は見たことがありません。私が良く見るジジーは自転車に乗ってプルプルしながら通行人に「邪魔だ!ここは歩道だ!」みたいなことを大声で怒鳴る人とか、「ブレーキとアクセルを踏み間違えた」などとスーパーで4~5人を吹っ飛ばしたりコンビニに突っ込んで行ったりするジジーばっかりですね。

もう一つは「主張はするが理解はさせない」という方法で、私ならばこの方法を取ります。

これは、自分の考えや判断は表明するものの、相手を説得することは諦めると言うスタンスです。「奥さんに任せれられないの?」と言われたら「無理ですね」と返します。「俺はそれでもがんばった」と言われたら、「昔と今では違いますね」と答えます。これは、「自分とは価値観が決定的に異なり説得も不可能な相容れない人間に対してあれこれ考えて我慢したり説得したりすること自体が不毛」という考えに基づいています。周囲の人間すべてを納得させた上で和気あいあいと過ごせるのに越したことはありませんが、それは理想論です。人間が二人以上いればそこに権力や政治は発生しますし、完全に同じ価値観や考え方の人間は居ないです。

そして今回のケースのように決定的に考え方や価値観が異なる人間が居る場合、これまでも述べたとおり説得は不可能です。自らコントロールできない領域と考えたほうがよいでしょう。であれば、もはや分かり合うことは不可能で、説得はしないがこちらも一切の妥協はしないという方針です。、非武装地帯を挟んで睨み合っているという状態で均衡を保っておくという感じでしょうか。

すると相手からは不快感を持たれるでしょうが、その代わりに自らは自由を得ることができます。「本当の自由とは他人から嫌われること」ということを主張している心理学者が居たと思いますが、たぶん彼の著書にはそんなことが書いているんだと思います。

ちなみに私は、年寄社員の問題だけでなく、この方法は普遍的に通用すると思っています。

ただしこの場合も「お互いに相容れない」のはこの子育てへの考え方なのであって、その他の場面では協力関係は築けるはずで、そこの門戸まで閉ざして拒絶することはしないほうが良さそうですね。あまり強固に否定すると人格攻撃になってしまいますから。一方で相手は頭の硬い人間なので、「子育て方針」というシングルイシューを持ってして「あいつはダメだ」と人格否定してくるかもしれませんが、こちらまでその水準に合わせる必要はありませんので、人間としての器のでかさを周囲にアピールできるチャンスとでも思えば良いと思います。

以上、ご参考になれば幸いです。